モデルカー・レーシング入門記 PART 2 
 

 

(「モデルカー・レーシング入門記」(その1)はこちらをクリックしてください。) 

“必勝のオール・サスペンション・シャーシー製作!!”  
 オール・サスペンション・シャーシーを作る計画は、私が極秘にすすめた(?)秘密作業でした。 
まず、必要な材料として、見た目本物らしくするために選んだフロント・サスペンション・アッパーアームには、真鍮ではなく、ブリキを空き缶から使用することに決定。そして、強度を考えてピアノ線を多く使用することにしてロー・アーム等に当てる。そして、スプリングに関しては、当時の「スピード・ライフ」誌に書いてあったとおり“ギターの1弦”を手動式ドリルに3mmのシャフトと弦をチャックに同時にはさみ、弦を巻いていく方式で自作することに決定(図のように行う)。 
 それから、設計図をひくわけですが、中学時代の私にとっては未知の世界でありましたが、父親がその手の仕事をしていたのがその時は大きく役立つのでありました。父親に図面の書き方などを教えてもらい簡単ではありましたが、設計図なるものを書くことが出来ました。後は、それにしたがって金属を加工していくだけでありました。図のフロント・サスペンション部における名称と材質は、「A:フロント・アッパーアーム(ブリキ)」「B:スプリング(ギターの1弦)」「C:シャーシー本体(真鍮パイプ3mm)」「D:スイング・アーム(真鍮板0,8mm)」「E:フロント・ローアーム(ピアノ線1mm)」であります。 
 このように、極秘に製作した“オール・サスペンション・シャーシー”は、なんと2週間ほどで出来あがることとなるのでした。しかし、当初の予定であった“ユニバーサルジョイント付き・リア・サスペンション”がむずかしすぎて製作できず、ついに通常のサスペンション・システム(リアをピアノ線によって上下させる方法)に変更せざるを得なくなったのが唯一心残りでありました。しかし、本物のレーシングカーと違い“デファレンシャル・ギヤ(コーナーリング中に内側の車軸の回転を外側よりゆっくり回転させるシステム)”を持たないモデルカーの場合は、理論的にはないほうがコーナーリング・スピードが速いのではと勝手に思っていたのが当時の私でした。

 
“当時の市販パイプ・フレーム紹介”   
 では、1965〜68年当時どのような市販“パイプ・フレーム”が使われていたのか、当時の「モデル・スピードライフ」誌の広告や記事から引用させていただきます。 
 
右から、1965年当時「青柳金属工業」より発売されていた初期のパイプ・フレーム“R−51型(左上)”とモデルカー・レーシング初期に多く使われていた鉄道模型用モーター宮沢製“MX−70〜77”用の“R−52型(右上)”であります。これらは、私がライト工業製“ロータス38”のクリヤ・ボディ用に“R−51”を買ったことがありますが、非常に軽快に走るイメージが残っています。 
 次ぎの真中の図は、当時の基本的なパイプ・フレームのレイアウトを示しています。まだまだ「インライン方式(モーターを縦に置き、クラウンギヤにより駆動する方式)」が主流でありました。後に出てくる「サイドワインダー方式(モーターを横置きにして、平ギヤにより横方向に駆動する方式)」は、当時ギア比を変えるようにモーターマウントが出来ておらず各社理論的にはインラインより優れていることが分かっているにもかかわらず実戦的なシャーシが出来上がっていなかったのが現状でありました。 
 左は、青柳が1967年当時技術を結集して作り上げた究極のパイプ・フレーム“R−555−5”であります。このモデルが出来るまで、数々の試験的なシャーシが開発されてきましたが、この“R−555−5”は、当時最強のモーターであった“マブチFT−26D”の登場によって出来たといってもよく、それまでのFT−36Dモーターより全長が格段に短くなったことによりサイドワインダー方式が取りやすくなり、それまで問題のあったギヤ比を変える事を可能にするモーターマウントの開発も手伝って発売後大ヒットしたシャーシでありました。このフレームには、その他“フローディング・ボディ・マウント”というシャーシ・サイドにバタフライの様にボディとシャーシ間が上下するシステムが付いており(“虫ピン”でクリヤ・ボディに止める部分のフレーム部とシャーシ本体が上下する)、コーナーにおける“横G”をこの部分が浮き上がることで車全体が横に流れて行くことを最小限にとどめるために開発されたシステムでありました。そういえば私は、このR−555系のシャーシにはずいぶんお世話になり、これを参考にした自作シャーシを何台も作らせていただきました。
 
“さて、自作シャーシーのボディは!?” 
 シャーシーはなんとか出来上がったのですが、ボディはどのマシンにするかが最大の問題となったのでした。私の“フロント・サスペンション付きシャーシー”のモーター搭載方法は、インライン式であり、どうしてもプロトタイプカーやCAN−AMカー用には適しておらず、どうしてもフォーミュラタイプにせざるを得ないと思われました。という事で、当時発売されていたクリヤ・ボディを見てみるとクライマックス社から発売されていたのは、「ロータス56・タービンカー(インディー・カー)」、「ブラバム・フォード(インディー・カー)」、「ホンダ3リッターF−1(RA−273)」か、ライト工業製「ロータス38(インディー・カー)」に限られていたのですが、うまいタイミングでクライマックス社から「1968年型ロータス49B(F−1)」と「1968年型マトラF−1」が発売されたのでした。私は、ラッキー!と思いながら2台とも購入し、2台のフロント・サス付き“F−1”を作ってしまうのでした。 
 
“えっ!フォーミュラ・クラスがない?!”  
 ところが、雪辱戦となる「第2回モデルカー・グランプリ」のライバルである“マル”こと丸山君がフォーミュラ・カー作製が間に合わないことが分かり、なんとプロトタイプ・カー、及びCAN−AMカーによるレースしかできないことが判明したのでありました。よって、苦労して製作した“フロント・サス付き”マシンのデビューはお預けとなってしまったのでした。レースまで後1週間弱に迫った頃、私は、このレースに合わせてニューシャーシーを製作していた。これは、クライマックス社製の「ポルシェ908」用に作ったものであり、サイドワインダー方式の標準的なパイプ・フレームでありました。当時発売されていたクライマックス社製のボディは非常に出来がよくプラスチック製のボディに引けを取らないディテールを誇っていたと思います。この頃までは、このクライマックス社がこの分野で他の急追を許さない勢いを持っており、事実発売されるサイクルも実車がレースに登場から半年以内に発売されるというハイ・テンポなものでありました。そういえば、この広告に載っていたものは全て買ったという記憶があります(中学生ながら金使いが荒い・…?!)。
 
 ところで、当時のシャーシー以外の主力パーツはどんなものが使われていたのかこれも同じく「モデル・スピードライフ」誌の関連記事と広告を引用させていただき説明していきたいと思います。 
“タイヤとホイール” 
 まず浮かぶのが、1965年当時“魔法のタイヤ”と呼ばれた日本模型製ゴム・タイヤを忘れることは出来ません。このタイヤは当時単品では発売されておらず、このタイヤを手に入れるためにわざわざキットを買ったいう話しもたくさん聞きました。食い付きの良いこのゴム・タイヤは、後のスポンジ・タイヤの登場によりその座を終われることになるのでありました。そのスポンジ・タイヤは、入沢商店が当時80円で発売したのが最初であり、その性能は、あの田宮をも研究させたほどの高性能タイヤでありました。
 
また、ホイールについては、当時絶大な人気を誇っていたのが“入沢商店”製アルミ・ダイキャスト・ホイールでありました(左の2つは、青柳金属製。右隣がゴーセン製。そして、入沢商店製のアルミ・ダイキャスト・ホイール)。そして1968年に登場した「モデル・スピードライフ」製アルミ・ダイキャスト製“スピード・スポーツ・ホイール”は、私が知る限り当時最大にヒットしたホイールであったと思われます。このホイールは当時活躍していた“ホンダF−1RA−273”の使用していたものをモデルに作られており、ディテールを大事にするファンに大変重宝がられたものでありました。ちなみに、入沢製ホイールは、1サイズ2個セットで160円、スピードライフ製ホイールが前・後輪別々でそれぞれ2個セットで120円でありました。
 
“最強のパイプ・フレームはどれだ!!” 
 当時の全日本選手権クラスのシャーシーとはいったいどんなものであったのでしょうか。ここに1969年に行われた「第5回全日本モデルカー・グランプリ」で優勝したGTクラスのマシンの写真と解説が「モデル・スピードライフ」誌にありましたので引用させてただきます。 
 “1.6mm径”ピアノ線、真鍮パイプ、真鍮板とR:512マウントの構成によるバタフライ式で、支点は前方にあり、ボディのロールは細いピアノ線の弾性で規制されております。モーターはアングル・マウントで、やはりコンミュテーター部分に冷却用の開口部があります。” 
 この解説によりますと、基本的な設計は青柳金属製の市販シャーシーと同じでありますが、リア・サスペンションをピアノ線の弾性を利用しておこなっているところに独創性があり、またモーターマウント方式がまだ私たちが採用していなかった“アングル・ワインダー方式(サイドワンダー方式の改良型で、斜めにモーターを配置し、平ギヤとの噛み合わせを浅くし抵抗摩擦を少なくしたもの)”を採用しているところがさすがに全日本クラスのマシンであることを物語っています。また、モーターのナイロン部分に穴をあけて冷却しているところも実戦的であり、見習う所がたくさん見うけられるシャーシーでありました。そして、ボディは、クライマックス製クリヤーボディの“マクラーレンM6A”でした。なお、この時の車検時の重量は、188グラムでありました。 
 この用に、日に日に進歩するモデルカー・レーシングを私たちは追い求めて、まず目先に控えている「第2回モデルカー・グランプリ」に必勝を誓う私でありました。 
次回「モデルカー・レーシング入門記」(その3)をお楽しみに!!(つづく) 

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