"The My Life Of 1970'S"
 上のイラストは大学時代に描いたもので、1975〜76年にかけて私が好んで着用していた服装です。左から、私がいちばん着用していた定番的服装です。“Half&Half”のジーンズ・コートにウサギの毛を襟に後付けしたロング・コートです。つぎが“EDWARD’S”のブラックコートで、バギー・パンツとハンチング(マルセル製)がアクセントになっています。
真中は、フィッシャーマン・ニット・ジャケット(ホワイト)とセミ・バギー・パンツの組み合わせ。そして、4番目は、“EDWIN”のブラック・カラー・ジーンズとフィッシャーマン・セーターのコンビで、レッド&ホワイトの横縞ソックスがポイントになっています。
最後は、今見るとよくも埼玉県S駅(現・T動物公園に某大学があります!)の田舎(失礼!)まで、このカッコで通っていたなと我ながら飽きれてしまうほどの恥ずかしさですが、当時は得意げに田舎道を歩いておりました。短めのブルゾンと超スリムなジーンズの裾にコートと同じように、ウサギの毛を巻きつけて、15cmヒールの“ロンドン・ブーツ”をズッコケズッコケはいて通っておりました。そうそう、筆記用具は、“ランチ・ボックス”というピクニック用のブリキ製のバックを愛用していたことを忘れておりました…、ああ〜、はずかしい!!
  
 左の写真は、友人“ハマ”所有の当時発売されたばかりの「ギャランGTO 2000GSL」を我が物のようにポーズを取る私です。
当時TV刑事ドラマ「太陽にほえろ!」のジーパン刑事がとても人気があり、私も例にもれず松田優作ばりに決めているつもりでだったと思われます。
ちなみに、私が自分の車を手に入れるまでには、それからなんと16年後の1989年まで待たねばなりませんでした。
 私が、ファッションに興味を持ち始めたのは、大学1年の時でありました。
簡単ではありますが、私の変貌していくありさまをご覧頂きましょう!
 左から、1973年夏頃、大学のキャンパスにおいて、リラックスして一服している私です(サンダルを履いて通学とは…、渋い?!)。続いては、1974年、1歳上の友人に付き合い新宿の厚生年金会館で行なわれた成人式に行ったときのスナップです。そして、伝説と化している“北八ヶ岳・撮影会”におけるショットです。夕闇が迫り、この後の撮影は中止となったなんとも情けない旅行でありました。
 左から、1975年当時、北青山の「K.F.C」でアルバイトをしていたときの私です(メガネから、コンタクトレンズに変えています!)。そして、ニコルのピチTシャツを着て、トリコロールカラーのサスペンダーが得意げな私と、いきなりサーファー派となったポリシーがない私です。
 1976年は、私にとって学生最後の年でありました。その頃も相変わらず北青山でアルバイトをしておりましたが、どうも自分のファッションに対する姿勢がマンネリ化していると感じておりました関係上、次ぎなるターゲットはないかといろいろ探しておりました。
 そんなことばかりしておりましたから、社会人になっても下の写真のような暴走ともいえる恥ずかしい状態に陥ってしまうわけであります。これは、赤坂見附にあった本社で行なわれたクリスマス仮装パーティーの時のスナップであります。ちなみにこの後、全員この格好で、六本木にある有名ディスコに繰り出したのですから、まさに廃退的世紀末の様相でありました。
 

 右の写真は、それぞれ違う結婚式で熱唱する私ですが、当時何も考えずに歌っていたのですが、今考えると恐ろしいのは、上で歌っていたのは「勝手にしやがれ!」で、そして下で歌っていたのは「甘い生活」と云うそれぞれ別れることを題材とした曲でありました。皆さんには、改めて申し訳ないことをしたと謝りたい気持です(現時点では、別れたという話しは聞いておりませんので、一安心しております)。


 
GO TO TOP
BACK TO LAST PAGE