番外企画! 
“「ファッション」村の少年たち”
1970〜77年
 
 “時の過ぎゆくままに…”
 すでに“みゆき族”は、追憶の彼方に消え、時代の流れの中で、若者のファッションは、大きく分かれて進化していきました。時、1973年。
 VAN崇拝派は、スポーツ・クラブ系(体育会系?)の人間が多く(偏見でしょうか?)、新たに波及した“コンチ派(コンチネンタル・ヨーロッパ志向のクラシカル・エレガンス的ファッションを指す)は、「JUN」「DOMON」「ROPE(女性用)」「EDWARD’S」などに代表されるような“ゴージャス”な雰囲気を表面に出して多くの若者の指示を受けておりました。
その後、あのVANも、“Mr.VAN(ミスター・ヴァン)”というブランドを新たに作り、コンチ派獲得に乗り出したことはあまりにも有名な話でありました。
一方、コンチ派の中でも1972年頃から欧米ミュージック・シーンのグラム・ロックに代表されるような“ベルボトム・ジーンズ”+“ピタTシャツ”+“サスペンダー(これは、ジュリー主演のTVドラマ「悪魔のようなあいつ」の影響か?)”+“ロンドン・ブーツ(クリームでのジンジャー・ベイカーの蛇皮ロンドン・ブーツは最高!!)”を組み合わせたファッションが流行し、私などは、思いっきりはまってしまったわけであります。
ヒールが20cmもあるロンドン・ブーツなども、日本唯一(?)のオーダー・メイド・ショップ「ホソノ」などで作り、それを自慢げに履いて歩く若者で、表参道は、一時期はあふれておりました。
 さらに、コンチ派の中で、「ムッシュ・ニコル」「メンズ・ビギ」「グラス」などの台頭により、よりファッション性の強い“バギー・パンツ”が流行したことや、“アンアン”や“ノンノ”の創刊に伴って、原宿・表参道は、一夜にしてそんな流行の服を着込んだ若者であふれ、ファッションの街へと生まれ変わっていったのでした。
それと平行して、ジーンズ・メーカーも挙って“ベルボトム・ジーンズ”を発売し、町のジーンズ・ショップは、ベルボトム・ジーンズで溢れかえっており、“DO FAMILY”“HALF&HALF”などは、その代表格でありました(私も、大変お世話になったブランドでした。特にロング丈のデニム・コートは最高でした。私は、襟にウサギの毛皮を後付けで付けて楽しんでおりました!)。

 右の写真の内、右4人は、1974年頃の表参道において一般的若者が好んで着ていた(そうでもないか!?)カラー・ジーンズ・ファッションですが、左の彼は、頑固にも“アイビー派”のようです。
 左の写真は、旅行先なのでしょうか?それにしてもなんともまとまりのないファッションのグループなんでしょうか。
 “GET READY!ディスコ・ブーム”

 そんな爆発的な流行を私は、常に頭に置きながら、わざわざ流行発信地 原宿・北青山でファースト・フード・ショップである“K.F.C”において、アルバイトまでするようになるのでありました。
(その当時の私をまとめてみましたので、良かったら立ち寄ってください!)
 
HERE!!

その頃日本では、以前より一部でフィーバー(死語?)していたブラック・ミュージック・コンテンポラリーが、TVミュージック番組「ソウル・トレイン」などの影響から“ディスコ・ミュージック”という新しいジャンルとして大ブームとなっておりました。このブームは、さらに“コンチ派”を喜ばせ、男も女も多いに楽しんだのでありました。新宿、六本木、そして赤坂では、1970〜77年にかけてディスコの中心となり、特に私は、新宿の「ビッグ・トゥゲザー(今の歌舞伎町ミラノ座のビルにあったと思いますが?!)」、「アップル・ハウス」、「カンタベリー・ハウス ギリシャ館」、そして「インディペンデント・ハウス」などに、毎週のように行っておりました。

 “ポパイ創刊!!”
 そんな1975年から76年にかけて、アメリカ西海岸の情報を一早く日本に伝えべく発刊された情報誌がありました。1976年6月、平凡出版から創刊された「ポパイ」は、それまでの日本の若者が持っていた生活常識までをも変えてしまうほどの影響力を示し、私なども当時はミーハーでしたので、すぐに影響されてしまい、昨日まで“コンチ派”などと言い張っておきながら、いきなり今日から“サーファー派”で原宿を友人と歩いておりました。
 1976年頃の原宿・表参道は、“歩行者天国”が実施されたことも伴って、“コンチ派”、“アイビー派(VAN派からの波及?)”、そして“ロンドン・ブーツ派(ヘビメタ派)”の中に混じって、スケート・ボードとフリスビーを持った“サーファー派”の若者たちがこぞっと出現し、一種異様な雰囲気をかもし出しておりました。私は、今も鮮明に記憶しております。
 飾りっ気のないプリント・Tシャツとストレート・ジーンズ(特に、LEEやリーバイスが多かった)に大きなメタル・バックルを付けたカウボーイ・ベルトとスニーカーを身につけた若者たちでした。
さらに、原宿駅から、表参道を下り、明治通りまでの間は、スケート・ボードでスラロームするサーファー派であふれており、他の“派”を蹴落とす勢いでありました。
ところで、国鉄(当時はそう呼んでおりました!)原宿駅を挟んで表参道と反対側にある「代々木公園」の向かい側の代々木室内プール横の広場(?)では、1975〜77年当時なんと1/8スケールのエンジン・ラジコンカーの練習場として盛んに使用されていたことを今思い出しました。
ところが、“サーファー派”の出現とともに徐々に消えていき、最後は、生存競争と申しましょうか、スケート・ボードのスラローム練習場と化してしまったのは、なんとも悲しい(今考えるとですが…)結末に思えました。ここは、その後「竹の子族」や“一世風靡”などを生んだところでもありました。
 ここで、街でよく見かける典型的な若者のファッションをご覧頂きましょう!
 左から、“アイビー派”から、ニュー・トラディッショナルに移行したばかりという感じの男性、スヌーピーTシャツがポイントですか?!そして、現在の“チャー”並みの格好で一際目立つ“セミ・コンチ派”の男性、この時代は、このスタイルが大流行しました。右は、ニコルでしょうか?野口五郎のような風貌で自慢げな男性です!ちなみに、この時代の“吉田拓郎”“石橋正次”がそうだったように、えてして20年後には養毛剤のお世話になる可能性があるように思えてなりまんが!!??(失礼しました…)
 
 何ら問題が起きそうにもない健全な男女のグループのように見受けられますが、上流家庭のお嬢様とお坊ちゃま達なのでしょうか?どこかの別荘(軽井沢とか…)でのスナップのように思われます。これも1974年頃の典型的な若者のファッションですね!

 左の彼達は、一体何でしょうか、“オーロラ”のラガーTシャツにホワイト・スリム・ジーンズとは当時としては、流行の先端を走っていたのではないでしょうか。そして、60年代の“ヒッピー・ムーブメント”の余韻を残しながら“エスニック・ファッション”の代名詞のような左端の男性は、何かの教祖様に思えてなりません。右の写真は、どこか山登りでのスナップなのでしょうか。真中のチェックのシャツを着た女性が、とてもすてきですね!
 
 “サーファー派(決してサーフィンが出来るわけではないが、格好のみサーファーという意味)”の集まりなのでしょうか?左の写真上の段の左の男性が着ているブルー/ホワイトのアロハって、とってもいいですね!女性物みたいですが…?!
 右の若者たちは、どこかで見たような気がします。それより2番目の彼が着ている星のTシャツは、当時吉祥寺にあった有名なサーフ・ショップ「・・・・(誰か教えてください!)」にあった“SEX WAX”Tシャツではないでしょうか。
 “虚飾の世界?!”
 60年代後半から70年代初頭にかけて盛んに言われた「モーレツからビューティフル」というキャッチフレーズも過去のものとなり、1976年を境にして、ファッションはみんなのファッションから、個人のファッションへと移り変わっていきました。多くの若者たちは、やがて来る“1980年代”に向かってより確実なファッション、そして裏付けされたリッチなファッションを求めるように変貌していくのでした。
 私は、1977年3月に無事大学を卒業することが出来ましたが、今考えると恥ずかしいのですが、ジョン・トラボルタ並みの白のスーツ着て、卒業式に出席したことが今でもとても印象に残っております。
 その後私は、縁あってイタリアのファッション・ブランドである「V.G」の輸入代理店に就職し、大好きだったファッションの世界に入っていくのでした。
 左の写真は、都内有名ホテルにおいて開かれたリッチなディナー・パーティーの様子です。
右の写真は、パーティーに参加されていた超派手なお二人を写したものです。
時代は、G.アルマーニの時代に入り、1980年代日本は、世界でも例を見ないインポート・ブランド崇拝国になっていきました。1970年代を飾った“コンチ派”や“アイビー派(1部のロックンローラー風のリーゼント族も含む)”、そして“サーファー派”は、それぞれ“イタリアン・ファッション派”“ニュー・トラディッショナル派”などのジャンルに変化していきました。さらに、それら全てをミックスしたようなクロスオーバーなファッションも登場してきました。
 1970年代後半、日本のファッション文化を作り上げていった若者たちや大人たちは、1980年代を目の前にしてかつて彼等が経験したことがないほどの消費時代に向けて走り出していったのでした(私も例にもれず必要もない服を買いあさるのでありました)。
 21世紀を間近に控え、今、1990年代の新しい“「ファッション」村の少年たち”が歴史を作ろうとしております。しかし、街で見かける若者たちのスタイルは、どことなく見たことがあるデザインや昔私たちが好んでしていたコーディネイトのように見えてしまいます。それはあたかも私たちが残した“遺産”を彼らのDNAを通して復元しているようにも感じられます。
昔から、歴史は繰り返すと申しますが、皆さんは、どう感じられますでしょうか。 ご意見・ご感想をお待ちしております。
 
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C  13/JULY/99  HIROFUMI MAKINO