世紀のデットヒート!!  
60年代最高のカー・レースTV (原題 AUTORACE HIGHLIGHTS) 
TV局 NET(現テレビ朝日) 1966〜68年放送
 1960年初頭の海外のレースといえばまず思い出すのはアメリカの大排気量のV8エンジンをフロントに積み“オーバルコース”を駆けまわる「インディアナポリス500マイルレース」ではないでしょうか。この「インディ500」(以後略名使用)は、アメリカを代表する典型的なものであり、日本においても私が小学校6年(1966年)の頃には録画ではありましたが放送されていた記憶があります。
 私が、初めて実車のレースをTVで見たのが1966年5月3日に放映された「第3回日本グランプリ」ですが、その年もう一つの“大レース”が富士スピードウェイで開催され、私は、このレースも運良くTVで見ることが出来たのでした。それは、なんとアメリカのインディカーを招待したビッグイベント「日本インディ200マイルレース」だったのです。しかし、私は、「モデルカー・レーシング」に当時夢中であり、実車のレースについての知識はまだまだ乏しく、今思えば恥ずかしいのですが、「インディーカー」と「F−1」の違いが分からずにこのレースを見ていたのでした。名手“グラハム・ヒル”(現役F−1ドライバーである“デーモン・ヒル”のお父さんである。)や“ジャッキー・スチュワート”、“マリオ・アンドレッティ”、そして、後で知ったのですが、あの当時の天才ドライバー“ジム・クラーク”までも出場していたのですから・・・・。(ただし、予選でマシンを壊し決勝は欠場した。)一般的にレースが現代のように認知されていない時代での放送でいったいどのくらいの人たちがこのレースを見ていたのでありましょうか。 
 そんな時代についに登場!!と思わず叫んでしまいたいほど待ち焦がれたTV番組が1967年に登場したのです。これは海外のレースフイルムを使って30分番組として登場させた日本題名『世紀のデットヒート』でありました。放送日に関しては、まったく記憶がなくなってしまいましたが、毎週夜の6〜7時ごろが放映時間ではなかったかと記憶しています。(どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。) 
 さて、この番組を思い出してみると、オープニングはスピーディーな音楽が鳴り始めて画面は白黒ながら(まだ、白黒テレビの時代なので・・・・。)1960〜66年頃のレースの模様が映し出される。そして、「世紀のデットヒ〜〜ト!!」とやや誇張した感じでナレーションが入るのでした。私は、毎週この番組を楽しみにしていたので放送される日には、かなり早く家に帰ってテレビの前に座って待っていたように記憶しています。 
 番組の内容で特に覚えているのは、1966年にアメリカではじめて開催された「CAN−AMシリーズ」が放送された事でした。この番組の中核を支えていたのは「CAN−AM」であったようにも思えました。66年のCAN−AMシリーズは、全部で6戦行われ、テレビでは、このうち3戦放送されたと思われます。特に、印象が残っているのは、第5戦「ロサンゼルス・タイムスグランプリ」(リバーサイド・サーキット)での怪鳥“チャパラル2E”(当時は、チャパラルと発音しており、後になって“シャパラル”CHAPARRALが正しいと気づいたわけですが…)と名手ジョン・サーティース(1967〜68年の間、日本のホンダF−1のドライバーであった事はあまりにも有名であります。)の“ローラT70”との死闘でありました。最終ラップまでデットヒートが続き、最後にジョン・サーティースが逃げ切るという大変見ごたえのあるレースであったと記憶しています。わたしが大好きなチャパラルが優勝するのは、第3戦「モントレー・グランプリ」(ラグナセカ)であり1966年以降、チャパラルは「CAN−AMシリーズ」で勝ったのは、わずかにこのレースだけでありました。 
この「1966年CAN−AMシリーズ」で総合優勝したのは、最後に放映された最終戦「スターダスト・グランプリ」(ラスベガス)で3回目の優勝を飾ったジョン・サーティースでありました。とにかく、大興奮の「CAN−AMシリーズ」放送でした。 
 あと、印象に残っているのは、「インディー500」の1965年のレースであります。優勝したのは、当時現役F−1チャンピオンの“ジム・クラーク”でありました。彼の愛車であった“ロータス38”のシャープなスタイリングは、他のどのマシンよりもカッコ良く見えたものでした。 
ところで、今この番組を振り返ってみるとどうも“映像”と“音声”が一致してなかったことで子供心にも不思議に感じていました。だぶん、16ミリフイルムで撮っていたため、音声録音が別撮りだったか、まったくの別音声を重ねたためなのかは今となってはなぞのなぞであります。 
 放送で、あまり見たくなかったのが、1950年代後半の「インディ500」でした。そんな中にも、面白いレースがありました。1955年頃のイタリア・グランプリになんと当時の“インディカー”が出場しているのです。当時の“モンツァ・サーキット”は、バンク・カーブが使用されており、そこを走る“インディ・カー”と“F−1カー”が争って入るところはとても興味が沸いた記憶があります。後になってわかったのですが、当時は「インディ500」もF−1グランプリシリーズの1戦であり、「インディ500」にも多くのF−1マシンが参加出来たという時代だったのでした。また、シリーズとしての放送はなかったのですが、世界スポーツカー選手権の中の1戦であった1965年「セブリング12時間レース」は忘れられない放送でした。フォードGT、フェラーリP−2を向こうにまわし、“チャパラル2”が大雨のレースを制したのですから、もう大変でした。しかし、12時間を30分弱にまとめるのですからどうも内容が今一歩理解できずにただただ優勝したことのみしか今考えても覚えておりません。とにかく、このチャパラルは、当時夢中であった「モデルカー・レーシング」の世界でも羨望の的であり、特にアメリカの“COX社製「チャパラル」”は、この「セブリング優勝車」をモデルとしておりなおさら人気があったのでした。(しかし、3600円ほどの価格は、当時の小学生には、本物の車を買うようなものでした。) 
 こんなレースを題材にした番組はこれ以降あった記憶はありません。実際のレースをリアルタイムで見られるからかもしれませんが、もう1度このような内容の過去を振り返るレース番組をぜひ作ってもらえないだろうかなどと思ってしまうのは私だけでしょうか。 

追伸 この企画ページを作ってからすでに1年以上が経過した今、私が大きな間違いをしていることが判明いたしましたのでここに訂正、およびお詫びをいたしたいと思います。
 それは、当初私の記憶だけでこの企画ページを作らせていただいたわけでありますが、最近古本屋で購入いたしましたフィルムアート社発行 乾 直明氏著作の「ザッツTVグラフィティ 外国テレビ映画 35年のすべて」によって、日本(東京地区)における「世紀のデッドヒート」を放送していたテレビ局は、私の記憶にありました「東京12チャンネル(現テレビ東京)」ではなく、「NET(現テレビ朝日)」であったことが判明しました。本当に長い間インターネット上で間違いの情報を流しつづけたことを深くお詫びいたします。

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  1999年3月7日 by hirofumi makino