What's New (July, 1997)



■1997年7月25日

 9月と10月にそれぞれ10枚ずつ、キャピトル時代のビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバム群がCDで再発されるんだけど。そのライナーを全部引き受けちゃいました。全部合わせると原稿用紙数百枚ってことになっちゃう。とんでもない仕事引き受けちゃったような気がするけど。でも、すんげえ光栄なことなので。がんばってやってます。で、けっこう楽しんでます。

 当然ながら、原稿を書きつつビーチ・ボーイズのアルバムを次々浴びるように聞いているわけで。もうこれまでの人生で何回聞いたかわからないアルバム群なのに、まだ飽きない。つーか、聞くたびにいまだ新しい発見がある。やー、深いです。一時、すっかり敬遠していた『サーフィンUSA』ってアルバムも、聞けば聞くほど深いものがあって。どのアルバムもあなどれない。日々、これ勉強ですわ。

 あ、そうそう。そういえばあえなくオクラ入りしてしまっていた『ペット・サウンズ・ボックス』。なにやら今秋の公式リリース・スケジュールに復活したみたい。アメリカのタワー・レコードの通販ページでは“97年12月発売”になってたけど。どっちにせよ、ようやく公式リリースが実現しそう。内容はここで発表されたものとはちょっと変わるみたいだ。詳細がわかり次第、レポートしますね。



■1997年7月10日

 先月、この欄に書いたニューヨーク、タイムズ・スクエア地下鉄駅構内のレコード屋さん、健在だそうで。やはり前回、ホームページを紹介させてもらった水口“ミソッパ”正裕くんと、KAZUHIKO "ziggy" WASHIOさんからその旨、情報をいただきました。ありがとう。

 ところで、先日、休暇で海外に行っているとき、ニューヨークで開催されたチベット救済コンサートの模様をテレビの生放送で見まして。日本のMTVでも録画を流していたけど。ペイヴメントとか、U2とか、フー・ファイターズとか、ビースティ・ボーイズとか、REMのメンバーとか、多彩なメンツが次々登場。中でもアラニス・モリセットのステージはかっこよかったっす。今さら彼女がどうかっこいいかなんて話す必要はないのかもしれないけど。とにかく、かっこよさを再確認した感じ。

 アラニスは生ギターと生ベースとドラムを従えて登場。アンプラグド・セット。そういう編成だったからこそ、彼女の底力ががしがしに伝わってきた。骨格が太い音楽というか。がっしりしてるというか。日本でも近ごろはアラニスからの影響を高らかに宣言する女性シンガーとかたくさん現われているものの、みんな、なんだかアラニスの音楽の表層を彩るエキセントリックな部分とかばかりに着目しているみたい。なもんで、とりあえずの破壊力だけはあるんだけど、いかんせん基本が細い。弱い。サウンドの助けを借りないともたない。対して本家のアラニスさんは、音楽的な下半身がしっかりしてるので、歌声いっぱつでがっちり聞かせられる。この違いには、できるだけ多くの人が気づいてほしいと思う。

 シェリル・クロウが去年の暮れにロンドンで収録したライヴ・ビデオってやつも日本で発売されて。それを見たときも同じようなことを思った。シェリル・クロウ・クローンもだいぶ日本でも増えてきているけど。この場合も、大方はシェリル・クロウの音楽の表面に漂う、ひょうひょうと浮遊する感触だけをかすめとったみたいなものが多い。でも、シェリルさん自身は違うよ。この人も音楽的な骨格がばっちり。彼女の歌の中にはパッツィ・クラインから、ジャニス・ジョプリンから、キャロル・キングから、ペギー・リーから……もう、ホントに様々な米女性シンガーの系譜がすごい密度で詰まっていて。それがあったうえでの“ひょうひょうとした表層”なわけで。

 以前、ベックに関しても同じようなこと書いた覚えがあるな。やっぱり分母にちゃんとルーツ音楽への敬愛なり見識なりを置いたうえで、分子に時代の空気感を乗せる、と。こういう構造になっていないポップ・ミュージックは、ものすごく刹那なものにしかならないんだね。もちろん、刹那な感じってのもポップ・カルチャーの大きな魅力ではあるわけで。その在り方自体を否定するつもりはない。刹那に輝くからこそのポップ。時代を超えることなど二の次に、時代の最先端の空気感との激烈な追いかけっこを展開することこそがポップ・ミュージックに課せられた使命である、と。この乱暴なスピード感こそを“ポップ”と呼ぶべきなのかもしれないんだし。

 でも、それをやるにしても、やっぱり下半身だけはしっかりしていてほしいんだよねー。作り捨て、聞き捨てを基本にスピーディな自転車操業を繰り返すポップ・シーンにあって、でも、そんなとんでもないスピード・レースの中から突如、時代の壁を一気に超えてしまうような、永遠の“表現”に出くわしたりする、その瞬間の感激もまたポップ・ミュージック・ファンにとって大切なものだとぼくは思う。そして、そういうふうに永遠を射抜くポップ・ミュージックってのは、間違いなくどれもその下半身がしっかりしてるんだ。まじに。30年近くポップス・ファンをやってきた経験から言って。

 ちょっと話が抽象的ではありますが。

 いや、だからといって、日本のミュージシャンはダメだとか、日本からもそういう音楽がもっともっと生まれてほしいとか、そういうジジイみたいな結論を出そうって魂胆じゃないんですよ。やっぱりアラニス・モリセットはすごいなぁ、と。シェリル・クロウはむちゃくちゃかっこいいなぁ、と。それだけの話なんだけど(笑)。

 そういえば、たぶん8月ごろにNHKの衛星でオンエアされ加山雄三トリビュート番組のトーク部分の司会役を先日やってきまして。中山エミリちゃんとともに、加瀬邦彦、谷村新司、南こうせつ、さだまさし、憂歌団、ビギン、村下孝蔵、ブラザー・コーン、そして加山さんご本人などを相手に回し、ヘトヘトになりつつ(笑)役割を果たしてきたんだけど。そのとき改めて思ったことは。加山雄三って人も、そういうルーツ感覚みたいなものを無意識のうちにがっちり身体にしたためた人だったんだなぁって事実。今さらだけど、すごい人だね、やっぱり。