What's New (Jul, 1996)



■1996年7月25日

 ねーねーねーねー、ビーチ・ボーイズのニュー・シングル、買った?

 ニュー・シングルってゆーか。まあ、再発なんだけど。シアトルのロック・シーンを牛耳っているサブポップ・レコードからのリリースだったもんで、見逃しちゃった人も多いんじゃないかなぁ。ぼくも見逃し組でした。くーっ。

 詳しくはレコード・コレクターズ誌に連載しているコラムに執筆したところ。ついでなんでここにも載せちゃいますね。例の、発売延期になった『ペット・サウンズ・ボックス』に収録予定だった音源で。すごいんだよ、これ。むちゃくちゃいい。『ペット・サウンズ』ってアルバムの奥深さがいちだんと伝わってくる仕上がり。

 ところが様々な事情から、このシングルもリリースされてほんの一週間で回収ってことになっちゃったらしく。そんなニュースを耳にしてから、飛び回りましたよ、各レコード店を。でも、時すでに遅し。どこにもなくてさぁ。まだ西新宿の方面は当たってないものの、途方に暮れてたら、レコード・コレクターズ編集部の愛の手が延びて。ようやくゲット。

 それにしても、ビーチ・ボーイズってのはよくモメるね。『ペット・サウンズ』出した時点でブライアン・ウィルソンはバンドを解散するか、脱退するかしなきゃいけなかったのかも。ビーチ・ボーイズなんて屈託のないバンド名と裏腹な、どうにもならないドロドロがいつもこの人たちには付きまとう。字画が悪いんじゃねーの? 英語の字画って、どうやって見るんだ?

 でもって、オリンピックやね。夜更かししちゃうね。もともと夜更かしして仕事してることが多いんだけど、深夜についテレビ観戦しちゃうもんだから、近ごろは明け方に仕事している体たらく。日本は全体的に不調みたいだけど、オリンピックの場合は、世界じゅうのごきげんな選手のワザを楽しむいい機会。あんまり日本選手にとらわれた放送体系でないほうがいいなぁ……なんて思ったりしているわけですが。

 早く陸上とか始まんないんかな。ドリーム・チームもたっぷり見たいな。君島ブランドの行方はどうなるのかな。本上まなみちゃんにはカツマタがちょっかい出してて腹がたつね。



■1996年7月12日

 やー、またもや久々の更新になってしまいましたが。

 今日さぁ、なんか、TBSのハイビジョン放送用の取材ってのを受けて。日本のヒップホップの現状について語ってください的な、まあ、そういうやつだったんだけど。内容に関しては別にいいのね。ただ、取材の待ち合わせ場所ってのが、渋谷109−2の屋上ってことで。

 悪い予感はしたんだけど。

 あのビルの屋上の、そのまたさらに上。らせん階段を上がって、そこからハシゴで登ったところに、キャットウォークみたいになってるところがあって。そこの端っこに座ってくれってゆーんだよなぁ。

 渋谷の駅前交差点を行き来する人が豆粒みたいに見えるところだよー。やー、まいった。こわかったぁ。ひどく高所恐怖症ってわけじゃないんだけど、でも、そんな高いところで、強い風が吹いたら、けっこう煽られちゃいそうなところで。いちおう、スタッフがカメラに映らないところから、ぼくの脚とかおさえてくれてはいるんだけど、でもねー、俺だよ。でぶだよ。フツー、こんなでぶ、おさえられないよ。

 と、まあ、そんなわけで。ここ数年来、もっとも緊張した仕事となってしまいましたとさ(笑)。話したことの内容なんか、全然覚えてない。

 でも、テレビのバラエティ番組とか見てると、すんげえ高いところから下を映すカットとか、当たり前にあるじゃん。こないだもTOKIOが、とてつもなく高いビルからスーパーボール落として、どのくらい跳ね返るか……ってバカ企画やってたけど。そんときも、真下を映すカメラ割りとかあって。

 根性すわってますね、プロのカメラマンは。今日だってさ、ぼくはびくびくもんで座ってるのに、横で、へーきでカメラをパンさせたりしてるんだもんなぁ。絵づくりのためなら命をかける、と。尊敬はしないけど、すごいなとは思う。

 いつ放送されるんだかわかんないその映像。もし見ることがありましたら、覚えといてください。ぼくの額に光る汗は、暑さのせいじゃないよ。



■1996年7月2日

 ドクター・ドレがデス・ロウを離れるんだってーっ?

 まあ、そんなことはどうでもいいって人が多いとは思いますが。特に今日は書くこともないので、いちおうこの話題でスタートしてみました。

 最近はねー、まだレビュー・ページに載せてないんだけど、ベックばっかですよ。ベックの新作がよくって。なんか、こいつ、ヘタすると一発屋かと思ったんだけど、俺が悪かったって感じだよね。そんなこと一瞬でも思った俺が悪かった。すごいや。かっこいい。きっちりルーツ・ミュージックへの愛情とか敬意が底辺にどくどく流れていて。そのうえで、ローファイだとか、ヒップホップだとか、そういった現代的な方法論にアプローチしている、その姿勢に感服です。

 ベックの「ルーザー」のヒット以来、日本でもずいぶんとベックもどきが出現した。G・ラヴもどきも多い。けど。ダメだよね。基本的な姿勢が違うから。日本のベックもどきさん、G・ラヴもどきさんたちは、みんな、トレンドとしてのローファイとかヒップホップへの憧れがまずあって、そこにいかした調味料としてルーツ・ミュージックをまぶすわけだな。これじゃ底辺がないもん。まるで。しかも、そのルーツ・ミュージックは海外のルーツ・ミュージックなわけで。もしそれを本当に自分のルーツとして表明するためには、もっともっと死ぬ気で“学習”しないとダメだと思うよ。ルーツ・ミュージック気分だけをかすめとろうとしてもダメ。10年早いって感じですよ。ぼく自身も含めて、なんだけどね。

 そういえば、以前スティーヴ・ウィンウッドにインタビューしたとき、彼が面白いこと言ってて。ミュージック・マガジンの6月号に寄稿したそのときの模様から、一部抜粋しますね。ちょっと長いけど。

――あなたの音楽の中に共存している伝統的なイギリスのフォーク音楽とアメリカのR&B。その渾然一体ぶりは、日本人のぼくなどから見るとどこか奇妙に映ったりもするんですが。あなただけじゃなく、たとえばスティーヴ・マリオットにせよ、レイ・デイヴィスにせよ。この感覚はあなた方にとっては自然なものなんでしょうか。

 「そう。しかもその必要があるんだ。音楽を“生きた”状態に保つためにもね。そうでないと単にトラディショナルな音楽に成り下がってしまうだろう? もちろんぼく自身、トラディショナルな音楽も好きだし、伝統音楽が存在するのは素晴らしいことだと思う。それが日本のものであろうと、アイリッシュだろうと、アフリカンだろうと、伝統音楽は存在すること自体が重要なんだ。でも、伝統音楽はそれひとつだけではけっして発展することがない。歴史的な音楽だ。音楽を先へ先へと進歩させるためには、異なる要素に目を向け、ミックスするという姿勢が大事なのさ。94年に出したトラフィックのアルバムに入っている「ホーリー・グラウンド」という曲にアイリッシュのミュージシャン、デヴィッド・スピレーンが参加しているけれど、彼はバグパイプのような伝統楽器を演奏する一方でジャズやブルースを自らのプレイに取り入れている。トラディショナルなミュージシャンの一派からは煙たがられているみたいだけどね。でも、彼にしてみれば両者をひとつにする以外、自分自身を表現する手段がないんだよ。彼自身の音楽を先に進めるためには必要な行為ということさ」

――なるほど。むしろ伝統音楽のほうが身体にしみついているということですね。思っていたのと反対の視点からの言葉だったので少し驚きました。日本人は、こと音楽の世界で伝統を軽視しがちなもので…(笑)。

 「そうかな。もしかすると日本の人たち自身がまだ発見していない伝統があるのかもしれないよ。意見を述べるほど日本の伝統音楽のことを知っているわけじゃないけど、少しは耳にした。その限りではとても興味深い、エスニックな音楽のように思えたけど」

 日本と英米でのこの姿勢の違いは、かなり大きいんだろうなぁと、近ごろまた強く思い知らされているケンタなのでした。





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