近ごろ、何がきっかけだったのかは覚えてないけれど、やったらめったらバターフィールド・ブルース・バンドばっかり聞いている。なんか、すっげえかっこいい。昔もかっこいいと思っていたんだけど、また、さらにかっこよく聞こえるようになっちゃって。不思議なものです。ハマってます。
1965年にアルバム『The Paul Butterfield Blues Band』でデビューしたシカゴ出身のホワイト・ブルース・バンド。ポップ・ヒストリー的に言うと、それまではあくまでも“レイス・ミュージック”としてしか扱われることがなかったいわゆるアーバン・ブルースってやつを、より広く白人ロック・ファンにも紹介する役割をになった連中。
まあ、ある意味じゃ同時期に大活躍していたローリング・ストーンズとか、あのテのブリティッシュ・ビート・グループたちと同じことなんだろうけど、バターフィールド・ブルース・バンドの場合はもっともっとスタイリッシュというか。“型”にこだわっていた感じ。ストーンズとか放っていたのが“感覚”としてのブルース・スピリットだったとしたら、バターフィールド・ブルース・バンドは徹頭徹尾、“伝統”としてのブルースに向かって限りない愛情を表明し、その“型”を必死に受け継ごうとしていた。
このノリが、ね。いいわけ。なんだか。
当時、日本ではビクターからリリースされていたファースト・アルバムとか、ぼくは何年か遅れで手に入れて、けっこう聞きまくったものだ。衝撃だった。その後、70年代半ばに本格的黒人ブルース・ブームが日本の洋楽シーンでも巻き起こって、ぼくもマディ・ウォーターズやらリトル・ウォルターやらハウリン・ウルフやら、バターフィールド・ブルース・バンドがお手本にしていたようなモノホンのブルースを聞くようになって。となると、バターフィールドたちの音がなにやら薄くて、中途半端なものに思えてきたりもしたものだけれど。
そういう時期を経て、また今、この中途半端かもしれないけれど、限りない情熱に裏打ちされた音楽が新鮮に響くようになった。なんでだろね? いろんな音楽スタイルが出尽くして、解析されつくして、誰もが何でもわかってるような気になっているこの時代だからこそ、かな。このクールでデジタルな時代への反動としてのバターフィールド・ブルース・バンドなのかもしれない。暴走する若き情熱。やっぱ、こういうのっていいよね。
ポール・バターフィールド、エルヴィン・ビショップ、マイク・ブルームフィールドという若き気鋭が火花を散らす初期2枚のアルバムが、やっぱりむちゃかっこいい。65年の『Paul Butterfield Blues Band』と66年の『East-West』。正規のデビュー・アルバムが出る前にレコーディングされながら長くオクラになっていた幻のセッション集『The Original Lost Elektra Sessions』ってCDも最高。ブルームフィールド脱退後、デヴィッド・サンボーンをはじめとするホーン陣も大胆に導入してぐっとR&B寄りにシフトした68年の『The Resurrection Of Pigboy Crabshaw』あたりも、独特のブルー・アイド・ソウル臭が気持ちいい。
つーわけで、近ごろのケンタズ・ナンバーワンは、文句なしにバターフィールド・ブルース・バンドに決定だっ!
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