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No.10 ごった煮マンハッタン

しばらく連載が途絶えていた、このニューヨーク旅行記。

系統立てて書きたいことはあらかた書いてしまったので、今回は話の流れに乗らなかったものの、現地で見かけて「あれ?」と思ったモロモロについて、特にとりとめなく紹介します。

多分脈略ない文章になると思うが、そうなったらゴメンナサイ。 

 

 

マンハッタン路上観察

自動車

クルマ社会アメリカ。しかしここニューヨークでは、あまり多くは見かけなかった。市民一人当たりの自動車保有台数は、おそらく日本の地方都市の方が多いと思われる。

というのも、特にマンハッタンは、見たところ「駐車場」というものがほとんど無い。彼ら住民は車を買ってもどうやって保管しているのだろうか?撮った写真を見ると、恐らく「路駐」しているのではないだろうか。憶測だが、それらしい自動車が、マンハッタンの裏通りには結構停まっていた。

自動車の生産国別ベースで見ると、アメリカのビッグスリーよりも日本メーカーの車の方をよく見かけた。なお、アメリカのメーカーの自動車・とらっくの中には、「OEM供給」というべきか、バッジを付け替えただけでよく見ると日本車、というものをよく見かけた。

タクシー

一目瞭然、黄色い車体の「イエローキャブ」である。自分は今回の旅行では使わなかったので、実車の写真を載せる程度しか出来ない。

いや、この写真ウソじゃないっすよ。現地では、大きなアメ車に混じって、ホンダ・オデッセイのイエローキャブをかなり多数見かけた。それも新旧(新しい方は「ラグレイド」として日本に逆輸入されてるやつ)揃って。ちなみに日本みたいに燃料にLPガスを使っているか否かは不明。

バス

ニューヨークには、市内・近郊路線あわせて多数の路線バスが走っている。日本との違いは、近郊路線は観光バスのようなハイデッカー車両を使っていること、市内路線はほぼ全車リフトが装備されている代わりに「低床化」があんまり進んでいないことくらいである。あと、東京に比べると各路線の運行頻度は高かったような気がする。市内の景色を見ながら移動したいような場合にはいいかもしれない。

市内線のバスは、メーカーは分からないが、車体は「車体の窓と屋根がカマボコみたいに丸まっているタイプ」と「直線になっているタイプ」の2種類が存在している。昔は、日野とかルノーとかの輸入車も若干走っていた模様。映画「スピード」で出てきたようなイカしたデザインの旧型バスは、ついに見かけなかった。

 

消防車

例のテロ事件の後、アメリカ国内のあちこちでおびただしい数の「星条旗」が見られるようになった。猫も杓子も地下鉄も星条旗を掲げている。彼らにしてみれば「団結」「愛国心」の象徴として国旗を掲げているのだろうが、こうまで何の臆面もなく自国の国旗を見せつけられると、戦後生まれの日本人として、正直、引く。

しかし、サイレンを鳴らして走る消防車の最後部で、走る風を受けて大きくはためく星条旗だけは例外。これは素直に「格好いい」と思った。

その理由として、先のテロ事件で、消防士達は第一線で事件に対峙しており、また多くの消防士が犠牲になっている。また、世界的に有名になった、貿易センタービルの瓦礫の上で「我屈せず」とも言わんばかりに星条旗を掲げる消防士の写真が、「テロに対峙する消防士」の印象をさらに強く刻みつけている。

さらに、サイレンを鳴らす消防車が格好良く見えたのには、もう少し別の理由がある。

そもそも、消防士の活躍によって死んだりケガをしたりする人は誰もいない。主義・主張の違いに関係なく、消防士の仕事というものは誰にとっても正義である。白人も黒人もアラブ人もユダヤ人も、テロリストすらも関係ない。彼らの仕事は、少なくとも「団結」「愛国心」の行き過ぎがもたらす戦争とか数々の災難の原因とは関係を持たない。だから「消防士が掲げる星条旗」は安心して見られる。

こう思う自分は、ちょっと、考えすぎだろうか。

道路

「日本の道路は信じがたいほど悪い」と言ったのは、戦後間もない昭和30年代に日本を訪れたアメリカの●●調査団である。当時日本には高速道路すらなく、ようやく国道の舗装を進めている程度であり、至る所に泥だらけのダートがあり、よく車が引っかかっていた、らしい。

それから30年、アメリカの道路(といってもマンハッタンの市街地の街路だけだか)を見た結果。

まぁ以下の写真を見ていただきたい。百聞は一見に如かず。

幹線道路とはいえ、他人の国をどうのこうの言っているばあいではないと思う。

左側の写真の、アバウトな舗装はまだしも、右側の写真のような「穴ぼこ空きっぱなし」は・・・。日本ではこんな穴が開いたら、その日のうちに砂利やらアスファルトやらで応急処理をしてしまうので、こんな光景日本ではあり得ないだろう。

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マンハッタン著作屋事情

14丁目ユニオンスクエア。個人的に好きな、気さくな雰囲気の学生街である。街の雰囲気とかが、何となく大学時代からよく通っている「神保町」(決して某『書○グランデ』だけではない)に似ている気がする。

地下鉄から地上に出ると、駅前では「パレスチナ攻撃反対」といったプラカードを掲げて佇んでいる大学生(?)の一団もいる。ますますもっていわゆる「学生街」っぽい。昔は、この一帯で急進的な労働組合も数多く活動していたとのこと。

その公園の中では、露天市みたいなものも展開されており、結構人でにぎわっていた。アスファルトの路地の上に並ぶ、みずみずしい野菜や果物、日本では路地で「市」が開かれることはほとんどないので、興味深く見てまわった。これが有名な「ユニオンスクエアのグリーンマーケット」だということを、日本に帰ってから知った。

 

アメリカの本屋、とはどういうものだろうか。いくら英語の読み書きが出来ず読めぬ文字が連なっている本だらけの本屋でも、美術館とかよりは面白そうだと思う。

「地球の歩き方」を頼りに、ここユニオンスクエアにあるStrandという非常に大きな古本屋に行ってみた。

店内に入ると、非常に膨大な数の洋書が、ある場所では整然と、ある場所では雑然と積み上げられている。中には入荷して数十年そのままで放置されているものもあるようである。そのため木製の本棚はたわみ、下の方にある本は本棚に押されてで潰れて痛んでいた。

アメリカに行って買いたかったものが一つ、「日本旅行について書かれたガイドブック」を買おうと思って店内くまなく探した。一通り見て回ったが、本の分類体系が全く分からず、それ以上に生き埋めになりそうなくらい大量にある洋書の山を前にたじろぎ、あえなく降参。英語が読める人には非常に楽しい場所になるだろうと思う。

絵葉書だけを買って店を出た。

新本屋

その後、やはりユニオンスクエアにある、BARNS & NOBLEという、チェーン店の大きな本屋に入る。店内は広々しており、多くの人が地ベタや窓枠に座って堂々と「立ち読み」をしている。。日本ではとかく本屋に嫌われる「立ち読み」が、ここでは放任というか公認というか、とにかく「あり」なのである。

自分も疲れていたので、他の人がそうするように座って絵中心の洋書などを読んで時間を潰した。それにしても、日本人が思っている以上にアメリカで発行されている「日本の旅行ガイド」を見かけない(中国とか韓国とかの方が多かったくらいである)。日本は海外旅行の受け入れ先としては「発展途上国」であることをこんなところで痛感した。フロンティアはすぐ近くだ。

その日本旅行について書かれたガイドブック、いいのがあったので買ってきました。「TimeOut Tokyo」、東京(とその近辺だけを取り上げたガイドブックであるが、お約束の「フジヤマ・ゲイシャ」にとどまらず、結構ナイトライフ(コンサートとかバーとか)やゲイカルチャー、それに時節柄ワールドカップサッカーのアクセスガイドとかも載っていた。

CD屋

その後、近くにあった「Virgin MEGA Store」店内のCDやスーパーの食料品売場を冷やかしていたりすると、午後7時なのに外はまだまだ明るい。再びホテルの部屋に戻り、痛む足をもみほぐした。

 

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方角の話

観るべきものは観た。これから、預けている荷物を取りに、一旦96丁目のQuality Hotelにモンドら無ければ鳴らない。国連本部からどうやって帰るか?2〜3案を立てて比較した結果、地下鉄とセントラルパークを横切るバスで帰ることにした。

96St./Lexington Av.で地下鉄を下車。セントラルパークの東側ということで、同じ96st.沿いにあるホテル周辺とはちょっと違った雰囲気、強いて言うならちょっと明るく垢抜けた雰囲気だった。

ここから丸まった車体を持つ路線バスでセントラルパーク西側のBroadwayまで。しかし、途中で物乞いをする若い男性が乗り込んできて、車窓どころではなかった。セントラルパークを横切る道路も普通の変哲のない道路だったし。

西

半日以上かかった長旅で少し疲れているはずだが、少し横になっていれば、疲れていても結構元気になるものである。午後7時、身支度を整えて再び街に出た。

ニューヨークは夏時間であることもあり、まだまだ外は明るい。ちょっと散歩してから夕食を食べようと思い、ホテル前でバスを拾い、ダウンタウンの方向へ下る。折角だから、外の風景画良く見えるバスの車内からまったりとニューヨークの町を眺めて見よう、という魂胆である。

道路は混んでいないものの、2〜3ブロック毎に停まるため結構時間はかかり、42丁目まで降りるのに30分は要しただろう。ちょっと薄暗くなっており、タイムズスクエアのきらびやかな電飾が綺麗である。

時計はもう間もなく夜の10時。街灯は東京のそれとは比較にならないほど暗く(茨城の実家付近と同じくらいだった)、ハタ目には治安は非常に悪そうだが、その中でもジョギングをする人やブルックリン橋のたもとを観光している人が結構いる。つくづくニューヨークは都会だな、と思う。

「BRIDGE CAFE」をあきらめ、とぼとぼとブルックリン橋から南に歩く。このあたりは、ちょうどニューヨークの漁港や魚市場のようでありあたり一面魚のような潮のような匂いがする。今の時間、暗く怪しい雰囲気ではあったが、一本通りを抜けると通りはきらびやか、非常に多くの人でにぎわっている。日本でも一昔前に流行った「ウォーターフロント」のようだ。

土曜の夜とあって、どの店も地元の人でにぎわっており、旅行者が抵抗無く入れる雰囲気ではなかったので、そのまま地下鉄駅の方向に向かって歩く。5分もせずに見覚えがある場所に着いた。

ニューヨークに着いた翌日に見た、貿易センタービルがあった跡地近くの教会のそれだ。その向こうにはぽっかりと開いた空間があり、さらにその奥に照明が灯っている高層ビルが透けて見えた。ここからバッテリーパークのある東側の河岸までは初日に歩いており、改めて感傷的な気持ちになるのと共に、『マンハッタン島』の大きさを身をもって知った気がする。 

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更新日 2004.5.23
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