2001insight

もっと多く、もっと遠く、最も広がりある宇宙像を再現するメガスター・メガスタークリエイター大平貴之氏に聞く


初めてつくったプラネタリウム

 子供の頃、漆黒の空に輝く天の川を見て、その美しさと神秘に見せられた人は多いのではないだろうか。大平貴之氏は、単に魅せられただけでなく、「満天の星空を再現したい」という思いに取り付かれた。以来、その“夢”を諦めることなく、たった一人でプラネタリウムを作り続け、今や560万個の星を投影できるメガスターIIを開発するに至る。最新のメガスターIIから投影される560万個の星は、肉眼では判別不能の12.5等星までに及ぶという。肉眼で見えるのは6等星に過ぎないというから、なぜそこまでこだわるのだろうか?

「肉眼では見えなくとも、12.5等星があるのとないのでは奥行き感が全く違うからです」と大平氏は語る。確かに、空気の済んだ山などで見る星空の立体感は、素晴らしい。それは肉眼では判別できない星々の煌めきが、文字通り漆黒の天を満たしていることに他ならないからだ。だからこそ、大平氏は星数の多さにこだわり続ける。大平氏が、星に興味を持ったのは小学生の時だった。
「子供の頃は、星というより理科に興味を持っていました。理科の実験でものを作ったり観察するのが好きだったからです。小学4年生の頃、自分の部屋に夜光塗料で初めて星空を作ったのがプラネタリウムづくりに入るきっかけでした。夜光塗料の星空を拡張して5等星までほぼ全天に見えるよう、そしてしまいには夜光塗料の星空を床面まで広げて楽しんでいました。そして、小学5年生の時には、天文学のデータを見ながらボール紙に穴を開けた卓上ピンホール式プラネタリウムを作りました」
 それがプラネタリウムにのめり込むきっかけだった。その後、身近にいたエンジニアに憧れ、個人で制作するのは不可能だと思われていた光学式プラネタリウムをたった一人で開発するメガスタークリエーターに育っていく。
「子供の頃、キヤノンの技術者の杉浦さんというエンジニアの方がいたのですが、ものづくりの面白さを教えてくれました。アマチュアのお茶の水博士みたいな存在でした。また、学生アルバイトでスイッチング電源の製造現場にいたことがあります。そこの現場エンジニアの高橋さんは自分で何でもやってしまう人で、プロとしての割り切り方、合理的に動いている姿に大変影響を受けました」


大平 貴之氏




メガスターホームページI

大平氏が代表取締役を務める大平技研が運営するメガスターホームページ
http://www.megastar-net.com/

アルバイト先で修業してブレークスルーを実現

 高校で製作した2台のピンホール式プラネタリウムに限界を感じた大平氏は、アマチュアには不可能といわれたレンズ式のプラネタリウム「アストロライナー」の製作に挑戦する。しかし、星空の元になる恒星原板は、レンズ式プラネタリウムのアマチュア自作を阻む最大のハードルだった。恒星原板の出来具合が星空の再現力に直結するキーデバイスであり、専門メーカも製造法を公開していなかったからだ。素人同然の状態で恒星原板に挑んだ大平氏は、試行錯誤しながらもすこしずつ技術を身につけていく。
 恒星原板開発のブレークスルーは、「縮小撮影などせず、いきなり原寸で焼き付けたらどうだろう」という閃きだった。半導体製造装置にヒントをえた原寸露光装置「マイクロプロッター」のアイデアだ。しかし、それを実現するにはさらに多くのハードルを越えねばならなかった。コンピュータ制御、そして精密駆動するXYステージ。写真処理のバラツキ対策、フォトエッチング、埃との戦い。クリーンルームの自作そして膨大な星の位置を記したデータの入手。これらの課題をひとつひとつ克服してゆき、恒星原板の製作に成功する。 

 次に問題となったのは、「恒星をより明るく、より白い光で輝かせる」電源だった。 そこで、大電流を供給する電源装置の開発にチャレンジする。それは最初の想像を裏切り、恐ろしくも困難な道だったという。「通電と同時に部品が砕け散り、基板が炎を上げて燃えだした」のだ。 途方に暮れながらもすこしずつ原因を探っていった。そんなとき、願ってもないスイッチング電源メーカのアルバイトに巡り会う。 高橋さんとの出会いもここだった。
 そこは、電源ノウハウの宝庫だった。 本来アルバイトは立ち入ることができない開発部に、勤務終了後「無給実習生」という特別な形で出入りすることが許されたのだ。 そこで、変換効率90%、最大出力350ワットのプラネタリウム用スイッチング式電源ユニットを完成させる。長年の壁だった電源のブレークスルーを実現する。
「私がこの会社で学んだことは図りしれません。 それは、最初ひそかに期待していた回路技術にとどまらず、物の作り方、仕事の進め方、作業の仕方、評価の仕方、そして考え方…プロの仕事がどのように進められ、 製品のクオリティを維持できているかを学ぶことができたからです。 それは、回路設計から配線の束ね方一つまで及びました。すべてが、私のそれまでのアマチュアライクだった作業、考え方に影響を与えたのです」と当時を振り返る。




独自の超精密技術により生み出された恒星原板

メガスターのリアリティの原動力は、独自の超精密技術により生み出された恒星原板だ。直径わずか5センチのプレート上に、多いものでは1枚で22万個、メーカ製大型プラネタリウム10台分以上に相当する数の孔が、大きさと位置を正確に分類して空けられている。

メガスターIIの誕生

 こうして、恒星原板、電源の2つのブレークスルーを果たした大平氏は、 大学時代、個人開発では前例のないレンズ投影式プラネタリウム「アストロライナー」を完成させ、 1998年には、恒星数150万個(11.5等星)の「メガスター」を開発し、IPS(国際プラネタリウム協会)ロンドン大会で発表。 これまでのプラネタリウムでは数千個から2万個程度の解像度だから、まさに他を全く寄せ付けない圧倒的な表現力だった。 2000年にはスパイラルホール(表参道)で初の一般公開、移動公演活動を開始。 その後、2003年5月にはソニーを退社してフリーとなり、以来プラネタリウム製作一筋に没頭する。その活躍はテレビでも放映されたので記憶されている方も多いだろう。
 しかし、大平氏は恒星数150万個では満足しなかった。 あくまで本物の星空をめざして、メガスターを継承・発展させた、次世代機メガスターIIの開発に邁進する。 そして、2003年、渋谷東急文化会館8Fドームの日本を代表する旧五島プラネタリウムで開催された、 閉舘イベント「MEETS」で、極秘に開発された最新機がヴェールを脱いだのだ。実に投影恒星数410万個(11.5等星)、20mのドームを余裕で埋め尽くす大出力、 そしてメガスターならではの機動性を併せ持つ、メガスターIIの1号機「フェニックス」だった。

「フェニックスとは、不死鳥。当時、各地でプラネタリウムの閉館が相次ぎ、斜陽と言われていたプラネタリウムの”復活”を願う意味で命名されました。 そのマシンの外装は、特殊塗装で真っ赤に輝いていますが、それは復活の炎をイメージしたものです。 プラネタリウムの外装色は、一般的には黒や青系の色が一般的でしたので、 真っ赤なプラネタリウムは、見る人を驚かせ、 星の数がメガスターのほぼ3倍に達していたことから“通常の3倍”の赤として一部の人々の間で話題にもなりました」
「フェニックス」の公開はたちまち話題を呼び、かつて閉館したその地に、 わずか3週間で3万人以上もの観客を動員。大平氏の願い通り、プラネタリウム復活の狼煙を上げたのだ。 その後、「フェニックス」は予想を超えた展開を切り開くことになる。 日本科学未来舘や川崎市青少年科学館に設置、愛知万博ささしまサテライト会場はじめとした各地での移動公演、松任谷由実やKIRORO、 バンプオブチキン、ナナムジカ、SINSKEなどアーティストとのコラボレーションを実現する。
「日本科学未来舘においては、もう一つの大きなプロジェクトがありました。 メガスターIIをベースに、同舘と共同開発によりさらに性能を向上させた、560万個の星を投影できるメガスターII3号機(12.5等星)の開発と、常設です。 個人で開発されたプラネタリウムが、科学館の主力プラネタリウムとして常設されることは極めて異例のことでした。 その背景には、メガスターのコンセプトに共感し『宇宙から見た星空そのものだった』と表現した宇宙飛行士であり同館長の毛利衛氏の強い思いがありました。ここで製作されたメガスターIIは『cosmos(コスモス)』と命名されました」
 これまで移動公演でしか見られなかったメガスターシリーズの初の常設化は大きな話題を呼び、多くの観客が殺到した。その後、メガスター II「cosmos」はタイトロープで稼働し続けているが、それは同時にメガスターIIが性能のみならず、 主力機として使用しえる信頼性や耐久性をも立派に兼ね備えていることを立証した。 それは、英国のギネスワールドレコードによる世界一先進的なプラネタリウムであるという認定を受けたことによって裏付けられた。 メガスターIIが世界で最も多くの星を、最も遠方の星を、もっとも広がりある宇宙像を再現できるプラネタリウムであることはもちろん、そのコンセプトと技術が、世界で最も優れているという証だった。メガスターIIは、名実共に世界一のプラネタリウムとなったのだ。


まだチャレンジは続く

 大平氏は業務用プラネタリウムだけでなく、家庭でも星空を楽しむことができるよう、セガトイズと共同開発した家庭用光学式プラネタリウム「ホームスター」シリーズをリリースしている。また、学研と大人の科学マガジンのピンホール式プラネタリウム「マイスター」を開発し、いずれもヒット商品となる。
 業務用プラネタリウムだけでなく、身近なプラネタリウムの開発など、あくなき挑戦を続ける大平氏。アイデアが煮詰まったときにはどうするのだろうか。


大平 貴之氏






フェニックス(不死鳥)と命名された真っ赤なメガスターIII

フェニックス(不死鳥)と命名された真っ赤なメガスターIIは、プラネタリウム復活の狼煙を上げた。

メガスターIIで投影された星空I

メガスターIIで投影された星空。南十字座付近の強拡大で、日本の本土からはほとんど見えない星座だ。

メガスターIIcosmos本体と周囲を囲む惑星投影機I

メガスターIIcosmos本体と周囲を囲む惑星投影機。ドーム中心に設置されたシリーズ初の常設主力機だ。(撮影:竹内琢磨 撮影地:日本科学未来舘)

「煮詰まったときには、散歩しているときや電車に乗っているときに突然アイデアが閃くことが多い。 ただ、よく言われるように目覚めたときに閃いたことはありませんね。 エンジニアにとって最も大切なことは、考え方を自由にすることです。何かに縛られていたらいいアイデアは浮かびませんから。ものづくりの面白さは、イメージしたものが形になり、今まで不可能だったことができるようになることです。ものづくりは天職だと思っています」
 たった一人でプラネタリウムを開発してきた大平氏だが、2005年には有限会社大平技研を設立し、組織としての開発体制作りの準備を始めた。多くのプロジェクトを同時並行的に進めているため、一人では物理的に限界だった。

「メカ設計、電気設計、制御ソフトの開発までたった一人でやっていますので、時間がとても足りません。そこで会社を立ち上げ、事務を担当してくれる人に入ってもらったおかげで大変助かっています。 マネジメントをどうするかが課題ですが、これから自立的に活動できる人を採用して、早くチーム開発体制に移行できればと思います。 1,000万個の星を投影できるメガスターを7月に公開する予定ですが、今後はもっとデジタル演出に力を入れたいと考えています。 その一環として、映像の内容、コンテンツの供給をインターネットで提供できるように、JAXA(宇宙航空研究開発機構)と共同開発を行い、人工衛星が撮影した写真をコンテンツとして利用することなども考えています。そうすることで、メガスターがコンテンツの媒体として機能するようになります」
「詳しいことはいえませんが、今全く新しい発想で根っこから変わる新たなメガスターを開発しています。 これはメガスターIII、もしくはそれに準じる別の名前を考えていますが、まだ2〜3年はかかるでしょう」と語る、メガスタークリエーター大平氏の挑戦は止まることがない。(2007年3月)

文:佐原 勉/写真:山下武美

プロフィール
大平貴之(おおひら・たかゆき)
有限会社大平技研 代表取締役
1970年生まれ。小学校の頃からプラネタリウム作りを始め、日本大学生産工 学 部機械工学科在学中の1991年にアマチュアとして 初めてレンズ投影式プラネタリウム「アストロライナー」を完成させる。同大学院理工学研究科精密機械工学専攻を経てソニーに就職。1998年に恒星数150万個の「メガスタ ー」を IPS(国際プラネタリウム協会)ロンドン大会で発表、2000年にスパイラル(表参道)で初の一般公開、移動公演活動を開始する。2003年5月、ソニーを退社、フリーとなる。2005年3月にはベンチャー企業である有限会社 大平技研を設立し、代表取締役に就任。セガトイズと共同で、家庭用プラネタリウム「ホームスター」を開発。その後もプラネタリウムを開発、製作、上映している。現在、東京大学特任教員、和歌山大学客員助教授も務める。日本大学優秀賞、川崎アゼリア輝賞、日経BP社の日本イノベーター大賞の優 秀賞、ブルガリドリームアワード2006、文部科学大臣表彰を受賞。著書には「プラネタリウムを作りました(エクスナレッジ)」がある。2005年 にはフジテレビにて、テレビドラマ化され放送された。

メガスターホームページ
http://www.megastar-net.com/

日本科学未来館
http://www.miraikan.jst.go.jp/index.html/

「ホームスター ポータブル」公式ホームページ
http://homestar.sega.jp/


メガスターI


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