2001insight

成熟産業といわれる自転車業界にあり、枯れた技術の集積と思われていた自転車の常識をうち破ったエアーハブの発明。自転車をこぎながら空気を入れるというエアーハブ誕生のきっかけは、応接室での雑談だった。逆転の発想が「首の皮一枚」でつながっていた町工場を救っただけでなく、モノづくりには限界がないことを世界にアピールした。エアーハブを発明した株式会社中野鉄工所の中野隆次社長に、モノづくりの楽しさとブレークスルーを聞いた。


雑談の中で閃いたエアーハブという発想

世界が注目する自転車のエアーハブ開発は、2001年 11月、応接室での雑談がきっかけだった。

「ハブの納入先であるお得意先の完成車メーカさんに勤務していた方が、退職のご挨拶に来られたのです。挨拶も終わり雑談していたところ、メーカはユーザの困っていることを解決するのが努めという話になりました。では、何で困っているのですかと尋ねると、1 にパンク、2 にサビ、3 に盗難でした。パンクの原因は、ほとんどの人が規定の空気圧以下で走っているからということでした。規定以下の空気圧で走ることがパンクの最大の原因なのです」

通常、一般の自転車タイヤの標準空気圧は 300kpascal (従来の単位で 3気圧) なのだが、90%以上の人はそれ以下の空気圧で走っているという。ではなぜ空気圧が低くなるのか?

「その原因の 70%はゴムチューブからの漏れなのです。ゴム風船がしぼむのは、空気が漏れているからです。それと同じで、どうしてもゴムチューブから空気は漏れてしまう。それは防ぎようがありません。ですから自転車は定期的に空気を入れなければならないのです。でも多くの人は、よほどでない限り空気を入れません」

昔の自転車は天然ゴムのチューブだったので、さらに空気漏れが激しかったという。現在は人造のブチルゴムに変わったのだが、空気漏れがなくなる訳ではない。ゴムチューブを使う自転車にとって空気漏れは宿命だ。したがって、パンクも発生する。

「そこで、自転車をこいでいる間に空気を供給すればいいのではないか、と閃いたのです。常に 300kPa をキープすればいいはずです。そうすれば一番の困った問題であるパンクを解決できる。空気漏れでパンクしない自転車を作ることができる」

この閃きが出発点だった。


img02「自転車をこいでいる間に空気を供給すればいいのではないか、と閃いたのです」

img01
エアーハブを装着した自転車では自転車をこいでいる間に空気を供給できる

ハブ製造一筋の土台が閃きにつながった

株式会社中野鉄工所は、1948年 5月に創業以来今日まで、自転車ハブ製造一筋に取り組んできた典型的な町工場だ。

「親父が敗戦後戦地から引き揚げて、以前勤めていた鉄工所から機械を分けてもらって独立したのが始まりです。勤めていた鉄工所も自転車のハブを作っていたので、そのままハブを作り始めました。当初は、鋳物でハブを作り、それを切削して、ボール盤で穴を開けるという一体総削りでした」

創業から暫くは作れば売れた時代だったが、1955年頃になると自転車は斜陽産業と言われ始め、次第に自転車メーカの淘汰が進む。それにしたがって 10社あったハブメーカも次々に店じまいを余儀なくされた。中野社長も「農機具メーカの下請けを引き受けながら」、ハブの生産を続けざるを得ない状況に追い込まれる。その間、ハブの製造法にも変化があり、熱間鍛造が導入されて、一体型ハブは、ツバ、車軸、パイプの3つに分けられる。さらに、冷間鍛造が導入されるなどの技術革新が進む。ただし冷間鍛造はコストが高くついたため、1965年頃になるとプレスで鉄板を絞る方法が登場する。こうした新技術に対応できないところは脱落していくという過酷な状況が続く。

「プレスハブはコスト競争力がありましたが、強度的な問題を解決しなければなりませんでした。ウチはそれをクリアすることができ、1975年にはプレスハブの実用新案を取りました。それ以降、徐々にプレスハブのシェアが高くなり、現在は価格と強度の面でプレスハブ製法が主流です。国内の自転車ハブメーカは、このプレスハブに対応できたウチと A社さんの 2社だけになりました。ただ、国内だけで見ると、A社さんは中国に生産拠点を移しましたので、国内での自転車シングルハブ生産はウチだけです」

厳しい生存競争であったことがわかる。その後、バイコロジーブームがきて、ようやくハブ専業メーカに復帰できたのだが、今度は 10年ほど前から、中国製の安い自転車が輸入されるようになり、現在では完成車の 80%が輸入品だ。再び冬の時代が到来した。別の道に進むか、このままハブを作り続けるか、悩む日々が続いたという。「このままではジリ貧になると考えていました。でもハブを作り続けるしかないとも考えていたのです」

起死回生の一発が求められていた中での「閃き」だった。「生き残れるかどうかは、エアーハブの開発に首の皮一枚がかかっていました」


img04「苦肉の策で小さくてダメなら大きくしてみようと穴を大きくしたのです」

img03
最大降雨量は24.5L/分でもチューブの中が水浸しにならず、2万km でも壊れないエアーハブを開発した

次々に襲う課題を逆転の発想でブレークスルー

それから半年、第一号のエアーハブが完成する。

それをもってブリヂストンサイクルさんにプレゼンしたのです。空気を抜いて、工場内を走りました。そうすると空気が入っている。びっくりして、役員さん、技術者の方々が出てきてくれました」

鮮烈なデビューだった。その後、実用化に向けたテストが開始される。耐久テストを行ったところ 3,000km でエアーハブが壊れてしまう。自転車に求められる耐久性は 2万km なので、とても市販することはできなかった。ちなみに耐久性 2万km の根拠は、高校生が片道 10km の道を 3年間通っても壊れないということに基づいているという。

「ピストンの回転運動を直線運動に変える戻しをバネでやっていたのですが、そうすると空気を圧縮するときにバネの抵抗で圧縮率が下がります。そのバネの抵抗等で壊れたのです。そこでバネではなく、カムでピストンを強制的に引っ張りおろす方式にしました。その結果、1 : 11 の圧縮が可能になり、900kPa の圧力が出るようになったのです」

一般の自転車チューブの空気圧は 300kPa、競技用は 500〜600kPa だから、900kPa あれば余裕で空気を充填できる。余分な空気圧は逃がせばいい。成功のポイントは、常識だったバネからカムに変更した点にあった。その結果、耐久テストでは 7万km でも壊れなくなった。第一のハードルは越えた。次のハードルは防水性だった。

「日本の最大降雨量は 24.5L/分 だそうですが、ブリヂストンさんの規格ではこれをクリアしなければなりません。この条件でテストしたらチューブの中が水浸しになってしまいました。ハブには小さな穴が空いており、吸気して圧縮しています。吸気の際ハブ内部が負圧になるので、水も一緒に吸い込んでしまうのです。穴を小さくすると負圧になります。それでは負圧がなくなるよう穴を大きくしたらどうかと、苦肉の策で小さくてダメなら大きくしてみようと穴を大きくしたのです」

img05
カムを採用することと、吸気口を大きくするという逆転の発想で、厳しいテストをクリアしたエアーハブ。
小さくしてダメなら大きくする。逆転の発想だ。実にシンプルだが、それを実現するためには当然ながら試行錯誤が求められる。試作してはブリヂストンさんに持ち込んでテストを繰り返したので、確認まで時間がかかった。首の皮一枚でつながっている状態なので、それほど時間的な余裕はない。

「ブリヂストンさんはテスト内容を教えてくれませんので、手探りでテスト条件を整えて繰り返しテストしました。そうすることによって早くテストが自社でできるようになり、2003年 4月、すべての条件をクリアしました。そして 5月にはブリヂストンさんが、エアーハブを装着した 100台の自転車をテスト販売したのです」

当初、ブリヂストンは半信半疑だったようだが、 6ヵ月間の追跡調査の結果、何の問題もなく消費者の反応も良いことから、2004年 1月、エアーハブ装着自転車の全国一斉販売に踏み切った。その結果、「パンクしない自転車」としてテレビで紹介され大反響を呼ぶことになる。エアーハブが、自転車の 3大弱点の一つである「パンクしやすい」という問題を解決した。この反響は想像以上だった。

「エアーハブのニュースは世界中に配信され、ロシアやフランス、イスラエルなどからも取材が殺到しました」。いかにエアーハブ発明が画期的なものだったかを物語っている。2003年 8月、中野社長は世界 18ヵ国でエアーハブのパテントを申請した。


img07「エアーハブの応用範囲は広い。車椅子用のエアーハブのメドはほぼつきました」

エアーハブで広がる応用範囲

この発明は自転車だけに止まらない。すぐに思い浮かぶのは、バイクや自動車タイヤへの応用だ。米国のタイヤ事故問題で、自動車タイヤの空気圧がいかに重要か認識された結果、米国では運転席から空気圧をモニターできる新車でなければ販売できないという。車のタイヤの規定空気圧は 200kPa なので、150 kPa 以下になると警報が鳴る仕組みだ。米国市場では日本の自動車メーカも同じ対策をとっている。

ビジネスとして考えれば、車市場は膨大だ。エアーハブ発明を機会に一挙に設備投資を行い、事業を拡大する道もあると思うのだが、中野社長は自動車タイヤへの進出は考えていない。あくまで謙虚だ。

「自転車と違って、自動車の安全基準をクリアするには、我々のようなところでは無理です。設備もないしお金もない。ですからこれが応用できるのであれば、ご自分の所で開発してくださいとお願いしています。エアーハブで、自転車の国内 20%の市場でも商売はできます。また、自転車の生産国は今や中国ですから、エアーハブの供給先もいずれは中国になると思います」

年間 100万台の自転車をブリヂストンが生産しており、国内では 1,000万台の自転車需要がある。そして、アメリカでは 2,000万台、ヨーロッパ 2,000万台、中国 4,000万台の市場がある。そのうち何割かがエアーハブを装着するだけでも、巨大な市場になる。ビジネスのチャンスは広がっていく。

さらに、エアーハブの応用範囲は想像以上に広く、コンプレッサーを使う製品にまで広がっている。静かで圧力を出せるという特長を活かせるからだ。

想像もしないところから問い合わせがありました。一つは化粧品のエアーブロー。化粧落しを高圧ですると化粧が良く落ちるらしいのです。コンプレッサーでは重くて音がうるさく手に持って使えません。エアーハブならば手に持って使える空気圧の高いブローができます」

また、ジャグジーにも応用できるという。気泡が小さければ小さいほど石けんが要らず汚れが落ちる。圧力の大きなエアーハブは小さな気泡を出すことができるので、石けん要らずのジャグジーに最適ということらしい。

自転車以外の分野で中野社長が注目しているのは車椅子だ。

「車椅子はメンテナンスの面からチューブレスのタイヤが使われることが多いのですが、乗り心地がいまいちです。チューブ入りタイヤの方が乗り心地はいいのですが、自転車と同じ理由でパンクしやすい。エアーハブを使えばパンク問題を解決できます。ただ車椅子は、自転車より低回転ですから、低回転でも圧力が出るようにしなければなりません。現在、そのメドはほぼつきました」


img09モノづくりの楽しさは、考えて、考えて、考え抜いて、できた瞬間です」

img06
「パンクしない自転車」として反響を呼んだエアーハブを装着した ブリヂストンの自転車

モノづくりの楽しさは「考え抜いてできた瞬間」

首の皮一枚でつながっていた町工場が元気になったのは、中野社長に閃いたアイデアだった。閃きをものにするコツはあるのだろうか。

モノづくりの楽しさは、考えて、考えて、考え抜いて、できた瞬間です。寝る前に一所懸命考えて寝るとアイデアが湧くことが多いですね。ですから枕元にはいつもメモ用紙を置いています。ただ、アイデアを思いついて、忘れないよう暗闇の中で書くと、あとで読めないなんてこともあります。いずれにせよ考える執念が必要です。いきづまっても考え続けていると、火事場の馬鹿力と同じようにいつかアイデアが閃くのです。考えることを諦めてしまったらそこで終わりです」

ここにモノづくりの楽しさと生き残りの秘密がある。かつてはメーカに開発力があった。だから下請けはメーカの指示通り作っていれば良かったのだが、コスト競争に追われるようになった結果、メーカの開発力は落ちている。

「コストばかりに目を奪われて、安物造りに走っているため、メーカの開発力は落ちています。中国にないものを開発する余裕がないからです。ですから、これからはわれわれ部品屋自身が考えなければならない時代です。作り方では負けないものを持っているのですから、後は発想とやる気です。自ら顧客の声に耳を傾け、その声に応えるために情報を収集し常に考え続ける。そうすれば道が拓けてくるはずです」

成熟産業と言われる自転車業界の中にあって、ぎりぎり追いつめられた中野社長がブレークスルーできたのは「諦めずに考え続けること」にある。枯れた技術だと思われていても、顧客の声に耳を傾け、「何かあると考えたら何か出てくるもんだ」という中野社長の言葉が印象的だった。エアーハブという画期的な発明は、町工場の底力を世界にアピールしたことは間違いない。 (2004年4月)

文:佐原 勉/写真:神原卓実

img10
中野鉄工所の窮地を救ったエアーハブの応用範囲は想像以上に広く、コンプレッサーを使う製品にまで広がっている

会社概要 株式会社中野鉄工所

所在地: 大阪府南河内郡美原町木材通2-1-8 img11
創業: 1948年5月
設立: 1954年5月
代表取締役社長: 中野隆次
資本金: 6,000万円
従業員: 32名
事業概要: 1. 自転車部品 (ハブ) の製造販売、
2. 工作機械、内燃機関及び同部品の製造販売
連絡先: TEL.072-362-5550(代)
FAX.072-362-3629
 
E-Mail: info@nakano-iw.co.jp  
URL: http://www.nakano-iw.co.jp/


2001 INSIGHTについて   このサイトへの連絡口   プライバシーポリシー Copyright 2001 INSIGHT All rights riserved.