2001insight

日本全国の工場で手に負えないモノばかりが持ち込まれる。いわば岡野工業はモノづくりの駆け込み寺だ。しかも、引き受けた仕事は必ず形にする。理論的に不可能と言われた毛髪並みの「刺しても痛くない注射針」をも作ってしまう。日本のモノづくり、いや世界のモノづくりの頂点に立つ男、岡野工業株式会社の岡野雅行代表社員に、モノづくりの心を聞いた。


応接テーブルの上に転がる企業秘密

モノづくりの世界の頂点に立つ岡野工業は、墨田区の荒川にほど近い民家の一角にある。 5月の土曜夜 8時、工場に隣接した住居の応接室でインタビューが始まった。応接テーブルの上には、企業秘密の試作品や完成品が無造作に転がっている。ビールの空き缶に混じって、刺しても痛くない注射針、これから本命とされる燃料電池のケース…。

飲み干したビールの空き缶としか見えなかったものも、実はまだどこにもない新開発のアルミ缶だったりする。「この缶の飲み口は今までより大きくなっているだろう。飲みやすいと思うよ。ただ残念ながら、まだ公表できないから見るだけだよ」と、岡野代表社員はさりげなく言う。

その横に置いてある外径 200ミクロン、内径 80ミクロンという「刺しても痛くない注射針」には、今までの岡野氏の人生が凝縮されている。誰も実現できなかった毛髪並みの太さの「刺しても痛くない注射針」は、ようやくこの 6月から本格的な出荷が始まるところだ。テルモから依頼を受けてから、完成までに 1年半という歳月が流れている。その間、大学の先生に「理論的に不可能」とまで言われながらの仕事だっただけに感慨もひとしおだ。

ところで岡野氏は岡野工業の社長なのだが、自らを代表社員と呼び、名刺にもそう書いてある。これには岡野氏の人柄をしのばせるエピソードがある。『俺が、つくる!』 (中経出版) に、「俺が親父の会社をついで社長になったときのこと。群馬県のある会社に納品に行くと、奥さんが出てきて、社長は近所の寿司屋にいるという。さっそく俺も行ってみた。店に入るなり、『社長いる?』と言うと、カウンターにいた人が、 5、6人、いっせいに振り向いた。俺は『世の中、社長ばっかりなんだ』と思って嫌になっちゃった。それからは『俺は社長じゃない。代表社員だ』と回りに言っている」と、その理由が書いてある。これは権威に阿らない反骨精神となって一貫しており、大企業からの依頼であろうが、気にくわない仕事であれば断ってしまう

 

理論的に不可能と言われた「刺しても痛くない針」に挑戦

「刺しても痛くない注射針は、テルモが 1年かけてやってみてどうしてもダメということで、 3年前、オレの所に持ち込んで来たのが始まりだった。医療分野は初めてだったけれど、話を聞いてみると細いパイプでできそうなので、川崎にいるパイプ造りの友達を紹介した。暫くしてパイプの試作品が出来上がった。ただ、量産品でも 1本 100円はかかる。テルモは使い捨ての針で 1本 100円ではとても合わない、何とか 1円以下にできないかと言う。でも、パイプでは 100円以下にはできないらしい」

普通はこれで「できません」と一件落着になるはずなのだが、話は終わらなかった。岡野代表社員は、「板をプレスで丸めることができれば安くできるはず。昔これに近いものをやったことがあった」からだ。「何とかなるかも知れない」。しかし、 1本 1円以下で作らなければ、商売にはならない。会社の職人に言ったら即座に「金属を丸めて小さいパイプを作るのは無理」という返事だったが、「誰もやらない安い仕事、そして難しい仕事を引き受ける」ことを信条としてきた岡野代表社員の持ち前のチャレンジ精神に火がついた。

「途中で諦めるのもしゃくにさわるし、できると思ったからテルモの話に乗ったんだ。オレは会社の代表、つまり独裁者だから言うことを聞いて言ったとおりにやればいいといって試作品を作らせた。半年くらいかかって格好はできた。ただ、一つであれば簡単だけど、安くするには量産品の生産プラントも作らなければならない。高くてもいい特注品と安くなければならない量産品では、大きな違いがある。量産品を作るための設計図をパソコンで計算すると、板からはみ出してしまう。元大手メーカーの技術屋で一緒に仕事をしている娘の亭主に相談したら、理論的にできるかどうかわからないという。そこで、理論物理学の先生に相談したら、『理論的に無理』と言われた。それで余計『やってやろう』と思ったんだ。先生のところのスパコンを借りて計算した。きちんと寸法も出して設計図を描いた。ただ、そのときは本当にできるかどうかわからなかったけれど、できると信じていた」

この強固な「やればできるという信念」が、その後の果てしない失敗と試行錯誤を支え、ついには不可能を可能にしてしまう。刺しても痛くない注射針の量産品が完成したのだ。そして、テルモと共同で世界中の製造特許を取った。
「注射針が規定通りできているか、知り合いの大会社に検査を頼んだ。その会社はウチが刺しても痛くない針を作っていることを知っていた。検査の結果、本当に完成したことがわかり、仕事を手伝いたいというんだ。オレは飽きっぽいから、年間 10億本、 3年くらい針を作ったら、後はその会社に任せようかと考えてる」

 
img01 理論物理学の先生に相談したら、「理論的に無理」と言われた。それで余計「やってやろう」と思ったんだ。  

日用雑貨品ができれば工業製品は簡単

どこにもできないモノづくりの原点は、意外にも日用雑貨品にあるという。しかし、つい最近まで普通に見かけた日用雑貨の「パッチンがま口」や「口紅のケース」「白金カイロ」を作れるところがなくなったらしい。作れる職人がいなくなったからだ。それだけ、日本のモノづくりの空洞化が進んだ証拠でもある。

「環境問題から、いずれ化学反応を利用した使い捨てカイロは使うことができなくなる。それで白金カイロが見直されている。ただ、あの形に絞ることができる職人がいなくなった。図面通りならコンピュータの機械でできるけれど、持った感覚が違う。あの独特の感触は出せない。だからウチに回ってきた。今、白金カイロは月 30万個も売れている。口紅のケースも難しいよ。出来上がったものを客に持っていっても、『気持ち直してくれ』と言われる。日用雑貨は気持ちの世界、感覚の世界なんだ。また最近、『パッチンがま口』を見かけなくなっただろう。あの『パチン』とい音を出せる職人がいなくなったから。『カチ』や『バチ』ではだめ、やはり『パチン』なんだ。がま口は音と締まり具合がいのち。それを作れる人がいない。だから今の財布はファスナーになってしまった。結局、技術は感性なんだよ。日用雑貨品ができれば工業品はできる。その逆は成り立たない。中国でもできないよ」

 

「必ずできると信じること」がモノづくりの心

感性に訴えることができる技術こそが、大企業でも先端企業でもできないモノづくりを支えていることがわかる。しかし、それだけでは不可能を可能にすることはできない。ではモノづくりには何が大切なのか? その答えは「必ずできると信じること」と岡野代表社員は即座に答える。

「以前にちょっとでもやったことがあれば、必ずできる。オレは図面なんか描いたことがない。カンのデータを持っているし、図面はすべて頭の中に入っている。できないのは、王将がなくても気づかずにやっている将棋と同じだよ。つまり、専門バカになっているからだ。その道の常識にとらわれているとできないんだ。外野から見ると王がないことは誰でもわかるだろう。だから王将がないことに気づくかどうかは、自由な発想ができるかどうかにかかっている。そして、必ずできると信じていれば、いつかは気づくはずだ」

コスト、時間という制約に縛られる企業内の技術者にとっては耳の痛い言葉だ。しかし、このネバーギブアップの精神と自由な発想、そして感性に訴える確かな技術が、どこにも真似できないモノづくりを実現しているのも事実。今まで開発で最も長くかかったのが日用雑貨品だった。それを 7年かけて開発した話を聞けば、「必ずできると信じる」ことがいかに大切かわかるはずだ。引き受けた仕事は必ず形にしてきたという事実によって、いつしか業界では「岡野ができないと言うからできない」という“神話”が生まれることになる。

「どんなに時間がかかろうが、引き受けた仕事は 100% 完成させる。途中で諦めたことは一度もない。今まで一番時間のかかったのが、パイロット万年筆からの仕事だった。キャップの留め金をプレスで作るプラントで、結局 7年もかかってしまった。もちろん、途中何度か催促があったが、「今やってますよ」と返事をして、他の仕事の合間を縫って試行錯誤をくり返していた。 700万円で引き受けた仕事だったけれど、元はとれないよね。それでも、ようやく 7年目に完成してプラントを納品すると、相手もさるもの 7年ものの手形をくれたよ。その後、結局 3〜4台の追加注文があったかな。現在の万年筆の留め金はほとんどウチの機械でつくってるんだ」

 
img02 どんなに時間がかかろうが、引き受けた仕事は100%完成させる。途中で諦めたことは一度もない。  

一つのことを覚えたらその道を究めろ

最も大切なことは何かというという問いに、岡野代表社員は「一つのことを覚えたらその道を究めること」と答える。これは岡野氏自身の体験からきている。父親の金型屋を引き継いで以来、モノづくりの道を究めるための努力を惜しまなかったからだ。いや努力と言うより「がむしゃら」と言った方がいいかも知れない。

「金型の技術は親父のやり方を見ながら学んだ。でもプレスもやりたかったので、ある先輩に相談して、外に出て苦労したいと言ったら、苦労は黙ってでも向こうから来るから自分で苦労しに行くことはない、本を買って勉強すればいいとさとされた。そこでドイツ語の『プレス便覧』を丸善で買った。当時 12,500円もしたよ。文字は読めないが、絵と図を見ればだいたいわかる。これを毎日眺めてプレスを覚えたんだ」

 

それ以来、岡野代表社員は金型とプレスの両輪でモノづくりの道を究めてきた。しかも、安くて誰もやらない仕事と難しい仕事を引き受けることで技を磨いてきた。安い仕事を引き受けるには人手をかけないでやる方法を考えることが必要だ。それが自動製作のプラントづくりにつながった。誰もやらない難しい仕事に挑戦することが、世界の頂点に立つ技術を磨くとになった。両者の合体した強みが、岡野工業の競争力だ。そして、競争力の原動力が「一つのことを覚えたらその道を究めること」ということになる。これは仕事だけでなく生き方にも貫かれている。

「一つのことを覚えたらその道を究めろ、といつも言っている。孫が小学 4年から毎年、島根県へ夏休みの合宿に行っていた。そこでドジョウすくいの踊りを覚えて、全国大会で優勝した。人より優れたものが一つでもあればスターだよ。人よりうまい物が食える。芸は身を助けるよ」


職人は現場でもまれながら育つ

「モノづくりのエリートは金型屋、いわばモノづくりの東大みたいなもんだよ。金型は錬金術だ。 100万円の素材が金型になると 1000万円にもなる。だからプレス屋の息子が金型屋に弟子入りする。そうして技を盗んで一人前になってきた。昔は、こうした社会の仕組みがあった。ところが、現在は 1年、 2年でモノづくりを教えてくれだろ。とても無理だよ。職人を 5年間で育てようたってそれば無理。現場でもまれながら育っていくもんなんだ。

医学部でも単に頭がいいだけでは医者にはなれない。鉛筆をちゃんと削れなければ手術などできないだろ。モノづくりも同じで、頭のいいエンジニアは設計図を描ける。コンピュータでもある程度は作れるが、人間の感性に合うものや、今までにないものを作ることはできない。物を作ったことのない設計者が図面を描いてもその通りにはできない。結局、最後は人間である職人がやらなければできないんだ。設計図があっても物ができなければ、存在しないに等しい。ただコンピュータの力はすごいから、現在はコンピュータと職人の掛け合いでいいものができる時代だと思う」

現在、仕事は娘の旦那に 98% は任せていると言う。大手メーカーにいたときは金型やプレスは見たこともなかったらしいが、優秀な技術者でとにかく仕事はできるから安心して任せていられるらしい。

「ただ、問題は見積もりと人とのコミュニケーションだね。何しろ『職人はしゃべらない』と言って、口数が少ないんだ。職人のオレと二人で話をしていると誰がしゃべるんだということになる。だからオレがしゃべるようになった。天は二物を与えずだね。見積もりとコミュニケーションができれば言うことはない」

かと言って、岡野代表社員の頭にはまだ引退という言葉はないようだ。 70歳を超えた今も現場でモノづくりに励み、その合間に講演会に飛び回る毎日だ。
「昨日も広島の講演会に行ってきた。最近、講演依頼が多いね。ほとんどの仕事は任せられるから、これからは講演会もやろうと思ってる。今度トヨタで講演するんだよ。もちろんモノづくりも続ける。今やっている仕事は燃料電池ケース、そして直径 100メートルの風力発電、 60% はできたかな。それにプラズマテレビ関係、仕事はどんどんくる。だから毎日寝る時間は 4時間くらいだよ。ただし、土日は休んで酵素風呂に入るのが健康法だね。ここ 3年間続けている。そのせいか薄くなった頭の毛も濃くなってきたよ」 (2003年7月)

文:佐原 勉/写真:神原卓実

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ドイツ語の『プレス便覧』
岡野氏はドイツ語を読めないが『プレス便覧』の図表を繰り返し眺めてプレス技術を独学でマスターした。

■本の紹介

『不可能を可能にした男』
(篁笙子著、発行所:株式会社メトロポリタン / 発売元:株式会社星雲社)
ISBN4-434-01372-6
「難しすぎて誰もできない仕事」と「安すぎて誰もできない仕事」だけをこなすことで不可能を可能にした男の秘密を解きあかす。
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『俺が、つくる!』
(岡野雅行著、中経出版)
ISBN4-8061-1760-9
「理論的に不可能と」と言われて、刺しても痛くない注射針を作りあげた男が、誰にも真似できない職人技を語る。

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