2001insight

映像の表現者「ヴィジュアリスト」として、常にその斬新でコンセプチュアルな作品が注目を集める手塚 眞氏。新作『ブラックキス』の公開を控え準備に追われる手塚氏に、表現に対するスタンス、独特かつ大胆な着想の秘密、そして父・手塚治虫作品への思いなどを聞いた。


ヴィジュアリスト宣言への経緯

---子ども時代、芸術やモノづくりとはどんな関係をお持ちでしたか。

 ご存じの通り、父親(故・手塚治虫氏)がクリエイティブな仕事でしたから、アトリエがあって、スタッフがいて、家の隣にはアニメーションのスタジオもあって、という環境に育ったので、そういうものが日常というか、生活の一部になっていました。
 中でも、僕が真っ先に興味を持ったのがテレビです。ちょうど物心がついて、TVを見出した頃というのが、『ウルトラQ』とか『ウルトラマン』など怪獣モノの全盛期。父のアニメも好きでしたが、それ以上に怪獣モノが魅力的に見えました。そのあとが映画、主に洋画ですね。当時、TVで洋画劇場みたいなものを盛んに放映していて、それを一生懸命見ていました。
 そのうち、家の環境もあって舞台裏のこともわかりますから、ただ楽しむというよりは「どういうふうにつくられているか」ということへの興味が加わっていった感じです。同じ世代の子どもが「怪獣すごいな、カッコイイな」と見ているとき、僕は「この映し方はすごいな」「この特撮はよくできているな」という見方をしていました。ちょっとイヤな子どもですが(笑)、僕にとってはそれが自然だったんです。


---そのまま、すくすくと育って、映像というメディアを職業として選択されるわけですが……。

 映画をつくりたい、というのは小学生の頃から考えていましたね。これが家の環境のおかしなところで、自分がそのうち映画をつくるだろうということに関して、まるで疑問を感じていなかったんです。できるとかできないというよりも、やって当たり前くらいの感覚。何か具体的なきっかけがあって映像を選んだわけではなくて、自然に始めていたという感じです。
 日大芸術学部の映画学科に進んだのも、スタジオがあって機材があるという、非常に単純な理由からでした。大学に行けば仲間ができるし、映画を撮る場所もある。それを目的に進学したようなものです。ただ、専攻は「監督」ではなく「映像」というビデオを学ぶコースを取りました。ホームビデオもまだ普及していなかった頃ですが、せっかく大学にいるんだから新しいことを知りたいと考えたんですね。


--この学生時代に手塚さんは「ヴィジュアリスト」宣言をされたわけですが、どのような経緯でそういう肩書きを名乗られることになったのでしょうか。

 一番大きなきっかけは、大学時代に商業映画の監督をしたことでしょうね。その結果、自分の肩書きが自動的に「映画監督」になってしまうのが、どうもしっくりこなかったんです。
 当時は日本の映画界もあまり元気がなくて、映画監督という立場にあまりいいイメージを持てなくて……。それに、映画監督と名乗ってしまうと、自分がその肩書きに縛られてしまうような気がしたんです。もうちょっと映像に対して自由な距離でいたいというのかな。音楽家ならば、クラシックでもロックでも作曲家でも歌手でも「ミュージシャン」で通りますが、映像にはそういう大きな括りがなくて、映画を撮ると映画監督、CMを撮ればディレクターに分類されてしまう。そういうのがなんだか窮屈だな、だったらいっそ自分でつくってしまえ、と。
 そうはいっても、中心になるのはもちろん映画であって、いつでも映画を最終目的にはしているんですよ。その一方で、自分を映画に縛り付けたくないという気持ちも非常に強くて。最終的に目指すのは映画だとしても、もっと勉強もしないといけないし、コンピュータみたいなことも多少知っていたほうがいいんだろうな、とか。そういういろいろな想いが、たまたま「ヴィジュアリスト」という言葉を見つけたときに、ピタッときた。これだったらうまくいくだろうと感じたんです。


---その後、誰もヴィジュアリストを名乗る人はいませんね。もはや、手塚さんの名称独占企業のようになってしまった気もします(笑)。

 最初のうちは「それは何なんだ?」と散々聞かれたものです。実は、何人かヴィジュアリストを名乗りたいという人はいたんですが、たまたまその人たちが目立ってこなかった、という。別に自分の専売特許と思っているわけではなくて、単に便利だから使っているだけで、誰が使ってもいいんですよ、本当に(笑)。

 

自分と周囲とのズレが新たな可能性をはらんでいく面白さ

---手塚さんの中で、真の意味で処女作と位置づけられる作品はどれですか。

 僕は「ここからプロだ」というのがなかった人間なんですよね。アマチュアがつくった作品はアマチュアのものでしかないと思うんですが、それが評価されて名前が出ると、その作品が処女作のようにいわれてしまう。ですが、本来であれば、そうしたものはキャリアの中に埋没して見えなくなってしまうはずのものなんですよ。
 自分にとっての事実上の処女作は『白痴』(1999年)だと思います。それまでにも作品はたくさん撮ってきましたが、自分が映画というものを志して、初めて映画らしいものができたと思ったのは、実はこれが初めてなんです。つまり、それまでの集大成であり、そこから真の意味で自分の作品が始まったという意味においての処女作ですね。
 この作品で1999年のベネチア映画祭でデジタル・アワードをいただいたんですが、撮影当初、世界的な映画祭に出品したい、海外でも上映したい、DVDも出したいと夢を見ていたら、それが全部かなってしまった。でも、結果からすると「自分でイメージできる範囲の中での出来事」という感じで、逆にそれを超える部分がまだ見えてこないんですよ。もしかしたら、ほかのクリエイターに対して、何か触発するものはあったのかもしれないんですが、自分の中では特に「これ」という新鮮さがないままで……ここについては未だに自分の中では重く引きずっています。


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---そういえば、高校時代に撮られた『FANTASTIC★PARTY』でも、いきなり受賞されていますよね(「日本を記録する8ミリフェスティバル」高校生部門特別賞受賞)。

 はい。でも、この『FANTASTIC★PARTY』をつくったときは、だいぶ落ち込みました。自分が最初につくった作品としては、大失敗作だと思ったんです。こんなものは人に見せたくない、非常に恥ずかしいと思いました。ところが、高校の文化祭で上映してみると、上映するたびにお客さんが増えていって、そのうち、口コミで面白いという噂が広まり、職員室でも話題になって……そういうことの結果として、コンテストでの受賞というのがあったんですけれど。
 つまり、大いなる計算違いから、僕のキャリアはスタートしているんです。その後も、ずっとそんな調子で、「こんなもの失敗だ」と思っていると、コンテストに入賞してしまう(笑)。その辺に対する不服が常にあって、それをクリアするのに実は20年くらいかかってしまったようなものなんです。僕が本当の処女作だと思い込んでいる『白痴』にしても、じゃあ満足できているかというと、実は自分の想いの50%くらい。だけど、50%はがんばった、とやっと感じられるようになったんですよ。それまではよくて20%くらいでしたからね。


---何をもって完成とするか。それはクリエイターにとって、常に悩ましい問題なのかもしれませんね。

 一つひとつ具体的にしないと作品はできませんから、なるべくよくしよう、自分の思っているものに近いものにしようとは考えています。そのうえで、結果は結果でしかないという割り切りも、最近ようやくできるようになりました。
 特に映画というのはたいへんな情報量を扱うメディアですから、かかわる人間の数も半端じゃない。そういう共同作業の中で、一人の作家が100%の想いを遂げるのは不可能じゃないか、むしろ、50%をいかに維持するかということがベストなんじゃないか、と。
 やはり若い頃は、自分が思った通りのものをつくろうとしすぎていたように思うんです。極端な場合、俳優さんの一挙一動まで「こうしてください」とお願いしたり。もちろん、それでも作品にはなるんですが、自分の要素を活かしながらも、その作品がより自由に育っていくような形でやっていったほうがいい結果につながるように思います。
 実際、「やってみたら、こういう映画になりました」ということが、本当にたくさんあるんですよ。大きなところでは自分のイメージ通りかもしれないけれど、一つひとつのディテールはまったく反対のものだったり……。でも、そういうことの集合体として映画というのは成り立っているわけで、それを認めない限り映画はつくれないだろうな、だったら結果は結果として受け止めて、そこにこだわらないで次に進もう、と最近は考え始めています。

メディアの変遷と表現の関係

---この10月に東京国際映画祭で上映された新作『ブラックキス』が、手塚さんの初めてのデジタル映画になるそうですが、こういう風にメディアが変わってくるということに対してはどのようにお考えですか。

 選択肢はいろいろあるので、何を選択するか、なぜ使うかというコンセプトが明確になっていれば、何を使っても構わないと思います。選択肢が多くなって豊かになっているのはいいことですね。ただ、自然に収斂されていって、いずれなくなるメディアや手法もあるでしょうが。
 個人的な作品をつくる場合は、やはりフィルムのほうが好きですね。100年以上の歴史があって、システムとしても完成していますから、いろいろな意味でストレスが少ないです。
 一方、デジタルのほうはシステムがまだ完成していませんから、ちょっと新しい試みや流れをつくろうとすると、トラブルが起きやすい。ただ、予算やそういう状況でフィルムを使わないことも最近は増えています。今回の映画をデジタルで撮ろうと思った一番の理由も、俳優さんに自由に演技してもらって、ややドキュメンタリーに近いような撮影をしたかったから。つまり、「長く回そう」と思ったからなんです。フィルムだと10分くらいの単位でフィルムチェンジが必要ですが、デジタルを使えばコストも手間も大違いですから。それと、撮影したあとの編集処理で色に工夫をしてみようというアイデアもあったので、思い切ってデジタルを選びました。


---デジタルで映画を撮ってみて、予想外の効果やアクシデントはありましたか。

 正直な話、今回はあまり効果的ではなかったなというのがあります。試行錯誤の部分に要したエネルギーが、純粋にクリエイティブに何かを生み出そうというところより多かったかもしれません。慣れていないということを含めてのストレスが撮影現場全体にかかってしまったという気がしました。もし、もう一回同じシステムでやるということであれば、もっと慣れているから、もっとよくなると思うんですけれど。
 僕はあまり量産型の作家ではないので、なるべくなら製作現場はあまりストレスのないような環境にしたいと考えているんです。ですから、デジタルという方式がそれにふさわしいか否か、ということは、もう少し試してみないとわからないところがありますね。


手塚風発想ノート〜頭を活性化させる方法

---普段の生活の中で着想を得る瞬間というのはどんなときですか。

 常に何かを考えていますね。人と話していても街を歩いていても、頭の中で何か考えようという意識が常に働いているんです。それが、たまたま歩いているときや、何かを見たり誰かを見たりした瞬間に、ぱっと結びついて動き出すという感じです。
 究極的にそれをやろうと思うときは、自分にどんどん課題を与えます。たとえば「今日は、こういうアイデアを思いつこう!」というのをまず決めてしまって、思いつくまでずっと考えている。まあ、頭の訓練みたいなものなんですが、何でもないときにそういうことをしていると、だんだん慣れてくるんです。僕は高校生で映画をつくり始めてから今に至るまで20年以上、アイデアにしろつくり方にしろずっと考えているもので、その状態がクセになっています。


---そこに最適なモノがやってくると瞬時にパクッとつかまえられる、そういうニュートラルな状態になっているわけですね。

 ええ。その上で細かいところまで決め込まない自由さというか、アイデアを変えていくスキマをあえて残しておきます。1から10まで全部思いつく必要はなくて、たとえば、1から6、7くらいまでを思いついた場合、とりあえず3とか4はすっとばしておいて、それが自然に収まる時期を待つわけです。
 小説を書く場合だと、まず何を書くかを考えます。ホラー小説だったら、何か怖いことが起きなくてはいけない。そこで、まず、身近なところで思いつくネタを何でもいいから考えてみるんです。その辺で目に付いたモノとか、本当に何でもいいんです。たとえば、今でしたらインタビューを受けていますから「よし、インタビューだ」と決めてしまう。インタビューから何を思いつけるのか。そこで何かいいアイデアが出たら、もう書き始めちゃう。ちょっと極端ですけれどね。
 当然ながら、お話のオチまでは考えていません。書いているうちに自分の書いている内容に触発されて、あるいは別のアイデアを思いついたりして、途中でオチを思いつくんです。そして、それが決まったら、もうそこに向かって書くだけ。僕の場合、書き始めのときはほとんどオチは思いついてないんですよ。
 前に数回試した方法ですが、「1週間で本を書く」と決めてしまうというのもひとつの手です。そういう縛りがあったほうがかえってラクなんですよ。どんどん書いていかなくちゃならないから、いちいちオチを考えていたら進まない。だから、とにかくきっかけと入口だけ思いついたら書き始めちゃうんです。すると不思議なことに何となくオチが出てくるんですね。こうして書き終えた作品を人に読ませると、あたかも最初からオチが決まっているように見えるらしく「よく考えてますね」といわれるんですが、実は考えていないのですよ(笑)。


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---走りながら考えるほうが、頭が整理されてクリエイティブな状態になれるということですね。

 自分に対して、ルールとか縛りをどんどん付加していくんです。それによって頭を活性化させていく。その間に、いろんなアイデアがぽこぽこと浮かぶわけですが、こうしたものをまとめるときだけは、一気に考えないとダメですね。最後の最後で、「もうあとがない」というときじゃないと、まとめるためのアイデアは出てきません。そのときの力の出方は尋常じゃないですね。こういうパワーが素晴らしい作品に結びつくように思います。
 ただ、本当に追いつめられた状況だと、結果があまりよくないこともわかっています。だから、どこかに精神的な余裕をつくっておくことも必要ですね。たとえば、「これ1本に絞って」なんていわれると切羽詰まっちゃうけど、あれもこれもやらなきゃいけないと気持ちがあっち行ったりこっち行ったりしていると、精神的に道草ができて自由になれる。そのほうが自分の頭の中が整理できるんです。




2006年公開『ブラックキス』(主演:安藤政信・橋本麗香)。どこにでも起こる偶然の一致が必然性を帯び、当事者たちを恐怖に陥れていく。手塚氏自身の人生の裏テーマ「シンクロニシティ」をモチーフに、見る者の五感を刺激するサイコ・ホラーに仕立てている。

シンクロニシティ〜意味のある偶然との蜜月

---原始的なパワーとでもいうのでしょうか。人間の力って不思議ですね。

 人間はもともと自然の生き物であり、自然の一部なので、うまくできているはずなんですよ。勘だとか思いつき、偶然性というのは、本当はひとつのシステムだと思うんです。だから、物事というのは、理由や原因ばかりにこだわらず、逆に結果から見ていったほうがいいんじゃないかと思いますね。大いなる発明、偉大な作品のほとんどは偶然から生まれていますから、そういうことを前提に、改めてシステムを考えていくことがあってもいいんじゃないでしょうか。さっきの話じゃないですが、わざと決めずに進んでいって、その途上で何が生まれるかを確かめていくという手法のことですけれど。
 僕らの仕事というのは、精神的な部分と物質的な部分の境界みたいなところをつくっているようなものですから、自分の生活全般の中において、偶然性みたいなものの存在を常に意識して持っていると、いろいろなことが考えやすくなるし、またラクになるような気がします。
 そうそう、動物と話している夢を2回見たことがあるんですよ。1回目はヒョウが出てきて「動物と話すのは簡単だ、こうやればいいんだよ」と教えてくれるんです。「あ、そんな簡単なことだったんだ、忘れていたよ〜」と、目が覚めてからもかなり興奮していたんですけど、肝心のやり方をまったく思い出せない(笑)。何年かしたら今度はカラスと話をしている夢を見て「お前は忘れているけれど、こうやればいいんだよ」というんです。で、「そうだ、そうだ、こんな簡単なことだったんだよね!」と思うんだけど、目が覚めたらやっぱり肝心な部分だけ忘れているんです。三度目の正直で、次に見たら今度こそ絶対に覚えておこうと思っているんですけれど(笑)。
 こういう感覚ってありますよね。本当はすごく簡単なことなのに、普段は気づかないというか、忘れてしまっているみたいな……。


---もう一度そこに近づきたい、思い出したいという気持ちが、手塚さんの大きな意味でのモチベーションにつながっているのかもしれませんね。

 そうですね。僕は意外と理屈っぽくて、本当は映像だの感性だのはどうでもいいと考えている部分もあるんですよ。映像派だといわれる機会も多いんですが、絵よりもコンセプトのほうが大事かなと。もちろん、そのコンセプトの中に映像も含まれているわけですけれど。
 たとえば、さっきお話しした新作の『ブラックキス』では、ひとつの決まり事をつくって、スリラーなのに、夢とかオバケとか過去の回想とか、現実に見えないものは出さないことにしています。ファンタジーが多いこれまでの僕の傾向とは真逆のベクトルでつくってみたわけですが、できあがってみると、見た人は「手塚さんらしい」というんですね。
 これは自分ではよくわからないところなんですけれど、どう撮っても、手法や方法論がまったく違っていても、結果として同じようなところに収まってしまう何かがあるらしい。自分としては自分のスタイルから逃げようと思っているところがあって、わざと真逆の手法を使ったりしているんですけれど、それでも、どうにも逃がれようのない個性、自分らしさのようなものがあるみたいです。


---今のお話と微妙にリンクするかもしれませんが、すべての作品を通して伝えたいと思っている気分や空気のようなものはありますか。

 今回の映画のテーマでもある「シンクロニシティ」という言葉は、偶然の一致、もともと意味のないものがどう結びついていくかという、その関係性に意味を持たせるということなんですけれど、この数年、これが自分の中のテーマなんです。
 どういうことかというと、世の中を見まわしたときに、世界が複雑化している最大の理由は、価値づけにあると思うんです。モノとか個体に価値を持たせすぎたというんでしょうか。たとえば、自分よりあいつのほうがエライのか、この仕事はエラいのか、この商品はいいのか、みたいな価値観のことですけれど。
 あるモノとあるモノとの関係性の意味を考えたら、価値というのは必ずしもそういうものじゃないと思うんですよ。極端にいえば、一般的にはつまらない商品でも、ある人にとって役に立つのならば、その商品とその人の関係性を高く評価することができますよね。そうやって関係性から考えていって、そこに価値づけを行ったほうが、よりスムーズだし実際的なんじゃないかと。こんなことをずっと考えていまして、そういう目線で作品をつくれればいいなというのはありますね。

 

家業としての「手塚治虫」

---さて、手塚さんはお父上である手塚治虫氏の遺されたもの、いわば国民的・地球的遺産を管理され、これからも守っていく立場にあるわけですが、その中で最も大事にされていることはなんですか。

 意外と割り切って考えていますね。手塚治虫くらいすごいアーティストのあれだけの作品について、あまり精神的なことを考えていたら、とてもやり抜けないと思うんですよ。ですから、クリエイティブなビジネスとして割り切ろうと。ビジネスというと表現がよくないですけれど、その作品を守り、最大限に活かし続けていくためには何をやるのがベストか、と。それを判断するのが自分に課せられた仕事のひとつだと考えるようにしています。
 最近、TVアニメやほかの作家さんによるリメイクが始まった『ブラックジャック』にしても、浦沢直樹さんによるアトムのリメイク『PLUTO(プルートウ)』にしても、それまで手塚作品を読んだことのなかった子どもたちが、オリジナルを読んでみようと思うきっかけになったらいいな、と。まずはそういう第一目的を果たそうとしているわけです。
 だから、僕個人の想いは後回しで、極端にいえば、僕がやらなくてもほかにやる人がいてくれたらありがたい、くらいの気持ちです。ただ、自分がやったほうがうまく機能する、そのほうが周りにとってもいいということであれば、決してノーとはいいませんし、しっかり引き受けて行こうと思っています。


---責任の重さに対するプレッシャーはないですか。

 それは全然ないですね。冗談めかしてよくいうんですが、これは家の仕事、家業なんです。つまり、僕は家の仕事を手伝っているだけ。僕にとって手塚作品というのは八百屋さんにとっての野菜みたいなもので、それ以上でも以下でもないんです。もう見飽きちゃってるけど、ある意味、誰よりもよく知っている。そういう対象ですね。
 なので、あとは、それをどれだけいい形で人々に届けられるかというところにエネルギーを使います。その上では、当然、アイデアなり方法論も必要になりますけれど。


---最後に、手塚さんの人生において、最も大切なことは何でしょうか。

 クリエイティブな世界の中で、自分を最大限、機能させること。そういう環境に自分がいられるということが一番大事ですね。映画だけはずっとやってきたので、それだけはずっとこだわっていきたいと思います。
 それ以外はどうにも言葉にできないんですよ。何かあるはずだと思うんですけど、言葉にしたらそこで終わってしまうようなものなので……。それが言葉にできないからこそ、僕はたぶん映画をつくり続けるんだろうと思います。 (2004年11月)

文:加藤由紀子/写真:神原卓実

プロフィール
手塚 眞(てづか・まこと)
1961年8月11日、東京生まれ。
高校時代に8mm映画をつくり始め、大島渚ら映画監督に高く評価される。大学在籍時から「ヴィジュアリスト」という肩書きで、常に先鋭的な映像製作にチャレンジ。また、小説の執筆、イベントの企画、講演、CDやマルチメディアのプロデュースなど、ジャンルを越えた表現活動を続けている。富士通のCD-ROMソフト『TEO−もうひとつの地球』は世界19か国で58万本を売る。1999年べネチア映画祭で劇場映画『白痴』がデジタル・アワードを受賞。

手塚眞氏 公式サイト
NEONTETRA
http://www.neontetra.co.jp/


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