メディアの変遷と表現の関係
---この10月に東京国際映画祭で上映された新作『ブラックキス』が、手塚さんの初めてのデジタル映画になるそうですが、こういう風にメディアが変わってくるということに対してはどのようにお考えですか。
選択肢はいろいろあるので、何を選択するか、なぜ使うかというコンセプトが明確になっていれば、何を使っても構わないと思います。選択肢が多くなって豊かになっているのはいいことですね。ただ、自然に収斂されていって、いずれなくなるメディアや手法もあるでしょうが。
個人的な作品をつくる場合は、やはりフィルムのほうが好きですね。100年以上の歴史があって、システムとしても完成していますから、いろいろな意味でストレスが少ないです。
一方、デジタルのほうはシステムがまだ完成していませんから、ちょっと新しい試みや流れをつくろうとすると、トラブルが起きやすい。ただ、予算やそういう状況でフィルムを使わないことも最近は増えています。今回の映画をデジタルで撮ろうと思った一番の理由も、俳優さんに自由に演技してもらって、ややドキュメンタリーに近いような撮影をしたかったから。つまり、「長く回そう」と思ったからなんです。フィルムだと10分くらいの単位でフィルムチェンジが必要ですが、デジタルを使えばコストも手間も大違いですから。それと、撮影したあとの編集処理で色に工夫をしてみようというアイデアもあったので、思い切ってデジタルを選びました。
---デジタルで映画を撮ってみて、予想外の効果やアクシデントはありましたか。
正直な話、今回はあまり効果的ではなかったなというのがあります。試行錯誤の部分に要したエネルギーが、純粋にクリエイティブに何かを生み出そうというところより多かったかもしれません。慣れていないということを含めてのストレスが撮影現場全体にかかってしまったという気がしました。もし、もう一回同じシステムでやるということであれば、もっと慣れているから、もっとよくなると思うんですけれど。
僕はあまり量産型の作家ではないので、なるべくなら製作現場はあまりストレスのないような環境にしたいと考えているんです。ですから、デジタルという方式がそれにふさわしいか否か、ということは、もう少し試してみないとわからないところがありますね。
手塚風発想ノート〜頭を活性化させる方法
---普段の生活の中で着想を得る瞬間というのはどんなときですか。
常に何かを考えていますね。人と話していても街を歩いていても、頭の中で何か考えようという意識が常に働いているんです。それが、たまたま歩いているときや、何かを見たり誰かを見たりした瞬間に、ぱっと結びついて動き出すという感じです。
究極的にそれをやろうと思うときは、自分にどんどん課題を与えます。たとえば「今日は、こういうアイデアを思いつこう!」というのをまず決めてしまって、思いつくまでずっと考えている。まあ、頭の訓練みたいなものなんですが、何でもないときにそういうことをしていると、だんだん慣れてくるんです。僕は高校生で映画をつくり始めてから今に至るまで20年以上、アイデアにしろつくり方にしろずっと考えているもので、その状態がクセになっています。
---そこに最適なモノがやってくると瞬時にパクッとつかまえられる、そういうニュートラルな状態になっているわけですね。
ええ。その上で細かいところまで決め込まない自由さというか、アイデアを変えていくスキマをあえて残しておきます。1から10まで全部思いつく必要はなくて、たとえば、1から6、7くらいまでを思いついた場合、とりあえず3とか4はすっとばしておいて、それが自然に収まる時期を待つわけです。
小説を書く場合だと、まず何を書くかを考えます。ホラー小説だったら、何か怖いことが起きなくてはいけない。そこで、まず、身近なところで思いつくネタを何でもいいから考えてみるんです。その辺で目に付いたモノとか、本当に何でもいいんです。たとえば、今でしたらインタビューを受けていますから「よし、インタビューだ」と決めてしまう。インタビューから何を思いつけるのか。そこで何かいいアイデアが出たら、もう書き始めちゃう。ちょっと極端ですけれどね。
当然ながら、お話のオチまでは考えていません。書いているうちに自分の書いている内容に触発されて、あるいは別のアイデアを思いついたりして、途中でオチを思いつくんです。そして、それが決まったら、もうそこに向かって書くだけ。僕の場合、書き始めのときはほとんどオチは思いついてないんですよ。
前に数回試した方法ですが、「1週間で本を書く」と決めてしまうというのもひとつの手です。そういう縛りがあったほうがかえってラクなんですよ。どんどん書いていかなくちゃならないから、いちいちオチを考えていたら進まない。だから、とにかくきっかけと入口だけ思いついたら書き始めちゃうんです。すると不思議なことに何となくオチが出てくるんですね。こうして書き終えた作品を人に読ませると、あたかも最初からオチが決まっているように見えるらしく「よく考えてますね」といわれるんですが、実は考えていないのですよ(笑)。

---走りながら考えるほうが、頭が整理されてクリエイティブな状態になれるということですね。
自分に対して、ルールとか縛りをどんどん付加していくんです。それによって頭を活性化させていく。その間に、いろんなアイデアがぽこぽこと浮かぶわけですが、こうしたものをまとめるときだけは、一気に考えないとダメですね。最後の最後で、「もうあとがない」というときじゃないと、まとめるためのアイデアは出てきません。そのときの力の出方は尋常じゃないですね。こういうパワーが素晴らしい作品に結びつくように思います。
ただ、本当に追いつめられた状況だと、結果があまりよくないこともわかっています。だから、どこかに精神的な余裕をつくっておくことも必要ですね。たとえば、「これ1本に絞って」なんていわれると切羽詰まっちゃうけど、あれもこれもやらなきゃいけないと気持ちがあっち行ったりこっち行ったりしていると、精神的に道草ができて自由になれる。そのほうが自分の頭の中が整理できるんです。
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