2001insight

失敗を追求すると成功が見えてくる  飯野謙次 失敗学会副会長に聞く  生産活動、ひいては人間の活動には、事故や失敗は付き物だ。人類は失敗とともに歩んできたといっても過言ではない。ただ、日本で失敗者の烙印を押されようものなら、容易に立ち直ることはできないのが実状だ。しかし失敗の経験こそ、成功のステップであるはずなのだ。失敗に蓋をせず真正面から取り組むのが失敗学。失敗の教訓を生かして成功につなげるにはどうしたらいいのか、そのヒントを失敗学会の飯野副会長に語ってもらった。


外食チェーンが教える成功に結びつく失敗

失敗には致命的失敗と、成功に結びつく失敗がある。例えば、致命的失敗とは会社存亡に関わる失敗であり、それ以外の失敗はその後の対処の仕方によって成功に結びつく失敗だ。ただ、致命的失敗と言えども、未知の原因でない限り、未然に防ぐことは可能なはずだ。飯野副会長は、失敗を成功に結びつけたある外食チェーンの事例を次のように語る。

「ある外食チェーンの工場を見学したことがありました。そこが280円の牛丼を実現したのは、仕組みを根本的に変えた点にあったのです。決してそれ以前の価格で大儲けしていたわけでありませんでした。実は280円という価格にする前に、その外食チェーンでは1週間だけ250円で売り出したことがありました。そのときは注文が多すぎて供給が追いつかず、不評を買ったそうです。需要過多、供給不足という失敗を犯したのです。そこでその失敗を教訓にして価格をアップし、供給体制の仕組みを整えたのです。

それが蜂型のアセンブリラインでした。これは各店舗用の専用カートに、必要な食材を次々に揃えていくという仕組みです。カートを食材に移動するとLEDが点灯してセットする個数を指示します。例えばタマネギ5個と表示されるとそのカートに5個放り込む。それを食材毎に次々に繰り返していくことによって、その店舗に必要な食材がカートに揃うわけです。次にカートをトラックに乗せてそのまま店舗に移動し、カート毎冷蔵庫に入れて保管する。カートが空になったらカートを持ち帰るという具合です。

蜂が動き回る様子に似ているので蜂型と名付けました。その最大の強みはフレキシブルである点です。どんなに食材が変わろうが柔軟に対応できます。修業時間が終わると、アセンブリラインを畳んで工場のフロアが何にもなくなったことには驚きました。コスト低減とフレキシブルを追及した結果です。」

つまり、その外食チェーンでは需要過多、供給不足という失敗を、予定単価のアップと蜂型というフレキシブルな仕組みを創ることによって解決したことがわかる。これによって、市場の変化に柔軟に対応しつつ、低コストで新たなメニュー展開が可能になったのだ。

 

一つの新聞種になる失敗の陰には300のヤバイ体験がある

失敗学を提唱している畑村洋太郎失敗学会会長によれば、1件の新聞種になるような設計の失敗の陰には、29件のクレームと、300件のヤバイと思った体験が潜んでいるという(図1参照)。飯野副会長は言う。

図1 設計における失敗の顕在化の確率
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「労働災害の発生確率にハインリッヒの法則というのがあります。これは1件の重大災害の陰には、29件のかすり傷程度の軽災害があり、その陰には300件のひやっとした体験があるというわけです。これは設計における失敗の顕在化にも当てはまることがわかりました」

だから、1件の新聞種になるような事故を起こさないためには、300件のヤバイことを収集して、その原因を分析して対策を取ればクレームの発生を押さえることができ、重大な事故を防ぐこともできるということになる。そのためには、もっとオープンに失敗のことについて議論することできなければならない。失敗学会では、失敗から逃げるのではなく、失敗に真正面に向き合って根本原因を追及することで、失敗を防ぐ道筋を探ることが大きな課題となる。

失敗は個人の責任に終わらせないことが成功への道

そして失敗の原因は、図2のような階層構造をなしていると言う。外食チェーンの例に当てはめれば、失敗が需要と供給のバランスになるので企業経営不良ということなる。失敗はあらゆる分野において見られるので、現象面として個々人に責任のある失敗であっても、その背景まで遡って原因を追及しなければ解決しないということを、図2は教えてくれる。

図2 失敗原因の階層性率
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図2の最上段にある「未知への遭遇」に起因する失敗は、科学技術の限界に基づくもので、不可壁と言える。例えば、イギリスのジェット旅客機コメットの空中分解は、加圧状態での金属疲労についての知見がなかったことによって引き起こされたもので、当時は未知との遭遇だった。こうしたケースは枚挙にいとまがない。むしろ、未知との遭遇を解決することによって科学技術は発展してきたのであり、今後も未知との遭遇を回避することは不可能だろう。それ以外の失敗については、よくよく検討すればおおよそ検討がつくものだが、時代的制約やコストとの兼ね合いでどこまで実現できるかという問題がある。

「例えば、1986年のチャレンジャー号の爆発の背景には、東西緊張がまだ高く、アメリカには国威発揚を期待する雰囲気があったのです。当時Oリングの問題はわかっていたにもかかわらず、打ち上げを行った背景にはこうした時代の雰囲気というものがあったと思います。国威発揚という時代的制約がなければ、問題のあったOリングを点検することで爆発にはいたらなかったのではないでしょうか」

つまり、失敗の裏には単純な技術的な問題だけでなく、組織的、政治的な問題も関わっている。現象としては個々人に責任のある失敗であっても、その背景には組織、企業、行政、社会システムの問題が控えている。図2は、そうした失敗の階層性を教えてくれる。失敗学は、こうしたあらゆる階層に失敗の原因を探り、二度と同じ失敗を繰り返さない方策を探ることも大きな役割となる。失敗を個人の責任に終わらせないことが、失敗を成功につなげる道となる。

 

「失敗学」事始め

以上のことから、失敗学は、「失敗するための学問」ということではなく、「失敗を成功に結びつける学問」ということがわかる。つまり、失敗のメカニズムを研究することで、失敗に陥らない道を明らかにすること、そして失敗の原因を追及することで成功に至るヒントを探るという、極めて前向きの学問なのだ。そもそも失敗学という発想が生まれたのはどうしてなのか? 飯野副会長は語る。

「元々は東京大学工学部時代の畑村洋太郎先生(現在は東京大学を退官、現工学院大学教授、失敗学会の会長、畑村創造工学研究所の代表として活躍中)の授業の中での失敗の話がベースになっているのです。私も1981年に研究室の新4年生メンバーとして失敗の話を聞きました。それが大変面白いのです」

 

失敗の話が学生に受け入れられた様子は、畑村氏が著した『失敗学のすすめ』(講談社)の「あとがき」のなかで、「失敗の話とは不思議な力をもつものだ。大学の講義や会社の講演などでも、うまくゆく方法を話すと眠そうにしていた人たちが、まずくいった道筋を話した途端に目を輝かす」と述べられている。それほど失敗が身近という現れだろう。

「畑村・中尾研究室の卒業生約50人が中心となって、4年毎に本を1冊発刊していたのです。1988年が最初で『実際の設計』、そして96年の『続々実際の設計』のなかで“失敗に学ぶ”ということで、失敗の実例を書いたのです。それを評論家の立花隆氏が目をつけて、いろいろなところで宣伝してくれた。それが世間に広まったきっかけです。失敗学という言葉は立花氏が命名したのです」

失敗学が広まるにつれ、畑村氏の元には多くの講演依頼が舞い込み、その講演会がきっかけとなって、2000年、前述の『失敗学のすすめ』が発刊される。アメリカでサラリーマンをしていた飯野氏が、技術翻訳で独立したのもその頃だった。

「畑村先生から面白い本を出したという連絡を受けて、『失敗学のすすめ』の英訳を始めたのが失敗学に関わるきっかけです。2002年に入ってから月に1回は、日本とアメリカを往復し、英訳本は『Learning from Failure』として発刊されました。ちょうどその頃、日本ではNPOがもてはやされていて、非営利法人の失敗学会を設立する気運が高まってきたのです。しかし、卒業生のほとんどの人は企業に努めており片手間で活動するには荷が重すぎる。そこで自営業の私がやりましょうと手を挙げて、失敗学会の活動を始めたわけです」

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畑村洋太郎 失敗学会会長が著した『失敗学のすすめ』(講談社)

失敗を皆の共有財産に

完全ボランティアで畑村氏が会長、飯野氏が副会長として、特定非営利活動法人失敗学会が設立(コラム参照)されたのが2002年11月8日。12月には第1回総会を開催した。世間の反応はどうだったのだろうか?

「現在(2003年2月時点)、個人会員が約380人、法人会員26社(手続き終了)です。機械・建設関係1/4、電気・情報関係1/4と工学系が約半分、そのほか医療関係、物流、サービス、損害保険、ファッション関係の人が会員となっています。マスメディアの人は情報を取るために会員になっているようです。法人会員は一口20名まで個人会員を登録できますが、議決権は個人会員と同じ1票です」

失敗学会の会員は徐々に増えているが、日本ではまだまだ失敗の声を封じ込めてしまう傾向にあるという。企業が大きくなればなるほど、オープンに失敗を議論するところは少なく、個人の責任に帰してしまうところが多いようだ。アメリカでの活動が長い飯野副会長によれば、アメリカでは失敗は個人ではなく組織の責任として追及される傾向があると言う。

例えば、アメリカでは職務が明文化されており、そこからはみだすことはありません。そして、故意や悪意あるミスは除いて、職務遂行中の失敗は個人の責任ではないという考えです。個人のミスも含めて職務の中で間違いは当たり前、それを防止できないのは教育が悪い、あるいは制度が悪いといった具合です。小さな失敗は堂々と主張します。間違えたのは人格とは関係ないということです。それに免責制度があることからもわかるように、個人の責任を追及するよりも同じ失敗を繰り返さないことが大切だという考え方が優勢のように思われます」

その点、日本は失敗を個人の責任に帰す傾向が強く、組織的に失敗を教訓として取り組む姿勢が弱いことは間違いない。とは言え、アメリカに先んじて失敗学会が設立されたという事実は、日本でもようやく失敗に対する社会的な関心が高まっていると見ることができるだろう。設立された失敗学会がきっかけになって、「失敗を企業の外に出すのは難しいかもしれませんが、せめて企業の中で失を交流できればと思います」と、飯野副会長は波及効果を期待する。

そして失敗を皆の共有財産にするために、失敗学会では失敗のデータベース化に取り組んでいる。そのためには失敗を単に客観的に記録するだけなく、その時の雰囲気や何を考えたかなどの臨場感や、背景、対策、後日談、四方山話なども含めた記述が必要となる。失敗学会では、その記述内容を図3のように推奨している。

図3 失敗の伝達に必要な記述
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こうした生きた内容があってこそ、失敗は成功の母として活用することができるのだ。そして、飯野副会長は、「失敗を覆い隠すような体制であると、大失敗につながる可能性が高い。トップの方はそこを意識して行動して欲しいと思います。失敗しても隠さずに話せる文化を創ることが、創造性を発揮できことになるはずです」と、失敗の活用を期待する。

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飯野謙次 失敗学会副会長

コラム
特定非営利活動法人「失敗学会」の設立趣旨と活動内容
設立趣旨:広く社会一般に対して失敗原因の解明および防止に関する事業を行い、社会一般に寄与することを目的として設立された。その目的を設立趣意書から紹介しよう。達成するため、社会教育の推進を図る特定非営利活動を行う。
活動内容
・社会、企業、個人に損失を与える失敗、事故、災害、の原因究明。
・これら失敗、事故、災害を未然に防ぐ方策の開発。
・社会、企業、個人の、失敗に対する考え方、認識、知識化する方法の普及を含めた意識改革。
・上記方策の社会一般への教育。
・研究発表を行う会合の主催。
・失敗学に関し、会誌発行を含めた出版物の販売。
・社会、企業、個人に対し、失敗に関するコンサルテーションの提供。 (2003年4月)

文:佐原 勉/写真:神原卓実

特定非営利活動法人失敗学会
所在地: 東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティータワー52階
設立: 2002年11月22日
会長: 畑村洋太郎
活動内容: 市民、企業、行政、教育機関に対して失敗原因の解明および防止に関して教育、会合の主催、コンサルテーション提供、インターネットからの情報発信を通して、経済的打撃を起こしたり、人命に関わったりするような事故・失敗を未然に防ぐ方策を提供することを目的とする。
連絡先: admin@shippai.org
留守番電話: 03-6644-0026
(メッセージがスタッフに転送される仕組みになっています。
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連絡先: TEL.072-362-5550(代)
FAX.072-362-3629
URL: http://www.shippai.org/
 


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