LP 1982. 10.9 Sat. |
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国際交流基金・日本万国博覧会記念基金助成 盛岡少年少女合唱隊《特別演奏会》 創立20周年・新発足15周年記念 The Little Singers of Morioka Special Concert 1982年10月9日 土 6:00P.M.開場 6:30P.M.開演 岩手県民会館大ホール 指揮/芦野真弓 伴奏/渡辺達 ソプラノ独唱 吉田真江 アルト独唱 冨山和香子 第一部 ブルガリアの歌を思い出して 第二部 広瀬量平の世界 第三部 盛岡少年少女合唱隊特別演奏会依嘱作品 宮沢賢治の詩によるペーター・ストゥーペル作曲「日本への歌」 T SIDE A 第一部 ブルガリアの歌を思い出して 1.我が祖国 2.五月の風船 3.蝶々 4.露が落ちた 5.私たちのそばの海は青い 6.ここち良い汽車の汽笛 7.平和の旗 8.森の冬 9.歌をつくるのは SIDE B 第二部 広瀬量平の世界 1.海はなかった 2.海の子守唄 3.走る海 4.海鵜 5エトピリカ U 第三部 盛岡少年少女合唱隊特別演奏会依嘱作品 宮沢賢治の詩によるペーター・ストゥーペル作曲「日本への歌」 SIDE A/SIDE B 1.高原−春と修羅第1集・グランド電柱より− 2.林と思想−春と修羅第1集・グランド電柱より− 3.〜高原〜 4.青い槍の葉−春と修羅第1集・グランド電柱より− 5.報告−春と修羅第1集・グランド電柱より− 6.〜高原〜 7.馬 (作品第123番)−春と修羅第二集− 8.〜高原〜 9.曠原淑女 (作品第93番)−春と修羅第二集− 10.雨中謝辞 (作品第1090番)−春と修羅第三集− 11.〜高原〜 いつかは紹介しようと思っていた1枚です。 今でこそ、知らない曲になってしまったものも多いですが、夏休みになると少年少女合唱団の来日が続いていた頃、ブルガリアの曲は、馴染み深いものでした。 盛岡の合唱隊も、とても自然な発声でブルガリア語の歌を歌っています。 ブルガリアや中国にも演奏旅行をしていたようですが(昔はそういうのが流行っていました)、ブルガリア語で歌われる歌は、まるであっさりしたソフィア少年少女っぽい趣があります。「我が祖国」でのソリストさんは、ソフィアのソリストさんそのもの、という声で歌っていて違和感がありません。合唱隊に縮小傾向がでてきて久しい頃で、男の子は少なく、女子中高生中心の若い女声で、エレルヘインよりも硬質に聞こえてきます。 演奏力も高かったと思うので、このCHOIRが消滅したのは惜しかったと思います。盛岡少年少女合唱隊は、少なくとも、隊員の情操教育の為とか隊員が楽しむため、とかではなくて、日本ひいては世界標準を視野に活動を始めたCHOIRだと思っていました。 この録音が残した価値は、かつて盛岡にもこれだけ演奏力の高いCHOIRがあったという事実を物語っていることと、宮澤賢治作品を歌っていることです。 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」 …この演奏会とリアルタイム時に私は、「個人(私ってことです)が幸福にならないうちは、世界の幸福はあり得ない」と思っていた ちょ〜ちょ〜自己中な人間です。でも、今、気になるんですよね〜、彼。宮沢賢治氏。 この盤には他では聴いたことの無い宮沢賢治の作品に旋律がついた曲が収録されています。というよりも、おそらく最初で最後の演奏が収録されています。(「日本への歌」が収録されているのはこの盤だけだろうと思います。) 作曲者が日本語を解しない外国人。・・・なのに言葉が自然な旋律にのっているのです。 「海だべがと おら おもたれば やっぱり光る山だたぢゃい」????? 詩(文字)だけではわからなかったものが、音で聴いたら、パーッと視界が広がり、風景が見えました。賢治さんの詩(コトバ)を、そのコトバを理解できるイーハトーヴォの子どもたちの声で聴くことが出来る幸せ。 たぶん、誰しも、時空を越えたところで、賢治氏と同じような風景を見た記憶があるのかもしれませんが、長生きしたけれど、賢治氏のような精神の域には達していないなあとおもうきょうこの頃。・・・聴いていてコトバが描く風景に心が洗われて行くのです。また、それだけのクリアな発声の合唱が、心のスクリーンに映像を見せてくれるのです。曲の合間のポイントっぽい詩読みをプロに頼んだら世界観はもっと自然に表現できたかも、とは感じましたが、このLP、作品としてもポイント高く仕上がっていると思います。活動を停止したのは本当に残念でした。 (by Hetsuji) 2009/10/25 up |