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始めての春 KOUJI Best Collection (STEREO OT-001)
1994年3月発売 2,800円 PRODUCED BY 三木 宏 1. 二人はかわらない *日本放送開局40周年記念番組 「ノストラダムス」EDテーマ.....4:18 2. 君に出会って.....2:52 3. もしも .....1:54 4. おねがい....4:13 5. 大人.....3:58 6. メリークリスマス.....2:45 7. First Love.....3:22 8. 雨のハッピーバースディ.....3:40 9. 僕の想い.....3:40 10. Nothing will change our Love.....4:18 *日本放送開局40周年記念番組 「ノストラダムス」EDテーマ.....4:18 未完の詩(ことば)群。それが第一印象。彼の詩の世界は完結していないように感じる。主題への言葉の生命力や吸引力がどこか儚く、ガラスを砕いて風に飛ばしたかのように、言葉の破片がきらきらと宙を舞っている。破片は壊れやすく、繊細で、鋭く、美しい。そして言葉は暗号のように、謎めいている。例えば詩にしょっちゅう出てくる「君」。「君」って誰? もしくは何? 「君」は単に KOUJIくんが好きな女の子、なんだろうか? ・・・わからない。そして、もしも「君」が単に女の子なら、女の子をモチーフにするだけでこれだけたくさんの曲が書けてしまうことに驚く。「君」が外の世界との関わりへの糸口、にも思える。女の子との関わりの表現は大人でも書ける詩から抜け出ていないと思うものもあるし「人生はメリーゴーランド、君をのせて」これって、12歳の感性?・・・若いのに、ときどき陳腐だ。 かと思えば「僕は大人さ、もう12歳・・・」と、何だか、かなり切ない歌声。だが、何より、KOUJIくんの感性で切り取られたストレートな言葉の持つ輝きに、くらくら目眩がする。「生きることが怖い」「プレゼント片手に窓から見た景色 車が雨で崩れてる」等々・・・。ことばやイメージの破片が聞くものの心に突き刺さる。 歌声は、少し鼻にかかって素直に伸び、やわらかく甘くやさしく弱々しい。この声そのものがイコールこの時の彼のハートだと感じる。「未来を自分の手で きりひらこう」「どんな時でも頑張れる男らしく生きていたい」と詩だけ読むと思考はポジティブ。けれどその詩すら、彼の歌声を通して聴くとネガティブに聞こえてしまう不思議。ガラス細工の子ども。伴奏も彼の声に合わせて羽のように軽く繊細。こわれそうで好ましい。初めてよりはもっと能動的なタイトル「始めて」・・・の彼をしっかりサポートしている。(by Hetsuji) 2003/04/06 up *某氏によると、Hetsujiが陳腐だと感じた「人生はメリーゴーランド〜」の部分は、作曲者の補作部分なそうです。(by Hetsuji) |
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KOUJI 友よ (MRDA-00050) (P) 1995 1995年5月発売
1,500円 PRODUCED BY 久石 譲 1. 友よ 2. とまどいの中で 3. 冬 「今日 あったばかりの 友が 死んだ」というショッキングな詞で始まる「友よ」。前作よりも心持ち歌声が高く強くなっている。伴奏も一層ドラマティックかつ繊細。このCDの中でKOUJI少年の静謐な世界が、友よ-とまどいの中で-冬と進みながら、(ギリギリと自分を追いつめついには、諦念、ことばを代えれば悟りという意味において)結晶しているように思う。それがどんな人生でも自分の人生なら受容し生きなければならない、別な誰かの人生を生きるわけにはいかない、という意味での諦念(悟り)である。彼は歌の中で、友の死を悼みつつ、悲しみの純度を測り、去った友を追ってそれ以上の大きさで生きることを決意し、更には、友に対して今までの交友を感謝する。(「友よ」。) かと思えば「一人でいたら 消えてしまうよ 助けてほしい」ストレートな本音も聞こえる。けれど「泣きたいのは僕じゃなくて君だということはもうわかったから」と成長した姿もかいま見せる。(「とまどいの中で」。) 自分のそばには誰もいなくてものすごく孤独なんだけれども、石焼き芋や電気ストーブの暖かさに手と心が温まる(「冬」。)彼は「手と心の中が 暖まり 君の心も暖まる 僕は死んでも 涙は かれるでしょう」と歌うのだが、これは絶望の詞ではなく、この先、何が起ころうとも、何かに慰められ、きっと自分らしく生きていけるのだ、というメッセージに聞こえた。いつまでも周囲から守られている子どもではいられない。いつかは物質的にも精神的にも自力で生きていかなければならない日が来る。ガラスの殻を自ら壊して周囲と共生し始める決心をする瞬間に、聴くものは、少年の前途に幸いあれと祈りながら、立ち会うことになる。 そして最後に、こんなにも彼に大きな影響を与えて逝ってしまった「友」の正体が、実は彼の父親だったのだということがわかるとき、彼が受けた衝撃の大きさを改めて感じることになる。ともあれ、「友よ」の曲は、彼が大きな衝撃を乗り越えたからこそ、出来たと信じる。(或いは作りながら、乗り越えていったのかもしれないけれど。) たった3曲だけしか収録されてはいないが、このCDに正面から向き合うとき、聴く者も、何かを乗り越えることが出来るパワーを得るかもしれない。(by Hetsuji) 2003/04/06 up |
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KOUJI|橋を渡る少年(MRCA-10041) \2,500 (P)1996年2月発売
PRODUCED BY 大川正義 ARRANGED BY 矢野 誠 1. 果てしなき未来の中で 2. 君に出会って 3. 雨のハッピーバースデー 4. 放課後の教室 5. 一人きり 春 6. 森の中でさまよったら・・・ 7. Forwrd!〜前に向かって〜 果てしなき未来に取り残されたり置き去りにされたりする、と歌うあたり、この子はまだ石橋を叩いても渡らんのね〜と。(「果てしなき未来の中で」。)「始めての春」から数曲選んでこちらでも歌っているが、このCDはメジャーデビュー?してのファーストアルバムらしいので、伴奏も派手め。言葉を換えれば、ありきたり。または、世俗的。「売る」ってこんなことなんだな〜。だけど、相変わらずも詞のことばのさりげなさに彼の感受性の繊細さをヒシヒシと感じてしまう。例えば「放課後に伝えた気持ちは 伝えられたのか 消えてゆくのか 水が流す 放課後の教室」「さびしかった体育館に ひとつ おいてあった ボールを 見てると 静けさが 残っている」(「放課後の教室」。)現実的に考えると単に中学生が体育館で遊んだボールを片付けないで帰っただけ、なんだろうけど、誰もいない体育館の静けさが伝わってくるのだ。 気持ちがいっぱいいっぱいに溢れすぎて、わかるんだけれどナレーションの泣きが世俗に落ちているように聞こえる(「森の中でさまよったら」。)けれど、歌が「友よ」の歌につながるあたり、強い強いメッセージなのだ。 最後の曲(「Forwrd!〜前に向かって〜」)を聞いて、私は、1枚だけ持っているCDで聞いた尾崎豊の世界に通じるものを感じた。この曲の中で「大きくなる」「強くなる」「前を向いて歩いていく」「考えてばかりいないで 走り出す」と歌った彼の未来に幸いあれ。 このCDが出てからかなりの年数を経た。彼は現在、詞をつかって「気持ちを叫ぶ」ことから抜け出したのだろうか? 表現することは理解されたいと思うこと、が根底にあるのかもしれないが、自分自身が理解されることを望むところにとどまらず、出来れば、歌うことで人に「良きものを与える」ところまで行って欲しい。 彼の歌声は心やさしいし、どの曲も旋律的に美しい。だからこそ、もっともっと欲を言えば、この変声前の声のときに、そういう歌を歌ってくれていたらなあ、とも思った。(by Hetsuji) 2003/04/06 up |
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