出発日(8月11日)
1日目(8月12日) |
1.オスロへの長い道のり |
報告は前日の8月11日から。
オスロに向かうべく、まずは成田空港17時25分出発のバンコク行に乗り込んだのだが、機材がA380-800(約500人乗りの二階建て機)だったので、
ジャンボジェット時代を彷彿とさせるボーディングの大行列に、ちょっと戸惑う(というか苦笑い)。
機は出発定刻にドアクローズをしたが、離陸は18時。 映画設定はセンスが合わず、辛うじてゴーストインザシェルとアメリカンスナイパーで間をつなぐ。
定期的に通っているスワンナプームには定刻20分前に着陸したが、エプロン空き待ちで5分ほど待機。
今回は入国せずトランジット通路に回ったが、やはり水は回収される。セキュリティーは出国時と同レベル。 ベトナムなどは甘いのだが。。。
改めて水を購入し、バンコク時刻24:55(日本時刻3:00am近く)発のオスロ行を待つべくスタバでラテ。 タイバーツを持ち歩いていて良かった。 |
スワンナプーム空港で日付をまたいで8月12日。
我がTG954は、やはり定刻の0:55に飛び立ち、ヒマラヤ南部からカスピ海北部を超えオスロを目指す。
バンコク経由なので、日本からだと地球の直径分の移動距離となる。
出発時から予報されていた通り、定刻30分前の6:55着にオスロに到着し、ヨーロッパ人以外が対象のイミグレに並ぶことになるが、
最初は順調に進んでいたのに、列の目の前の中国人やタイ人の審査が長くなり、異様に長く待たされる。
一応、見た目は旅行者だが、不法入国を警戒対象? 彼らはまったく英語が話せないようで、審査官も困り果てている雰囲気。
気が付けば、少し後ろの人は別の窓口に案内されていたようで、いつの間にか私の周りが最後尾集団になっていた。
日本人の審査は、ひとことフタコト、「観光?」「何日の滞在?」程度。
入国してしまえば、預け荷物もないので、あとはスムース。
空港一階で通常線の特急乗車券を93クローネでゲット。
成田エクスプレスのような空港専用線は180クローネだが、途中に一駅があって、余計に3分かかるだけで半額。
自発の出発時間も見ずに指定の4番線のエスカレーターを下り、車両の写真を撮っていたら、8:13に置いて行かれてしまい、8:43を待つことになる。
間抜けなことをしてしまったが、再度空港エリアに戻り、明日、北に飛ぶ時のドメスティックエリアや、空港全体の様子をチェックできたので良しとしよう。
30分後の次の列車も土曜日のためか混雑していない。
空港からオスロセントラルまでは23分。 |
2.オスロ |
9:06にオスロセントラル駅に到着。
駅前ではなぜか、虎がにらみを利かせていた。とりあえずは今夜のホテルに向かう。
ホテルに荷物を預かってもらって、9:30から街歩き。まずは、お約束のカール・ヨハン通りを王宮まで往復。
土曜日の朝の為か人も少なく、気分の良いオスロの第一歩を楽しむことができる。
街の様子や距離感を一通りチェックしてから駅前のRuter(観光案内所のような施設)に戻り、11:00スタートでオスロパス24Hを購入。
395ノルウェークローネ。(以後NOKと記し、2017年夏時点で、1NOK≒14円) 高いのに紙切れで、リスボンカードの様な土産的価値はない。
Ruter内部には写真のように、どの路線のバス(または市電)が何分後に、どの乗り場から出発するのかが表示されていて便利。
さっそく2分後の30番バスに乗り込み、まずはBygdoy地区のFolkemuseum(民族博物館)を目指す。
バス車内にも到着時刻案内の電光板があり、観光客も安心して乗車できる。 |
3.Norsk Folkemuseum ~ノルウェー民族博物館~ |
オスロ中心部から約30分で民俗博物館。
オスロパスを提示すると、入場料125NOKが無料となり、さっそく、5600円近い一日券を購入した効果を存分に発揮する。
民族博物館は、ノルウェー全国の文化を紹介しているが、ラップランド地方のサーメの紹介などが興味深い。
一度だけ会ったことがある、サーメに関心を寄せていた大学の先輩がいたが、彼はココに来たのかな?
ちなみに「ラップランド」は、日本では一般的な地域呼称だが、当地では、どちらかと言うと(ドイナカ的な)蔑称にあたるらしい。 |
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民族博物館には少し以前の地方の街並みや家の内部
(時々キャストがいて生活状況を演じている)、
商店やガススタンドが配置されている。
セーターはサーメ人の伝統的なデザインらしいが、
まぁ、東京でも普通に着こなすことが出来そうである。
日本人的感覚では、1960年代くらいの生活レベルの
印象だったが、どうなのだろう? |
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ここでは一定時間ごとに民族舞踊の公演も行われているのだが、それは後日の報告としよう。
博物館の敷地は広く、丘の上に教会がある。 |
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800年くらい前に建造されたという木造の教会で、
19世紀終盤に北部の村からオスロに移転されたらしい。
道標を探すと「Stavkirke」とある。
ノルウェー語もドイツ語と同じで、複合語は長くなるようだ。
20mほど先から小道が登りになっているので、まちがいは無さそうだ。 |
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ノルウェーの世界遺産にフィヨルド地方ウルネスの木造教会があるのだが、これはその弟分といったところか。
オスロから手軽に行けるので、あなたがノーベル平和賞をもらうことになったら、ついでに行くと良いと思う。 |
4.コンチキ号 |
コンチキ号という船の名前は、御存じだろうか?
この船は、ポリネシア文明の起源を実証するために、ノルウェーの人類学者ヘイエルダールが第二次世界大戦直後に建造した、冒険船である。
船というよりは、イカダといった分類に入りそうだが、ともあれ近くに展示されているので行ってみた。
気候も良かったので民族博物館から歩いて行ったが、そこそこの距離があり、バスに乗る方が正解である。
コンチキ(コンティキ)号は、ネット上でも解説や写真があふれていてご存じの方も多いと思うが、ヘイエルダールの探検の第二弾として、
アフリカ大陸から南米に向けて大西洋を横断したラー二世号も展示されている。
コンチキ号博物館の入館料100NOKもオスロパスで無料。
内部には、ポリネシアから持ち帰った文物やモアイ象の模型なども突っ立っていて怪しい。
そう言えば、入口のところのバス乗り場にも、何やら巨大なモアイが立っていた。
その隣が、極地観測船のフラム号がゴロっと収納されているフラム号博物館である。
ここの100NOKもオスロパスで免除。これでだいたい、投資額は回収した。
フラム号はまずは北極海の探検に用いられたが、後にアムンゼンに譲られて、人類初の南極点到達に貢献することになる。
あまり知られていないかもしれないが、日本の白瀬隊長率いる南極観測船の開南丸が、南極大陸から逃げるように出立したのは、
このフラム号の慌ただしい出発に触発されたためとも言われている。
しかし、、、開南丸と名付けたのは、かの東郷平八郎だそうなのだが、「海難」と音が同じなのに、、、よくぞ名付けたものである。
それを言えば、今の日本も元号は「平成」だが、音が同じ「弊政」は、「政治が悪く民衆が苦労をする」という意味なので、
みんな名づけには無頓着で、よもやその因果ではなかろうが、名前通りの運命を受けているのかもしれない。 |
5.オスロ シティーセンター |
ここからシティーセンター行のフェリーが出ているようなので、時刻をチェックすると、さほど待つ必要がなさそうである。
実はオスロは湾の対岸なので、バスで再び陸地をグルっと回るよりは距離も遥かに近い。
料金は、乗り場で買えば40NOKで、船内で買うと60NOKだそうだが、乗り場の切符売り場は開いていなかった。
もっとも、例のオスロパスならこういった交通機関は無料になるので、私としては、どうでも良かったが。。。
船内でパスのチェックを受けながらサクっとシティーセンターに戻り、ノーベル平和賞にちなんだ平和センターや、オスロ市庁舎をチェックしつつ、
いったん駅前に戻る。駅前から、バスで国立美術館。
ノルウェーの著名人にムンクがいるが、ここには有名な「叫び」が展示されているが、私にはムンクは理解が難しい。
ここに展示されている有名な作品でも、モネやゴーギャンはもちろんとして、まだピカソの方が理解ができる。
ここも無料で観覧し、バスで駅前に戻りって、ようやくホテルにチェックイン。
宿泊したシティーボックス・オスロはまったくの全自動仕様で、チェックインは自動機に予約番号などを打ち込むとルームキーが提供され、
そのカードでホテルの管理エリアにも入ることが出来る仕組みだった。
簡単な英語さえ読めれば大丈夫なので楽なのだが、このシステムのために、今朝方に荷物を預ける際は、
他の宿泊客が出入りするタイミングを狙ってホテルに不法侵入し、スタッフにアクセスすることになった。
いったんホテルに戻って、体内時計微調整用に仮眠してから夕食に出かける。 レストランのチーズバーガーとペプシで232NOK。
欧州のハンバーガーは、日本でのそれよりは夕食っぽいが、それにしても3000円以上というのは、北欧ならではの物価である。
食後にコンビニでドリンクとヨーグルトを3点だけ買ったが71NOK。 ちょうど1000円くらいか。
牛乳かと思って買ったのだがチョコレート系ドリンク。ヨーグルトは、なかなか品質が高かった。
ノルウェー含む北欧の平均年収は日本の2倍近くだが、所得税率も40%以上だし、消費税率もレシートの表示を見る限りでは
25%(持ち帰り食材は15%?)なので、生活は楽なのだろうかと危ぶんでしまう物価の高さである。 |