3日目(5月02日) |
1.早朝エイティガールと職人街 |
朝食を手早く済ませ早朝のエイティガールを襲撃。早朝と言っても9時過ぎなのだが。。。
新疆時間では7時過ぎだし、経度で言えば6時くらいに当たり、太陽は昇ったばかり。あぁ、ややこしい(^.^)
昼は賑やかなエイティガールの周りは誰もいなかったが、鳩が元気に闊歩している。 こいつらは、食われる心配は無いのかな?? |
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空は黄色い。
昨夜21時頃に風が強くなって雨が降りそうだったのだが、
結局のところ降雨は無く、しかし空も地面も少し砂っぽい。
ここはタクラマカン砂漠の西端に位置するから、
時折は砂嵐が来るのかもしれない。 |
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エイティガールから職人街に続く道は幅が広くて整然としている。 「千年古街」と言うらしい。
多くの日本人は誤解しているが、ここに限らず中国の道は綺麗に保たれている。
地方政府が雇ったっぽい清掃員が活躍していることもあるが、例外を除き生活者の意識も低くは無い。
日本旅行をした中国人が「日本は道にゴミが一つも落ちていないので感動した。」と述懐していると言う話が多く出回るのは、ちょっとウソ臭い。
職人街と呼ばれている通りを抜けて、ホテルのある大通りを目指してみる。
歩行街になっていて、木工職人や銅器の加工職人が歩道にはみ出して作業しているところを見る事が出来るのだが、何となく観光通りになってしまっている。
麗江でも見かけたようなギターっぽい楽器のほかに、いかにもシルクロードを連想させる形の弦楽器も売られていた。
飛行機で持って帰るのは大変かな?? |
2.街の偶像 |
街には様々な銅像が立っていたり、壁絵が描かれたりと、観光客向けと思われる趣向が凝らされている。
イスラム教と言うと、どうしても偶像崇拝を禁じているイメージが強いのだが、崇拝の対象ではない一般の人々の像や絵は、問題がないのだろうか?
街の中心とも言える人民広場の対面で手を掲げている首席像は崇拝対象として設置されているのだが、
カシュガル人口の90%を占めるウイグル族(ほぼイスラム教徒)は、どう感じているだろう? |
3.アパク・ホージャ墓(香妃墓) |
ホテルの近くから20路のバスに乗ってアパク・ホージャ墓に向かう。
この20路もルート変更があったようで、直近の百度地図でもホージャ墓行きになっているが、ホージャ墓の近くを通過して鉄道駅に行くようになっていた。
しかもバス停名やアナウンスに「アパク」とか「ホージャ」という言葉ではなく「香妃墓」。
発音は「シャングイムゥ」と聞きとれたので、多少の心得が有れば香妃墓と判るが、欧米人には厳しいだろうなぁ。 |
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アパク・ホージャ墓はタージ・マハルにも似ている。
同じ文化が源流だから当然か。
内部には棺桶が並んでいたが撮影禁止。
別の棟にはイスラムの祈りの場所がある。
敷地外には一般墓地が並び、観光ラクダが待機しているなど俗っぽい。
香妃墓には庶民のものと思われる墓地が、併設されていた。 |
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4.鉄道駅とバスターミナル |
再び20路に乗って、終点のカシュガル駅を覗きに行くことにする。
本来であれば、カシュガルは今回の様に飛行機で一気に飛んで来るのではなく、ウルムチから鉄道で目指してみたいところである。
もしくは南疆経由のバスで、タクラマカン砂漠を越えてくるような旅にもあこがれてしまったりもする。
もっともバスだとウルムチから24時間を要するので、やはり2時間でサクッと飛んでくる方が楽かもしれない。
ともあれ香妃墓から15分くらいで鉄道駅に到着。
が、駅に近づく手前に身分証かチケットを確認している風なゲートがあったので、駅舎の写真を取るのはやめることにした。
終点の鉄道駅の一つ手前のバス停は、幾つかある長距離バスのターミナルの一つである。
鉄道駅で敵前逃亡したので、せめてこちらくらいはチェックしておこうと徒歩で戻ってみた。
カシュガル汽車客運枢紐駅。公安の車が停まっていたりして、少し警備が物々しく感じたが、それは鉄道駅も同じ。
時々、ウイグルと漢民族で衝突が発生しているから、緊張感が有るのかもしれない。 |
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ここから再びバスに乗って中心部に戻ることにするが、待たされることなく20路便が来る。ヨーロッパだとこうは行かない。
目的のバスに乗るためには時刻表を確認しておかないと30分は待たされるハメになる。
やはり人口が多いと、なにかにつけ便利なシステムを構築しやすいようだ。
しかし、午後になっても空がスッキリしない。 ロケーションから考えても、公害性のPM2.5ではなく、砂嵐の影響と言ったところだと思う。 |
5.カシュガル老城 |
20路バスで街に戻る途中に、老城の裏側の入り口が有ったので途中下車。
それっぽいゲートもあるし、街の看板もあるので、こちらが表玄関なのかもしれない。
ちなみに老城は、城址という意味合いではなく、「古い街並み」と言った意味になる。
中国沿岸部ではもっぱら「老街」と表現しているのだが、ニュアンスは同じ様なものだろう。 |
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私は街並みに対する造詣が深くないので、なんだかアラビア文化の
街並みの様に見えてしまうのだが、各々に違うのかな?
トルコとは少し違うし、ドバイとも異なる気がする。
材料が同じだからか、街の色が統一されているのも
一種独特な印象を受ける。
甕や鉢を扱っている店などは、商品までもが同じ色合いだ。 |
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老城を外から眺めてみると、内部に居る時には気付かなかったが、チャッカリと中華風の塔を立てている。
城壁っぽい壁は最近になってから工事をした様に見える。 |
6.街の食 |
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街には食べ物が溢れているが、良く見るとバリエーションは多くは無い。
まず目につくのが「ナン」と呼ばれるパンだが、インドのナンとは別物の様だ。
果物も売っている。 瓜系のほかは桃(日本のとは違う)やリンゴなどが多いかもしれない。
イキナリ出くわすと、ギョッとするのが「羊の吊るし切り」である。
さらには、路地に不用意に踏み入れた際に、地べたで喉首をかっ切られ、
内臓を摘出されている最中の羊を見た時は、異文化を痛感した。 |
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7.マーケット |
ほとんど丸一日、歩き続けたので、16時過ぎに一旦ホテルに戻る。
部屋に入ろうとしたらカードが反応せず、それを見ていた掃除のお姉さんが掃除用の全室対応型カードで開けてくれたが、問題は根本的に解決していない。
カメラを一眼レフからコンパクトに持ち替えて一階に降り、ルームカードをフロントで再設定してもらうが、もう英語でコミュニケーションを取るのは諦めた。
ついでに昨夜は貰えなかった明日の朝の分の朝食券をもらったが、こういう仕組みなのだろうか??
(ルームキーを毎日再設定する必要があり、その際に翌朝の朝食券を渡すのが基本?) |
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これだって、最低限の中国語を話せないと要求できなかったわけだから、
中国辺境の旅はナカナカに厳しいが、それでも数十年前よりは
遥かに遥かに楽になっているのだろう。 |
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徒歩10分なので三度エイティガールに足を運び、三度目の正直で入場。
(一度目は早朝で開いておらず、二度目は祈りの時間とぶつかったらしく、続々と教徒が入場していたので遠慮した。)
45元もする癖に中はショボい。
チケットには「老城維持」が目的と明記されており、かつ老城の入域費も含まれていて三日間有効となっているので、私の行動に噛み合っていて納得である。
夕刻が近づいてきたので、またまた居住民と一緒に揺られながら、路線バスで市場に向かう。
(一回一元なので、本当に気軽に使える。)(しかも待たされることなくすぐに来る。)
バス停名は「両亜市場」(これらの文字は、日本の文字とはほとんど異なる)。
ここは日曜バザーの会場にもなっていて、昨夜は大混雑しているであろうことから来なかったが、月曜日の夕方もナカナカの活況であった。
イスタンブールのグランバザールの様相で面白い。
が、何かを買いたいと思う程そそられるものは無く、『土産も空港で良いや』と思ってしまう。 どうも私は物欲がなく、購買意欲も乏しいのが欠点である。
夕食後に人民公園を散策してからホテルに帰還。
21時前後でも太陽は18時くらいの位置だから、空は明るく、公園の池では子供たちが水遊びをしている。 |