2日目(8月09日) |
1.インディラガンジー空港の朝 |
激しくひどいホテルだったが、昨夜依頼しておいたタクシーはキチンと手配してくれた。
4時半出発と言っておいたのだが、3時50分に最初の電話がかかってきて、「10分くらいで下りて行く」と告げたら、こんどは4時に再びの電話。
(私としては、この対応は、まったくの許容範囲内だ)
今回の運転手は無口で、私好み程度にそこそこ強引でスピーディーな運転ぶり。
駅前から約25分で国内線空港に到着した。 この運ちゃんにはRe50のチップを渡す。
問題のレー行きは、ON TIMEで何の異変もなく、まったく平常にチェックイン作業が行われていた。
ジェット・エアウェイズは、もう一便前にもレー行きが飛ぶが、それも5分程度の遅延の様である。
日本で目にした報道が過剰だったのか、とにもかくにも、案ずるより生むが易しである。
飛行機で朝食が出るとは思ったが、空港で軽く腹ごしらえ。
Re500札を細かくしておきいという事情もある。 サンドとコーヒーのみRe240は、インドでは高いと思う。
インドはどこでもそうだと思うが、ここのセキュリティーチェックも厳しかった。 セキュリティーエリアの内側は広々としていて快適に過ごせる空間だ。 |
2.ラダックに飛ぶ翼 |
チェックインは平常だったが機内は異常。
いや、特に何かがあったという訳ではない。
ただ、このシーズンのデリー/レー線は非常にチケットが入手しづらいというのに、機内は空席がちだった。
ざっと見たところ、乗機率30%程度であろうか? 後に聞いたところ、前日の別の人気便(キングフィッシャー)の乗客は5名だったそうだ。
きっと洪水報道で、キャンセルが相次いだのだろう。
そんな訳で、機内サービスも迅速で、乗って間もなく朝食が出てきた。
食前にウェルカムドリンク(100ccくらいの小さなボトル)も出てきたりと、二時間弱のフライトなのにサービスは良い。
さて、ラダックについて簡単な記述を。
ラダックとはインドのジャンムー・カシュミール州周辺の、ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に挟まれた一帯を指し、チベット文化圏に属する地域を指す。
ラダックはインドに存在するため、文化破壊が進んだ中華人民共和国のチベット自治区よりも、チベットらしい古い文化が良く残っていると言われている。
今回向かうレーは、その中心都市なのだ。
雲が多く、十分には下界の様子は判らなかったが、それでも時折雲が晴れて、左の写真のように白い山が見下ろせた。
このあたりからすぐ東側は、アクサイ・チンと呼ばれる、中国との国境不確定地帯である。
レーが属するジャンムー・カシュミール州は北西部でも、パキスタンと国境不確定地帯で睨みあっており、なかなか大変な一帯なのだ。
ちなみにインドは、中国には弱く、パキスタンには強い。印パ戦争は、私の認識では、常にインドが勝っている。
その報復が、インドで単発的に発生するテロだと疑われ、そのせいでインドは、明らかな旅行者に対してすらもセキュリティチェックが異常に厳しい。
国内線でも飛行機に乗機する場合はもちろんのこと、デリーの地下鉄に乗る時ですら、金属探知機をくぐってボディーチェックを受ける。 |
3.レー潜入 |
飛行は順調だったようだが、着陸態勢に入ってから、随分ともたついているように感じられた。
我が9W1609便は、7時45分の到着予定だったのに、着陸したのは8時15分くらいだ。 デリー出発は定刻より早いくらいだったのに、30分も遅れている。
臨時便が増発されたと後に聞いたが、その発着が影響したのだろうか?
飛行機を降りてすぐにバスに誘導され、5mほどの坂を登るだけで空港の小屋に到着する。
建物に入るとすぐに、外国人には入域許可証?(入域届け)の記入票が手渡されるのだが、これが細かい。
パスポートNoはもとより、ヴィザの発給日から期限日、レーでの宿泊先まで書かされる。 出たとこ勝負なのに、そんなこと決めていないって!
建物から出ると、2~300人以上がチケットカウンターに並んでいる。
たぶん、一昨日までは飛行機が飛ばず、未だ陸路は遮断されているので、新規・変更の航空券を求めての列だろう。
タクシーが見当たらなかったので、徒歩で街に向かうことにした。
街まで5km程度なので、天気さえ良ければ元々そのつもりだったのだ。 タクシーは、キチンと探せばいたハズである。
少し埃っぽい道を3kmほど北東に向かうと、街のハズレっぽくなってくる。
一軒の店でミネラルウォーターを求めると、「売り切れた」と言われる。これも、被災地っぽい体験のひとつかもしれない。
代品としてSODA水を買い求めた。 少し強めのスパークリングウォータだと思えば、けして飲めなくはない。
Y字路にある大きなマニ車を左手に眺めながら、ここを左(北)に向かえば街への最短距離だということは判ったが、東側(標高が少し高い側)から、
街全体の様子を眺めようと、右の道を進んでみた。
やがて道は真北に向かい、その辺りから街の異変が明確になってくる。
洪水と言うよりは、土石流にやられた感じか? 谷あいの狭い部分が細長く破壊されている感じである。
全体がどっぷりと水に浸かるには、傾斜があり過ぎて無理がある。
後に聞いたところでは、ここよりも少し南にある、チョグラムサルでの被害が大きかったらしい。 インダス川の源流に近い方向である。
メインバザールを北上すると、街のシンボルとも言える、旧レー王宮が見えてくる。
築500年?
ラサのポタラ宮は、この王宮をモデルにしたというから、こちらの方が本家である。
しかし、その頃の、レーとラサの往来は、どれくらいの時間がかかっていたのだろう? 厳しい旅だったと推測される。
街の中心部は平静な感じを受けた。
イスラム寺院(ジャマー・マスジット)の前等に救援本部が設けられ、協力者を募っていたが、二日しか滞在せず、言葉も通じない私には出番がない様である。 |
4.王宮跡とツェモゴンパ |
空港到着時の入域届けには、安宿で評判の良いオールド・ラダック・ゲストハウスの名前を書いたが、
短期間の滞在だったし、高所で水シャワーは勘弁なので、ヤク・テイルという綺麗なホテルに殴りこんだ。
とりあえず予約なしで大丈夫だった(洪水の影響か?)。
素泊まり一泊Re1200。 レーでは高級な部類だろうが、日本円で2500円弱である。二泊で5000円。 拠点は確保した。 |
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さっそく荷物を置いて旧王宮へ。
ジャマー・マスジット前からオールドレー(旧市街)の小道を抜け、
途中から山道っぽくなる斜面を登って15分くらい。
天気もそれなりに上々。
旧王宮からはレーが良く見下ろすことが出来、吹き抜ける風も気持ちがいい。
王宮までは反対側から車道もついていた。
その途中からツェモ・ゴンパに登る道が延びている。 |
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標高差200mくらいだろうか?
多分、上部で標高3600mくらいで、富士山頂より少し低いくらいか? 原則的には、到着直後に歩き回るという私の様な行動はとらない方が安全である。
デリーから標高3300mのレー空港にイキナリ飛んでくるので、高山病の症状が出る人も少なくないのだ。体調にもよるので、過信も禁物か?
私はアフリカでも南米でも、4500mくらいまでは全く平気だったので、無頓着に走り回っているが。。。
ツェモ・ゴンパのすぐ脇に、同程度の高さの小山があって、チベット風の旗タルチョが風になびいている。
ここは人も来ないので、ゆったりと遠望したり、下界の風景を楽しむことが出来た。
ツェモ・ゴンパからは西側のシャンティ・ストゥーパーが良く見渡せ、遠くの雪山やレー盆地全体の展望も素晴らしい。
ツェモ・ゴンパにはRe20を払って入域。 チケット売りの僧と、ツーショットで写真を撮らせてもらったりもした。
さらに上の方に朽ちた旧ゴンパがあるらしく、老人が歌いながらマニ車を回している。 再びRe20を出し、その老人に渡して中に入る。
見どころと言うものでもないが、奥の奥まで来たという感慨はある。
そこに日本人男性が一人立っていた。やはり独り旅で、昨日からレーに入っているHさん。
少し話した後、明日、二人でタクシーをシェアして、ゴンパ巡りをする計画を立てた。
洪水の影響でバス便がすべてSTOPしているらしく、タクシーなら迂回路も知っているだろうし、行ける所だけでも行こうということにした。
車の確保は、Hさんが宿にあたってみると言ってくれたので、明日の朝の待ち合わせ場所を決めて、ひとまずはお任せする事に。 |
それからしばらくの間、
爽やかなラダックの風に吹かれて静かな時間を楽しみ、
オールドレー(旧市街)を抜けて宿に帰還。
車の中で子供たちが遊んでいる。
カメラを向けると笑顔を作ってくれるが、
世界中どこでも、男の子はやんちゃで、女の子はおませだ。 |
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5.シャーンティ・ストゥーパ |
宿近くの、ハッピーワールドというレストランでフライドライスな昼食をオーダー。 先ほどのHさんとも偶然に再会。
やはり洪水の影響か肉類がないらしく、メニューはベジタリアンな選択肢しかなかった。
おそらく、普通の食材は陸路で仕入れており、四方の道が遮断された今、レーは軽い食糧不足に陥っているのだろう。 |
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昼食後は、その足で、
旧王宮からも良く見えたシャーンティ・ストゥパーを目指した。
徒歩20分くらいで麓のゲートへ。そこから延々と階段が続いている。
いつもならトレーニングを兼ねて駆け登るところであるが、
ここは標高3000mの世界なので、それは自制し、一段一段踏みしめる。
午前中よりも天気が良くなってきているのが嬉しい。 |
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山頂近くに東アジア風の寺院が建ち、てっぺんはチョルテンと、いうか、仏舎利塔が聳えていた。
なぜかその周囲に、チベット人のテント村が出来ている。
巡礼者かなぁ、とも思うが、洪水から逃れてきた人たちかもしれない。 |
子供たちが多く遊んでおり、楽しげな笑い声が絶えない。
やはり避難者ではなく巡礼者か??
いずれにせよ、水や食料の運搬が大変だろうに、
なぜにこんなに高い所まで??
いや、トイレはどうしているのだ??
遠くには雪を残した山なども望め、
一種独特の色合いの、不思議な世界が広がっていた。 |
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一旦宿に戻り、暗くなってから、再びのハッピーワールドへ。 宿から近いし英語メニューも有るので利用しやすいのだ。
昼食が遅く、ボリュームもあったので、夜はチベット風ウドンと言われるトゥクパ。
やはりベジタリアンしか、オーダーは受け付けてもらえなかった。 スプライトをつけてRe90.
180円くらいで食べられるのだから、肉が入っていないなど贅沢は言えないなぁ。。。
先述したように、レーでは上級レベルのホテルに投宿したが、夜は頻繁に停電した。
瞬断は頻発、長い停電も発生し、ゴンパ探検用の懐中電灯が活躍した。 ここでは、デスクトップパソコンは使えないな。
日本との時差3時間30分は苦にならないが、昨夜は睡眠時間が確保できなかったうえに、3時50分から電話で起こされていたので、今夜は早めに就寝。 |