2日目(5月02日) |
1.ハノイの朝 |
ハノイの朝は何と言ってもホアンキエム湖の湖畔から始まる。 ホテルから徒歩10分強で4年ぶりのホアンキエム湖。 |
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湖のまわりでは相変わらずウォーキングをする人や、
中国風に集団で体操をする人で混雑している。
マレーシアは太極拳風だったが、
ベトナムではもう少しラジオ体操程度の身体の動きである。
マレーシアでも、ここハノイでも、
早朝に運動している人は全体的には高齢者の方が多い。 |
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時間的な余裕なのか、やはり健康管理に対して真剣味が増してくるからか、、、ベトナムの平均寿命は日本のそれより15年近く短い。
ホアンキエム湖からはホテル方向にハンガイ通りを一直線。 途中からハンボン通りと名前を変えるが、6分少々で見覚えのあるところに出る。
路上では自転車やベトナム名物の天秤竿での物売りが繁盛している。
私は政治に疎いので、理科が困難なのだが、ベトナム戦争では米軍側が敗退したのに、ベトナムでは日本以上に商売が自由に行われているように見える。
国営博物館などの公共施設もブライダル写真の撮影場所として商売していたし、、、その収入は国庫に入るのかもしれないが、
路上のオバチャンや、観光客相手のツアーやオープンバスの発達ぶりをみると、自由経済の成功例のようにも見えてしまうのは誤解だろうか??
(成功例と言っても、独立系企業や株式市場がそれほど発展していないが、それはきっと別問題だろう) |
2.シンカフェの迎え |
ホテルには8時にツアーの迎えが来ることになっていたので、7時35分に戻って、そのまま一階のロビー兼レストランで朝食を摂ることにした。
ところが、パンと玉子焼きが運ばれてきて、手をつけた途端にカフェの迎えが!
「えぇー、まだ7時40分ジャン!」と思ったが、恐らくは表のバスには他の客が乗車して待っているのだろう。
迎えのお兄ちゃんに「2分だけ待って!」と叫んで、目玉焼きだけを平らげ、パンを半分もいで部屋に駆け戻り、準備をしていたバックを抱えてチャックアウト。
ホテルのお姉さんにも慌ただしい思いをさせてしまった。
バスに行くと、まだ一人も乗客が乗っていない。
『それなら、あんなに急ぐ必要もなかったのに』と思ったが、今となっては仕方がない。
9人乗りくらいのミニバスで路地を回って客を集めたが、まだ準備ができていなかったのか、随分と待たされた揚句に、先に別のホテルを回ったりと、
なんだか手際が良くない。
結局、8時10分くらいに9人全員をかき集めたバスはホアンキエム湖北東側の駐車場へ。
ここで、40人乗りくらいの大型バスに乗り換えると、すでに20人以上が乗車していた。 しかもその半分以上はベトナム人らしい。
日本でも外人相手のはとバスツアーに日本人客が増えてると聞くが、ベトナムでも英語ツアーにベトナム人が参加するケースが増えて来ているのだろうか?? |
3.ホアルーへ |
ともあれ、バスは雨のハノイを出発し、国道1号を南下してニンビンを目指す。
ハノイを出発して20分ほどで、お茶兼、朝食兼、トイレ兼、土産物の店で30分の休憩。
後日にホーチミンで参加した日本人向けツアーでは、出発後1時間のトイレ休憩が待てないで、途中のガソリンスタンドでトイレに駆け込む人がいたから、
この出発後20分で休憩というのは、間抜けなようで適切なのかもしれない。 私もドリンクを仕入れることにした。
25分くらいでバスの周りに乗客が集まり、9時ちょうどくらいに本格的にスタート。
バスは2時間くらいでニンビンから国道を西にそれてホアルーへ。なんだか風景が桂林っぽい。
昨日見たツアー要綱によると、ここで二つの寺院を見学することになっているらしい。
実は、西暦1010年に、ここホアルーからハノイにベトナムの首都が遷され今年でちょうど1000年になる。
このため、このホアルーとハノイでは、遷都1000年を祝う共通の垂れ幕を何度も目にした。 |
4.タムコック |
ホアルーを出発しようとしたら、フランス人母子をはじめとする何組かの家族が、「サイクリングはどうなったの?」と騒ぎ出し、ツアーの集団は分裂して、
2/3がバスに乗ってタムコックのレストランへ、1/3がホワルーに残ってサイクリング。
先発の一行は、せっかくの景色のホアルーを楽しめない猛烈なスピードで疾走するバスでレストランへ。
同席したハンガリー人母子の母が私に、「デジカメの調子が良くないの」とカメラを差し出してきた。
もちろんカメラは日本製。 状況から露出機工のトラブルだとあたりがついたが、修理は出来ない。
暫定対処として、マニュアルで調整調整を試みるも、表示されるガイドがハンガリー語?なので四苦八苦。
なんとか、露光を”-2”にセットして試し撮りをしてみると少しましになったが十分ではない。
レストラン店内の撮影は、少し過露光気味なものの見れるようになってきたが、屋外の明るさだとホワイトアウトしてしまって写真にならない。
そうこうしている内に大量のベトナム料理が運ばれてくる。
どれも美味しかったが、ハンガリー人母子は、フライドポテト(欧米風)がダントツで気に入った様子である。
食後、意味もなく、かなり長い時間、レストランの前で待たされる。
どうやら、サイクリング組が到着し、彼らが食事を終えるまで放置されていたようである。
最初からその説明があればレストランを離れてタムコックの街の探索に出かけたのだが、何の説明もないので結局、一時間くらいは意味が判らないままに、
時折レストランの様子を見に戻りながら半径200m以内くらいを歩くことしかできなかった。
やはり、このツアーは本家シンカフェの企画ではないのだろう。
価格や内容に差異がなくとも、こういった際の気配りに、一流と紛い物の差が出てくるのだ。
ボート乗り場には大量のボートが待機している。
特にボートにとっての待機順位はないように見えるが、稼ぎたい人は積極的に客を引き、そうでもない人はノンビリ構えているのだろうか?
いずれにせよ混乱もなく、チケットを手にした客はテキトーにボートにばらまかれていく。
ここで私は、例の、ホワルーでサイクリングを主張したフランス人母子と同乗。
先ほどのハンガリー人母子といい、お母さんと子供一人の参加が他にも目立った。 お父さんは仕事なのかな??
地球の歩き方によると、”タムコック”とは3つの洞窟を意味するとのことで、確かに途中、3か所くらいの洞窟をくぐりぬけたが、”3”を意味するベトナム語は
「バー」であり、一方、ベトナム語の「タム」は数字の”8”を意味する。
本当は、舟で通らないところも含めて細かく数えると、洞が8個ほどあるのではなかろうか?? |
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とりあえず一時間ほど手こぎ舟は上流(流れが緩いので良く判らないが)に遡り、
物売りボートが待ち構えている流れ溜まりで折り返す。
私は個人的に、こういった場所では絶対にモノは買わないが、
フランス人母子は息子に玩具や駄菓子を買ってあげていた。
風景は気に行った。
ここはベトナムで「陸のハロン湾」と呼ばれているらしい。 |
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しかし、ハロン湾は世界では「海の桂林」と呼ばれている。 と、するとタムコックは言い換えると、「陸の海の桂林」なのか? なんだかややこしい。
当初の案内より一時間ほど遅れて帰路につき、(多分、その影響もあって)渋滞にも巻き込まれ、19時過ぎにハノイのホアンキエム湖に帰還。
ここから外人客はミニバスでホテルまで送ってもらえる。
が、私はそのまま統一鉄道で南下する予定だったので、「駅まででも送ってくれるの?」と訊ねたら、答えは予想に反して「ノー」だった。
「ホテルオンリー」だという。
ハノイ駅のすぐ近くのホテルに宿泊している客もいるのに融通が利かない事である。 やはり、本家シンカフェとは接客姿勢が違うのだ。 |
5.統一鉄道は深夜に南下を開始する |
バスに断られたので、徒歩でハノイ駅へ。
夜道は安全とは言えないが、人通りも多いしハノイの中心部は歩きなれているので問題ない。
15分で駅につき、軽く食事を済ませた後は作戦通りに駅横のホテルマンゴーに殴りこんで「2時間だけ部屋を借りたい」と申し出てみた。
南下する列車だけではなく、4年前に乗車した、中国国境のラオカイに向かう列車も深夜発なので、こういった希望をする人は珍しくないと思うのだが、
ホテルのオバサンはなかなか意図を介せず、列車のチケットを見せてようやく理解を得た。
が、「2時間でベッドは使わずシャワーのみを使用する」といってもまずは一泊料金を提示してくる。
交渉の末、一泊270,000ドンのところが200,000ドン。
私が200,000ドンで了承すると、ホテルオバサンは”やった顔”をしたが、まぁ、ホテルにとっても20時半から22時半まで部屋を使われると、
次の客を受け入れる機会を逃すから、私としても納得である。
ベッドは一切乱さなかったが、シャワーを浴び、ウェルカムドリンクを戴き、下着を廃棄させてもらう。
22時45分にサイゴン行きの列車に乗り込んだが、出発は見事に定刻通りだった。 |