2日目(12月27日) |
1.バルセロナ 朝散歩 |
バルセロナは東経2度に位置するが、ロンドンに一時間先行するヨーロッパ大陸標準時に合わせているため、フランス北部ほどではないが夜明けが遅い。
津軽海峡と同程度の緯度にあるので、冬至から一週間と経たないこの時期だと、午前8時を回るころに、ようやく朝日の恩恵に授かれるという感じである。
それを待って、まずは朝散歩。 昨夜チェックしておいたスーパーマーケットやコンビニ(っぽい店)は開店していない。
15分ほど散策して、朝食をやっているカフェを発見♪ 私はなんだか、朝っぱらからヘビーなものを注文してしまった。
食後も散歩を続行。 ホテルはフランサ駅近くでマリーナからも至近の距離にあったために、朝の海岸散歩は楽しかった。
椰子の木などの植え込みも多く、マリーナにはおびただしい数のヨットが停泊し、いたるところに怪しげなモニュメントが林立する。
そう遠くないところに、有森裕子や森下広一が駆け登ったモンジュイックの丘が聳えている。 |
2.Barcelona Bus Turistic 1 |
一旦ホテルに戻った後、間髪いれずに再出撃し、ホテル近くのメトロ駅で一人1.35ユーロの切符を買ってカタルーニャ広場へ。
このあたり、ストリートビューで予習をしておいたので困惑は無い。
地下のインフォメーションセンターで、お一人様21ユーロの、バスツアーチケットをゲット♪
ツアーと言ってもガイドがいたり、見学場所が定められているような代物ではなく、一定のルートを高頻度で巡回するバスに、いつでも自由に乗降できる
一日乗車券であり、それも赤ルートと青ルートの二路線があって利便性に優れている。
我々はまず、広場から赤ルートに乗ってカサ・ミラまで行き、そこから徒歩でサグラダ・ファミリアを目指した。 |
3.サグラダファミリア教会 |
午前11時にサグラダファミリア教会に到着すると、入場券を買い求める長蛇の列が完成していた。
雲ひとつない晴天だし、年末だし、日曜日だし、観光者が集結する条件が整っているので想定はしていたが、この列に並ぶ気にはなれなかった。
バルセロナに何日も滞在するとか、ここだけを重点的に見たいのなら別の判断もあったが、我々は明日にはフランスに向かうし、
今日は出来るだけ多くを見て回りたかったので、サグラダは外観だけで満足することに決定。
広く知られているように、この教会は19世紀から20世紀初頭にかけて活躍した建築家、アントニ・ガウディーが起工2年目から建設を引き継ぎ、
128年近くの歳月をかけて工事が続けられている教会である。
その間に世界は第一次大戦(スペインは参戦していない)と第二次大戦を経験し、スペイン風邪(※スペインが情報発信源になっただけで、実はアメリカ起源)
が流行し、バルセロナでもオリンピックが開催されたが、そんな雑事とは関係なく工事が愚直に進められている。
と書くと、この教会が特別なように思われるが、実はヨーロッパには建設に500年以上も費やされた教会も複数あり、日本とは建築スパンに対するセンスが
異なるのかもしれない。 |
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教会そのものはイメージ以上の重厚感が感じられ、
現代の直線的な建築物とはまったく異なる面白味があるが、
どこまでがガウディーの構想通りで、
どこからが後任(何人いるのだろう?)の
思想を取り入れているのか興味深い。
時計回りに教会を一回りしてみた。
裏側に小さな公園があり、
混雑を避けてじっくりと対峙することができる。 |
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裏側からみた塔にはSOSなる垂れ幕が下がっている。 恐らくは建設費用の支援を呼び掛けているのであろう。
私も入場料(8ユーロ)という形で建設に参加したかったが残念である。
まぁ良い。 200年後には完成する予定だということなので、完成したら再び訪れて、喜捨することとしよう。
※一説では、観光客の増加や工法の進歩で、完成が大幅に早まるという見通しも有る。
ガウディーは正面側を支えている柱の下に亀を配し、「ゆっくり建てよ」と言い残していたとされているのだから、
西暦2200年くらいの完成を目指しても良いと思う。 |
4.グエル公園 |
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グエル公園は市街地の北部に位置する丘の中腹に住宅地を造成しようとした、
ガウディーのパトロンのグエルの不動産投資の失敗の跡地と言われているが、
サグラダ・ファミリアや市街地を見下ろす彼方に地中海が広がり、
私が当時の当地の金持ちだったら暮らしてみたくなるようなロケーションである。
ガウディーも晩年の実父と共にここで暮らしていたようだ。 |
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60人程度の金持ちが食いつけば、この高級住宅街計画は成功するはずだったのだが、グエルとガウディーを除くと一軒しか購入者が現れなかったという。
やはり延々と坂道を登らないと帰宅できないという地理条件を金持ちたちが嫌ったのか??
入園料は無料である。
敷地内では大道芸人(少ないし洗練されているので許可制か?)が演じ、観光客があふれていたが、上にも横にも奥行きがあるためか息苦しくなく、
時間があればゆったりと楽しめる空間である。 本などを持ち込んで、丸一日を過ごすのも良いかもしれない。
内部にはガウディーらしい曲線に構成された構造物が溢れ、ここでの試みが後に、サグラダ・ファミリアに活かされたかなぁと思いが巡る。
そう、ガウディーは、この宅地工事の失敗後に、教会の建設に専念することになる。 |
この公園の建設が中断されたのが1914年。
ちょうど第一次世界大戦の火ぶたが切って落とされた頃だ。
先述したように、この大戦にはスペインは参加していないが、
経済的・思想的な影響が小さくは無かったのかも知れない。
現代なら成功しそうな宅地なのだが。 |
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それにしても、その時点でガウディー61歳。
現在の日本でも、経済的な事情が許せば隠居をしたくなる年齢である。
教会建設の為に半生を捧げ、専念するために?独身を貫き、後に73歳で事故死(建設費捻出の金策に走るなかで市電に轢かれた)するまで、
戦い続けた人生。
どこからその情熱が湧き出たのかが興味深いが、建設の進行と共にキリスト教への信仰も深まり、教会の完成にまい進する人生は幸福だったと信じたい。
一切の信仰心がなく、61歳になったら絶対に隠居したいと考えてしまう私は、後世に名前を残せそうにないが。(大笑) |
3.Comida(昼食) |
グエル公園から出てすぐの店で、スペインっぽい昼食。
実は好き嫌い皆無なのに99%菜食主義の相棒はサラダをオーダーし、私はスペインらしくミニパエリア♪ |
4.Barcelona Bus Turistic 2 |
食後は再び乗り放題のバスに乗車して、ティビダボ、サリア地区、ペドラスベス修道院やFCバルセロナの拠点のスタジアムなどを車窓ごしにパトロール。
フランセスク・マシア広場で、青ルートに乗り換えるべく下車をして、交差点にあったスターバックスで一休み♪
ウィーンのスタバはベンチを借用しただけなので、今回の旅での初スタバ♪♪
コーヒーメニューは日本と同じ様だが、豆乳(ソイ)はなく、トールより大きいサイズのみの品ぞろえ。
コーヒーに限っては、ヨーロッパ風よりアメリカ風が良いなぁと思いながら、お次は青ルートに乗車。
少し待たされて乗ろうとしたバスは、満席で乗車できなかったのだが、すぐにやってきた後続車はガラガラで、気分の良い物見遊山を継続することができる。
このルートはフランセスク・マシア広場を概ね南下して、サンツ駅、カタルーニャ美術館を通りながらモンジュイックに向かうのだが、
地球の歩き方'08-'09のルート図は、番号の振り方におかしなところがあるので注意を要する。
丘から南側に下る際は、地中海の眺めが最高に良いので機会があれば乗車をお薦めします♪
丘を下るとバスは東進してコロンブスの塔などを眺めながら、我々のホテルに向かっていく。
15時半に歴史博物館で下車してバス旅終了♪ 21ユーロの価値はあったかも♪♪ |
5.ゴシック地区 |
ホテルの部屋に一眼デジタルなどを投げ込み、少し身軽になって夕刻の街歩きに再出発。 滞在一日は忙しいのだ。
コロン通りの北側を西進し、雰囲気のある小道を北上して、伝統菓子で有名なカエルンへ。
スペイン土産の菓子類は、ここで十分にそろえることができる。 と言うか、目移りして困る♪
店を出てすぐのノヴァ広場?では、テントを張った骨董市が開かれていたが、私はもっぱら、傍に聳える教会の撮影に没頭。
その先にあるサンタ・カタリーナ市場も覗いて見たかったのだが閉じていた。 16時半を回っていたためか? 年末の日曜日だからか??
途中で簡単な食事と夜食の入手などを済ませながら、路地を抜けて19時くらいにホテルに生還。 |