4日目(5月04日) |
1.ボロブドゥールの夜明け |
ホテルにチェックインする際に指定を受けた午前5時にレセプションに行くと、まだ暗い中で10人くらいがうごめいている。
ルームナンバーを告げると、その場で支払うと思っていた早朝入場料金の115,000Rpは徴収されず、ついぞ出番のなかったマノハラ特製懐中電灯と
サンライズツアーのチケットがが支給される。
マノハラの宿泊客ではない様子のツアー客も、各々の宿泊先らしいホテルの車で集まってきていたが、彼らはこの場で集金されたのであろうか??
サンライズツアーのチケットを良く見ると、やはり右端に朝食券(正しくは紅茶・コーヒー&軽食とある)がミシン線でつながっている。
マノハラの宿泊客は、朝食を二回食えるということか??
案内に沿って小型バスに乗り、ボロブドゥールを遠巻きに四分の一周ほどしたら、早朝限定?の入り口である。
ここではさすがにチケットをチェックされた。
バスを降りるころには足元も十分に見えるようになってきており、インドネシア製懐中電灯は、その性能を試される機会がなかった。 |
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遺跡を登るにしたがって、朝もやの中に広がるジャワ島の原生林が遠くまで姿を見せる。
森の中からは怪しげな野生動物の声なども聞こえて熱帯っぽい。
思うのだが、この遺跡は単なる建造物ではなく、ピラミッドではないのだろうか?? |
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中心部は自然の丘を利用している様だから、ピラミッドとは呼べないのかな? テオティワカンのピラミッドはどうだっけ??
そんなことを考えているうちに、サンライズ撮影最適ポイントは中国隊やスペイン隊に占拠され、どこから御来光があるのかわからないままテキトーに、
明るい空が見えるあたりに陣を構える。 |
結局は、東に聳える標高2900m強のムラピ山の
山頂近くから太陽が顔を出したので、
これはさすがに御来光とは呼べないだろう。
多分、冬至の前後くらいに行けば、
もう少し低い目線からの日の出が望めるに違いない。 |
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ボロブドゥールは、ガッカリ遺跡にランキングされていることが多いが、日本からは比較的行きやすいロケーションにあるので、
ここに朝日を眺めに行くというのも、そう悪い旅行プランではない。 |
2.朝飯二人前 |
日も高く、温度も高くなってきたので、寺を下って、日本のODAも寄与した史跡公園を回りながら朝食を目指す。
ちなみに、ボロブドゥールの建造物エリアには、しつこくない売り込みガイドを除いては、特攻土産物屋の姿はない。
下に降りれば話は変わる。
椰子の木を見上げていても、MUSEUMの写真を撮っていても、木々の間から垣間見えるボロブドゥールを振り返っていても、彼らはやってくる。
先にも書いたように、私は彼らを否定するものでもないが、彼らから買う物も無い。
敷地境界付近に陣を置く最後の土産物売りを振り切ったら、部屋には戻らず、遺跡が望めるレストランで朝食をむさぼった。
先述のように朝食券を(朝食権?)を二倍得たので、まずはジャワ風朝食を食した後に、アメリカンスタイルでブレックファーストも遠慮なく頂戴する。
少し冷めたコーヒーも飲めるが、すべてセルフサービスで、スタッフらしき姿は見えない。
敷地境界の土産物売りだって、こっそりと腹を満たすことが出来そうである。
部屋でシャワーを浴びたら、昨日の朝もそうしたように下着類を袋に詰めてゴミ箱に押し込む。
これで着替えはなくなり、ザックはほぼ空になって、ようやく土産物が購入できる体制が整った。
もったいなくはない。私はこのために日常生活では服を捨てず、穴の開き掛けた靴下や黄ばんだシャツを手にして、日本を旅立っているのだ。
レセプションで昨夜の夕食や、今朝のサンライズツアーの代金を精算したら、軽いザックを担いで、ボロブドゥールのバス停に向かった。 |
3.ジョグジャ徘徊 |
ホテルから徒歩5分でバス停付近に着いたが、先を急ぐこともないので、少し市場をブラブラとする。
食材の多様性という観点からは、あまり豊かな地域ではなさそうだ。 |
昨年同時期のマレーシアと比べると、
フルーツショップが少ないせいか、
熱帯果実に縁がない今回の旅である。
町の特産なのか、
ところどころで瓜がならべているのを目にした。
これは干しているのかな?? |
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市場から道を挟んだすぐ南側に、町の規模に対しては大きめのバスターミナルがあるのでわかりやすい。
一応は確認をした方が良いが、多くのバスはジョグジャ行きだろう。
この時は緊張感もなかったので、いつ、いくらを支払ったかを覚えていないのだが、多分10,000Rpくらいでジョグジャに戻ることが出来る。
1時間30分くらいで、ジョグジャ南東部のギワガンバスターミナル。
ジョグジャの中心部で現在位置がわかったら、途中下車をしてやろうと、ンググライで入手した地図とにらめっこをしていたのだが、それが叶わぬままに、
この不便なターミナルまで来てしまった。
多分、この路線はジョグジャ西側を大きく迂回するため、トゥグ駅などの中心部への徒歩圏内を通過することはなかったように思える。
ギワガンでバスを降りたら、さっそくタクシードライバーが声を掛けてきた。
南クラトンまでの料金を聞くと、協定料金で中心部は一律35,000Rpだと料金表を見せられ、カウンターに連れて行かれて、そこに座るお姉さんから
タクシーチケットを買うことになる。
客の名前までチケットに書き込まれて、なんとなくもっともらしいのだが、ベトナムタンソンニャット(ホーチミン)の場合と同様に、
もう少し何とかしようがあったのではないだろうかと、今もすっきりしない。
チケットを買うと、タクシー運ちゃんが「ここで待っていてくれ」と、言い残し、駐車場から自分の車を回してくるのだが、これが見事に一般車である。
ボロくはないが、タクシーとは呼べない。
まぁ騙されている訳でもなさそうなので車に乗り込むと、この運ちゃんが良くしゃべる。 インドネシア訛りの英語はペルー訛りの英語並みに難易度が高い。
とりあえず南クラトン近くだというところで車を降り、現在地が良くわからないままに北を目指すと、トゥグ駅の近くでトートツに知っている場所に出た。
どうやらマリオポロ通りの東に並行する道を北上していたらしい。
露天や店舗を冷やかしながらマリオポロを南下し、少しばかりの土産物をザックに詰め込んで、クラトンに辿りついたら日曜日ゆえに閉館時間の直前だった。
さほど思い入れのなかったクラトンはとっとと諦め、再びマリオポロを北上。
当地の名物料理のグドックなどを味わいながら、途中でタクシーを拾って、ちょっと早い時間にアディスチプトに着いてしまう。
この空港もインドのチェンナイ空港と同じく、チェックインタイムが近づかないと、建物に入れてくれない。
暑いし、暇だし、なんだか5年前と同じような目に遭っている様な気がする。空港のすぐ外には線路が通っており、空港から徒歩2分の位置に駅まである。
なのにこの空港から街中に出るのはタクシーかバスに頼ることになる。
列車の本数が少ないためにそうなるのだが、ふた駅先のトゥグまでなら需要が多いことは間違いない。
タクシーの権益を守るためにあえてそうしているのか、旅客列車運行専門会社の商売っ気が少ないのか、他の要素があるのかはわからないが、
空港前の踏切が閉じることは多いのに、駅に向かう空港利用者はいないというのが不思議である。 |
4.ジョグジャ脱出 |
ジャカルタに向かう飛行機は、予約したときから25分、時刻が変わって20時発となっていた。
リコンファームをした時に打ち出された紙もそうなっていたので、やはりそうかという程度の印象だが、これだとスカルノハッタに着くのが21時を回ってしまう。
帰国国際便は23時45分なので乗り継ぎに不安はないが、スカルノハッタの土産物屋が閉店しているのではないかと心配になる。
そこでアディスチプトで怪しげな菓子をゲット。
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一つ前のライオンエアのフライトは一時間ほど遅延していたが、
我がガルーダ機は定刻どおりに飛び立ちそうなので心強い。
国内線では相変わらず、菓子パンとKitkatチョコレートが饗されたが、
インドネシアンなパンは、初日の国内線のゼリーよりも少しうれしい。 |
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ほぼ定刻に到着したスカルノハッタでは、普通ならトランジット表示にしたがってゲートを目指せばよいのだろうが、先にも書いたようにインドネシアでは
通してのチェックインを行ってくれないことから、ここで国際線のチェックインカウンターを探しに外周通路に出る。
タクシードライバーが声を掛けてきたので、愛想程度に「国際線のチェックインカウンターはどっちだ?」と、聞いてみると、御丁寧にも一緒にエレベーターに
乗ってカウンターの前まで案内してくれた。
エレベータに乗る前に、ここで良いよと断っても「いいからいいから」といった感じである。
そして案の定、チップの要求。別に5000Rpほど渡しても良かったが、恩の押し売りに礼をするのも癪だったので、ポケットを探って500Rp硬貨を取り出し、
すごく残念そうな顔をして、「インドネシアのお金はこれしか残っていない」と言うと、あっさりと去っていった。
とりあえず、5,000Rpを空港内の寄付BOXに入れておくことでよしとしよう。
時間も時間なので、とっととチェックインをして出国審査を受けてしまう。内部の店舗状況だが、21時30分現在でレストランは閉じていた。
何かを食べたいなら軽食があるコーヒーショップかインスタントヌードルショップくらいだろうか?
お湯もテーブルもあるようなので、食べる分には問題はない。土産物屋は、大きいところが何店舗か開いている。 |