2日目(5月02日) |
1.活動開始 |
二日目の朝は、マスジッ・ジャメの朝を散策することから始まる。
ホテルの門番に、「スラマッ・パギッ」(マレー語で「おはよう」)と、挨拶すると、嬉しそうに、「スラマッ・パギィ~」と、返してくれた。
アクセントは、”パギィ~”の”ギ”にあるようだ。
この街は、近代化するクアラルンプール中心部にあって、歴史的な建造物を数多く残している。
中でも、「マスジッ・ジャメ」は、その美しさにおいて、他を圧倒しているかもしれない。
マスジッ・ジャメの街中からでも、ペトロナスツインタワーやKLタワーをビルの谷間から望む事ができるが、近代建築物の壮大さと、歴史的建造物の壮麗さを
量りにかけたとき、後者に、より多くの魅力を見い出してしまうのは、私だけだろうか。。。
ホテルに戻ってカフェテリア形式の朝食を済ませ、29.75RMのデポジットを回収してチェックアウトし、スターLRTで一駅のプラザ・ラキャ駅から、
プドゥラヤバスターミナルへ向かった。
プドゥラヤバスターミナルは、外観も大きいターミナルビルだが、この内部に100以上も林立するバスチケット売り場の窓口は、圧巻でもある。
会社別に、また行き先別に窓口が分かれているのだが、少なくとも私には、その規則性は発見できず、自分が行こうとする行き先のチケットの価格や時刻、
条件を比較するのは難しいように思えた。
ただし、多くを望まなければ、自分が目指す方面へのチケットの売り場を探し出すこと自体は、さほど難しいことではない。 |
2.マラッカへ |
プドゥラヤバスターミナルはチケット窓口のほかに、各種売店も同居し、23コのプラットホームへは、休憩所の真ん中から、ホーム別に、下へと降りる階段が
口をあけている。 とりあえず私も、目に付いた窓口でマラッカ行きのバスチケットを9.4RMでゲットし、フルーツショップで大きなマンゴ2個を2.5RMで
手に入れ、12番ホームへと下って9:30出発のバスを待つことにした。
バスは、定刻を7分ほど過ぎて登場し、すぐに乗客を飲み込んで、10分遅れで出発した。
マラッカ行きのバスは36人乗りで新しく、価格のワリには意外なほどに快適であった。 シートも満席である。
が・・・、出発して30分ほど走った高速道路上でバスは突然停車し、運転手が慌しく電話をかけ始めた。 どうやら故障して動かなくなったらしい。
停車して20分ほど過ぎた頃から、3名ほどの乗客がイライラしはじめるが、他の乗客はゆったりと構えている。
さらに15分ほど経って、ウトウトしていると、誰かが「(代わりの)バスが来たぞ」と英語で叫び、乗客が高速道路の側道をゾロゾロと歩く。
最初のバスの運転手は、なぜか私に向かって「こんな事は滅多にないのだが。。。」と弁解してきた。
さて、代わりのバスは、急きょ設えたのであろうが、最初のバスよりもかなり古くてボロっちい。 しかし今度は停まることなく、元気にマレー半島を南下した。
バスは11:40に高速を降り、12:30にマラッカ市街のバスターミナルに到着した。(ロスタイムは30分強なので、順調なら2時間15分くらいか??)
ここもやはり、近代的で多くの窓口が並び、ショップや食事どころも充実していた。
マラッカのバスターミナルで食事をする事も出来たが、さほどの空腹感も感じなかったので、まっすぐ、ローカルタクシーチケットカウンターに向かった。
感覚的に、マラッカの中心部は遠くはないと感じていたのだが、プリペイドタクシーは「歩き方」にあった通りに、ダッチスクエアまで15RMだと告げる。
車に乗る前に、「何分くらいかかるの?」と、聞いたら「15分くらい」という答えが返ってきたし、実際にも大体そのくらいかかったのだが、
それは途中で随分と渋滞したためであって、スムースに流れていれば5分程度で到着する距離感、、、すなわち5km程度の距離だと思う。
だから、15RM(=¥525円)は、少し高いと思うのだが協定価格らしい。。。
2時間15分のバス代が9.4RMで、スムースなら5分で着きそうな距離が15RMと言うのは、誰が聞いてもおかしいと思うだろうに。。。 |
3.マラッカ海峡 |
ダッチスクエアで車を降りると、そこは観光地だった。
主にはアジア系の人たちが多いが、
聞こえてくる言葉は英語と中国語。。。
そして恐らくはマレー語だと思われる言葉。 |
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Kota通りに回り込んで階段を上ると、息を切らすまもなくすぐに丘上のセント・ポール教会にたどり着く。
昼頃は土産物売りが、夕刻は絵売りとセント・ポール教会の中で歌う大道芸人が、店をひろげていた。
丘の上からは南側から西側にかけて、マラッカ海峡を望むことも出来る。
対岸のインドネシア・スマトラ島までは、もっとも狭いところで50kmに満たず、大型船舶の可航幅が数kmに過ぎない場所もあるといわれている。
御存知の方も多いと思うが、このマラッカ海峡が、インド洋・中近東から日本に至るための最短距離の要衝で、原油運搬ルートの生命線となっている。
このマラッカ海峡を通らずに、スマトラ島の南部を通過してタンカー級の船舶が日本に向かう場合には、
ロンボク海峡を通ってインド洋から太平洋側に出る航路もあるが、その場合、マラッカ海峡を通過するより、650kmもの遠回りになってしまう上、
やはり小島や岩礁が多い難所を航行することとなる。
狭い海域を通らずに日本を目指すなら、ニューギニア島を回りこむ選択肢もあるが、何日もの遠回りを強いられる事となってしまうので経済的ではない。
そして、ここ近年、このマラッカ海峡では、年間100~200件の海賊事件が発生し、マレーシア政府やインドネシア政府、シンガポール政府など、
沿岸諸国の海軍が警備を強化しているほか、日本からも海賊哨戒にあたる巡視船を派遣しているという事実がある。
(2005年3月に、日本人船員が拘束された事件も記憶に新しい) |
4.紳士客桟 |
さて、今夜のねぐらを確保する為に、一旦、丘を下ってマラッカの中華街に潜入し、HEEREN・INN(紳士客桟)の扉を叩いた。
典型的なババ・ニョニャ風の建築様式であり、独特の間取りが面白いが、その報告は明日にしよう。 ヒーレン・インはツインで78RMであり、
一泊では値切れなかった。
マレーシアでは、主要な町には必ずと言っても良いほどにチャイナタウンが存在するが、ここもその例外ではなく、かつ、中華系移民の仏教寺院と、
マレーシアの国教でもあるイスラム寺院が共存しているのが面白い。
キリスト教会も、先に報告したように同化しているが、宗教衝突の悪い話は聞かないところがマレーシアである。
宿に荷物を置いて、再び観光区に戻ることとしよう。
ダッチ・スクエアからKota通りを進むと、すぐに可愛らしい観光ポリスの交番?が居を構え、ゆったりと4~5分ほど歩くと、14世紀初頭に立てられたという
サンチャゴ砦に行き着くことが出来る。
その先には文献を元に、過去の王(スルタン)の居城を復元したスルタンパレスが鎮座しており、正面は庭園になっている。
サンチャゴ砦からも、丘の上のセント・ポール教会に向かう階段が延びていて、多くの観光客が上り下りしていた。 |
5.セント・ポール教会 |
もう一度、宿に向かって夕刻を待ち、マラッカ海峡の浜辺に立つべく海岸線を目指した。
浜は予想よりも近く、ダッチ・スクエアから徒歩10分程度で辿りつく事ができる。
対岸のインドネシアは目視できない。 もちろん、海賊船も現れなかった。 |
今回の旅の目的の一つは、マラッカ海峡の海賊掃討であったのだが、
私に恐れをなして、地下に(海面下に?)身を潜めた様子である。
海を眺めているうちに18時を過ぎたので、とりあえず、寄せる波に指を浸してひと舐めし、
マラッカ海峡を味わってから、美しいといわれる夕陽を見送る為に再び、
セント・ポール教会を目指すこととした。 |
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遥か東に位置するボルネオ島をも有し、かつ国内に時差を作りたくないのであろうマレーシアの標準時は、人口密集部であるマレー半島西部に不一致で、
例えば東京とクアラルンプールの経度差は30度(時差2時間相当)以上もあるのに、実際の時差は1時間しかない。
しかも同国南部はほぼ赤道直下に当たるため、一年中、昼夜の時間がそれぞれ12時間なので、クアラルンプールとさほどの経度差が無いマラッカでも、
一年を通して7時頃に日の出が、19時頃に日没がある。(米国やヨーロッパのサマータイムの時とイメージが似ている) |
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教会の少し下の空き地で30分以上も日没を待ったが、予想通り、夕陽は雲の合間に隠れ、
マラッカ海峡に没する落ち日を見ることは叶わなかった。
マラッカの夜は釣る瓶落とし落とし。
一気に暗くなる(時速1667kmで夜がやってくる)熱帯性夕暮れを楽しんだあと、
ディナーは中華街のニョニャ料理で落ち日を見られなかった憂さ晴らし。
昼間に中華街を探索した際に、店は決めていた。 |
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地元でも人気のある、ニョニャ料理のGeographer’s Cafe(=地理学家)である。
タンドリーチキンのニョニャ風とライムジュースで20.5RM。 食後にマラッカコーヒーを付けて+3RM。
昨夜、ペトロナス・ツイン・タワーで食したミーゴレン+ミネラルウォーターと同じくらいの金額だが、今夜の方が満足のいくチョイスである。
ホテルに戻って餌食としたデザートは、クアラルンプールを発つ際にバスターミナルで、二個2.5RMで入手した、丸々と太ったマンゴ。
店のオバチャンが言っていた通り、とても甘くて美味しかった。 やはり東南アジアは、フルーツを抜きには語れない。 |