| 2018/3/17(土) |
振り返って、2017年シーズンの話。
2017年4月より、新たな環境での仕事が始まり、気が付いたら1年が経過しようとしています。
仕事はなんとかこなせたと信じることにして、一方のジムカーナですが、自分なりに思い悩み、いくつか行動に出ることにしました。
ということで、途中経過はバッサリ割愛して結論から言うと、決断したのは大きく2つ
(1)ランサーを降りること
(2)新しい車に乗り換えること
2017年度が始まり、新しい職場での仕事はどこかで落ち着くと期待していたのですが、アクセル全開で、とのオーダーがでた5月以降、ほとんどアクセルを緩められずにここまで来てしまいました。正直、競技に出る精神的余裕はなく、今後もしばらく同様の状態が続きそうであることが予想される中、このままランサーを風化させるのもどうしたものかと考えるようになりました。それでも技術面の劣化を恐れて数か月に一度は練習会に参加したものの、いまひとつモチベーションは上がらない自分がいることにも気づいていました。
数年先に競技に復活できたとしても、ランサーを軸とした環境は大きく変化しそうな予感もしますし、こういう時こそ何か新しいことにチャレンジする良いタイミングなのでは、と考えた次第です。
とは言え、ランサーを降りることはずいぶん悩みました。気に入っていた車だし、最後の最強の四駆と考えると、ずっと持っていてもいいかなと考えていたのは事実です。一方で、競技で使わない車を持っていてももったいないという思いもあり、売りに出すアナウンスをしながら流れに任せようかと思っていたところ、比較的とんとん拍子に嫁ぎ先が決まり、あっという間の売却になりました。
思い起こせば7年前、仕事も忙しくなりエアコンなしのエボ\でのジムカーナに疲れを感じ、街乗り主体にと思って乗り換えた赤いエボ]でしたが、いつの間にか全日本も追うことになり、身分不相応な全日本のお立ち台や全日本年間ランキング4位なども複数回頂き、非常に良い経験をさせてもらった、思い出の一台になりました。そう考えると寂しい気持ちでいっぱいなのですが、まだまだ戦闘力は一級品ですので、是非時期オーナーの元活躍してほしいものです。
というわけで、既にランサーは手元にありません。こかんとくの物心がついたころから家にあり、全日本もともに転戦した車でしたので、実は一番ランサーを手放すことに難色を示していたのはこかんとくでした。子供なりにいろいろ思うところがあるようで、会話を通してその心を理解しましたが、結構なインパクトとして子供心に植え付けられていたようです。今後は全日本のお立ち台のような経験をさせてあげることはほぼ不可能とは思いますが、何か教訓になるような見せ方をしていきたいところです。
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