八千代座の手引

八千代座の手引



八千代座の建築

八千代座は、明治43(1910)年、当時の山鹿町の旦那衆(実業会)によって建設された江戸時代の歌舞伎小屋の様式のなかに、新しい建築様式(梁組みにトラス、見物席に勾配など)を取り入れた芝居小屋(劇場)です。
明治43年2月起こしの劇場組合の日記には「吾山鹿町ハ天賦ノ最良温泉ヲ有シ、商工業又繁盛、県下枢要ノ地、熊本市ニ次グ*賑の市街ナルヲ以テ、劇場ノ場所ノ設置ハ寔ニ必要ヲ感ズル所ニシテ、本町ノ繁栄ヲ図ル一助タルニ因リ・・・」云々と記されており、数次の評議員会・独立委員会を経て、同年3月6日、山鹿町下町の鹿門館−ろくもんかん−(現、旅館清流荘の一部)に会員134名が出席、独立総会が開かれ、議決建設されました。なお、この総会では、組合規約を始め、創業費、管理・監査委員、建築係、建築員(設計者)等が議決承認されています。

建築のあらまし

●総建家坪数 347坪

 明治43年10月17日棟上
 同年年末落成 翌44年1月開業式興業



●棟札記載

 建築担当者 木村亀太郎 八千代座担当者 村上千代吉
 同事務員 大久保玄八郎 請負 冨田唯平
 大工棟梁 泉仁平 左官 石原嘉次郎 同 車田又作



●総建設費 2万951円79銭8厘
廻り舞台レールには、KRUPP.1910.K.6.Eの陽刻あり、明治43年ドイツ・クルップ社製の鉱山用トロッコレールを使用、軸受金具、鉄製パイプ支柱等、博多の商社を通じて購入されたようです。

来演者

開業式興業は、明治44年1月、歌舞伎「岩井半之助、松島家松暁一行、市川新之助、市川男女蔵・・・」を迎えて賑々しく開幕、大正6年の芸術座、島村抱月、松井須磨子のカチューシャ、大正10年、地元に少女歌舞伎・山鹿ちんこ座誕生など、昭和40年代までは、松本幸四郎、市川猿之助、守田勘弥、長谷川一夫、片岡千恵蔵、岡田嘉子、水谷八重子、花柳章太郎の歌舞伎、新派、新国劇をはじめ、旅芝居、浪曲、歌謡ショウ、ニワカ、喜劇、節劇など多彩の顔ぶれで賑わっています。
また戦後(昭和20年以降)は、26年辻久子バイオリンリサイタル、27年、谷桃子バレエ公演、30年東京混成合唱団、淡谷のり子と北村タンゴオルケスタなど和洋両面の上演に、木造劇場の音響のよさに演奏者から大変喜ばれてきました。生で演奏が聞ける残された貴重な小屋の一つです。

「八千代座見学の手引き」より


  HOME

山鹿について