天長二年、五十三代淳和天皇のころ本宗祖師弘法大師が開らかれた真言一派のお寺です。当時、有名屈指の大伽藍を建立し世に西の高野と称せられました。
室町期の住職、宥明法印は、温泉の枯渇を祈祷により復活させるなど山鹿に大きく貢献されたといいます。灯篭の起こりも、紙細工で当時、有名だった山口兵衛というひとが百の紙灯籠を宥明法印への献燈として作成したことによるものです。
のちに、1日目は金剛乗寺、翌日に大宮神社に紙灯篭を献上することになり。現在では、大宮神社にのみ灯篭は献上することになっています。
なお、最近、本堂は立て直され、ました。
金剛乗寺の楼門です。