非音楽的教材考
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「非音楽的教材考」とはなんとなく物騒な話題のように思われるかもしれませんが決してある教材の事を音楽的でないとかと云う批判を行うものではありません。ここで私の云う「非音楽的教材」とは「ハノン」に代表されるような所謂音楽の形をしていない指のエクスサイズとしての教材のことで、これらの教材について考察してみようというのが本稿です。 「脱力」という言葉ほどピアノ演奏に於いてよく聴く言葉はないと思います。しかし実際に「脱力」即ち力を抜くというのはどういうことなのでしょうか。小さな音を弾く時に「脱力」するのはなんとなく理解出来ますが、大きな音を弾く時に「脱力」しないと硬い音になるとかなんとか注意される事があります。力を抜いて大きな音を弾くと云うのはどういうことなのか…?と疑問に思った人は多いのではないでしょうか。私は疑問に思いました。ここで極論的に私の考える答えを書くと脱力とは弾いていない指の力を抜く事であるということです。勿論腕も「脱力」する訳ですが。 この「脱力」を考えずに「非音楽的教材」を使用する事は先にも書いたように大変問題であるのではないかと思います。多くの教材に見られる弱い指に付けられたアクセント、フォルテの強弱記号、速い速度…これらは「脱力」を妨げるものでしかないとはいいすぎでしょうか。 本稿ではこの「脱力」を中心に「非音楽的教材」について考えていきたいと思います。 注意して頂きたいのは私は本稿で体系的なメソッドを書くつもりもなければ、なるべく具体的な練習法も記さないつもりです。これから紹介する教材について読者の方が「脱力」という点から考えて頂き、その教材を活用して頂きたい云うのが私の大それた考えです。中途半端な練習法を書く事は極力避けていきたいと思います。 最後に本稿への批判、意見、ご教授はメール、掲示板にご遠慮なく書いて頂いて結構です。私の可能な限りお応えします。 (2008/8/23) |
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「非音楽的教材」の代表格ともいえる「ハノン」です。ハノンは19世紀フランスのシャルル−ルイ・アノン(Charles-Louis Hanon)という人の書いた教材です。日本では「ハノン」と英語かドイツ語か読まれています。正式な書名は「60の練習曲によるヴィルトゥオーゾ・ピアニスト」というなんとも厳めしい題名で広く使われている教材です。以下この本を「ハノン」と表記します。 「ハノン」は日本で出版されているものに限っても数え切れないほどのエディションがあります。楽譜の内容はほとんど一緒ですので編者の「解説」が最も重要なものとなります。杉谷昭子・駒澤純編による「コンパクト・ハノン」は解説でその奏法上の注意が具体的に記されています。「ピアノを一番楽に美しく」弾くということを明言してあります。 ハノンを元とした教材はまた数え切れないほどありますがエルンスト・ヴァン・デ・ヴェルド「ピアノのテクニック」はレガート−マルカート、スタッカート、レガートと三種類の奏法で弾くようにしてあります。これはショパンのメソッドを踏まえたものだそうですがこれに加え各練習のリズム変奏を加えると相当な数に達します。 どのエディションを使用するにしても力、負荷をかけて指を「鍛える」ということは避けるべきです。 (2008/8/23) |
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2 ツェルニー 60番練習曲集
ピアノを弾く人にとってツェルニー程嫌な思い出のある人物はいないでしょう。その膨大な作品番号の付いたものだけでも800番代まである作品のほとんどは現在では顧みられる事もなくただ「つまらない練習曲」の作曲家として扱われているのは少々気の毒なほどです。ここでツェルニーの作曲家としての才能を云々する事はしませんが自身優れたピアニストであったツェルニーは主に弟子のために多くの練習曲を書き、そしてそれらは古典派のピアノ作品のテクニック全般をカバーしています。 |
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ツェルニーは弟子にその手首の柔軟性の重要さを説いたと云います。古典派から前期ロマン派にかけての奏法はおそらく現在のものとは違ったと思いますがそれでも「柔軟性」即ち無駄な力を入れて弾く事を否定しています。譜例の練習曲も「力を抜いて、小さくな音で、鍵盤を押し込まず、ゆっくりと」弾くなら手の強張りや手首の柔軟性を確認する事が出来ます。しかしながらツェルニーの指定テンポは恐ろしく速いものとなっています。果たしてこのテンポ指定を守るのかどうかと云うのは難しい問題ですが、指の機能開発を考えるのであれば自分の弾ける速さを越えて弾くのはあまり効果がないように思います。弾き終わって指や腕に痛みを感じるのはやはり自然とは云えない弾き方であると言えます。 (2008/8/25) |
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若き日の横山幸雄氏が練習したと云うピシュナの「60の練習曲」、この人も「非音楽的練習曲」の代表的な作曲者です。作曲者と云ってもピアノ教師としてこの教本を残しただけですが今なおよく弾かれています。この曲集の特徴はまず「Lent」と云うテンポ指定にあると思います。速く弾く事を要求していないのです。速く弾く指示のある曲もありますがそれは主に音階であり、指の独立を養う練習に於いては「Lent」若しくは「Moderato」の速度指定が付いてあります。また対位法的な指の動きも特徴的です。 |
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「60の練習曲」への導入のための「リトル・ピシュナ」もよく使われています。 (2008/8/25) |
イシドール・フィリップの「練習曲」、ブラームス「51の練習曲」やりストの「68の技巧的練習曲」など重要なものもありますがここまで紹介して来たものはすべて「鍵盤で音符を弾く」という次元では同じものでした。20世紀に入りピアノの演奏技巧を更に細胞単位に分析、整理しもはやパッセージですらない純粋な「非音楽的教材」が登場します。コルトーの「ピアノ技巧の合理的原理」です。 |
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1928年に出版されたフランスの名ピアニス、アルフレド・トコルトーによるピアノメソッド「ピアノ技巧の合理的原理(邦訳「コルトーのピアノメトード」)」です。長らく翻訳されず、わずかにジャンヌ・ブランカールによる「アルフレッド・コルトーの学習方法への手引き」が紹介されたのみで、私も英訳本を使っていましたが1994年に全訳本が刊行されました。 まったくの余談ですがコルトーは「知覚」に優位性を置いたフランスの思想家メルロ=ポンティと繋がる部分があると思います。 本書でも脱力に関してはうるさいほど書かれています。冒頭に登場する有名な「鍵盤に指を置いた状態で特定の指だけ動かす」練習は脱力の感覚を簡潔に示してくれます。この「鍵盤に指を置いた状態で」という方法はなかなか画期的な方法であったと思います。今まで見てきた「非音楽的教材」は弱い指を動かし、トレーニングする事によって「鍛える」と云う、感覚的にわかり易いものだったのですがコルトーは「弾いていない指」を意識して力を抜き「鍛える」という逆転を行っています。 |
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コルトーはおそらくこれまでの「基礎訓練」即ち「非音楽的教材」の体系化を行ったのしょう。脱力の方法、そしてハノンに足りないもの、ピシュナに足りないものを考察して行くうちにあるパッセージや曲を弾くのではなくそのテクニックを細胞にまで分割しそこだけを取り出してみせると云う方法に至ったと思われます。私はフランス人にしては珍しく「過剰な」人物であると思っています。 これらの練習によって「安定した確実な技法」を習得し、それはすべて音楽に捧げられなくてはならない、と云うのがコルトーの「合理的原理」の基本的な考えです。批判的に見るのであればこれは「音楽」と「技法」の分離である言えます。しかし「音楽」と「技法」は丁度紙の裏と表、ドーナツの本体(?)と穴のようにどちらかだけで存在はしないものです。これをコルトーは「合理的原理」と自身の演奏によって提示してくれています。 (2008/8/30) |