虚無への供物

中井英夫(発表時塔晶夫名義)

 
 知る人ぞ知るアンチ推理小説の傑作。
 私がこの小説をはじめて読んだのは中学の2年か3年の時だったが、どうしてこの小説を手に取ったのかはよく覚えていない。たぶん、澁澤龍彦かなんかの本に紹介されていたのだろうが、あまりにこの小説の面白さにはまってしまい、どうしてこの本と出会ったのかはどうでもいい事になってしまったのだろう。中学生にこの本に出てくる事をすべて理解できたとは思えないが少なくとも話の面白さと中井英夫の稀有な文体に魅了されたのには違いない。
  当時はこの講談社文庫「虚無への供物」か三一書房の選集(これは高かったので私には買えなかった)くらいでしか中井英夫の作品を読めなかったが、最近になって創元社から文庫全集が出たのでほとんどの作品を読めるいいご時世になったものだ。
 解説の出口裕弘氏も書いておられるが私も頭から推理小説と決め込んで読み始めた。氷沼家に起こる奇怪な殺人事件と数々の符合、薔薇、シャンソン、不動、不思議の国のアリス、過去の探偵小説といった手の込んだ小道具によって装飾され、最後の犯人の破局を期待して読み進んでいったのだが、最後のページでは少し期待通りの終わり方とは違った不思議な破局を迎えたのだった。期待外れと言えば期待外れな終わり方であった。「あまりに文学的すぎる」(出口裕弘)動機だという感じが私にもして、犯人の黒い笑いを期待していた私にとっては物足りない終わり方に感じられた。しかし、何回か読みなおした今となってはこの小説にはもっともふさわしい終わり方であるような気がする。登場人物の一人、奈々村久生の言葉どおり「作中人物の―誰でもいいけど、一人がいきなり、くるりとふり返って、ページの外の“読者”に向かって“あなたが犯人だ”って指さす」小説なのだろう。それが「アンチ推理小説」たる所以であろう。それとも、「探偵小説」(推理小説ではない!!)の墓碑銘であろうか。
  以前BSでこの小説がドラマ化されて吃驚したが大筋は小説の通りなのでさらに驚いたことがあった。しかし、「話」の面白さは小説のには敵わなかっただろう。二重、三重に錯綜した現実と幻想の世界はやはり小説という文字の世界において絶大な効果を挙げるようだ。
 私がとやかく言うよりも是非この小説を読んでいただきたい。絶対損はしません。

 本書は創元ライブラリーの決定版ともいうべき「中井英夫全集」1巻に収録されている。ファンとしては講談社文庫のかつての厚い文庫が二分冊されたのはどうも馴染めない。

Books index

Home