高瀬一誌十番譜或いは高瀬一誌走犀灯

ラインナップ

第一番譜 看板娘かサムソンか

第二番譜 《歌人》高瀬一誌

第三番譜 心の鬼という《定礎》

第四番譜 傲然たる自己模倣と《変成岩》

第五番譜 《鞣し無頼》という視座

第六番譜 《玉はがね》という独自の素材と《切れ味》という成果

第七番譜 《水気耕栽培》という独自の工程と「印象深さ」という成果

第八番譜 高瀬短歌の幹の坐らせ方=生活の場での存在感

第九番譜 高瀬短歌の枝の張らせ方=断定の存在感

第十番譜 高瀬短歌の根の伸ばし方=《独自の戦い》と主張の存在感

 

(その10)高瀬短歌の根の伸ばし方=《独自の戦い》と主張の存在感

(2006.7.8)

10.高瀬短歌の根の伸ばし方=《独自の戦い》と主張の存在感

 走犀灯も終回を迎えた。

 さてこの最終譜は、高瀬さんの非定型への自己確認を充てる予定である。この章には多言は要さない。

ところで、高瀬さんからわたくしはふたつの形容を頂戴している。ひとつは第一歌集『骨一式』の栞上での《異形の砲手》、もうひとつは円覚寺雲頂庵歌会席上での《独自の戦い》というものである。何故そんなことをこの場に及んで書くかといえば、このふたつの形容は実は高瀬さんが自らにかぶせたいものではないかと、ちらりと、しかし、つくづくと思うようになってきたからなのである。

ここでは、《異形》の方はさておくことにする。このあたりは小稿の《変成岩》のくだりであらかた述べていると思うからだ。

さて、他方の《独自の戦い》のくだりは、実際には次のように述べられたのである。「依田さんの歌というのは選挙の時にいう《独自の戦い》なんだね。選挙の時の《独自の戦い》というのは、本人は一応立候補しているんだが、有権者の方は全く彼を候補者とは見ていない。本人も票を集めようなんて思っていない。自分の言いたいことをとにかくわあわあいうだけで満足しているというものなんですね」と。続けて、高瀬さんはアドバイスとして、「もう少し読者との間隔を詰める《努力》をすべきだ」ということなのであった。

 無論、ご助言は結果的には、馬の耳の前でむなしく震えたのみであったのだが。

だが、高瀬さんが展開したものこそ《独自の戦い》ではなかったか。それはそうであろう。高瀬さん自身、現代歌人の《通有性》とはほど遠いところに魂をおいていたのであるから。でもわたくしに比すれば格段の《集票力》はあるので「一緒にしねえでくれ」と叱られそうだけれども。

 

走犀灯の第十番はこの歌である。

 

階段をころげ落ちるのも定型であればやっぱりつまらないのだ(火ダルマ)

 

 やっぱり、定型はだめよ。皆と同じはだめなのだ。俺は俺。俺でなければ生きている甲斐もない。

これによれば、高瀬さんは行住坐臥、非定型なのである。であるから、これなしの十番譜はありえず、こればかりは、どうあっても挙げざるを得なかったのである。

独自のリクツ。いいや、リクツさえ無用だろうか。《非定型への自らの反問に自らがなした解答》がこの歌なのだ。それにしても、この「やっぱり」の頑固さは何たることか。やはり、高瀬さん自身が《当選》のためにいじましく己を貶めることを峻拒した《独自の戦い》の経験者であったというアカシなのではなかったか。

さて、少しばかり賤しい話題になるが、高瀬一誌の、総人格的評価を切り離した、現代歌檀での作品そのものの評価は極めて微妙なものなのであるにちがいないとわたくしは思っている。いいのいいの。断乎、毅然、《何ぞ怖れん身後の名》だ。それは、高瀬さんの意図したものそのものにちがいあるまいから。

 

11.おわったあとに

高瀬さんは作法上では見事に《短歌の因襲》を払い落とした。しかして、その行為の出発点を本稿では《結社優先の生活》によるものであるという仮説を示した。ただ、高瀬さんは、無論ひとりでではないが、結社活動の中で、はやばやと編集委員制度の機能を明らかにし、短歌結社にひそみがちな因襲を取り除こうとし、それにも、かなりの程度成功した。が、それは、別の形の《結社組織最優先主義》となった。あたかも、企業のように。当然のなりゆきである。であれば当然、ここに、結社に別の《権威》が発生発達するようになる。ついでのことながら、ここいらへんがどこか《不良社員》のわたくしにとっては、高瀬さんの言葉を借りれば《塩梅(アンベ)悪く》、事実、そんなこんなから、高瀬さんの最晩年はお会いできない状況になってしまっていたのであった。それも、今は昔。合掌。

さて、おしまいである。高瀬さんの歌のスタンスをいわずもがなながら総括すれば、《沈黙》からちょっとだけ動いたあたりが自身の作歌フィールドとしていたのである。つまり、表現者に通低する《厚かましさ》は乏しかったのだ。さて、拾遺でもないがこれらの例。饒舌にならない分だけ、実感がずっしりと重いではないか。

ゴムの木声あげよ声あげよ声あげてみよ(喝采)

口に出してつぶやき文字にしてもつぶやくことしか書かぬ(レセプション)

ジャムをなめるおとこはきらいこれみよがしの声がよろし(火ダルマ)

笑えばいろはにほへと 狂えばいろはにほへと(全歌集)

満足の感覚は風呂に入るときつかめと依田仁美はおごそかである(スミレ幼稚園)

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(その9)高瀬短歌の枝の張らせ方=断定の存在感

(2006.7.1)

.高瀬短歌の枝の張らせ方=断定の存在感

さて、筆が高瀬作品の存在感まで進んできている。そろそろ、いよいよ、高瀬さんの、余人が恥ずかしがって書かない表現を取り上げることにしよう。

ここで、商標(トレードマーク)を保護する商標法の趣旨が思い起こされる。この法の保護するところは、《自他商品識別機能》にある。つまり、自他の識別を《顕著性》という観点から見据えるものなのである。

ところで、この自他識別の《顕著性》の重要性に気づいている短歌作家はむしろ少数であるが、実は、高瀬さんはその数少ないひとりなのだ。高瀬さんの作品が《繊細な》レトリックを捨てた人だと書き、そのかわり、高瀬さんは余人の及びがたい《徹頭徹尾》というレトリックを持っていることを指摘したが、実はこの《徹頭徹尾》こそ、《顕著性》の申し子なのである。高瀬さんはこの《徹頭徹尾》を実現すべく、《極限の妙》と《振幅のありったけ》の表出を目指していたにちがいないのである。

さて、最後に思い出す高瀬さんの像は納得の頷きである。前に、対座のおりの、頷きの例を示したが、実は、その頷きは対座の時ばかりではない。わたくしが同席するのは多かれ少なかれ会としては公式行事の席が多かったが、実によく、ひとり頷いていた。多くは、他のメンバへの確認の後で。しかし、実はもっともっともっと多くが自問自答、或いは自己確認の後でなされたことにはわたくしでさえ気がついていた。ところで、これは、全て再確認=断定のための、残心とでもいうべき儀式であったということが今ははっきりと判るのである。

 

 さて、その断定、極めつけの典型例。第九番譜にはこれが最適である。

 

自分の名を胸にかけられはずかしいわい赤塚植物園たくさんの木(スミレ幼稚園)

 

よく見かける風景である。この状況を、いわゆる普通の短歌作成手続きに従えば、写生をベースとした上でプラス感懐やら評価やらせよと来るのであろうから、さしあたり下句を「それぞれの名を掛けられており」とかなんとかしておいて、上句にその前提やら背景やら補足やら感想やらが入る趣向となるのだろう。

そうなりがちなところへ「はずかしいわい」とは何たる傍若無人。起承転結の《起》も《承》も素っ飛ばして、即《転》いやいや即《結》なのである。高瀬一誌の面目もここに極まったといえる。横道にして王道。このサビが生命であるので、この歌ばかりは読み下しは不要。植物園の木の表示札からの融通無碍な言葉の放散拡散飛散飛翔といえば十分であろう。構文から見ると「恥ずかしいわい」の主体が《木》なのか《作者》なのか振れるところだが、《木になり代わって作者》がそう感じていると読むべきであろう。

ここでの「わい」は使用例の古今東西レアな、正に独自の切れ字。かくてかくて、高瀬短歌の枝はこのように雄雄と繁茂するのである。

これらが集まって、高瀬さんの定評を《顕著》に形成してゆく。自己確認はそのための道筋であったのである。

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(その8)高瀬短歌の幹の坐らせ方=生活の場での存在感

(2006.6.24)

.高瀬短歌の幹の坐らせ方=生活の場での存在感

さて、このあたりから、高瀬作品の《堂堂の存在感》について述べてゆきたい。「これが俺だ」と道央に所狭しと横たわる大蛇のような存在感を指摘しないでこの稿は終われない。

 つまるところ、《素材》《工程》について述べてきた今、残るところは、高瀬作品の《骨格》つまり、骨組みの組み上げ方である。

論点をすばやく言うと、高瀬さんは《図式化》《定義だて》に秀でている。もともと、繊細な筆づかいによるレトリックは捨てた人だ。細筆は使わない。他の人たちが細筆を使うところの描写は心では繊細に受容するのだろうが、自分なりの真理に追い込んで太筆で描いているようにわたくしには見える。

 

  さて、第八番譜である。

 

骨っぽくねむりているに多くは食物のことでたたき起こされるかな(レセプション)

 

俺は虎のように寝ている。もともと、俺は骨っぽい虎なのだ。浮世の習いで起きていりゃあ、猫も演ずるけどサ。だから寝ている限りはいつも虎なんだ。だが、大体、起こされるのはメシのタイミングだ。判ってるよ。作りたてを食わせたいんだろ。そうかそうか。猫になって食うとするか。

太筆で表現されているところを細筆で絵解きを試みたもの。しかし、これを《深読み》の《勇み足》のと仰せあるなかれ。これが高瀬短歌の読み方なのである。「そんなことはない。書かれている字だけで読むべきだ」という方方とは、さよならだ。わたくしの信ずる歌の《享受》とは《解釈》ではない。《作り手》と《読み手》の《コラボレーション》なのであるから。

ただし、わたくしにもこの歌に対する解釈はあるのだ。尤も、次のような解釈だが。

もともと、この歌が作られた動機はシッカリしている。かなり独自のものだ。この骨太のデッサンくらいは、歌を弄ぶ者であれば、せめてこれだけでもきちんと読みとめねばなるまい。つまり、この作品は実は、男性と女性の社会での棲み分けを、男の側から一方的にかっこよく言っている作品なのである。無論、今まで述べてきているように、高瀬さんの世界では《男は女には敵わない》という前提があるので、こういう作品は、全体の流れの中で男サイドからの《一矢報いる形》として据えられているのである。

さてここでは、《形而上》の夫、《形而下》の妻という構成。但し、妻の声は最終的には抗いがたい《神の声》なのだ。しかし、妻の方も、良く心得ていて火急の《食事》以外の場面では《骨っぽい夢》を見させてくれている、と読んでおきたい。無論、無論、ここまで書くと、コラボの限界を超えているかも知れませんね。

しかししかし、高瀬短歌の幹はたとえばこのようにシッカリした骨格としてでんと据えられているのである。

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(その7)《水気耕栽培(ハイポニカ)》という独自の工程と「印象深さ」という成果

(2006.6.17)

7.《水気耕栽培(ハイポニカ)》という独自の工程と「印象深さ」という成果

さて、走犀灯は回り続ける。高瀬さんとの相対での対話には明瞭なスタイルがあった。

そのプロセスというのは、先ず、聞き手がよくわかるように噛んで含めるように説明するのである。そのあと、少しだけ鈍色がかった視線で、相手の顔を凝視し、相手の了解を確認して、最後に、にこにこと微笑し二三回頷くというものである。つまり、高瀬さんは「伝達の工程」を熟知していたのである。熟知していたということはそのプロセスをよくよく考えていたことの帰結に他ならない。

こんなこともある。たとえば貸切バスで大宮を通れば「はい、この橋は大宮橋です」と、また垂水を通ると「この川は垂水川です」と高瀬さんからひとりアナウンスが発せられるのだ。その殆んどが全員に「見え見えの地名+山、川、橋」などであるので、皆ウソだとばかり聞き流しているが、面白いのはその中にときどき、実在のものが混じることである。そしてこれに気づいた場合はその意外性に触れて周囲が妙に安堵するという筋書き。でもこれが、いろいろな人の雑多なシチュエーションの集合体を載せたバス中だとなかなか冴えるのである。何とも安心できる定型化された様式だともいえる。無論、これもコミュニケーションの要諦を押さえていればこそなのである。つまり、ここで言おうとしているのは、高瀬さんというひとは、言葉や意思の生成展開に対して極めて意志的な人だということなのである。

であるから、歌作りもまことにもってこの路線上に展開されることとなる。こういう次第で、このきわめて純粋な言葉や意思の生成方式を《ハイポニカ》と呼ぶロジックはお判りいただけるであろう。高瀬さんの神経中枢には《ハイポニカ》と相通じる純粋思考があるのだ。《思考法》に深く関心を持つ高瀬さんは、常に、目を据えてその過程を見つめていたにちがいない。そこがわたくしには、実に興味深い。

 

そこで、次の作品を以て、走犀灯の第七番譜とする。

 

なんでも串焼きにしてしまえば生きてゆくことも簡単である(喝采)

 

人生哲学をすらりと捌く手並みは他の追随を許さない独自の境地である。ここまでの、わたくしのねちねちした展開はつまるところこれを導きたかったのであるが、今、読み返しても迫りえていない恨みがある。

さてさて、この歌は、自分のこととも他人のこととも断っていない。微かな風刺・批判が覗くのみである。この直感を少し掘り下げてみよう。人というもの、何でもひとつのパターンにしてしまえば簡単である、という表面上の文意だが、この歌にはさらに4つのディメンジョンに分けて採れるという特徴がある。

その1。かれは、何でもワンパターンで処理をする、これは簡単なことである。その2。かれは、何でもワンパターンで処理すれば簡単なのにそれが出来ないでいる。その3。俺は、何でもワンパターンで処理をする、これは簡単なことである。その4。俺は、何でもワンパターンで処理すれば簡単なのにそれが出来ないでいる。

つまり、《簡単》を表面どおりにとった場合、他者へ向けられれば批判、自らに向けられれば自嘲めくが、とはいってもここに立ちはだかる情景は、いずれにせよ鋭い攻撃意識とは無縁である。高瀬さんは他者の弱点を見るに大らかである。かつ、自分にも同じ視線である。対立的な批判の方式は採らないという、泰然自若の構えである。この点は、第三譜の「とんがらし〜」の作の若者への視線でも明瞭であった。大人の視線なのである。

結論的には、「〜は簡単だがそうするわけにはいなかい」と読むとリクツにおち、この歌の批判性が失われるので、わたくしは採用すべきでないと思う。結局のところ、主語は彼我一体、つまり、世の中をずばりと決め付けたかったのであろう。

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(その6)《玉はがね》という独自の素材と《切れ味》という成果

(2006.6.10)

6.《玉はがね》という独自の素材と《切れ味》という成果

日本刀の分類に新新刀というのがある。江戸時代天明期以降の作に対する呼称で、その特徴はそれ以前の新刀よりよく切れるということである。そしてそれは、「鎌倉時代に還れ」という子規を髣髴させる水心子正秀なる刀工を中核とする革新的復古主義がもたらした成果であるという説がある。

日本刀の製法という分野は、わたくしがちょと舐めただけでも専門家林立の世界ゆえ、生半可な整理では及びもつかないことを承知で、思い切って要約すれば、刀鍛冶業と製鉄業が分化していた室町から江戸前期の時代は製鉄量産のプロの造った「素材鋼」を刀工が使用したため、その素材をベースとする限りではその後の工程にいくら注力しても限界があったというのである。

で、再び、先の正秀ら刀工が刀剣の地鉄を「卸す」と称する精錬の過程を、自ら行ない、「脱炭」「加炭」の程度を吟味工夫しながら炭素量を研究調整し、独自の見識に適った「玉はがね」を創出し、それを使うという一貫作業となってから、品質が再び向上したというのである。要するに、蕎麦粉の調合から始めるのが手打ちなのである。他者の手に調合を委ねて調達された蕎麦玉を使う簡便蕎麦からは、奥深い切れ味は出ないのである。

あとは、申しますまい。短歌作家は起用する《語句》についても、最終的な《切れ味》という成果を考慮した《玉はがね》づくりが肝要だということである。安易な《塾》発想の入門書や《シソーラス》からのピックアップでは駅蕎麦である。小耳にはさんだちょっとおしゃれな言葉というようなお手軽な素材では、《銀流し》の歌しか出来ないということなのである。

部品としての言葉の精錬は読者として、往往体験するところでもある。わたくしたちは、同じ言葉であっても、その起用者によって意味が変わってくることを知っている。三島の使う「刀」と司馬遼の使う「刀」は同じ単語でも《玉はがね》の違いは明歴歴である。価値の高低ではない。意図の方向が違うのである。高瀬一誌の《猫》と小池光の《猫》でも同じであろう。つまり、これらの例は位相の差だが、これは品質の差についても同様にいえるである。つまり、塚本邦雄の作品とエピゴーネンの作は比べるべくもないし、前に述べた、わたくしたちの《声色》の高瀬さんと高瀬さんの実物では、蕎麦玉が違うのである。

こういうふうに見ているので、高瀬さんの「玉はがね」の《飛び跳ね》はわたくしには実に楽しい。

 

ここに、走犀灯の第六番譜として次の作品をおく。

 

魚一匹火だるまとなる火だるまとなす女ありたり(喝采)

 

おう、サンマが火だるまになっているな。焼いているのは女だ(妻のイメージ)。まあ、考えようだが、これひとつ見ても女は凄いよな。

という歌であるが、諸姉諸兄は既に、拙稿「その3」から代入を試みておられることであろう。

即ち、

ここで、魚=男とおけば、または、ここで魚=俺とおけば、・・・・・・・という次第。

これは高瀬さんの「魚」がそれなりに《卸された素材》であったという証左なのである。《無防備》《無表情》《愛すべき対象》さらには《「男」「魚」両者の字形の相似性》などという形で既に卸されていて、《折れず、曲がらず、よく切れる》刀になる素養が仕込まれている。歌に戻れば、「一尾」でなく「一匹」とあるのも、《男一匹》が計算のうち。むしろ、「魚」は虚数解なのかも知れない。

さいごに、十番譜という標題には悖るが、《言葉を卸す例》として、次の一首を引いておきたい。これを読まされれば「男」「女」の座標が明らかになってくる。この例もアルプス山脈である。

ブーツはく女たちどれだけの男達を占領して来たかとおもう(高瀬一誌全歌集)

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(その5)《鞣し無頼》という視座

(2006.6.3)

5.《鞣し無頼》という視座

革を鞣すというのは動物の皮の毛と脂を除き、柔軟性・たわみ性・弾性などを付与することである(広辞苑)。高瀬さんの根底には毛皮のような《生硬な無頼》があり、事実、若書きの作品の中にはその語が生で登場することもしばしばである。(*

わたくしの考えによれば、そもそも、無頼とは「《反骨》が、社会性という尺度で見た場合に《ネガティブ》に出るように演出された形態ないしは様式」なのである。つまり、《反骨》は《無頼》の母という側面もあるのだ。

このように《無頼》を演出の帰結と考えれば、また演出は合目的的でなければならないと考えれば、《無頼》は単に自堕落なゴロツキとは断乎、凛乎、一線を画さねばならないことになる。この延長線上に、「《無頼》にはその姿の中に、それこそ《品格》がなければならない」というテーゼが成り立ち、そして、ここにこそが高瀬さんとわたくしの文句なく共通するおそらくは唯一の点が浮かぶのである。

よって、芯は《無頼》でも、毛と脂は抜かなければならない。そして《鞣された無頼》こそが常用可能であり、志の刃に付着した穢れを拭うのである。もっとも、時系列に追うと、高瀬さんの作品から《無頼》ということばはあっさりと消失してしまう。それと時を同じくして、《鞣し無頼》は《健全に瀰漫》してゆく。

 

ここで、走犀灯の第五譜として次の作品を置くが、この歌は、30年あまり前、わたくしが高瀬さんの作品に触れ始めたころ、当時「これぞ高瀬調」と見ていた典型のような作のひとつである。

七味とんがらし(・・・・・・・)まだ振っていることその男の安き反骨みたり(高瀬一誌全歌集)

あいつはまだうどんに七味をかけている。粋がってるな。だが、量は凄い。「他の追随を許さぬ境地」って訳か。いかにも安っぽい意地だ。あれで反骨の積りなんだろうな。いやだね。でも、その心の根ッコにあるものは実は俺にもあるんだが。

 

一応、ここでは安っぽい反骨に苦笑している。しかし、その心は、同感7分、批判3分であるように見える。そんなに立派に反骨を示せる「ラッキーな」場面なんてこの世の中にないことはご承知の通りである。

 高瀬さんは不思議な長髪をしていた。「不思議なことに、あの髪は長くも短くもならない」と某女性がいうと、「そんなことはない、この間少し短かった、あなたの観察不足よ」と別の人が言う、そんな、登録商標だった。要するにあれはあれでかなり細心の手入れがされていたのである。《演出》なのであろう。

諸賢ご承知のように、ある世代以上の、特にビジネスマンの長髪は、ビジネスウーマンの短髪と同じく、《体制不同意》の象徴であった。まあ、これこそが実は《安き反骨》の典型だったのであるが。そして、無論、これは、おそらく高瀬さんも自認するところであった筈だ。

(*)参考;上述に符合する典型例;昨日の無頼は(にが)しにんじんを煮る鍋やさしく音たてるとき(高瀬一誌全歌集);やや清き思い出のこるか無頼になりきれぬ男雨に打たるる();無頼らしき男の眼にも吹く風よ夜の駅にみんな何かを待てり(同)

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(その4)傲然たる自己模倣と《変成岩》

(2006.5.27)

4.傲然たる自己模倣と《変成岩》

《鬼面人を驚かす》というのはほめ言葉ではないが、創造という分野においては、往往必要である。しかしその好例は稀にしかない。その第一の例は何といってもピカソであろう。

このピカソがピカソ像を確立した手段は唯一、徹底した自己模倣であった。ご承知のように、何枚も何枚も、あの顔を描き、あの指を描いたのであった。ほめるもほめないもない。そのピカソ、好むとしからざるとに関わらず、紛れもなく彼は史上に揺るがないピラミッドである。しかし、考えて見るとレジェでも若冲でも画風毅然たる作家の所業は同じく圧倒的な自己模倣癖に支えられているではないか。

強烈なクセと自己模倣による《“これでもか”提示》。これを貫徹した短歌作家(ここでも歌人ということばは敢えて避ける)をわたくしはあまり多く知らない。ま、会津八一は別格として。

無論、反論は聞こえますよ。茂吉だって誰だって一派をなす作家にはそれなりの世界はあるという仰せですね。しかしそれはあくまでも微妙な筆法のレベル。

高瀬さんの自己模倣は徹底している。無論、正確には改良も工夫もあるが、頑固な基本路線の踏襲は多くの功績を残しており、一大特徴となっている。わたくしたちがある程度まで《声色》でその類型をつくることも可能であるかにみえるというのは実は大したことなのである。

石の分類で《変成岩》というのがある。広辞苑の知恵を借りると「堆積岩または火成岩が地下深いところで温度・圧力の変化または化学的作用を受け、鉱物の種類や組織が変化して生じた岩石」とある。

作風に持続的な加熱・加圧が続くと、岩石自体が変成するのである、しかし、これは無論一朝一夕ではない。全生涯がbetされているのである。

無論、《変成岩》という表現はここでは作品ではなく作家に対して献ぜられているのであるが。

 

ここに、ここに、走犀灯の第四番譜として次の作品をおく。

 

この蟹は笑うことしか出来ぬわらうまま売られてゆきぬ(喝采)

店に蟹がある。彼の心は知らず、外から見る俺には笑っているようみえる。ヤツの本質であり、役割なのだろう。客が来て買われてゆく。ヤツはあのままの姿を全うしている。

 

普通に読めば奇妙な歌である。蟹の甲殻から受けた印象を、読み手にずばり「笑っているのだ」と有無をいわさず押し付け、そのまま舞台を切り回して即刻に幕を引く。高瀬一誌一流の手練手管、わたくしならずとも、『おうおう』と嘆じいるといころである。まったく、『待ってました、大統領!』と来らァ。もっとも、これは、序の口に過ぎない。序二段、三段目は「全集」をひもとけば、沢山仰山アルプス山脈である。ここに目を配れば《傲然たる自己模倣》という表現さえ謙虚貧弱にすら見える。

もう一度、この歌に戻る。先ず寸言による強引な事実規定。それを追って寸言による事象説明という形式。これは高瀬さんのオハコ。この二段方式も顕著だが、無論、一気呵成型の場合もある。自己模倣と言ったって二通りや三通りではない。ちょうど相撲に四十八手があってもそれが押すとか引くとか掛けるとか基本技の幾つかの組み合わせて成り立って要ることを連想したらよい。

さらに定番の語彙がこれを彩る。ここでは、《蟹》と《笑う》である。この語彙集も《会員様》にはあまねく共通理解項となっている。

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(その3)心の鬼という《定礎》

(2006.5.20)

3.心の鬼という《定礎》

高瀬さんは「短歌人会」に入った22(1951)のときから編集を手伝ったということである。そして24歳(1953年)で編集委員就任、そして非定型が定着するのが26(1955年)頃からだ。つまり、惜しいかな24歳にして“結社戦士”になりつつあった高瀬さんの青春は実作と編集事務の犇きの中で送られたのである。

この間、自作の生成展開について、相当の懊悩葛藤があり、それに伴う苦心野心の旗幟が心の砦で濫立はためいていたことは想像に難くない。

無論、旺盛な文芸探究心が中央にある。しかしながら、編集委員の身とあればまず、事務時間も必要、短歌共同体内共通知識を習得する時間も必要。となれば、じっくりと作歌に取り組む時間もままにならない。そのうえ、立場上相応のいわゆる短歌的な技量が求められるであっただろうし、他の作家の軽侮を頂戴するわけにも無論行かない。何か風格めいたものを求めたくなったとしても不思議はない。

一方で、通常の短歌には「推敲」という研磨工程によって仕上げをするという風があるが、さような時間はとり難い。

いきおい、皆と同じ土俵を外す。つまり、青春半ばにして、既に己に自らに「守破離」の「守」は認めず「破」を課したにちがいない。件の高瀬様式を模索しはじめたのだろう。かくして、制約された創作時間と相性の良いスタイルが編み出されたのである。これを、「推敲を節約するための高瀬調」といえば描写としては拙なすぎるが、しかし、結果的に、この形の確立により、高瀬さんは詩人(歌人というと前項に抵触するのでこういう)として屹立したのである。ただ、この行為は、とりも直さず、伝統の「詩形美を捨て去る」という途徹もない行為だったのである。ここにまた葛藤があった筈だ。

さて、高瀬さんの持論の中に「作家(あの方は作家という言葉は使ったことはないが)たるものは心の中に《鬼》を持て」というのがある。この《鬼》こそは、《伝統的形式美》を捨てたその代わりとして、高瀬さんが確と心に打ち立てた《定礎》であったことをわたくしは見抜いている。これは、形式をシンプリファイした以上、心の中核なくしては、歌の存立はありえないという、いわば技術離れの形見なのであった。表現はシンプルを極める。よって《心の鬼》が唯一の拠り所となるのである。小手先ではなく、信念を歌の根本に置いたのである。

 

さて、高瀬さんの《心の鬼》の実証として走犀灯の第三番譜に次の歌を置く。

 

こんなに洗われてもくやしくないか魚は眼あけている(喝采)

俺は魚を洗っている。生物から食物に変わる過程だよな。俺はお前()に引導を渡しているのだろうか。太古は生で食ったもんだ。ざっと、海の水でも落としゃあいいのに、ご丁寧にごしごしつるつる洗っている。毒もないことは判っているのにな。儀式だな。それにしてもなあ、生き物は普通は構われたら抵抗するものなのに、お前は無表情だよなあ。何だその眼は。妙に冷徹だよなあ。悔しさを超越してるようなあ。俺たち人間だってしじゅう、いじられ触られしょっちゅう悔しい思いをしてるんだよ。お前は超然としているなあ。

 

これは高瀬さん自身の述懐に他ならない。歌の化粧を剥がす行為は身も蓋もないものであるが、少し許されたい。高瀬さんの作には弱者や無生物或いは無意思体・無思想体の叫びが出てくる。本であったり、ホースであったり、猫であったり、ときには男、女であったり、蟹であったり、烏賊であったり。無論ここでは《魚》である。客観に仮託した主観が短い導火線を走り抜けて炸裂する。そこに轟然と浮かび上がる無機的な自己の投影。これが、高瀬一誌の《心の鬼》の提示でなくて何であろう。

 

参考;上述に符合する典型例;積んでおく本といえども倒れるときはこらえて倒れる(スミレ幼稚園);水を全部つかってしまいしホースは音を懸命に出す(火ダルマ)

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(その2)《歌人》高瀬一誌

(2006.5.13)

2. 《歌人》高瀬一誌

 高瀬さんのような人をこそ《歌人》と呼ばねばなるまい。新聞雑誌に自称歌人はあまたいるけれど、多くの人たちは、いわば《歌がとりえ》という人たちでしかない。「全生涯」といって悪ければ「全生活」を歌に費やした人をこそ《歌のための人》即ち《歌人》というべきであるならば、高瀬さんなどはそういう人だったのでないかと思う。「企業戦士」という言葉が昔はあったが、「結社戦士」ともいうべきその日々の営みは凄まじかったのではないかと想像するのである。故人に適用するのは些か黒色が勝ちすぎることを承知しつつ、幾通りかの節で高歌放吟される文句を借りて申せば、《俺が死んだら三途の川原でヨー鬼を集めて歌会遣るヨー》というところであろう。それも2次会3次会つきの。

 高瀬さんの「全歌集」を前に、結社生活に密接した作品を探したがこれは絶無であった。校正、編集、歌会なんという言葉は皆目出てこないのである。そうかそうか。わざわざ歌う必要がないほどに、無垢、短歌人生だったのである。

よって、その人生態度の滲み出ている作品に出会うとやはり慄然とする。 

 

走犀灯の第二番譜は次の一首である。

 

この朝クロワッサンちぎりつつ今はどこなる一生のなかのどこなる(喝采)

静かな朝食だ。平穏にクロワッサンを食っている。まあ、リッチなもんだ。朝飯は毎日の区切りだが、だが待てよ。俺は今、一生のうちのどの辺にいるのだろう。来し方、先行き、いろいろあったし、いろいろある。こうやって、立ち止まって我が身を思うことすらあまりないよなあ。

 

「俺は今、人生のどの辺に居るのだろう」という問いこそは、裏を覗けば「使命感」そのものの言辞である。そしてこの歌は、「わが愛する結社のさきゆき、その中での先人や若いやつらの動向如何」を念頭に先々を思い見ているように読めてならないのである。

勿論、表記のみを追えば「朝飯を摂りながらの自己の人生確認をするさま」しかでてこないのであるが、高瀬さんを追想しながら読む《走犀灯》では、こう読まねばならないのである。

かつ、想像が逞し過ぎるとのご批判を承知で言えば、この結社戦士ぶりが、その究極の知恵を自己の作風に向け、絞り込んだその挙句、推敲の比較的要らない様式を求めて行き、件の高瀬様式に収斂していったにちがいないのである。制約された創作時間と相性の良いスタイルを産み出したのであろう。とこれには、相当な自信をもってわたくしは見ているのである。そしてこれが実は、次節の種子なのである。

 

注;無論、《短歌しかつくれぬおとこの耳がさみしきこの耳を 見よ(火ダルマ)》のような作品があることもチェックはしている。

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(その1)看板娘かサムソンか

(2006.5.6)

 

0.はじめる前に

高瀬さんについていつか書きたいと思っていた。ご閲覧諸姉諸兄はわたくしと高瀬さんの関係をご存じあるまいけれど、取りあえずは、相当程度親しくしていただいた者という認識をお持ちくだされば十分である。この後、10回の予定で、主として高瀬さんの歌について文字を連ねたいが、人物(お人柄とはいうまい)や所業(ご事跡とは書くまい)と密接であるゆえその部分にも筆が相当に及ぶことと思う。

以下、思いが募るままに、整理も半ばに書き進めてみたい。なお、この不細工な標題にも特に注釈を与えるつもりもない。お読みになればお判り頂けることと存ずる。

 

1.看板娘かサムソンか

高瀬さんは「短歌人」の看板であった。対結社外には「代紋」としての金看板、対結社内では笑顔の可愛いお店のマスコットの看板娘としてである。以下、後者につい述べる。

看板娘が嫁に行くと、いつの場合も「良い子だったね。あの子は実は俺と良い仲でね」という男がぞろぞろといたそうな。これは、彼女が不実だというのではない。その逆で、彼女は実に誠実だったのである。彼女は自分が看板娘であるということを自認していて《大切なお客さん》に笑顔を絶やさなかっただけなのである。使命感にささえられた気配りだ。なにせ、彼女にとっては殆んど全てのお客が《大切なお客さん》だったのであるのだから。

事実、高瀬さんに、個人的に思われた人は多いだろう。「人思い」の連続の人生ではなかったか。「いついつ高瀬さんから〜」「あの時高瀬さんから〜」などなどいくども聞いたものである。「なるほど、俺だけではないのだな」  

これを形容することばをわたくしは学習未熟にして看板娘以外に思いつかないのである。

とはいうものの、親玉を看板娘と呼ぶのが失礼であるならよろしい、別のたとえがある。高瀬さんは羊をよくウォッチする羊飼いだった。そうだとするならば、強力無双のサムソン。「この方が代紋が似合う」と言いたいところを引っ込めて続けよう。高瀬さんの真心指導(これは技術面でなく寧ろメンタル面だが)を受けた人々ではない羊々は限りない(らしい)。そうねえ。stray sheep

ともあれ、高瀬さんは人の面倒をよくみた。当人以上によくみた。つまり、投げやりになっている当人には特に力を貸した。この際に「良いヤツ」を使ってその人間の心的支援に当たらせていた。「良いヤツでない」わたくしでさえ、お手伝いをしたものだ。

 

ここに、走犀灯の第一番譜をおく。

 

ガンといえば人は黙りぬだまらせるために言いにしにあらず(火ダルマ)

この作品には、技法も、高瀬作品に横溢する独自の匂いもクセもない。眼前にいる相手との心理描写だけである。無防備に佇立する自然体のありのままの心だ。

おい。黙るなよ。俺が癌だといったら、こいつは黙っちゃった。つまらんことを言ったかな。(事実はつまらない筈はないのだが)

 

要するに「気遣い」のみが歌われている。しかしながら、この中に底光りする「思いやり」が見えている。見ねばならない。《〜するために、〜したんじゃあない》というのは、典型的な《弁明の構造》ではないか。弁明は、即ち自責の念のある証左。この対人上の純真な善良性に、蛇足は野暮の骨張と知りつつも敢えて言明したいというわたくしの意思である。

この自省の取り上げ方は独自秀抜。抒情の何のと文章をお書きくださる学究肌の各位にもこれには目をとどめ、耳をそばだてていただきたい。よって、これを以て、高瀬一誌十番譜の第一番とする次第です。

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2006.5.5茨城百景岡堰