漂論Jaguar

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書いた順ですのでできれば1から読んでください。さほど長くありません。便宜上、NEWが頭に来ています。

そうそう、良い子はお帰り!ここは悪い子の遊び場ですよ。

目次

1.                              短歌五重塔論

2.                              短歌プリズム論

3.                              短歌サービス論

4.                              短歌屠蘇論

5.                              硬式短歌論

6.                              悪戯の起源

7.                              短歌ヘナチョコ論

 


8.短歌楕円論

2006.5.18

 もうしばらくの間、持論にしていることがある。文章を書くたびに、発言するたびにべースにしている骨格なので、ここでまとめておきたい。

@「短歌らしく」と「自分らしく」

 短歌の勉強会はつくづくもの凄い。他人様の作品にずけずけものを言い、書き手は諾々とそれを受け入れる。甲氏のずけずけに、乙氏がカンカンと言い、甲氏がガクガクと返すのは壮麗な景観である。つまり、「短歌らしさ」という基準は、要するに厳然とあるのである。ご承知のごとく。

かくして勉強会という場で磨かれ「短歌らしく」作品は高められる筈であるが、そうなると作者はどこ行ってしまうのであろう。作者には「自分らしく」があった筈である。

どうやら、「自分らしく」作ろうとすればその分だけ「短歌らしく」が減り、「短歌らしく」作るということは「自分らしく」に犠牲を求めることになりそうのなのである。

A「キメ」と「崩し」

理想的短歌像に迫った作品を「名歌」「秀歌」と読んで奉るという不思議な慣習がこの世界にはある。これらが積算されて「良い短歌」ひいては「短歌らしさ」が形成されてしまった。

ここではこの境地に近づこうとすることを「キメ」ると呼ぶことにする。

そうすると結局は、みんな似てくるのである。わたくしとって、さらに悪いことには、評論上手がこれらの形態を括って纏めるという実態がある。「××氏や○○氏はこの傾向」という論法である。時流を捉えることこそが肝要だというもの言い。何だか、短歌世界は「独創」といって悪ければ「独走」もっとへりくだれば「跳ね返り」を許さない世界に見えてくる。

ならば、生きていてもいやさ、歌を作っても仕方がないではないか。読めばよいのだということになる。短歌の花の下に茣蓙を敷くのであれば「自分らしく」やらねば意味がない。となれば、「キメ」に対する対抗ワザとしての「崩し」に頼るしかない。

B楕円の焦点

短歌の自然体を円として、縦方向を「短歌らしさの軸」、横方向を「自分らしさの軸」と考える。こいう形だと、縦に引っ張ると、つまり、キメにかかると「短歌らしく」なり、横に引っ張る、つまり「崩し」にかかると「自分らしく」なる。この焦点の定め方が作家姿勢になるのである。

入門書はことごとく「短歌というものは」とあるようだ。とんでもない。いや、一部とんでもない。つまり、「自分というものは」が先ずはなければならない。このサイトに「現代短歌出門」という乱暴な文章を大昔に書いたが、今、整理すればこういう楕円論に帰着するのである、と付言させていただこう。

C「詩法」と「詩精神」

そろそろお飽きになる頃。結論を急げば、縦軸は「詩法」、横軸は「詩精神」なのである。実際には、楕円を、縦に引いたり、横に引っ張ったりするのが作家という作業なのだが、これを、「詩法」と「詩精神」のせめぎあいと規定したいというのがここでの結論であり、わたくしの持論なのである。

「詩法」に走り「詩精神」を忘れがちになるというのが短歌および短歌社会の環境に金する「風土病」あるいはその体質に起因する「持病」でることを認識しつつ、敢然、「詩精神」「自分らしさ」に目覚めて頂きたいと特に若い人たちに願うのであるが、いかが。


1.短歌五重塔論

《短歌の柔構造性》

2005.7.11

@柔構造という特質

短歌は五重塔である。先ず姿がご存知の5句。5句はすなわち5階層、その5階層それぞれが5音か7音からなり、さらにそれが、それぞれの階の中で3音+2音、3音+4音等の組み立てから積み上げられるという完全なモジュール体なのである。

では次に、なぜこのモジュール体が柔構造なのかということになるが、実はそれには前提がある。短詩形の場合には「全体が有限である」という、書き手、読み手間の共通認識が先験的にあるのだ。つまり、短詩形は一般の文学作品よりもこの両者のコラボレーション的色彩が強い。読み手側に予定的な終結がある程度見通せるため、表現の過程で、もし、澱みやつまずきが起これば、読み手にはそのトラブルを回避して目的に達するために何とか補整吸収しようとする力学が働くのである。定型を前にした読者はその予定調和を前提に作品に臨むから、想定領域から逸脱しそうになると、必ず、何がしかの補正矯正作用を求めるのである。「あれ、まてよ」が「ああ、なるほど」に変化するまでの推測、忖度、記憶再生、類推、洞察など相当の努力という支援の過程である。実際、このプロセスがあればこそ書き手も読み手もそのために尊い時間を割くのであるから。創る喜び読む楽しみといってしまえばそれまでだが。

このことを、わたくしは、見方を変えて、客体にその要因が潜むというところに光を当てて、詩形が柔構造だといっているのである。実態は、作品が、あくどい、元へ、積極果敢的方向に傾きかけるとき、次の階のモジュールの中で読み手はその補正を手がけ、いつのまにかケリをつけ、そのストレスを癒して収束するというプロセスを採るのだが。

書き手と読み手の間に「歌心」という共通の通い路がある限り、つまり5階層を貫く「歌心」という柱さえ通っていれば、この5階建ては極めて自在に自主的にバランスを取りうるのである。この際に2音3音の擦れあいや、散文に比べて目立ち安い音数の過不足のもたらす「奇妙な風合い」が先に挙げた「支援力」を駆使して効果的に作動し、収まりを見つけてしまうのである。(この呼応の仕掛けについては「プリズム」と称して別項で述べる)

ところが、この自動修復作用が実際にはなかなか利き難い。それは読み手が妙な「専門意識に侵されている」場合である。「こりゃあヘンだ」という「お悧巧の壁」が災いをなすのである。短歌を古典芸能的に捉えれば必ずそうなる。約束事違反を許さないのが「古典芸能の壁」だ。もっともこういうむきはこの頁には絶対にお見えにならないいわゆる「お偉い方方」に多く、ご本人方は「文芸の徒」のお積りだから、それに軽意、いかんいかん、敬意を表して「格調の壁」と言って差し上げるくらいの雅量はわたくしにもある。

ただ、こういう完全なモジュール体で衝撃を吸収することが《しやすいのにあまり多くの人がしようとしない》という事実を悲しんでここでぐずぐず述べているのである。五重塔は中で少少暴れても壊れないほど強靭であるのに、しゃちこばってとり澄ましている必要はないのだ。でも、暴れる人が少ないというのも事実で、これは残念な話ではある。

それでも、元気のよい硬式短歌(これについても別稿を起こしたい)は少なからず乱れ飛んでいる。実験的な作品が柔構造の中で魅惑的に漂っているのに、能天気なネコは憤然として「なっとらん、非常識にも程がある」などと言いながらコバンのギザギザで足の裏を掻くのである。

 

A    歴史的存在という特質

短歌が五重塔であるといいたくなるもうひとつの要素は、風雨に耐えて永く存立しているという点である。「ことだま」として崇められたり「第二何とか」とか不当な侮蔑の向こう傷を負いながらも延延今日に至っている。その短歌がケータイさえも取り込んでしまうのは短歌の「徳」というものであろう。

永い時間に耐えてきたものの最大の強みは、語彙や用法の豊富さである。闇鍋のようにいろいろな素材を持ち込んだ先達も多いから詩語・前例などは驚異的な数と範囲に及ぶ。

さらに、本歌やら返歌やら狂歌やら啖呵やらなにやら、派生が派生を生み、支流が本流になったりする。もともと、中央と辺境とか正統と異端とかいう組み合わせは、寧ろ補完的にそれぞれが相俟って機能する筈のものであるから、その混交は自由自在、にぎにぎしいことはこの上もない。広大な空間に新旧高低強弱硬軟の音響が飛び交っているのである。

あらゆるものを併呑してきたタフそのものの総和の姿なのである。

「歌心」を柱とする柔構造の雄姿、その表層を装う古今の色彩の多様さ。さらに、毅然と聳えてもらいたいし、聳えさせたい五重塔なのである。

以上

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2.短歌プリズム論

《2つの心の境界面》

2005.7.29

@何故プリズムか

変哲もない透明の光線が七色に分光する様ほど劇的なものはない。プリズムは神秘の媒体である。神秘というと天然のものが多いが、これは珍しく人為のものである。そして短歌はプリズムである。変哲もない観察・思惟を忘れ難い語句編成として意識に作用し、しばしば受け手の脳裡に終生、痕跡を残すからである。

これを役割という角度から捉え直せば、共に、先ずプリズム到達時の「変質」、次いでプリズム通過直後の「展開」ということになる。白色光線を異質のものに変えるという過程は、結果的には白色から赤色や紫色を「取り出し」て見せつけるということにほかならないからである。

いずれにせよ、プリズム到達前とプリズム通過後では同じ光線ながらその態様は著しく異なる。その通過の過程で起こっている現象をここでは楽しくなぞってみたいのである。  

という次第でこの後、しばしの間、「漠としたポエジーを鮮明なインパクトに変えるのが短歌である」という理屈にしばしお付き合い頂こうと思うが、こういう手続きに価値をお認めになりますか?

白色光線にも本来の美しさはあるのだが、あまり感銘深くはない。分光されてはじめて人は驚くのである。同様に、散文やら日常の場面に潜む「漠としたポエジー」としての言葉も詩に昇華されてはじめて「鮮明なインパクト伴なって」驚かれるのである。この「見慣れたものを見慣れないものに転換する」ことは人の世で極めて重要ではないか。

ところで、屈折の定義は、「光線音波などがある物質から他の物質へ入る場合に、境界面で方向を変える現象」である。ここで重要なのはこれが起こるのが「境界面」であるという点にあるとわたくしは思う。

A分光のプロセス、2つの境界面での作用

無論、境界面はふたつある。大気からプリズムへ入るときと、プリズムから大気へ戻るときである。

ここでプリズムの中を異界、この世ならざるものと考える。短歌はプリズムであると申し上げているので、短歌は異界であるということになる。詩的言語は本質的に日常語とは異質でなければならない。よって、プリズムに入る際に境界面で発生する作用というのは、言葉に仮託されたポエジーを「変質」させるというものであり、これが、一連の表現を「異界仕様」にすることになるのである。書き手の独創のほとばしる場面でもある。なぜなら実際はここで分光が開始されているのだから。

次に、プリズムから出るときの境界面での作用も見逃せない。ガラスから大気にリリースされるときというのは、読まれるときである。読む、つまり解釈するということはこの世ならざるものをこの世に引き戻すことなのだ。解凍と呼んでもよく、デコードと言ってもいい。つまり、短歌は読まれて初めて完成、この意味で短歌は作者と読み手のコラボレーションなのである。ということは、それぞれの半製品は読者の数だけの作品に化けうるということなのだ。凡庸な半製品と凡庸な読者による凡庸なコラボ、非凡な作品になれる価値を備えた半製品と凡庸な読者による絶望的なコラボ(ブタに真珠!)、とんでもない半製品とありえねえ読み手による至福のコラボ。多くは語るまい。パートナーは大事だということです。

Bプリズムの意味と使命

くどいけれども、日常語として社会を漂う「漠としたポエジー」を短歌に引き込むとはつまりは異界化である。そのために先ず、短詩形では語同士は日常よりも相互に強い緊張感の間におかれねばならない。緊張感とは組み合わせられた語相互の間に介在する、矛盾、衝突、葛藤、軋轢、そして時には輻輳、協調等の力学である。そして、これらの状況の中で、作家(作者より強く意識づけられた主体を特に作家とわたくしは呼んでいる)の固有の美意識に統率された、主に、形式知でなく暗黙知による統制という知的作業が必須となる。

余談だがこの「固有の」美意識が「凡庸な」だったり「常識的な」だったりすると、これは「古典芸能」なり、軟式短歌になってしまうのである。

本来、短歌は第一の「境界面」で先ず、曲がらねばならないし、曲げるのこそ作歌活動というものだ。主体性が何よりも望まれる。一旦、この世の言葉を停止させて、「読み手を唖然とさせるような構成」を期すべきなのである。言い直すと、ポエジーが日常心から歌心(作歌態勢)に到達したときに、その2つの心の「密度差」によって、「境界面」が形成されるという理屈なのだ。散文の心と韻文の心は密度が違うのだから当然、大気とガラスとの間のように「境界面」ができるのである。つまるところは、同じように、表現の密度、ポエジーの密度を変えようというのが作歌態勢だということになるのである。

ここで、屈折を有効に促す表現を紹介しておきたい。語や句が短歌的印象を鮮明に際立たせる効果を持っているケースを実に多くわたくしは実際に体験している。屈折に貢献し易い語群として、古語・雅語・綺語・卑語・俗語・禁忌語・外来語、或いは引用・パロディ、はたまた回文・地口、ついでに「かも」「はも」などの助詞を伴なう擬古体等の「歌言葉や奇異語」を挙げたい。かつ、これらが一首の中で、その主調に真に適切な形で、その相棒となる語のために抜擢されれば、その効果は絶大なのである。これらが相俟ってかもし出す「短歌的雰囲気」(見かけ上はしばしば「非短歌的雰囲気」であるが)が大気中にある読み手の読み方を「支援」して、鮮明なポエジーの「展開」や「取り出し」を促すのである。

「漠としたポエジー」は最初の「境界面」の「知的作業」処理後も、しばらくは「歌心」の中をぐいぐい直進する。一途な作歌のプロセスという形を見せながら。そして最後に「境界面」を出るときに、それまで蓄えつづけていた言葉の素質を、読み手の「支援」に応えつつ、「鮮明なインパクトとして」燦然とぶちまけるのだ。

終ろう。屈折の根源にある「歌言葉や奇異語」の最終的な功績は緊張感の発生なのである。そしてこの緊張感は時に語相互の矛盾を顕彰し、内部抗争を顕在化させ、日常語であることに「いたたまれなく」させ、言語の相互作用を活性化するのである。

以上

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3.短歌サービス論

《特に若い作家に贈る》

2005.7.31

@    コラボレーションとしての短歌

短歌が書き手の読み手とコラボレーションであることに疑いはない。そうである以上、短歌の制作はテニスのサーブに極めて似ているということを述べたい、という衝動は抑えきれない。当然ながら、テニスはサーブにより始まる。もちろん、ここでは、ぽんこぽんこラリーを楽しむヒマつぶしのテニスではなく、あくまでも勝敗を意識した真剣なスポーツとしてのテニスのサービスについて考えている。

A    おどおどサーブと思い切りサーブ

 テニスのサーブには2種類ある。ぽんと打つかバシッと打つかである。短歌制作にも2種類ある。ぽんと作るかバシッと創るかである。

サーブはコートに入らなければならない、作品は誉められねばならない、そう考えるとミスへの恐れが募る。ミスを恐れればぽんと打ち、ミスを恐れなければバシッと打つ。技量の差、度胸の差、つまるところ価値観の差である。

ところで短歌は書き手(サーバー)と読み手(コート)のコラボであった。そこを考えると、どのコートに対して打ち込んでいるかというところは極めて大切である。わたくしの場合だと「名古屋の島修コロシアム」などは大方セーフと言ってくれる。ところが、歌壇のオエラいまたはご自身そう思っておられるセンセイ方のコートだとことごとくアウトになるだろう。もとより、わたくしは硬式テニスであるから、古典芸能系の軟式のコートでは殆ど「ノー!」となるのは致し方ないが。

これはどういうことか。バシッと打った球がコートを出ようとするときに、凡庸なコートはそのまま「アウト」を宣するのだが、非凡なコートは、颯!とそのラインを伸ばして「セーフ!」と叫ぶのである。また、低いボールが唸りをあげて飛んでくると非凡なコートはネット下げて招じ入れ、ここでも「セーフ!」と叫ぶのである。

アウトを恐れておどおど打つなかれ。それが入ったところで喜ぶなかれ。外れたところで悲しむなかれ。ぽんこぽんこ打って暇つぶしをするなかれ。非凡な読み手が理解してくれればそれで良いだろう。凡庸な読み手はどうでも良いいと割り切るのである。(イヌに星という、かなしい言い回しがある。イヌは高潔なのに!)

B    非凡な読み手

そうは言ってもコートごとに球を打ち分けることはできない。同じ作品は一斉に一生に一度しかリリースできないのだから。打ち分けは出来ない。打つときに、いやいや日ごろから胆を据えるだけである。

逆に、わたくしのコートに向かってくる球が例えばスピンがかかりすぎるくらいかかっていると思わず、脚が早まる。決してアウトにはしない。見切ってしまうと、アウトになってしまいそうなボールには食らいついてレシーブするのである。至福を感じつつ。

//////こう書くとオレは非凡だという論旨になるが、そう書いてしまったのである/////

以上

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4.短歌屠蘇論

《時事・人事詠との距離》

2005.8.21

@短歌は屠蘇そのものではない

短歌は屠蘇である、とは、何ぼなんでもいわない。しかし、短歌には屠蘇の要素があるということを言いたくなってきた。途中で気分が悪くなる方も出られるかと存ずるので、トラベルミンなどあれば事前のご服用をお願い致したい。

あの日、1945815日をわたくしは知らない。存在して且つものごころがついていたならば何かを感じたろうし、ものを書く習慣を持っていたならば、当日はとも角、必ず何かを記したにちがいないが。

 いかんせん、「その日」を知らないわたくしは書くことをしない。ただ、それ以降、一生生きても「その日」以外には、全く書くに値するように事象には、際会できないのではないかというのがいまの見通しである。

まだ18歳であった東京五輪の開会式は張り切って見たものの、その後、いわゆる、日本中の耳目を集めた事件のTVの生の集中連続放映は見ないようにしてきた。東大紛争、あさま山荘事件、三島事件など、全て一瞥もしていない。無論、歌にするはずはなかった。たまたまであるが、学校を卒業する当日、講堂が封鎖され卒業式がなかったことや、体育会の友人が占拠阻止に出て肩を踏まれて突破された話など聞いたが、無論歌おうとは思わなかった。当時は、学生の種々の闘争行為が全盛の時期であり、「無援の抒情」とはいうものの、その実、学生の間では逆に「大勢の抒情」でさえあった時代だったというのに。

 わたくしは口をつぐんでいた。何とも恥ずかしかったのである。ちょうど、第18回のかれこれ市の空手道大会の祝辞登壇者の全員が全員、「本日は第18回かれこれ市の空手道大会(・・・・・・・・・・・・・・・)の開催にあたり(傍点がポイントです)」と言うときには、わたくしはどうしても「その決まり文句」が恥ずかしくて使えないのである。これは、ひとえに、わたくしのヘソがまがっていることだけに起因するのはであるが。

A時代との係わり

 短歌が自らの生を貫く営為であるならば時代との絡み合いは必須である。「時代の中に生きる人間は時代とともに根性が《(ねじ)ける》から、根性そのままを歌えば良い」というのが、わたくしの早くからの持論であったから、社会事象には触れてこなかったのである。しかし、本当の理由はもうひとつある。全ての歌は少なくとも「創造性」を目指すべきであり、さらに述べれば、それら時事的な素材は、「創造性」とは相容れないと考えていたことによるのだ。正岡子規は、誰でも、猫でも、杓子でもソツなく作れる手法と理論の開発と普及を目指して、その中心に座ろうとしたのではないかと、わたくしは心イヤシク疑うゆえ、彼らに抹消された衒気ふんぷんの香川過激ではない景樹を惜しむ心境だったのです。

しかし、それにも増して、(1)あまりにも平易平板な人の良さを曝すだけの時事詠、と()衒学に徹しきった舌足らずにして剰っさえ、したり顔の(ご無礼!)自称論客の状況論との両方には胸が詰まる思いだったのである。

ついでに言うと、わたくしは時事詠よりももっと本気で状況論を捨てた。あれは、ご同業の解釈共同体、じゃあなあリズムの企画による討論会ごっこの専任事項でありさえすれば、とりあえず、創造活動には実害はないということで。

言ってしまえば、これが、わたくしが「歴史と短歌はかく係わるべし」という状況論を忌避してきた理由である。隠棲、韜晦、爺道。ただ、この間の憂さ晴らしは狂歌師の「橋柳杉太郎」なる知己がいて、時事に名を借りた揚げ足とりをやってくれていたのである。

B屠蘇習慣化への反転

じゃあ、この文の趣旨は何だと仰せであろう。少しずれるけれどもわたくしは、人事詠も歌っていない。就職、結婚、子の生誕、父の死など。唯一、母の死の時は作ったが、それも「暗落暉」という題で。なおこの、人事詠不作成の事情は殆ど、時事詠に関するそれと同じである。

ところで、屠蘇は魏の時代に起こり、平安時代に「屠蘇延命散」として渡来した、いわば薬剤である。山椒、防風、白朮(びゃくじゅつ)、桔梗、蜜柑皮、肉桂という珍奇な素材を集め、年の初めに、歳神様にお供えしたお下がりを頂くということである。この「歳神様をお迎えする」という契機にここでは着目したい。つまり、屠蘇は近親とのお付き合いのけじめをつける上で、「非日常なもの、この世ならざるもの」と接したものをお下がりとして中にとりこむのである。このいわば霊力を得て、自己の「重々しい上書き」と昨年の自分からの意欲的な脱皮をさせようという趣旨なのである。大変な知恵である。

こうなると、ここで文脈は鋭角的に反転する。無論当初から、その積りで書いていたのですが。

つまり、これまでわたくしと同じように、時事、人事を「歌の本質は《詩の生成》にあり、よって、読者を唖然とせしめるような着想にはほど遠いものである」として、遠ざけて居られる向きがあれば、その方にこそ、季節違いではあるが、屠蘇を一献差し上げようというのである。

要するに、わたくしは、815日に戦後60年に出会ったときに、短歌を通じれば《歌の視座》から歌を歌いだすことが可能になる筈なのである。新聞記事の解説とも違う、「風化させない」とかいうお題目とも違う、もっと肉を伴なった言葉での接近がありうであろう。今まで、述べてきた範囲で補うならば、根性の《(ねじ)け》という言葉がもっともこれに近い。心の痕跡を探りながら、時事・人事ををできるだけ前面に出して歌うべきであったのではないか。憚ることなく、きわめて標準的に。或いは極めて奇異に。

とにかく、人事の節目、時事の節目に当たってはその《ベース》にスパイクの端をつけるころを避けていては《真の奇異》は生まれないのかもしれないと。

以上が今年の815日の、《何も言わない状態》について悶々としていたところを素直に展開して見たものである。「当たり前のことを大層に言うな」とのご感想があるならば、説明不足。生の時事的人事的事象を、一旦、この世ならざる「プリズムのような歌の目」にさらして取り込めば、前節のような事態は避けられ、わたくしが忌避しなければならないようなことにはなるまいという考えに至ったのである。無責任にも、事例を挙げ得ていない。小文の不備であるが進路の分岐点ということでご寛恕頂きたい。

まさに、不便な状況ながら、こういう場面での作業こそ、硬軟など、自他の歌の位置づけが明確になるように思えるのである。

 

以上

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5.硬式短歌論

《短歌はどこかで勝負すべし》

2005.9.23

@硬軟の分化−硬式から派生する軟式と軟式から派生する硬式

世にいくつか硬式と軟式に分けられる技芸がある。野球であり庭球である。もっとも軟式庭球は最近はソフトテニスと呼ばれることが多いようだが、これにも何かの事情はあるのだろう。野球と庭球は元来のものから派生した方を軟式と呼んでいる。

早稲田大学体育局軟式庭球部公式サイトで同部長の宮崎正己氏は『テニスが日本に紹介されたのは明治初期であるが、そのままの形のテニス(日本でいう硬式テニス)が普及するのは大正時代以降であった。日本におけるテニスは、用具難などの理由によって、まずゴムボールを使うテニス、つまり軟式庭球として生まれかわり、日本中に普及していったのである。したがって、明治期における庭球(テニス)というのは、すべて軟式庭球のことをいっていたのであった。このような日本のテニスの歴史をふまえて早稲田スポーツをながめてみると、明治期から大正9年までの庭球活動というのは、軟式庭球のプレーを行なっていたのであり、軟式庭球の創設は明治35年であるということもできるのである。』

他方野球の方は、()全日本軟式野球連盟の公式サイトの沿革の冒頭部分で『明治6年アメリカから輸入された野球は明治、大正を経てようやく盛んになり、大正4年開催された朝日新聞社の第1回全国中等学校野球大会と、その後になって開催された毎日新聞社の春の中等学校選抜野球大会などが全国の青少年に関心と刺激を与え少年の間で非常な勢いで盛んになった。この頃、硬式野球を行うまでに至らない少年たちはテニスボールなどによって野球を楽しんだが、軽くてスピード感が伴わないなどの欠陥があり、その後できたスポンジボールも打撃にたえず破損度が高いため次第にうすれてしまった。大正8年糸井浅次郎、鈴鹿栄両氏は少年に適し硬式のように危険がなく、しかも少年たちに野球の指導が容易にできるボールにしたい着想から研究努力した結果、現在使用されているボールが誕生し、少年野球の普及とともに一般大衆スポーツとしても急速に発展してきたのである。』
 最近では空手でも硬式を唱える会派がある。これは上記の例とは逆に軟式あきたらずとして硬式を唱えるに至った逆の例である。空手での硬式というのはいわゆる「寸止めルール」という、挌技にして実際に当てないというフラストレーションを処理するためのものである。その硬式というのは、ある考え方は防具で身を固めて蹴打を交わすものであり、別のある考え方はグローブの装着によって蹴打の衝撃を緩和するものであり、更に別の考え方は、手による顔面攻撃を禁じるものである。要するにこれらのいわば妥協もまた、次の次元のフラストレーションを生むのだが、現在の方法よりもマシとの観点から硬式を名乗っているのであり、この峻別意識は気高いといわねばならない。

A短歌に内在する軟式性

いつの頃からわたくしは辟易とし始めていた。なぜなら、この社会には、「こう読むのです」「こう書くのです」「こういうのがいい作品なのでその証にこの権威ある賞をくれてやります」というのがあまりにも多いことに。

これらには共通項がある。「権威」ということだ。桑田忠親は日本の代表的芸道六種として《書道》《歌道》《連歌道》《能楽道》《花道》《茶道》を挙げる。そういう分野では芸道の極意が父子相伝、家元制度の環境のもとに伝えられてきたのである。先の「こう書くべし」「褒めてとらす」はこの思想そのものなのである。その昔《歌道》には貴族が世職を全うするための貴重な方便であったから、自らに権威づけをし、極意を勿体ぶり、弟子にランクをつけたのである。今もいわゆる《専門歌人》とやらが、職分を全うするために(品わるく申せば食いつなぐために)、自らに権威づけをし、極意を勿体ぶり、賞を濫発しているのかも知れんのであります。

要するにどう考えても短歌は《保守》なのである。《保守》から離れるのは或いは自己否定なのかも知れない。いや、違いないだろう。《保守》のためには何をする。当然、自分に似たものを跡継ぎにすることだ。跡継ぎとして認定させるためには、賞を発することだ。賞を与えて彼らに《でかいツラ》をさせれば、ご流派は安泰だ。 

賞を貰った人が偉いということになれば、その社会は、模倣社会、党同伐異社会になってしまうだろう。こういう環境下で権威者が選考の席で「新鮮だ」とういのがほんとうに新鮮だろうか。その新鮮さが明らかに審査員自身を否定するほどの新鮮さを持つ時には彼らの多くは新鮮とさえ言わずに固い頭で非難を滔々と吐くにちがいない。権威に取り込まれて権威になった者のご見識は多寡が知れている。「骨なし皮なしとっちんばらりこなーに?」「×ーんこ(汚猥ご無礼)」の世界であろう。

最後はわたくしの性格の悪さがちょと出てしまったが、短歌には軟式性が発生生成過程からやむを得ず内在すると言いたかったのである。つまり、わたくしのいう軟式とは、この伝統べったり、権威べったりをいうのである。

B千葉周作と正岡子規

 少しお口直しを。

 千葉と子規の共通点はトップシェアを獲得した商売上手という点である。千葉は従来難解であった(勿体ぶられていた)剣道の極意を簡明に、判り易く示し比較的簡単に免許を与え、多くの支持を得たのだという。子規も本来古今と万葉がかわるがわる主流を取り合ってきた背景の中で、写生一本に指導理念をしぼりこむ明快な、判り易い作歌法を打ち立てることによって一世を風靡した。そしてそれぞれ大先生になった。戦略的発想のたまものである。

 誰にでもできる剣道、誰にでもできる短歌、これ自体素晴らしい着想である。

結果、時代こそ違え、富裕層の子弟は教養として剣を学び歌を学んだ。教養として、教養として、教養として。

 教養である以上、はしたなくてはいけない。センセイについて品よくまなぶ。いけません。だめよ。おうおう、よくできたね。

基本を仕込むことも大切、教養としての短歌家庭教師としての専門歌人もよろしい、カルチャーも、TV教室もOK、軟式をたたく積りもありません。つづり方教室も文部大臣賞もそれなりの意義は認めます。

 ただ、一説に、真剣を揮う争闘の場で、道場名人の実戦凡人は少なからずいたということを読むとき、お上手短歌の文芸的価値に寒心を覚えるのである。

すみません、口直しにならなくて。

C硬式への離陸

硬軟間の相互分離はフラストレーションの回避から始まっている。庭球・野球は用具調達の困難性というフラストレーションが主な理由になっている。空手では破壊力確認という自己実現が実見できにくいフラストレーションを克服するための気高い分化であった。ついでながら、わたくし自身は防具つき寸止め(ライトコンタクトという人もいるが)を好むが、自称硬式空手の気高さは認めている。

ならば硬式短歌の根幹は何か、知らざぁお聞かせ申しましょう。

先ず姿勢です。

自身の脚の上に立つことです。偶像(イドラ)を崇めずに普通に見ることです。服従的でないことです。権威者にすり寄って行かないことです。賞は別に鬼の首ではないのですから頂いても有頂天にならないことです。つまり反権威です。短歌はどこかで勝負せねばなりません。何と?無論、過去の短歌史と。

次に作法です。

竹刀剣道にはありませんが、真剣勝負の前日には使い手は刀の「ねた刃」を合わせる、と言います。刀身のいわゆる「物打ち」部の刃に砥石でぎざぎざをつける作業だそうです。平常の「白磨き」だと刃は対手の皮膚や肉を滑りがちになるので、このぎざぎざによって、対手の肉に刃が引っかかり深傷を負わせ易くする作業だそうです。硬式剣道のゆえんです。短歌の「ねた刃合わせ」ということになれば、すれは、「何かを仕込むこと」です。《香味》のある語を入れることや、語と語にいやらしい絡み方をさせることや、短歌用語辞典に絶対ないような語を入れるとか、短歌塾で褒めている表現はどんなに気に入っていても意地でも使わないとかそんなことがあると思います。リズムや言葉を敢えて崩せば言葉の潜在パワーが活きてきます。言い方を換えれば、要は唖然とさせたい、 ゾッとさせたいという悪戯ごころを放出させると言ってもよい。短歌はどこかで勝負せねばなりません。何と?無論現代の権威と。

Dおわりに

しからば権威者は全て軟式かといえばこれは否である。党同伐異に血道をあげる権威者とそうでない権威者は厳存するからである。豪胆な人も冷徹な人も、虎の威を借りるいくじなしも、卑怯者もそれぞれどこにでもいるからしょうがないようなものだが、この両者の差異をわたくしは直覚や暗黙知で峻別している。でも圧倒的に意気地のない権威主義者が多いなぁ。

最後にもうひとつ、やわらかい歌柄がすなわち軟式というわけではない。俵さんごめんなさい。また言ってしまうが、俵万智さんは硬式ばりばりです。非伝統にして、完膚なきまでに権威筋をことごとくひれ伏させ、逆に権威筋の方から擦り寄らせた上に、その汚らしい前足で、いかに手馴れているとは言え、お手とちんちんまでさせたのであるから。

以上

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6.悪戯の起源

《主体性の回収》

2006.1.13

@世界は混沌であるから

世界はカオスであるからという点に目をつけて何かと論理づけをしたり、解剖したくなる気持ちもわからぬではない。しかし、世界がカオスであるなら、それをそのまま甘受しようという考えもあってよい。道家の思想も間違いなくそういうところにある。

ならばそういう世界にはできるだけカオスはカオスとして主体的に関わろうとしたくなるのが人情というものだ。

Aもっとも主体的であるとは

主体的という語を使うにあたって吉例により広辞苑を見ると「他のものによって導かれるのでなく、自己の純粋な立場において行うさま」とある。さて、ちらちら拡大して行こう。「他のもの」には無論、「他者」もあるがそれ以上に「規範」がある。「規範から自由になる」ということは、かなり危ないことを示唆することになろうがそれも一興。

つまり、この節では「主体的」に「もっとも」をかぶせた。このあたりもちらちら拡大すると「もっとも」とは「際立って」さらに「異常に」とまで進めうる。(いかが?)

つまり、もっとも主体的であるということは、「規範を侵犯しつつ自己の純粋な立場でことを行なう」と、ここまで捻じ曲げられるのである。(いかが?)

B悪戯の意義

ここで悪戯を定義したい。悪戯とは特定または不特定の対象にトリックを仕掛け、その対象の当惑を糧として快感を得るというプロセスをここでは指すことにする。

ところで、世に「良い悪戯」と「悪い悪戯」があるそうな。いうまでもなく「悪い悪戯」とはトリックが危険であったり、その効果が対象の尊厳を損なうものであるというものであり、「良い悪戯」とはほほえましいものを指しているのである。但し、日ごろ余りにも横柄な人間に、ひと泡噴かせるのは「尊厳」さえ損ねねば「良い方」に入れたい。

C歌の場合、わたくしの場合

わたくしは「なぜ短歌なの」と訊かれたら(誰も聞いてくれねえんですが)躊躇なく「最も主体的な表現のできる手段だから」と答えたい。無論、ありとあらゆる芸術ジャンルには「主体的な関わり」がある一方で、短歌の世界では、かつて、前衛と呼ばれた人たちがそれこそ「必死に」一人称性と戦った事実もあろうかと思うけれど、それらのうじゃうじゃも、「カオス」として眺めなおして甘受して、われとわが目で見直せば、やはり、こんな一人称にぴたりの形式はありませんよ。

D「悪戯翼」という表現

さて、ここでお尋ねします。ここまで「悪戯」を何と読んで来られましたか?

「あくぎ」「いたずら」「わるさ」「わるざれ」?

むかし歌集に「悪戯翼」と書いて「わるさのつばさ」と読んで頂いたことがありました。作歌行為が人生で許された、もっとも突出した「主体性確保」の手段なら、その作歌姿勢としてはその特性を生かすべく、最たる境地「悪戯」で突き進むべきだとの考えを真っ正直に表してみたのです。

「ささやかな、ちいさなトリックを仕掛けて、それにつき合ってもらって主体性を回収する」そんな歌が作りたい。無論、ここでのトリックとは必ずしも意表をつくものである必要はない。業界用語でいえば「リアリティ(但し、ある程度のスパイスを要する)」で十分だろうと思うのです。

他人様の作品で他人様のトリックに出会うのも楽しい。「この人、ここで主体性を回収しているな」などとは決して申しませんけれど。


7.短歌ヘナチョコ論

《詩化のキーデバイス》

2006.5.2

@何でもやってしまう親仁

その人とは良く出会う。共に犬を牽いていて、会うとさまざまな話ができる。仮に秋田さんと呼んでおく。その人の相棒の犬種にちなんで。秋田さんは78歳(そうそう、今日が誕生日だ)である。秋田さんは茨城県のM市に住んで永い。親仁さんが東京で職人さんをやっていたが、いつの間にかここに住んだという。親仁さんは何から何まで自分でやる人だったそうな。以下親仁さんを「彼」と呼ぶことにする。なお、ここに出てくる坊やが秋田さんである。

A菊達者

彼は花が好きだった。彼の親仁さんは菊を扱っていたので、彼も小さいときから菊に親しんでいた。長ずるにおよび、いつの間にか仲間内では知らぬ者はいないという「菊達者」になっていた。日比谷公園の展覧会は金賞は当たり前になっていた。無論ここには、そうなるだけの暗黙知はある。坊やこと秋田さんは、わたくしにつぶさに説明してくれたがまさか書くわけにはいかない。ともあれ、坊やは彼に手を引かれてそのつど、蒸気機関車で東京に行く。帰りには必ず、この日ばかりは身なりもしゃきっと決めた彼に連れられて《松本楼》でうまいものが食べられるので、坊やとしても早朝の起床も却って楽しみだったそうな。

B何でも屋

毎年のように頂く賞品の金杯・銀杯が家にあふれたという。そこで、彼は持ち前の器用さでその金を色々なものに加工しはじめた。そうなると、その為の設備が要る。まずは《ふいご》だ。彼は何とこれを自作した。《ふいご》に必要なのはタヌキの皮だそうで、これも自作の罠で捕らえて調達したという。無論、石炭も要るが、最終的に最も必要だったのは《へなちょこ》であるという。《へなちょこ》をご存知だろうか。字で書くと《埴猪口》となる。いくつかの意味のあることばだが、ここでは、素焼きで流し出し口のついた皿ということである。

《るつぼ》で熔かした「金」を「型」に流し込むときにこの《へなちょこ》を経由させるのだそうだ。加熱された金が接触しても割れないように《へなちょこ》を作るには一苦労が要ったそうである。

流し込んで出来上がったものは、根付やら何やらの小物、意外なものとして金歯も手がけたと坊やは記憶している。その中でも、自らが彫った根付で、鬼女とお多福の面が背中合わせになっているところへ、そのそれぞれの目に金銀を流し込んだものがあって、坊やは一番気に入っていたという。凄い迫力だったそうな。因みに、外面に鬼面、内面にお多福を描いた杯も《へなちょこ》というらしい。

ところでところで。この《へなちょこ》の製作が大変だったという。さいわい、茨城は焼物の産地でもあるから良質な土はあちこちで採れ、M市でもいい物は取れたという。しかし、この《へなちょこ》たるや、焼き方、厚み、といっても厚みの均質性と絶対的な厚みとかがかなり厄介だったらしい。「作っても作っても金を流し込むと割れてねえ」秋田さんの視線が遠くなる。

B短歌の《埴猪口性》

当面不要の金塊から、当面必要な小物を生成する過程のように、生活からポエジーを抽出する過程が短歌制作であろう。だとすれば、原料が製品に生まれ変わらせる過程たる手びねりの小さな土器が《へなちょこ》だ。これは大変な力を持つ筈だ。これがなければ、金塊は細工物に変身できない。原塊が工芸品になるキーデバイスなのである。つまり、関心を詩化するためキーデバイスが短歌なのである。

だからこそ、この製造に秋田さんの親仁さんは相当心血を注いだらしい。わたくしも、わたくしの関心を壊さずに整形するためのキーデバイスを作り続けているということになる。

もっともこの《へなちょこ》は彼の細工人生のうちでこれはほんのトバッ口。もっともっと何でも作るレオナルド・ヒラガなのである。機会があればその全貌ならぬ半貌でも紹介したい気分が湧いている。

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