石川恭子十番譜あるいは白月・黒月

ラインナップ

第一番譜 死への近接と回帰願望〔歌集《繊月》より〕

第二番譜 群作の企図〜統合までの執着〔歌集《木犀の秋》より〕

第三番譜 『一』への傾斜傾向〔歌集《蝉坂》より〕

第四番譜 鴉への集中視線とその展開〔歌集《朝鶯》より〕

第五番譜 群作の企図(その2)一点集中と車懸り〔歌集《花鳥記》より〕

第六番譜 群作の企図科学的思弁の羽化〔歌集《黒天球》より〕

第七番譜 熟語文脈の企図するもの〔歌集《つゆくさ》より〕

第八番譜 人智と大地の平衡凝視〔《大地晩餐》より〕

第九番譜 (その9)百花繚乱獅子牡丹〔《蘇鉄の花》より〕

 

 

(その10)比翼の一翼の回帰〔《森の梢》より〕

(2006.11.26)

10.比翼の一翼の回帰

『森の梢』は2003419日刊、夫君ご逝去の正1年後の刊行である。45年の比翼の生活の最終期、1か月余の入院の病窓から見える根津神社の森の梢が集題であり、かつこの一篇は夫君への思いに満ち満ちている。

「風呂空いたよ」といふ君のこゑ日常の中に埋没しゐしそのこゑ

石川さんの歌には家族が登場しない。わたくしがおなじなので逆にそれが気になっていた。つまり、わたくしと同じ気分なのかどうかが。

訊いても仕方のないことでもあるけれど、やはり、そういう《位》で歌を書いているのだろうということは間違いない。

であるから、第十番譜のこの作品はこの流れの中では、この、《生の言葉の呈示》は異色のものといってよい。ただし、こと『森の梢』に限ってはこれが噴出する。ただし、「もう遅いよ」「あす早いよ」「あの世まで働くのはごめんだ」などなど、多くは入院後の記録調のものである。

しかし、「風呂空いたよ」は平穏・幸福の象徴のようなことばだ。石川さんが一番好きな大切な時間の記憶であるにちがいない。しかし、しかし。ここにも石川さんの言葉遣いがにじみ出る。つまり、『日常』であり『埋没』なのだ。やはり自家籠中の言葉遣い。歌言葉が《硬質》なのでなく、声帯以前が硬質なのである。よって、本作品、上句はきわめて一般的、下句はすぐれて特殊的な言い回しとなっている。つまりは、十番譜はケンタウロスのようなつくりになっているのだ。

 

戦士ともはた殉職ともいひつべしひたすらに休みもとらざりし診療@

雨と降る矢の中を素肌にて遮二無二ゆきしにひとし夫の倒れぬA

明けてゆく森に舞ひそむる鳥のむれ生命(いのち)あるをゆるされてゐる者らB

臨終の一部始終を見届けし白蘭はふかきしづもりにありC

 

わたくしの父方の親戚や交友関係には医師が多いが、その割に生活感に関する情報は少ない。つまり、@Aの激務のさまは家族以外にはつたわりにくいかも知れず、そういう意味から、ここでは石川さんは《証言者》として、めずらしく声高に非業に言い及んでいる。

最初の回で《死生観》について述べたが、家族の死期が自身の医師目であきらかになりつつあるときには、理のまなざしとはちがう情のまなざしが表われて来るのだということが見とれるのである。もっともこの間に15年という歳月もあるのだけれども。

そうは言っても、BCはやはり沈着、心を底部へ沈めてゆくのである。

 

11.おわりの後で

 

本歌集のずっしりとした質量を手にしたときに、自分なりに読んでみたいと思ったが、通読+総括というのは苦手作業なので、一冊ずつ手で撫でるやり方を取ろうと思い立った。そしてこの4か月半はどうやら石川さんの足跡にそって幾つかの尾根を伝い歩き通せたという充足感がある。

蛇足をひとこと。拙稿、はじまる前に、風任せ宣言をしていた。しかしながら、小稿は《いたって》風任せながら、いやいや、風任せであるが故に、この中には自論拡張のための牽強付会は一行もなかったことを付言しておきたい。

この間にお読み下さった方がひとりでも居られたら御礼を申し上げたい。

【完】

 

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 

(その9)百花繚乱獅子牡丹〔《蘇鉄の花》より〕

(2006.11.12)

.百花繚乱獅子牡丹

『蘇鉄の花』は2001年5月20日刊、前集刊行より半年を経ずして出された631首を収める第十六歌集である。作歌期間は1998年である。集名は、石川さんの庭前の蘇鉄の花の数十年ぶりの開花に因むという。石川さんは蘇鉄を見つつ、《独自に生きる数十年の周期をもつ古代からの植物》という敬意を抱く。さて、わたくしもそれに沿うて見よう。

牡丹にたはむるる獅子その大口花より紅し花より熱し

獅子と牡丹の意匠はわたくしにはひときわ馴染み易い。《浅草(エンコ)生まれの浅草育ち》は三十年来わたくしの《出囃子》になっているし、一筆箋は永徳のものを愛用している。何はともあれ、獅子&牡丹はつまり、シンボリックなまでにすぐれて東洋的、情緒的なものなのである。つまり、そもそも、わたくしと石川さんのメンタリティはかなり遠いところにあり、それゆえに、敬意をいだているのであるが、そのサイエンスばりばりの石川さんから歌い出される《唐獅子牡丹》は何とも印象深い。

日本画の獅子はデフォルメされきって、寧ろ、白虎だの麒麟だのという神獣に近かろう。なればこそ花とよく絡み合う。獅子と牡丹との取り合わせの意匠は、無論、眠り猫のイメージともかさなる。獅子でさえ牡丹の傍らでは平穏になるということ自体、がノンサイエンスの極みであるだろう。

ここでの獅子は花に戯れているのである。そして視線はあの巻き毛の鬣でもなく、尾でもなく、口なのである。口は大きく紅いという。つまり、口と牡丹の同一視、植物の中の動物性を見たということか。そうなるとこれは不思議な《生命観》につながってゆくようにも見える。そうあんると、『あやの輝き』こそはその導入剤ではなかったか。

そうはいいつつも、この作品は徹底して幻視のなかに自らを閉じ込めている。確かに牡丹はその高い香りもあり、人を陶酔に導きやすいので、その嗅覚に隣接する半幻覚の世界なのだろうか。この一連は、下記、@からはじまり、冒頭の作にうつり、Aで結晶する。石川さんの常の作とは趣をことにして獅子が舞うのである。ここでの石川さんの情緒の流動はとても素直である。

 

百獣の王なる獅子を配するにはほかなき牡丹のあやのかがやき@

乱れ舞ふ獅子の幻顕ちそへば冬大牡丹いやかがよへるA

その血もて経文を書き記しつつ公暁に永かりけむか憤怒はB

体内に開花遺伝子組み込まれ時得て発ししや大蘇鉄株C

しかし、探してみれば、東洋的幻視は他にも例がないわけでもない。鎌倉を訪れて悲運の貴公子公暁に思いをめぐらせる連作もある。

Cは集題の蘇鉄。ここには、本来の石川さんらしい視座が見える。これが、彼女の花の《愛で方》なのである。

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 

(その8)人智と大地の平衡凝視〔《大地晩餐》より〕

(2006.10.29)

8.人智と大地の平衡凝視

『大地晩餐』は2001年5月20日刊、前集刊行より半年を経ずして出された788首を収める第十五歌集である。但し、作歌期間は1997の作である。集名は、満月が昇天する時刻が地上の晩餐の時にあたることを意識してのものであるという。

石川さんの科学的な視線についてはかねてから述べ続けているが、この集名を見れば、それは、その視線が《地上と天上両にらみ》であること、すなわち、地上を見れば天上を思い、天上を見て地上を考察するものであるということがわかる。

人遺伝子もてれば羊ポリーの脳に在る刻を一閃の人智射すべし

1997年といえば、医学人にとっては、心をゆさぶられた年であった。英国の研究機関からクローン羊《ポリー》が発表される。医療に用いられる主体成分の再生を目的としてクローンが作られているのだ。生殖なき発生などそれだけでも歌に身をやつすわたくしなどには耐え難いが、こともあろうに、と言ってはならぬか、ヒトの遺伝子を組み込んだクローンとして作られた生命が出現したのだ。ヒトの血液凝固因子を再生させるという目的を考えるならば、当然、ヒトの遺伝子は必要なのであるというのは判り易い理屈だ。となれば、医療科学にとっては、進むべき道なのであろうが、石川さんは賛否こもごもの思いでこれを見続けていたように見える。たぶん、部外者より濃厚な情報、たとえば、学会誌でその恐らくは黒黒とした眼でも見たであろうから、その情報は質量共に豊富であり、それだけに思いはいやが応でも強かったことであろう。

さて歌の体裁は、得意の《要所漢字固め》で決められている。この作品は、下記@〜Bの(この主題のものはまだいくつもあるが)いわば、こわごわと眺めているポリーに対して、決然、医のはらわたから、《賛意を明らかにした》のである。ある意味で、哀れな、スケープゴートならぬスケープシープに、智の光の射す瞬間のあらんことを祝して、以て瞑すべし、という結論に至ったものなのであろう。

人遺伝子を持つとふゆゑに瞠ける羊ポリ−の瞳を怖る@

人遺伝子まじふるクローン羊ポリー立ち蒼然として昏れゐる地球A

半獣にして半人の貌ここにクローン羊ポリーのくらぐらと立つB

明滅し動く灯の群れ眼の下の大地光の都市を満載すC

『大地晩餐』をそのまま詠いこんだ作品もあるが、この作品も同系列に加えたい。人智と大地の平衡凝視の作品として。かつ、わたくしは、ここばかりはリクツを抜きにして、この結句の据え方に、この筆法にわたくしが甚大な好意を持っていることを敢えて書き残しておきたい。

先にも述べたとおり、@〜Bが、科学(いわば天上)と人智のはざまのこころの動きが、動揺という表皮をまとって、意図的に素直に動いているのだとわかる。

さて、ここでは異質のC。

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 

(その7)熟語文脈の企図するもの〔歌集《つゆくさ》より〕

(2006.10.15)

7.熟語文脈の企図するもの

石川さんの科学的な視線については前稿で述べたけれども、この《科学的視線》は漢字連綿体に親しみやすい。わたくしでさえ、日常の語彙から、言葉を起用すると、得てして、熟語熟語になる。これらをせっせと駆逐する《やまとことば派》は結構多いらしい。なぜなら、わたくしは、漢字が多すぎるという大きなお世話のクレームをしばしば頂戴してるのだから。

さて、前おきが長すぎた。『つゆくさ』は20001220日刊行、661首を収める第十四歌集である。前集刊行から僅か10か月、折しも『現代科学の尖端の「核」の持つ意義』などを『あらためて考えつづけた時期の集でもある』とあとがきにある。

 

三浦半島剣崎灯台群白色閃光こなた房州洲崎灯台赤白閃光

大相撲の行事のように、唯一のひらがな「こなた」を中央に配して、東西の光景を全て漢字で連ねている。石川さんの観察とその結果の表現は行き届いていて、三浦側の灯台だけが複数、そして三浦側が赤、房総側が白と光源の差異もあきらかである。また、《つるぎがさき》《すのさき》とともに仮名を隠し持つ語群を漢字で連ね通しているのも目を引く。いずれにしても、この作品は字面の効果を活かし切ることを目論んで作られた作品に違いないのである。

 

心慰めがたし臨海副都心同型の高層ビル群の散在@

町並を一変せしめ建ちそむる高速路橋脚細部の構造さらすA

鶴岡八幡宮の大銀杏大裸木樹齢千年に見しは茫々B

鎌倉八幡宮末社尾久八幡の昼さびて梅雨のあめ強くまた振りそそぐC

 

@の構成は明らかに熟語の相互作用が意識されている。それも都市型がりがりの、やまとことばとは程遠い熟語である。その通り、そのいずれもが無味乾燥の雰囲気紛々のは熟語なのである。ついで、Aはその路線をさらに推し進めた感が深い。石川さんがこれらの都市化傾向に好意を抱いていないのは末尾の『さらす』に明らかである。

しかしながら、Bとなると、『おおいちょう』のような訓読み熟語が交えられ、朗読の際に『おおいちょうらぼく』のような、陰陽あわせもつような熟語の波動が課せられている。このことから、Cのかなり自然な流れのなかでも、わたくしは何となく、作者の創作意図を感じ取りなが読むことが出来るようになるのである。

 

何事も執拗に取り組めばかなりの構成が構築できる者である。要はどれだけ真剣に意図的であるかであろう。熟語文脈の企図もよくよく眼を凝らせば見えてくるものなのである。

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 

(その6)科学的思弁の羽化〔歌集《黒天球》より〕

(2006.10.1)

 

6. 科学的思弁の羽化

石川さんの科学的な視線については小稿の駆け出しから書いているが、今回はどうやらその点にしぼりこむことになりそうである。

『黒天球』は2000222日刊行、500首を収める第十三歌集である。《黒天球》は全集の中でも間違いなく主峰と思われる歌集である。石川さんの世界観、生命観が色濃くでているものだからである。

これもあとがきを参照すれば作歌期間は約1年、「生命がどこから来て、どこへ行くのか。宇宙を創造した者はだれなのか。」に思いをめぐらせていた時期なのだという。

三日月は洩らせるひかり黙々とくらぐらと転ず黒天球は

月を名づけて《黒天球》とは言いも言ったり、以前に《石の花》とも詠んでいるが月の観察者としての面目躍如である。月に見えない黒い部分があることには、みんな小学生の頃から気づいくように思うが、ここではそれを炙り出して、三日月の部分はせいぜい《洩らされたもの》と貶め、《黒天球》を際立たせている。『黙々とくらぐらと』自公転するものと紹介されると月は重厚さをいや増す。全存在感が際立つのである。

さらに、この黒天球を紹介するような筆遣いの作品が直前に仕掛けられている。

 

二日月重く抱きをり浮かびつつ見えざる暗黒の全月球を

 

これもあくまでも主体は《黒の部分》である。二日月に抱かれているというのだ。目の及びにくい実態をムリをしてでも見ようとし、それを浮き彫りにする探求型の目に大いに敬意を抱く次第である。

老いと死ののちの新生月齢一・〇の月西空に見む@

月齢〇・〇暁闇(あかつきやみ)のかなたにて煌々と全き月の貌あらむA

始め知らず終りも知らぬあめつちに一閃の生をしも賜りぬB

刻々に生命燃えしめ地芯深く火を抱きいる地球に棲めりC

 

冒頭の引用歌から、3、2、1、0と遡り続けている。どうもこう鮮やかであると日々に一首ずつ作ったとは考えにくく、プロットの勝った連作と見做さなければならなくなってくる。否、否、否定的に見るのは心がケチ臭い。ころこそが、多くの歌詠みに欠乏しがちの《科学的思弁》の所産なのだろう。その結果、作品それぞれには凝視のプロセスの所産が躍り出るが、この過程は《‘生物‘学’》よろしく《羽化》と呼んでおきたい。

つまり、@、Aは推量やら意志の勝った状況なのであるのに対し、一転、2日3日をとなると視線が強く打ち出されてくるのである。鮮やかなプレゼンテーションである。

 

無論、月の満ち欠けは、再生の象徴であるし、喩と考えてもよい。生まれ変わりや輪廻、再生、種の継続維持等々死生観が反映され、且つ増殖する。

その延長線上に、己の生の《一瞬》と見て取る感覚や、地球の、永いがそれとても永遠ではないという生命への気づき、それらを浮かべている無限の時間軸等々が、当然に自然に湧き出して来るのである。

 これは、空理だろうか。空論だろうか。上ッ面だろうか。断じてそうではあるまい。歌という《鎧通し》を手強い対手にずぶと押し込んでいるのである。

強烈な第五番譜をお届けできたという満足が少しある。

 

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 

その5)群作の企図(その2)一点集中と車懸り〔歌集《花鳥記》より〕

(2006.9.17)

5. 群作の企図〜一点集中と車懸り

以前に「群作の企図」については2つのことが言えるといい、先ず、第2回で「統合に至る執着」について述べた。そして、今回、さらにもう一つの企図について述べる時期が来たようである。

さて、『花鳥記』は1999325日刊行、570首を収める第十二歌集である。これもあとがきを参照すれば作歌期間は約1年半、「人間を見つめること以上に、花鳥を見つめることは、生命自体を明らかにしてくれることだったと思う。」とある。

そして、この集の圧巻はまたまた「鳥」に関わる部分なのである。「水鳥記」なる一連55首、その後に「水鳥誌」31首がある。前者は水鳥に対するいわば相聞歌であり、後者は挽歌である。

はろばろと池面(いけも)を遠く吾に来しただ一羽棲みゐし白き家鴨汝

 

『来し』からお判り頂ける様に、挽歌である。万感の思いをに流し込んだ歌だ。思いが溢れた結果、あられもないままの過剰表現になっている。ここには、平素の怜悧はその片鱗もない。七七のところを九八とし、五つの要素を流し込んだ。法名を故人の特を反映させるように作る宗派もあると聞くが、それを思い起こす。

『回想してあげられるのは私だけ』との思いもあったか。施主に近い思いもあったか。一連からもう一首。

汝が死にし池の汀をゆきもどる光かがやく春くるなかれ

《この池に春は来てはいけない》最愛の者を喪失した者が口走る、理不尽の思い。ここにも理性は影もない。手放しの哀哭である。この、悲しみの二挺の鉈の痕は読み手の心に深く刻まれるているのだ。

 

ただ、この衝撃には実は伏線がある。1年半で570首という体勢であるから、この歌集での披瀝は実はかなり全体に於いても精緻なのである。

ここで、上記で述べた、この作品に先んずる「水鳥記」55首からお見せしよう。

いつよりかこの池に見る白家鴨引越す飼ひ主の持ち来しといふ@

水に棲む鯉も家鴨もかなしけれ油さへ浮くこの濁り池A

わが恋ふる水鳥一羽ゆくゆゑに冬の池の()光わたらふB

白き羽毛にふくらみけれど手に抱きて軽き家鴨汝のいのちかなしきC

 

プロフィールの紹介が@、現在の状況がA、日ごろの思いがB、大寒の日の死との対面がCである。正に、相聞の起承転結、愛と死である。

時に、戦国時代の兵法に《車懸り》というのがある。有名なのは川中島で、鶴翼に布陣した武田軍に対して謙信が用いたものである。騎馬団を亀甲型に結集して、一騎、一騎、また一騎と入れ替わり立ち替わり、同一対象を攻め、一点突破を狙うと言うものである。石川さんの連作の効果として《理論的統合性》が際立つ旨を、第二譜の際に述べたが、連作の作用は《情緒的連綿性》にも大きな成果が齎すことができるということも、明確に示したのである。その連綿のピークで石川さんが実にあられもない涙顔を覗かせる。わたくしには、何とも感銘深い第五番譜なのである。

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 

(その4)鴉への集中視線とその展開〔歌集《朝鶯》より〕

(2006.9.3)

4.鴉への集中視線とその展開

『朝鶯』は1998420日刊行、305首を収める第十一歌集である。これもあとがきを参照すれば作歌期間は約1年、「朝の鶯のように無心な歌でありたいと希いつつ」編んだとのことである。

さて、第四番譜もまた、鳥である。

遺伝子は黒を出でざり鴉らの目にはその黒微差のあるべし

前稿でも石川さんのかなりのキャスティング好きについて述べたが、本稿では鴉のそれに注目する。

鴉を詠うに『遺伝子』から入るのが石川流。それを受ける『出でざり』で遺伝子論的視線から宿命的な限界を表わす。そして、その眼はやがて鴉世界の内部に分け入って、「《微差》によって、相互にアイデンティティを確認しているのであろう」と結論づけるのである。ここで『微』によって、(種としての)鴉の感受性を嘉しているのはいうまでもない。

実際、鴉の相互認識性は極めて顕著である。わたくしが、毎朝、犬と歩く道の上に、同じ場所、同じ時刻に、《一対の》 鴉を見受ける。どう見てもカップル。こんなにも相互に強い同一性感覚があるのかとほほえましく見ている。動物学者はその見分け方のメカニズムに精通しているのであろうが、そんなことを知る由もない日常人には心に留まる好もしい風景として見えている。

だから、石川さんの心持もよく判る。この作の視線は動物学のものでも、また職業上のつまり、医学や生理学の眼でもない。いつくしみの行き着くところなのである。

 

ところで、これは、この歌集では次に示すような、先行作の到着店として登場してくるのである。『朝鶯』は石川さんが鴉を見つつ、その見方を深めてゆく側面をも同時に物語る歌集でもあるのだ。

雌雄をも個の貌も見分け難きかな覆面天狗鴉群る@

愛の言葉言ひけむものを鴉その濁み声を人は忌むなるA

烏合の衆烏有に帰すと昔より人間に鴉らは黒き虚無B

飛ぶ鳥のあまたの中に若鴉ある日全黒を悲しまざりしやC

 

以上は登場順である。無論、この他にも鴉を詠った作はあるが、インパクトは上記の作品たちの方がわたくしには強かった。

さて、ここで鴉に集められている特質は、@では《没個性》という不遇、Aでは《非美性》という不遇、Bでは言わば人間から蒙った《文化的》な不遇、Cでは《没個性》《非美性》両面の不遇、ということに相成ろう。そして、最後の1首では、その負わされている宿命的は悲哀を『若鴉』に集中させているのだ。

お判りであろう。@では作者自身まだ鴉には好意的ではない。だが、ABでは《人間には愛されがたい宿命》という暗部に眼が及び、Bでは《若い世代》に寄せてついに《同情心》が芽生える。

つまり、@Aを《起》、Bを《承》、Cを《転》とした《結》として第四番譜の歌が存在するのである。

であるから、冒頭の例歌は@〜Cよりも少なからず切り込みが深い。鴉には鴉なりの世界も真理もあることが詠われる。『微差』というのは、人間のレベルを鴉が超越していることさえ暗示する。種としての『遺伝子』の限界の中ながら、個の特性はきちんと存在するという《肯定》と、それを支える作者の《やさしさ》が見える。

こうしてみると、それまでのいくつかの相で石川さんが認めてきた《不遇》の中には、実はやさしい視線が秘められていたのだということが見えてくるのである。

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

(その3)『一』への傾斜傾向〔歌集《蝉坂》より〕

(2006.8.19)

 

3. 『一』への傾斜傾向

『蝉坂』は19941128日刊行、407首を収める第十歌集である。これもあとがきを参照すれば、作歌期間は2年弱、「都市再開発」に起因する「街の破壊と建設」を目のあたりにする時期であるという。

 

今回は早々に第三番譜をおく。

けんめいに羽ばたきて風に飛び立てる鳩一躯あり重し鳥体

 

わたくしは、この下句の七七をこよなく愛する。漢語脈をうまく駆って、うつくしい歌言葉に仕立て上げている。今日現在、この種の妙味を味わわせてくれる作家は極めて稀である。

他方、歌意を追ってみても、誰しもが重いとは決して言わない鳥の体の重さを指摘しており、その重さも、強風を突いて飛ばねばならない《優しく弱いものにとっての重さ》として描かれているのが斬新だ。

ただここでひとつおかしいのは、石川さんは、その理智的な作歌スタンスにもかかわらず、意外や、かなりのキャスティング好きで、鳩はあくまでも優しいものとして扱われ、建設機械には無条件で敵役がはっきりと割り振られているのである。(ところで、以下の引用歌はすべて『一』を含んでいる。事情は次に述べる。)

 

人よりも優しきゆゑに鳩として生まれてゐる一群か地にし遊べる@

なめらかなる舗道の上に一撃の傷あたへられ高速路工事始まるA

パワーショベルの崩しし店跡たちまちに黒土の狭き一劃となる

少し、字句に目を移す。下句で大いに存在感を示している《一》であるが、これは石川さんの薬籠中の語で、全集中にしばしば登場する。たとえば。

清らかに老いし一躯といふなかれ汚辱の世をくぐり磨耗せるのみ

ここでも《老骨》を《美しからざるもの》と規定的に断じている。でもこれはむしろ医師の眼。

 

勝鬨橋はるけき空にふりさくる海わたり来し雁の一むれ

地の上にとりわけて灯の美しき一郭を指して羽田といへり

天気図に早春の雲乱れゐしがフロントグラスに今雨の一滴C

 

もうひとつ。本集中には、実に多く、『一』を伴なう語の起用が目立つので、ここで『一』について考察することにする。『一』がもともと、いろいろの意味を構成するものだからだ。

先ず、第三番譜の『一』だが、この『一』は、周辺からその主体を引き立てるべく機能している。これは『一』の基本的な役回りで、引用歌中の@をはじめとして、AB以外は全て同様の機能のために起用されている。ついで、ABの場合の『一』は《最初の》という意味合いが加わり、変化の《起こりバナ》を捉えているといえるであろう。

いずれにせよ、『一』は、截然とした事実を極めつける姿勢と一致するものにちがいないのである。硬質な格調のひとつには『一』に端を発するものもあるのである。

本集中のその例は、一つ、一望、第一報、一店、一日、一羽、街一つ、一木、一番花、一里塚、一角、統一、一さじ、一輪、一年、一すぢ、一刻、および一もと、これが全てである。勿論この中には繰り返し起用される語も少なくない。いずれも《きりり》と置かれているのである。

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

(その2)群作の企図(その1)統合までの執着〔歌集《木犀の秋》より〕

(2006.8.5)

 2.群作の企図〜統合までの執着

『木犀の秋』は199381日刊行、368首を収める第九歌集である。作歌期間は2年間、「独立した子供たちとの別れ」「亡き父母の心を思う日々」とあとがきが記すように、石川さんの歌集の中での位置づけを敢えていえばもっとも《おとなしい》もののようである。

 

歌集のなかでさらに《木犀の秋》を章題とする作品は次の一首で始まっている。

 

夕べふと木犀の香のただよへりかそけき飢ゑを秋といふべし

しかし、わたくしは、ここに感じ入るつもりはない。

 

石川さんの本に接してつくづく思うのはその群作に対する執着である。そのゆえんを手繰ってみて、いまふたつのことを思いついている。そのひとつをここで述べたい。

『木犀の秋』には鳩と噴水が繰り返し登場する。執拗といってよいほど、その両者が登場する。無論、病院になじみ切った素材でもあるけれども。

 

冬木立に人まばらなる公園は鳩おどろかせ噴水起る

群れなして飛び立つ鳩の衝動をみればおどろきやすき優しさ

餌を撒けば鳩はひしめくつかのまをなまなまと近し小さきいのちは

何に統べられゐる鳩かいま一群に梢の空を廻りてゆけり

 

石川さんは鳩をもまた《統べられ》たものとして捉えている。鳩を見続けているとそれが判る。おそらく噴水も含めて、関心の強い事物についてはそのような視線で眺め続けるのであろう。というよりその《本質》が見えるまで、《鳩》なり《噴水》を見つめ続けるかのようだ。繰り返し同じ素材を逐うこころの理由はその対象の本質を追うからなのであろう。そして、その追うことの意味は、それらの中にそれらを《統べる》ものとして本質を発見しようという努力に違いないのである。

 

さて、第二番譜をおく

噴水は今し起こりぬ水の秀にたぎつ白珠空に相搏つ

 

ここで詠われているのは、噴水の属性のうちで見落とされがちな、ふたつの特質である。

その1。噴水には《起こりばな》があるということである。実はこのことは、噴水が人為のものである以上当然のことであるのだが、この点に触れた噴水の作品をわたくしは他に知らない。

無論、石川さんにはその視点は前からこの点を見ている。噴水の《起こりばな》はその「間歇」という機能と共に石川さんの脳裡に既にとどめられていたのでもある。つまり、噴水も実は《時間に統べられて》いると位置づけているのである。噴水は人為のものであるから、必ず、動きの始まりがある。人に統べられていると呼んでも良い。このあたりを捉えている歌がきちんと残されているのから見てもそれがわかる。

 

間歇の時のますぎて冬園にみだれ起りぬ噴水の白

 

さらに、石川さんは水をばらばらな流体と決めつけずにそのなかに潜む《固体性》にも鋭く目を向けている。『繊月』でもこれは見落としてはいない。次の作品では、水を《水塊》と呼んでいる。このものの見方と、第二番譜の作品で水を《相搏つ》《白珠》と硬質に捉えている視線と実は地底でつながっているのである。

 

春山を落つる瀑布のところどころことに真白き水塊まじる『繊月』

以上

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 

(その1)死への近接と回帰願望〔歌集《繊月》より〕

(2006.7.23)

0.はじめる前に

先に高瀬一誌さんについて書いたときには、生前種種の場面で同席できた日日のことと重ねて作品を読んできた。

石川恭子さんとは逆にご挨拶以上の会話の経験はない。全歌集の第二集という膨大な作品群、それに加えて、集ごとに比較的あらわに提示されたメッセージに触れながら、意図的な作風に沿うてみたい思うばかりである。概ね隔週日曜日に追加し20週間かけたいという計画です。

以下、早速書き進めてみたい。またまた、思わせぶりな標題をかぶせたが、その意図も、お読みになればやがてお判り頂けることと存ずる。なお、「これは」という別の指標に遭えれば即刻差し替えたい。さよう、以下の拙文の方向は《すぐれて》風任せでもあるのである。

 

1.     死への近接と回帰願望

『繊月』は1990922日刊行、386首を収める第七歌集である。石川さんの作風について余談的な本質を想像すると、この集は先に『石川恭子作品集』を編んだときにこれより後に出た『深紅』の方を編入していてこれをいわば、《温存》するかのように《残した》のである。つまり、この前後にひとつの区切りか屈曲かが意識された、と、わたくしはそう理解している。

 

さて、ヒトには《何何根性》というのがある。サラリーマン根性、役人根性、教師根性、歌詠み根性なんというものあるかしら。《根性》という据え方は、はしたない分だけ却って骨の髄まで沁みこんだ感じを与える。《習性》というより沁み込み方がはるかに厳しい。

さて、石川さんは「医師」である。口の悪いわたくしの友人は入院したときに《病院はあの世の待合室だ》と言った。無論、当人は、彼の言によれば《奇跡的に》帰還してきたのだったが。

なお、歌集の本質をあとがきを借りて手早くのべれば、《繊月》については『西空に見える二日・三日の月の意味で用いています』とあり、また、『月の欠けてゆくさまを神秘的にも怖しく思』った時期であった、ともある。

 

早速、第一番譜をおく

人は均質の生と()べられ空のはてよみがへりなほよみがへる月

 

石川さんの歌ぶりの特質は、凛乎とした硬質のフレーズである。初句・二句を秀抜と呼びたい衝動が湧く。このあたりが、わたくしを、十番譜に取り込もうと思わしめた最大のポイントでもある。しかし、この作家のこういうフレーズは言葉巧者の独立峰のような存在ではなく、明らかかに《連峰の一角》なのである。その頂点であることを示すべく、少し周辺をお披露目したいのである。そうすれば、上句と一転して、むしろくどくどしい形で呈ぜられた下句の《回帰の礼賛》に諸賢のご賛同が及ぶような気がするのである。

 

わたくしが死に臨んだ人に接した例は、肉親のほかほんの僅かしかない。が、石川さんは死への直面が必然的に少なからずある。わたくしなどが、おろおろと或いは呆然と悲嘆にうずもれて見る死者であるが、石川さんにとっては注力の対象であり、方策つきて全ての人の辿る終末の姿なのである。泣く、喚く、それらを超越して死はある。その例を次に3首引いたが、特にその第1首目の、意味を殺して音数ごとに区切ればきちんと五七五七七になる作品など、これらには怖ろしいほどの《機械性》があることも際立った特徴である。

 

額より蒼き翳ひろがりきたりおもむろに死は占めぬ一躯を

はてしなく広がる砂漠目の下に心音あらぬ胸よこたはる

生の鼓動わづかに残り起りつつやがて全きしづもりに入る

 

人は還らない。救われぬ。が、月は還ってくる。十五夜に至るまでの月をそれ以降の《黒月》に対比させて《白月(びゃくげつ)》というが、幼い月が朝になると少し育って還ってくる。この月の見立てで作者は自らを安んずる。

月といふ()きて離れぬ夭折の児現はれぬまた夜々に育ちて

以上

⇒ラインナップ