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2008/3/30(日) 夫の葬儀は23日に家族と親族で無事終えました。 ささやかですが、温かな見送りができました。 とてもかわいがっていたハナとマメとも最後のお別れができました。

”もうそろそろ最後の記録を頼むよ”と夫が言っているような気がして、私なりにまとめてみました。

16日の総ビリルビンの数値が4.7、17日が8.6、18日には12.6と急激に上がってきました。 CRP値もずっと15前後でした。 総ビリルビンは肝臓の値だそうです。 この頃から顔色が悪くなっていましたし、目の中も黄色でした。 そして身体のあちこちをかゆがっていました。 尿の量も少なくなっていました。  18日先生から 積極的治療から本人の痛みをとる緩和療法にしましょうと言われました。 モルヒネを使うことを夫に話し納得したそうです。

20日は午前中から呼吸状態が良くなく酸素量は5Lになっていました。 いつものように”来たよ”と合図をして顔と手と足を拭いて、かゆみ止めをぬりました。 2時過ぎから呼吸状態が悪くなり、酸素量を少しづつ増やして10Lまでなりましたが、それでも90%まで上がらず、、急遽レントゲンを撮り、緊急採血、腹部エコーをして、CTを撮りにベッドごと運ばれて行きました。  CTの結果が出て先生から説明がありました。CTの画面では肺は真っ白でした。耐性菌による感染症と肺での免疫反応との両方に対処しますと言われ、感染症には抗生剤を変更し、免疫反応には、ステロイド大量療法をしますと言われ、すぐに点滴が追加になりました。酸素10Lと言うのは、海でおぼれている状態とおなじでとても苦しいそうです。 酸素10Lになると人工呼吸器をつけるそうですが、夫は延命治療は望まないと意思表示していました。苦痛を取り除くためのモルヒネを入れるたびに先生は夫に伝えて、夫もはっきりと頷いていたので意識はありました。 

11時過ぎに急変しました。 酸素モニターの数値ががみるみる下がりとうとう0になりました。  最後までY先生とN先生に見守られて亡くなりました。 

夫の身体をきれいにしてもらっている間に先生から治療経過について説明をしていただき、 病理解剖の話が出ました。 突然のことでした。 夫とはこのことについては一度も話をしたことがありませんでした。 最後まで闘いぬいたお父さんならきっと希望するはずだと子供たち全員の気持ちと私も同じ思いでしたので、白血病の研究のために少しでも役にたてて欲しいと了承しました。  

病理解剖は21日の午前中でしたので、午後に迎えに行きました。 エレベーターの前で偶然にリハビリの先生と会えました。 19日の日、リハビリはどうだったのでしょうと聞くと、”あの日はリハビリをされたんですよ。 ベッドからおりて立ち上がったんですよ。”と教えていただきました。 とてもうれしかったです。

解剖の詳しい結果は半年位かかるそうです。 所見では、出血性肺炎と重症腸管GVHDで、肺の白い部分は出血だったそうです。 大腸の粘膜は全てなく、小腸の一部まで粘膜はなくなっていたそうです。 

最後におせわになった先生、看護師さんたちに見送られて病院をあとにしました。  長い間お世話になりました。 最後まで本人の意志を尊重していただいて治療をしてくださった先生に感謝します。 そして 少しでも病院での生活が楽になるようにといろいろと考えてくださった看護師さんたち、ありがとうございました。 

そしてさい帯血バンクから3度も命をいただき、たくさんの方たちからの輸血をいただきました。 ありがとうございました。

”天寿を生きる”を読んで、多くの方から応援のメッセージを頂きました。 夫がHPを立ち上げて記録を残すことは長い入院生活の励みになっていましたし、私たち家族にとってもこの記録は宝物です。 ありがとうございました。

 

 

 

2008/3/21(金) 夫は20日午後11時43分に永眠しました。

多くの方が心配されてくださっていると思います。 取り急ぎ報告を致します。 また落ち着いたら書けるかと思います。 応援ありがとうございました。

 

2008/3/19(水) Day83   採血データ 白血球 2.4、ヘモグロビン 6.4、 血小板 2、 CRP16.6

CRP値が高いです。 白血球が増えているので、感染菌と闘ってくれていると思います。 Y先生の話では、昨日から痛み止めにモルヒネを使っているそうです。 今日も痛みはないそうですが、鼻づまりがあるので呼吸が苦しそうです。 酸素量が低いので、今日はずっと酸素マスクをつけています。 

 

2008/3/18(火) Day82   夜中に吐いたそうです。 今日は吐き気と痛みはないそうです。  鼻づまりはなかなか良くならないようですが、 メールで教えて頂いた鼻孔拡張テープをいつも貼っています。 気に入っているようです。 夜熱が39度近くまで上がって、血圧が一時的に70くらいまで下がったそうですが、朝からは落ち着いています。 白血球は1400くらいまで上がってきています。

元気の良いリハビリ療法士さんは毎日午後病室に来てくれます。 ”今日はどうしますかぁ”と声をかけてくださり、今日は頷いていました。 点滴交換中だったので ”また後できまぁす”となりましたが、ハナマメママは帰ったので、リハビリが出来たかどうかは明日夫に聞いてみないとわかりません。

 

2008/3/17(月) Day81   今日は痛みよりも吐き気の方が強いようで、とても辛そうでした。 何もしてあげられないので、見ていて辛いです。

久々に T部長の大回診がありました。  

 

2008/3/16(日) Day80    採血データ  白血球 0.8、 ヘモグロビン 7.6、 血小板 7、  CRP 14.8

CRP値が高いのは腸の何処かの傷から感染しているのだろうとの事です。 白血球が低いのでCRP値も高くなるようです。 今は感染症を治すことが一番です。 おなかの痛みも良くならないので、今日は腹部エコーをしました。 腎臓も胆のうも腫れていないようで、ほっとしました。 下痢のほうは、今は便のチューブをつけていないのではっきりとはわからないけれど、以前の4000〜5000ccに比べると2000ccくらいに減っているようです。 今はおむつの重さを量って一日の合計を出しているそうです。

 

2008/3/15(土) Day79      採血データ  白血球 0.54、ヘモグロビン 5.9、 血小板 8.  CRP6.7

今日は長女が病院へ行きました。 白血球が随分少ないです。  原因は抗真菌剤の影響だろうとのことです。 白血球を上げる点滴を始めたようです。 おなかの痛みも相変わらずで、夜中に痛み止めを使ったそうです。

 

2008/3/14(金) Day78     採血データ  白血球 1.3、 ヘモグロビン 7.1、 血小板 17、 CRP 7.2

CRP値の高いのがちょっと気になります。  夫の耳の聞こえが少し良くなったようです。 ”もしもしフォン”を使わないで直接耳元で大きな声を出せば聞こえました。 

 

2008/3/13(木) Day77 午前中酸素の値が低くマスクをしていたのですが、午後からは落ち着いているのでマスクは外していますと看護師さんに言われました。

  今日は飲み仲間(?)のKさんとTさんが病室に寄ってくださいました。 その後、Hさんも外来前に寄ってくださり、元気をいただいたと思います。 有り難うございます。 

ハナマメママに看護師さんたちが、とても良く声をかけてくれます。 ”身体は大丈夫ですか?” ”なにか私たちに対してこうして欲しいとかありますか?” 等々・・・・  やさしい心遣いがとても嬉しいです。 

 

2008/3/12(水) Day76 今日も鼻血がなかなか止まらないようで不調のようです。 

Y先生からの説明です。 先週からサイトメガロウィルスが増えてきて、デノシンという薬剤を使用していたそうです。 その結果、白血球がぐんと下がって今は2500位だそうです。 これで白血球が激減した理由がわかり、ほっとしました。 サイトメガロウィルスは少なくなっているそうです。顔のむくみも随分とすっきりしてきて、良い兆候ですと言われました。 明日は予定通りレミケード3回目の投与をするそうです。

 

2008/3/11(火) Day75    今日は暖かな一日でした。 初夏の陽気のところもあったようです。 病室の窓から差し込む光も強くなっています。 

”天寿を生きる”を読んで、ご自分の移植の時の鼻づまりの経験を教えてくださり、励ましのメールを頂きました。早速試して見たいと思います。 見知らぬ方たちからの励まし・応援のメール、本当に有り難うございます。 

     

2008/3/10(月) Day74  夫からのメールです

採血データ 白血球5.0(3.4−9.2) ヘモグロビン6.6(13−17) 血小板21(141−327) CRP2.8(0−0.3)
白血球がいつのまにか5000にへっている。基準値内だからまあいいんだけどあまり極端に動くとやはり不安。

今日も夕方、のどから出血した。鼻が詰まって鼻から息ができず、口で息していると出血が込み上げて口からも息ができない。喀血の合間の空気を取り入れながら、呼吸に鼻と口の2種類しかないのは危険だなあとしみじみ感じていた。幸い喀血は10分も続かなかったので僕も一命を取りとめた。

 

2008/3/9(日) Day73  夫からのメールです

今日も鼻詰まりで目覚め、頻繁なおしめ替えと、概ね不調だったが、午後のいっとき好調なときがあった。すぐに体を起こし(介護付きで)、久しぶりに立って体重を測り、クスリも飲み、車いすで廊下を2往復の散歩をした。久しぶりの脱ベッドで気持ち良かった

 

2008/3/8(土) Day72   夫からのメールです

ここ数日鼻詰まりが続き、苦しい。

昨夜深夜、苦しいので口で息をしていた。すると口の中が乾き、粘膜のような唾液が乾いてかさかさ状態になりのどに流れる。のどの痰は自身も乾燥してせきこむ。この咳が30分以上続いて、出血。口から勢い良く飛び出しティッシュを真っ赤に染める。あまりに赤いので傍にいた看護師さんもびっくり、やっと外れていた心肺モニターをまたつけられ、当直の先生もやってきて、真夜中に移動式レントゲンも呼ばれ、緊急採血もして、一時は大騒ぎだった。結局咳でのどの血管が傷着いたのだろうということで一段落した。

翌朝(今朝)、Y先生の判断でCTを受診。ストレッチャーで運ばれた。夕方結果が出て、のどは血管が破れただけ。別に細菌性肺炎が見つかった。

この時期(体力が落ち免疫抑制が目いっぱい効いている)の肺炎は非常に怖いが、幸い早期発見。抗生剤を変えながら抑えましょう、とY先生。痰の出血のけがの功名でした。

 

2008/3/7(金) Day71  11月28日に入院して今日でちょうど100日です。  一年のやく三分の一を病院のベッドで過ごしています。 血液の病気は本当に長期入院ですね。 ハナマメママにとっては なんだかあっという間の100日で、気が付いたら春になっていました。 

昨日2回目のレミケード投与でした。 エンブレムに比べて、副作用の感染症が多いと先生から説明がありましたが、今のところ熱も出てなくほっとしています。 

昨日、外来診察日だったYさんとHさんが病室に寄ってくださいました。 話は出来ませんが、元気な顔をみせて下さるだけで、こちらも元気をもらいます。 ありがとうございました。

 

2008/3/6(木) Day70  夫からのメールです

採血データ 白血球18.5(3.4−9.2) ヘモグロビン6.7(13−17) 血小板2.7(141−327) 

肛門カテーテル 昨夜からお尻のカテーテルを外している。入れてもすぐ抜けるし、抜けるとき出血を伴っているから、肛門か直腸に傷がついているらしい。しばらく抜いて様子を見ることになった。その間は厚めのおしめで下痢を吸収しながら、1〜2時間おきにおしめ交換をする。

お尻のカテーテルからの卒業が当面の目標だったので、思わず早くやってはきたが、頻繁なおしめの交換がこれまた厄介でうっとうしく、あまり楽になった気がしない。

今日2回目のレミケード投与。30分ごとの血圧測定も問題なく無事投与終了。3回目くらいから効いてくるはずだとのことで、来週に期待。いよいよ下痢が止まってくれるのか。

 

2008/3/5(水) Day69  夫からのメールです

採血データ 白血球17.6(3.4−9.2) ヘモグロビン6,0(13−17) 血小板60(141−327) CRP2.5(0−0.3)

今日は1日不調だった。体重測定も出来なかったしクスリも飲めない、リハビリも休んだ。理由は鼻詰まり。元気だったら朝鼻詰まりでも動いてるうちに鼻もかめて治るはずだが、寝たきりだと夕方まで不調が続く。

下痢がひどくなって1.5カ月。収まる気配はみせず、最近は1日4リットルの日が多いらしい。

 

2008/3/4(火) Day68  夫からのメールです

今日は妻と長女の二人組で来てくれた。長女のマッサージは気持ち良く、2回目を頼んだら、退院したらおいしいものをおごれと言われた。もちろんおごるのにやぶさかではないが、僕は残念ながら洒落た店を知らない。ま、これから開発するしかない。
そう考えているうちに、突然40年ちかく前の記憶がよみがえった。あの時僕は井上マチコさんと村上トンペイさんに新宿で会った。トンペイさんは穴ぐらのようなレストランに案内してステーキをおごってくれた。おいしかったがずいぶん高そうな感じだった。たったそれだけの断片的記憶だが。
トンペイさんは今は神戸にいるはず。その後会っていない。退院したら一度会いに行こう。

 

2008/3/3(月) Day67  夫からのメールです

採血データ 白血球21.1(3.4−9.2) ヘモグロビン9.6(13−17) 血小板16(141−327) CRP3.6(0−0.3) LDH445(103‐190)
LDHは白血病の腫瘍マーカー。これがずっと異常に高い。心配だ。

耳鼻科 両耳とも聞こえないと訴えていて、今日やっと耳鼻科の先生が往診してくださった。少し耳垢をとってもらったが特に大きく変わらない。聴覚が落ちているとの診断だった。今はこのまま触らないほうが良い。元気になったら聴覚検査をしましょうと。
僕は大きな耳垢が出て一件落着と思いこんでいたので、ショックだった。今は入院中でごく限られた人としか接触してないので何とかこの状態でもやっていけているが、退院したらそんな訳にいかない。第一電話にも出れない。電話のなる音も聞こえない。補聴器のお世話になるのだろうか。ま、考えても仕方ない。早く元気になって聴覚検査を受けるしかない。

 

2008/3/2(日) Day66 

あっという間に3月になってしまいました。 今日はうれしいことがありました。 仕事で近くに来たからと長男が病室に寄ってくれ、次女も暫くぶりにお見舞いに来てくれて、一時病室はにぎやかになりました。 そのせいか?突然 ”屋上に行ってみる”と言い出しました。 頑張って起き、体重を計り、薬を飲んで、車椅子に移動です。 が、点滴は点滴台2台使っているし、チューブはたくさん付いているしで 準備に随分時間がかかりましたが、無事屋上に着きました。 久し振りに外気に触れました。 5分もいませんでしたが、気分転換になったと思います。疲れてしまったのでしょうか、今日はメールが届きません。

 

2008/3/1(土) Day65 夫からのメールです

採血データ 白血球25.9(3.4−9.2) ヘモグロビン10.6(13−17) 血小板17(141−327) CRP3.8(0−0.3)

ハンモック秤 1日1回体重測定のためベッドから起き上がっていたのだがいよいよそれも出来なくなって来た。実は昨日は測定しなかった。それで今日は寝たまま測れるというハンモック秤のお世話になった。専用シーツを患者の下に敷き、シーツごとつり上げて測る。いや一度の体験で十分だ。明日は何とか起き上がれる体調でありますように。

 

2008/2/29(金) Day64  夫からのメールです

癒し競演 妻がいつものタオルマッサージをしてくれた。一緒に来た長女は自己流マッサージができるので、手と足をマッサージしてもらった。気持ち良かった。その後看護師さんが体を拭きにきてくれた。背中なども拭いてもらい気持ちよかった。

 

2008/2/28(木) Day63 夫からのメールです

1カ月強続けたエンブレルは効果が現れないため中止になった。今日から新しい薬レミケードに変わった。これも保険適用外の新薬らしい。エンブレルより強いのか、いろいろ怖そうな副作用を書いた書類に同意のサインをした。

今日1回目の点滴をしたが、同時にアレルギー止めを落とし、2時間ほどの点滴中15分おきに血圧を測るという、ものものしい警戒体制だったが、さいわい何事もなく1回目投与終了した。
全5回を考えているそうだが、効いてくれればよいが。

 

2008/2/27(水) Day62    夫からのメールです

採血データ 白血球27.5(3.4−9.2) ヘモグロビン5.3(13−17) 血小板18(141−327) CRP2.3(0−0.3)
血の下痢でヘモグロビンが失われていく。輸血。


癒し 妻は来ると熱いタオルで顔と手と足を拭いてくれる。顔ももちろん気持ち良いが、手と足が何ともいえず気持ち良い。熱いタオルで手のひらを包んだあと、指の間を力いっぱいこすり、指一本一本も力いっぱいこすり、手の甲、手のひらも力いっぱいこする。力いっぱいこすることでマッサージ効果もでているのだろう。むくみまで取れるようなきがする。ささやかな癒しのひととき。ありがとう。

リハビリ 起き上がりを少しやってみたがとても今の体力では無理な気がする。今日は熱が38度あり、途中で中止した。

 

2008/2/26(火) Day61  夫からのメールです

鼻血が出た。血小板が低いらしく止まらない。半分固まりかけたどろりとした血の固まりを何度ものどから吐いた。いやあ苦しかった。リハビリも休んだ。夜、血小板の輸血が届いてひと安心。血小板と輸血のありがたさを身に染みて感じた一日だった。

下痢も真っ赤だった。出血がまたはじまったようだ。

 

2008/2/25(月) Day60  夫からのメールです

褥瘡ができた。もともと3週間ほど前にできていたけど、人工皮膚というテープを貼ってもらうと痛くなくなり、また同じ姿勢を続けたのがいけなかったらしい。夕べから痛くて右向き姿勢がとれなくなった。
寝たきりで寝返りくらいが唯一の運動なのに右を向けないと寝返りすらできなくなる。びっくりしてN先生に褥瘡を診てもらったが特に傷はなく、皮膚の血流が損なわれた現象だろう。テープを貼るのが一番で、後は同じ姿勢を続けないようにと、特に新しい治療策は出してもらえなかった。
しばらく左向きだけの生活が始まる。

リハビリ すぐに歩行訓練はまだ無理との結論に達した。まずはベッドで起き上がれること、その次は立ち上がれること、その後歩行訓練に移ることになった。当然のことで僕の言う歩行訓練はこれらを含んでの話なので異議はない。明日からベッドで起き上がる練習が始まる。

採血データ 白血球29.9 ヘモグロビン7.6  血小板25  CRP2.5

 

2008/2/24(日) Day59  昨日関東地方は春一番がふいて、その後発達した低気圧の影響で寒くなりすごい強風になりました。 今日になっても風は止まず土ぼこりもすごかったです。 昨日病院から帰宅するとき、電車が止まっており、乗り換え乗り換えでやっと帰宅できましたが、今日ものろのろ運転だったり、動いてない区間があったりでいつもと違うルートで行きました。 とても寒い一日でした。 

一歩病院の中へ入ると別世界です。 日曜日なので、リハビリもなくゆっくりと時間が過ぎていくようです。 今日はおなかがいつもより痛いようで見ていてちょっと辛かったです。 

 

2008/2/23(土) Day58  夫からのメールです

採血データ 白血球22.6(3.4−9.2) ヘモグロビン7.5(13−17) 血小板31(141−327) CRP4.0(0−0.3)

Y先生:エンブレルの投与がちょうど半分終わった。今のところこれと言った効果は出ていない。後半も投与を続けるが、効果がなかった場合も考えてその後のクスリの検討も開始する。また基本的には腸の粘膜が再生しないと下痢は治まらない。まだ粘膜は全部はがれた状態で再生には時間がかかるだろう。と言う趣旨の説明をされた。
それって、下痢2カ月では解決せず3カ月目も覚悟するようにとの引導らしい。

僕は2x1mのベッドの上だけが行動範囲で、この状態であと1カ月は精神的にとても耐えられない。せめて自由意思で廊下のオレンジ色のソファまで時々は動けるようになればずいぶん違うだろう。そこでY先生に歩行訓練を始めさせてくださいとお願いした。月曜にリハビリの先生と相談していただくこととなった。

励ましのメールをいただいています。嬉しく読ませていただいていますが、個別にお返事する体力気力がありません。この場でお礼とお詫びを申し上げます。

 

2008/2/22(金) Day57  夫からのメールです

採血データ 白血球28.6(3.4-9.2) ヘモグロビン8.5(13-17) 血小板13(141-327) CRP4.0(0-0.3)
白血球がやっと上げ止まった。よかった。

昨日の白血球3万という値がいかにも異常なので急きょ確認のためのマルク(骨髄穿刺)をした。顕微鏡でざっと見では悪い細胞はいないので心配はいらないらしい。詳細検査の結果は2週間後になる。
僕は最悪の場合再発かと恐れていた。よかったよかった。

8回目のエンブレル(免疫抑制剤)皮下注射。やっとこれで半分、あと8回投与予定で最終日は3月20日の予定。先が長い。長すぎる。下痢量は相変わらず3-2リットル。

 

2008/2/21(木) Day56  夫からのメールです

採血データ 白血球31.1(3.4−9.2) ヘモグロビン8.9(13−17) 血小板30(141−327) CRP2.4(0−0.3)
白血球が上げ止まら無い。どう考えても異常だ。治療前の白血病患者の数値だ。マルクをされるかも。

11月28日に今回入院して3カ月弱。1月20日ごろから下痢がひどくなって1カ月。まだまだ治まる気配すら見せず、ただひたすら下痢が治まるのを待つ日々。その間、寝たきりになってしまい、ベッドから起き上がることすらできず看護師さんにおしめの替えまで世話になる。体力だけでなく体調も悪化の一方。手足顔のむくみ、腹水、胸水、肺炎。心肺腎肝機能の悪化。
とりあえずの目標はあと一カ月このままの状態を維持すること。できるかなあ。40度の熱を出したら危ないだろうな。今日の熱は38度、午後37.6度まで下がった。よかったよかった。


2008/2/20(水) Day55  夫からのメールです

採血データ 白血球27.3(3.4−9.2) ヘモグロビン9.6(13−17) 血小板16(141−327) CRP1.5(0−0.3)
出血が少なくなってヘモグロビンが大分上がってきた。血小板はまだまだ輸血頼み。

昨日のCTでは胸水がはっきり確認された。また右肺下部に肺炎が確認された。ただ心配された一気に広がる細菌性ではなく、カビと思われる。また呼吸の障害になる位置でもない。カビの予防剤はずっと点滴していたのだが、効かなかったようなのでクスリを変えて様子を見る。なおアスペルギルス抗体の値は上がっていないのでアスペルギルスではないと思われる。

またやっかいな合併症を背負い込んでしまった。カビは水虫と同じで、一気には進行しにくいが治りにくいと聞く。

下痢の状況は変わらず。

 

2008/2/19(火) Day54  夫からのメールです

引越し クリーンルームを出て一般病室へ移動した。特に症状が変わったわけではないが、一般病棟の重看護病室へ移った。ナースステーションの正面で、一人部屋(部屋構造は2人部屋)で、心肺モニターもつけられた。去年の4月に肺炎と敗血症を併発したときと同じ体制だ。
普通一般病棟へ出ると面会も自由になるし、売店へ買い物に行けるし、病院内散歩の範囲も広がるし、とにかく自由になるから喜ぶのだが、僕は寝たきりだし、あまり感動がない。それでも窓から空が見えて、2カ月ぶりくらいだろうか空を見たのは、嬉しかった。

CTを撮りに1階へ行った。今回もストレッチャーで、情け無いが自分で移れない。看護師さん6人ほどが駆け付けてきて、持ち上げて移された。目的は胸水の状況と、肺炎の疑いが出てきたのでその確認だそうだ。

 

2008/2/18(月) Day53 夫からのメールです

採血データ 白血球20.1(3.4-9.2) ヘモグロビン8.2(13-17) 血小板4.3(141-327) CRP0.9(0-0.3)
血小板は昨日の4.2の後輸血しているのにほとんど増えてない。まだ自力では増えてないみたいだ。今日も輸血してもらった。

胸の水を調べるためエコーをした。場合によっては注射器で水を抜く準備のためらしい。結果はまだ注射器で抜くほどではないらしいとのことで、明日CTを撮り最終確認することになった。とりあえず痛い目が先送りになりよかった。

下痢は変わらず2−3リットル出ているらしい。真っ赤な下痢は少し減ってきたような気がする。

スキンヘッドだった頭に産毛が生えてきた。移植から約2カ月。普通なら退院のころだが、僕はゴールデンウィークの頃になりそうだ。

 

2008/2/17(日) Day52    寒いながらも快晴の日曜日、東京マラソンの日でした。 帰りの電車の中は 走ってきましたよとひと目でわかる人や応援だろうなという人が乗っていました。 夫も丸の内に勤めていたころは皇居の周りを走っていたので元気だったら走ってみようかなと言ったかもとふと思ったりしました。 

夫からのメールです。

採血データ 白血球(3.4-9.2)19.6 ヘモグロビン(13-17)6.3 血小板(141-327)44 CRP(0-0.3)2.2
血小板が初めて4万台に乗った。昨日の輸血のおかげか、自力で増えてきたのか。

胸を掻いたらぼろぼろと垢が出た。もう1カ月以上シャワーに入っていない。時々蒸しタオルで拭いてもらってはいるがやはり拭くだけでは限界があるようだ。早くシャワーを浴びたいが、下痢が収まって、歩けるようになって....あと少なくとも2カ月くらいはかかりそうだ。皮膚が持つかなあ。

サチュレーションが92に下がった。酸素量を6リットルにあげて96に回復したが、監視モニターをつけられた。常時測定し無線でナースステーションのモニターへ送り危険値に下がると警報がでる。

2008/2/16(土) Day51 夫からのメールです

朝サチュレーションが88だった。酸素吸入を毎分5リットルに上げた。5リットルにしたら94に上がった。(サチュレーション:血中酸素濃度、指先で測る、基準値100-95)
腹水もたまり横隔膜の動きが制限されたり、胸水もたまり肺の活動も弱まっているのが原因らしい。体力だけでなく全身の臓器の活動が弱まってきているようだ。心臓も当然影響を受けているだろう。脈拍が普通80くらいだったのが今は110まで上がっているし、血圧も125が140に上がっている。下痢が始まり1ケ月。

体重が73kgになった。治療開始時63kgだった。増えた10kgは全部むくみの水と思われる。血管は浸透膜になっていて血液に一定の濃度があれば薄めようとむくみの水が帰ってくるらしいが、下痢でたんぱく質ほか成分がどんどん失われて血液が薄くなっているらしい。点滴で補給しようとしてもそれも下痢へ行ってしまう。先生が困っていた。

酸素供給がチューブからマスクに変わった。チューブ式は鼻が乾燥するかららしい。段々重病人の様相になってきた。重病人であることはは間違いないけれど。

 

2008/2/15(金) Day50  夫からのメールです

血液データ 白血球17.5 ヘモグロビン6.1 血小板4 CRP1.9

 血小板が1万を切った。昨夜の下痢が真っ赤だったのは血小板が足りないためだったのだろう。輸血。

T先生:下痢量は2.0-2.5リットルと少し少なくなってきている。また大腸内視鏡写真では出血や状態は前回より悪化はしていない。だから1週間後の病理検査結果がでるまでこのまま様子を見る。

エンブレル6回目投与。あと12回。先が長いなあ。

体重測定の時1日1回支えられてベッドから降りる。その後椅子に坐りクスリを飲む。ベッドに戻ろうとして椅子から立ち上がれなかった。一歩足を踏み出してひざが崩れて転びそうになった。いよいよ寝たきりが近そうだ。リハビリは一応続けているが、寝たままの運動で退化には追いついてないみたいだ

 

2008/2/14(木) Day49  夫からのメールです

早速今日大腸カメラの検査をした。検査室までストレッチャーで運ばれた。3週間前は車椅子だったのに。今日の方が検査は痛かった。詳しくは切りとった組織の病理検査が終わってかららしいが、腸壁からの出血が前回同様確認されたらしい。
夜T先生が来て、粘膜はまだはがれたままの様子。今後どうするか、先生が集まって相談すると告げてくれた。

 

2008/2/13(水) Day48  夫からのメールです

血液データ 白血球17.1 ヘモグロビン8.3 血小板32 CRP2.0 


白血球の内訳の分画検査はしていたらしい。ブラストは出ておらず、好中球(細菌などの外敵と戦う実働部隊)が84%(基準値45-73%)に増えているらしい。だから先生は何らかの感染と見ている。熱も出てないから好中球だけで十分抑えられる感染と思われる。今後の動き次第で抗生剤を投与していく。安心。

T先生:大腸カメラを今週もう1回おこなう。前回から3週間ほど経ち、変化を見たい。いいですか、と言われて嫌ともいえず了承した。前回生まれて初めての大腸カメラだったが、かなり荒っぽい検査だった。ぐいぐい押し込んできて、要所では遠慮なく腸壁にカメラを押し付ける。痛い。もう少しやさしく入れてくれるものだと思っていた。

体調は変わらないが体力の低下は着実に進んでいる。一日寝たきり。下痢も激しく、30分〜1時間おきに肛門カテーテルが刺激され、顔をしかめて踏ん張る。お腹もしくしく痛い。下痢がはじまってそろそろ1カ月。今だ改善のきざし見えず。つらい。

 

2008/2/12(火) Day47  夫からのメールです

採血データ 白血球16.4 ヘモグロビン8.6 血小板22


白血球が異様に高くなってきた。基準値が3.4−9.2だから大幅アップ。この血算の検査では白血病細胞も白血球に数えられるので基準値を超えた分は白血病細胞の可能性がある。それを確認するのは分画という白血球の成分検査で好中球何%白血病細胞(ブラスト)何%などが出るが、今日は分画検査をしてないらしい。はっきりするまで心配。

免疫抑制剤エンブレル5回目投与。初回から14日経過。特に症状は変わらず。ただここ数日下痢量は2.5リットル前後らしいので当初の3リットルから少し減ったのかもしれない。エンブレルは16回投与なので最終日は3月21日の予定。まだまだ遠いなあ。

今日も肛門カテーテルが抜けた。2回も抜けた。自律排出作用が出てきて、それを意思で止めようとふんばる。結構苦しい。これを1時間ごとに繰り返している感じだ。今の最大の苦痛はこの肛門カテーテルだろう。


2008/2/11(月) Day46  夫からのメールです

採血データ 白血球12.8 ヘモグロビン6.8 血小板23 CRP1.9 血小板とヘモグロビンが低い。出血性下痢のせい。輸血はほぼ毎日。


こんな励ましメールをいただいた。

引用
日記を毎日拝見しています。
私の孫の話です。 今年の春にぴかぴかの一年生になります。 生後四ヶ月で発症(タイプM7)11ヶ月で骨髄移植。
移植から一ヶ月後にGVHDが  日記に書かれているように一才の子供が毎日一リットルの下痢がほぼ一ヶ月続きました。 その間一滴の水もだめ口に湿らすだけの状態でした。移植から四ヶ月半で退院その後GVHDらしきものは一切なく今年の春で丸六年になります。 
GVHD大歓迎 全快めざして ファイト
引用終わり

こおじい様、本当に貴重な体験談、ありがとうございます。

2008/2/10(日) Day45 日曜日にもかかわらず、K先生が励ましに寄って下さり、美人先生も様子をみにきてくださり嬉しかったと思います。 嬉しいことがもうひとつ。 ベッドの横に見慣れないものがおいてありました。それは ”もしもしフォン”と言う、 赤くてかわいい、40センチ位の筒状・ジャバラ式のプラスチック製のものです。 耳が聞こえない夫と会話をするのは、先生も看護師さんも大変だったと思います。 耳元で大きな声を出さないと通じないのです。 G看護師さんが見つけて持ってきてくれたそうです。目と目を合わせて会話が出来るという介護用品です。 片方を夫の耳の側に近づけて、片方から小さな声で話しても、とても良く聞こえるようです。 先生も看護師さんもみんなこれを使って会話してます。 そしてとても和やかな雰囲気になるのです。傍からみてても思わずにっこりするような。 G看護師さんに感謝です。 

夫からのメールです

Y先生のお話 抗がん剤で腸粘膜がほとんどはがれてしまっているはず。この粘膜が再生するまでは下痢は収まらない。それには数週間かかるだろう。長期戦になるが、その間の心配は感染症。体力も落ちてきており、免疫抑制剤も使っており、充分気をつけましょう。
Y先生は来週1週間学会で不在。代理のT先生が様子をみてくれるそうな。

 

2008/2/9(土) Day44 夫からのメールです

昨日は下痢量2.5リットルだった。ただし毎日バラツキがあるので減り始めたのかは不明。
今日も肛門カテーテルが抜けた。抜けたら挿し直しだがこれがまた何とも気持ち悪い。平均3日に1回抜けている。
尿管も抜けた。今はベッドから起き上がれずトイレにも行けないのでこれはおおごと。幸い新しい研修のN先生がすぐに再挿入してくれた。痛かった。
今日も1日寝たきりで、毎日1回だけ体重測定のため介助付きでベッドの横に立ち上がる。だんだんそれも苦しくなってきているのがわかる。体力は急速に落ちていっている。

 

2008/2/8(金) Day43 夫からのメールです

妹が姪のKちゃんと寄ってくれた。昨日はゆっくりと親孝行をしたらしい。


採血結果 白血球12.1 ヘモグロビン6.1 血小板28 CRP2.0 

白血球は9.2の標準値を大分超えているが12くらいで止まればそれほど心配いらないらしい。ヘモグロビンが輸血を続けても下がる。これは出血性下痢のせいで時々真っ赤な便(水様)がでるがあれはほとんどがヘモグロビンなのだろう。もったいない。血小板もまだ輸血頼みで自力では増えてこない。
下痢はまだ毎日3リットル出ている。そのため5リットルの点滴を静脈に毎日流している。血管には相当の負担となり、血管の壁を超えて水分が外へにじみだす。これがむくみ。足、手、顔などにむくみがひどい。体重も増え続ける。肺にも水がたまる。腎臓も悲鳴をあげる。
エンブレルの注射4回目。早く効果を表してほしい。

 

2008/2/7(木) Day42  昨日看護師さんが今日は血小板輸血とエフエフピーもありますと言っていました。 今日の看護師さんは凍結血漿の輸血と言われ、帰宅して調べた所、fresh frozen plasma の略でFFP (新鮮凍結血漿)のことでした。 初めての輸血ではないでしょうか。

 夫からのメールです。

今日は妻と長女が来てくれた。僕の誕生日だったらしい。59歳になってしまった。社会生活は55歳で止まってしまったままだが、幸いに長寿社会、80歳までにはあと20年もある。病気さえ抑えればまだまだ長い人生が残っている。あと10年は働きたい。頼むぞ親ベエ(臍帯血につけた名前)。

リハビリは無理をせずベッドの中でできる運動程度に、とY先生からの指示が出たらしい。ベッドに寝たまま足や腕を動かした。空を蹴っても力はつかない。F療法士さんが腕で負荷を作ってくれる。療法士さんも大変だ。


2008/2/6(水) Day41 今日も夫からメールが届きました。

今日は妹が宝塚から見舞いに来てくれた。
遅い時間に着いたので明日またゆっくりと言って、今日はすぐ僕の自宅へ。母が首を長くして待っているはず。
リハビリのF先生が来てくれて早速今日から主に筋力トレーニングを始めた。目標はベットから自力で降りられること。今はベットの中で起き上がることも出来ない。運動するとおしりに入れた管が気持ち悪いが、寝たきりになるにはまだ若すぎる58歳、やるしかないね

 

2008/2/5(火) Day40 夫からのメールです。

エムブレムの3回目を皮下注射した。この療法は合計16回が標準らしい。なんと2カ月かかる。下痢はつらい。お腹はしくしくと痛むし、肛門に入っているチューブは不快だし、もれを防ぐおしめの交換もみじめだし、あまり身動きとれないし、この状態を2カ月続けるのはつらい。
しかし、考えてみれば今まで2回の臍帯血移植はGVHDを出さずに結果再発した。今回非常に強気の臍帯血にめぐり合えて再発の可能性が減るかもしれない。それを考えれば2ヵ月くらいは耐えなければ。(統計ではGVHDが強くでると再発の可能性が少なくなると出ている。GVL効果と呼び、GVHDの返す刀で残存白血病細胞も退治する現象)

 

2008/2/4(月) Day39 今日はリハビリをする様な気分ではないようです。 ずっと寝たきりで、4人部屋の廊下側なのでもうずっと空を見てないし、狭いカーテンに囲まれているんだもの気分もなかなか上向きにならないだろうなと思います。 ベッドを起こして、チャイを50cc程飲みました。

採血データ 白血球9.0、 ヘモグロビン9.3、 血小板2.4、 CRP2.3 

夫からメールが届きました。  今日も良く寝た。昏々と寝た。リハビリの先生が来なかったのでリハビリは開始できなかった。下痢は変わらず今日も3リットル

 

2008/2/3(日) Day38 今日は関東地方平野部も明け方から雪が降り始め、一日中降り続きこの辺りでは7センチ位積もりました。 病院から夕方帰宅してみると、長男が自宅前の雪かきをしていました。 そして嬉しいことに久し振りに夫からメールが入っていました。

下痢について。 生着は果たしたけど、GVHD(拒絶反応)が出てきた。普通GVHDは下痢か肝臓か皮膚に出ることが多く、特に変わった反応ではないが、毎日3リットルの量が出て、さらに出血性で、ステロイド耐性らしい。ステロイドが普通は良く効くらしいが耐性だから使えない。そこでやむを得ず免疫抑制剤を多用して抑えようとしているが、どうも長期戦になりそうだ。その間腎臓の悪化が心配だ。
体調は激しい下痢なので良くはない。毎日うとうとしている。便も尿も管が入っているのでトイレの必要もない。寝返りを打つくらいしか動いてなかったらベッドで起き上がれなくなってしまった。寝たきり状態だ。明日からリハビリをがんばらなくては。

ハナマメママはメールの内容が前向きで、とても嬉しいです。 今日が節分てことをすっかり忘れていたので、豆まきは今年はなしです。 でも今日がハナちゃん11歳、マメちゃん6歳の誕生日は忘れていませんよ。 ケーキはないけど美味しいおやつはたくさんあげました。

 

2008/2/2 (土) Day37 昨日より少し調子が良いかなぁ?と言う感じです。 良く寝ます。 時々寝言をぶつぶつ言っていますが、聞き取れません。  午後の測定で酸素量が96%まで上がったので酸素チューブがとれました。

今日二回目のエンブレルの注射をしたそうです。 効果に期待したいです。

看護師さんとお花見の約束をしたそうです。 桜の咲くころにはあったかくなるし、楽しみですね♪

 

2008/2/1 (金) Day36 昨日と変わりない状態です。 よく寝ています。 帰ろうかなと思ったとき、”チャイ”と言います。 看護師さんに聞いてみると少しならということでした。 ”飲みたい”という気持ちを大事にと。 いつもの三分の一の50cc程でしたが、全部飲み、おいしかったようです。 くすり以外に口から食べ物を入れるのは随分と久し振りです。 

採血データ  白血球5.8、ヘモグロビン6.8、 血小板0.3、 CRP3.8

 

2008/1/31(木) Day35 今日で1月も終わりです。 嘔吐と高熱と下痢で大変な1月でした。 本当に良くがんばっていると思います。

今日は酸素の量が低いらしく鼻から酸素チューブが入っていました。 そして木曜日は恐怖(?)のシーツ交換日です。 たとえ何本も身体にチューブが付いていてもベッドから出なくてはなりません。 看護師さんがシーツ交換の前に夫の身体をきれいに拭いてくれてパジャマも取り替えてくれました。 そして椅子に座っている間に うがいをしたり、体重測定をしたり効率よく進みました。 ベッドも身体もぴかぴかになりました。

12月1月と担当してくださった美人先生が2ヶ月たったので、今日で血液内科の研修は終わりです。 今回の入院の最初から診ていただいているのでとても残念です。 ”時々顔を見にきますよ”と言ってくださいました。 

そして午後の外来診察が早く終わったからとK先生が励ましに寄ってくださいました。 

 

2008/1/30(水) Day34 採血データ 白血球 4.8、 ヘモグロビン8.4、 血小板3.0、 CRP1.9

昨日先生から説明のあった、新しい薬エンブレルの投与が始まりました。 週に2回、おなかへの皮下注射です。 効果が出るのは一週間位はかかるだろうとのことです。 効果に期待したいです。 それにしてもおなかに注射なんて痛そう!

胸のCTの結果、 肺の水は今は問題にするほどの量ではないと言われほっとしました。

 

2008/1/29(火) Day33 毎日下痢の話題ばかりですね。 今朝、先生・看護師さんがみかねてとうとう便のほうにもチューブが入りました。 量の測定をするにも、状態をみるにも今はこの方が治療をしやすいかもしれません。 夫は”寝たきりになってしまった。”と嘆いていましたが、ベッドに寝たままでもリハビリは出来ますよ。 リハビリ室のお姉さんはやる気になるのを待っています。  酷い下痢のため、着替えだけでも 体力を随分消耗したと思うので、ちょっと身体を休めた方が良いと素人のハナマメママでも思います。

先生から説明があり、 大腸ファイバーの検査結果はやはりGVHDに間違いないそうです。 ステロイドが効かないステロイド抵抗性GVHDだと言われました。 早めに次の手として、 GVHDの時に悪さをするTNFαをブロックする薬 エンブレルを使いたいと。 期待したいですね。

娘との夜のコインランドリー通いは今日からなしです。

 

2008/1/28(月) Day32 下痢の回数はここ数日変わらず、酷いです。 昨日の胸のレントゲンで肺に水が溜まっているようなので、きょうは胸のCTをするそうです。あとからあとから色々と問題が出てきます。 

ハナマメママは毎日病院から帰って、パジャマの洗濯をして 室内干しで朝アイロン掛けしていましたが、あまりの量の多さに最近では夜、娘と二人で洗濯物を抱えてコインランドリーで乾燥してきます。 ちょっと楽してます。

 

2008/1/27(日) Day31 今日も昨日と同じ様な調子です。 大腸ファイバーの詳しい結果はまだ出ていないけど、GVHDにまちがいないでしょうと今日先生から言われました。 それも程度から言うと一番重いそうです。 もうひとがんばりしましょうと言われてました。

ほんとに良くがんばっていると思います。 みんなで応援するから、辛いけど乗り越えようね。

 

2008/1/26(土) Day30 今日も寒い一日でした。

昨日、大腸ファイバーをしたそうです。 結果はまだ聞いていません。 今日も下痢は相変わらず酷いです。 免疫反応がひどいので昨日からまたステロイドを再開したそうです。 これで下痢がすこしおさまれば良いのですが・・・・     白血球を上げる薬は今日から止めたそうです。

採血データ 白血球6.2、 ヘモグロビン7.5、 血小板2.1、 CRP2.1  

 

2008/1/25(金) Day29 採血データ 白血球6.1、 ヘモグロビン7.4、 血小板2.1、 CRP4.0

白血球がぐんぐん上がっているので、看護師さんに聞いたところ、白血球を上げる薬を使っているので、増えているのですとのことでした。 止めると一旦白血球は落ちてくるそうです。 

今日の夫はちょっと弱気でした。 看護師さんたちも心配してくれています。 ”がんばるしかないよ”とまた ”がんばれ”と言ってしまいました。 

 

2008/1/24(木) Day28 今日は先生にお会いしていないので状況がよくわかりませんが、昨日よりほんのすこぅ〜し良くなったかなと思えます。 白血球が今日はいきなり4000です。 4.0の右横にはLもHも付いていません♪ 

採血データ  白血球4.0、 ヘモグロビン7.8、 血小板0.2、 CRP5.1

 

2008/1/23(水) Day27 今日は東京は朝から雪が舞ったり、冷たい雨になったりと 寒い一日でした。

昨夕、導尿チューブをつけたそうです。 そして昨日から水分をたくさん点滴から入れているので、下痢の量が増えていますが、腎臓の値は少しよくなったそうです。 金曜日に大腸ファイバーをして下痢がGVHDかどうかを調べるそうです。

採血データ 白血球2.3、 ヘモグロビン8.7、 血小板0.1、 CRP5.2

 

2008/1/22(火) Day26 お昼過ぎ、先生から ”腎臓の値が昨日より悪くなっているので 尿の量をチェックしながら、身体の中、血液の中の水分量を把握していきたいので導尿チューブを入れましょう。”と言われました。  

今日は ”北極圏はどうなった?” ”マングローブは大丈夫?” なんて聞きます。 地球温暖化の夢でもみていたのでしょうか?

 

2008/1/21(月) Day25 今日は夕方首からCV を入れました。  きょうの採血データでは、腎臓の値がとても悪く、脱水症状をおこしているそうです。 が、CVが入って太いチューブになったので水分・栄養補給をしていきますとのことです。今日も変わらず下痢は酷いです。 昨夕から新しく下痢の薬を変えたので、2〜3日様子を見ますとのこと。 トイレに行くだけでも体力が消耗するので、みかねて先生がチューブを入れましょうと説得しているようですが、嫌だと断っています。 

よくがんばっていると思います。 自分だったらがんばれるかなぁと思ってしまいます。

 

2008/1/20(日) Day24 下痢が酷いです。 夕方から薬を代えたので、それに期待したいです。 管を入れるようになるとベッドに寝たきりになってしまうので、夫には辛くてもがんばって自力でトイレに行ってもらいたいです。 

ハナマメママはパジャマの洗濯におおわらわ。 初めてコインランドリィを経験しました。 

 

2008/1/19(土) Day23 採血データ  白血球1.10、 ヘモグロビン8.6、血小板1.6、CRP10.9

やっと白血球が1000を超えましたぁ♪  今日は下痢の回数が多くてぐったり。 Y先生のお話だと 今日からステロイドを止めたので、その影響かもしれないといわれました。 もう少し様子を見て、薬を代えてみましょうとの事。

昨日病室で心エコーをしていただき 、結果は心配しなくて良いとのことです。 こちらも良かったぁ♪ ただ昨日のは簡易エコーなのでまた詳しく検査しましょうと言われたそうです。

きょうは夫の母もお見舞いに行きました。 年末以来20日ぶりです。 顔を見て少しは安心したようです。

 

2008/1/18(金) 今日も寒い一日でした。

Day22 採血データ 白血球0.81、 ヘモグロビン9.1、 血小板1.1

白血球は少しづつですが増えています。 赤血球と血小板はほとんど毎日輸血しているようです。 首のCVからブドウ球菌が培養されたとのことで、14日に抜きましたが、 詳しい結果が出て、心臓に入り込み、心膜炎をおこす可能性がある菌が検出されたので 循環器の先生にきてもらって心エコーをするそうです。 あとからあとから色々と怖い病名が出てきます。 でも、先生たちは先回りして、いろいろと手を打ってくださっているので、心配しないでお任せしましょう。

 

2008/1/17(木) 朝起きたら雪がうっすら積もっていました。 今日は13年前阪神淡路大震災があった日です。 

夫からのメールです。

Day21 本日の白血球730。ずいぶん上がった。しかし21日目での生着はならず、少し遅れそうだ。生着は白血球1200以上が3日間続く必要がある。
時間はかかっても生着に向かっているのは間違いない。しかも肝臓腎臓の保護をしながら、という先生の配慮には感謝する。確かにもうそんなに頑丈な体でないことは重々承知している。
僕は生着が伸びてもそれに対応した体力を維持しなくてはならないのだが、だんだん余裕がなくなってきている。寝たきりに近くなっている。リハビリをがんばるしかないか。


井伸さんが見舞いにきてくれた。インターホンを通してだが、旧い友人は何も話さなくても顔を見ただけで様子が判る。1分もいなかったが全部理解できた。

採血データ 白血球0.73、 ヘモグロビン9.5、 血小板0.4、 CRP9.0

ハナマメママから   お昼前にいつも元気に励ましてくださるKさんが、外来の診察前に寄ってくださったが、起きる元気がなくてお見舞いの言葉だけ頂いた。 今日は木曜日でシーツ交換の日です。 二時過ぎに病室に3人のシーツ交換チームが来て、容赦なくベッドから追い出されます。ちょうどその時に、井伸さんが寄ってくださって、ガラス越しではありますが会うことが出来ました。 とても嬉しかったようです。 その後、なかなか出来なかったうがいもしたし、”リハビリ”と言う言葉まで出てきました。 前向きな気持ちがでたようです。 忙しい中、ありがとうございました。

 

2008/1/16(水) Day20  ここ数日、病室に入って採血データを見るまでちょっとドキドキです。 今日はまた530まで増えてます。 先生からこれくらいの増え方の方がGVHDがひどくなくて良いでしょうと言われました。 

手首からの点滴がとても痛いらしくて、少しでも量を減らそうとして 病院食を開始して栄養点滴を減らしてもらうようにしたそうです。が、食欲はなく、お昼は白桃のシロップ漬け2切れだけでした。 

”がんばってね”は禁句と言われてますが、 病室を出るときいつも ”また明日ね。 頑張ってよ”と声をかけてしまいます。 やっぱり言っては ストレスになるのでしょうか? 

採血データ  白血球0.53、ヘモグロビン7.6、 血小板0.8、 CRP5.9

 

2008/1/15(火) 夫からのメールです。 

Day19 白血球が490まで上がった。Y先生も美人先生も喜んでくれた。検査部とやりとりしながらデータを確認していくとなかなか良い兆候とのことで、マルクもあわててする必要なしとなった。良かった。


結局1週間ほど400台でうろうろしているだけだったが、僕は毎日一喜一憂し、先生も毎日走り回り、なかなか大物の臍帯血らしい。明日からも何が起こるかわからない。何があってもついていける体力がこれからが一番大切だが、少し体力の余力がなくなってきた。ベッド周りで自分のことが自分でできなくなりかけている。もうひと踏ん張り、体よ持ってほしい。


午前中、体を拭いてもらった。初めてだったが気持ち良かった。蒸しタオルの癒し効果は絶大なものがある。ちょうどマザーテレサの死に行く人々の家を読んでいる最中だったので、路上で死ぬ人が死に行く人々の家に入り、体をタオルで拭いてもらった感覚が疑似体験できた。

採血データ 白血球0.49、 ヘモグロビン6.8、 血小板2.4、 CRP7.2

ハナマメママより  白血球が増えて予定していたマルクをしなくて良かったし、身体を拭いてもらってさっぱり・気持ちよくなったし(手首からの点滴はとても痛そうだけど)、今日は良いことがいっぱいあったのに、元気がありません。 マザーテレサの本は今の時期に読むにはお勧めではないですね。 

 

2008/1/14(月) 今日は成人の日。 電車の中で振袖姿の娘さんを見かけました。 

夫からのメールが届きました。 

Day18 看護師さんに足浴をしてもらい、機嫌良く1日がスタートしたが、白血球が390に下がっていた。またまた不安が頭をもたげる。ちょうどK先生が寄って下さり、430が390に下がるのは普通のこと、生着不全の傾向ではないだろうと言われてひと安心。
美人先生によると免疫部隊の貪食性マクロファージが血球を食べてしまっている可能性もあるとのこと。明日でももう一回マルクをするかもと。
そうこうするうちに血液培養でブドウ球菌の感染が疑われるとの結果が出た。さっそく首のCVを抜き取り、腕の点滴に交換したが、その後腕の自由が利かない。メールを打つのもしんどい。

 

2008/1/13(日) 夫からのメールです。

Day17 もう3日間白血球は400台で止まっている。今日もし増えなければ生着不良になるのではないかと心配した。
結果は440で4日間の400台だが、Y先生によるとこれくらいのゆっくりペースの方が腎臓肝臓ほかへの負担軽減からもちょうど良い、と話して下さった。事実一時上がっていた肝臓腎臓も今は落ち着いているらしい。
僕は少し焦っていたかもしれない。寛解導入なしでブラスト60%を前処置だけで抑えたのだし、教科書通りに進むはずもないし、今後何があってもおかしくはない。現実に僕の体の中で増えてくれている臍帯血の動きに耳を傾け、あとはメリハリのある入院生活を送りながら、やがてくる退院の日まで無事に乗り切る努力をする。それまではもっと看護師さんの介助や妻の介護にも素直になろう。早く退院すればいくらでも返せることはできるのだから。

(ハナマメママから)  そうそう♪ 先生も看護師さんもみんな精一杯のことをしてくださっているんだから、おまかせしましょう。 今日は夫のテンションがドーンと低くて心配しましたが、Y先生がしっかりと説明してくださって、とても安心出来ました。 それからは、”朝青龍はどうだった?” とか ”テレビガイドが欲しい。”と言いテレビを見ようという元気が出てきました。


2008/1/12(土) 朝から冷たい雨の一日でした。 どうしても採血データに一喜一憂しがちですが、あまり神経質にならないで生着をのんびり待ちましょう。今日はコーンスープを飲みました。

夫からのメールです。

Day16 白血球0.40、ヘモグロビン8.1、血小板1.8、CRP6.0。 

今日から3連休だし、造血作用もひと休み、と考えよう。
体調は相変わらず不調。今日は下痢が再開。熱も38.5度、腎臓、肝臓の機能も悪化したままらしい。利尿剤とステロイドが続く。

 

2008/1/11(金) 今朝突然の引越し命令が出たようです。 看護師さんが全部手伝ってくださいますが、とても疲れたようでした。 夫からメールが届きました。

Day15 病棟内の部屋替えがあった。僕と隣のNさんはそろって一番奥の4人部屋になった。重力3の廊下を点滴台にすがったりベッドを押したりした集団がとぼとぼと歩いていった。この部屋はなんだか特に寒いような気がする。
37.6度 久しぶりの37度台、さすがステロイド人。ただこれは本当の体温ではないような気がする。それほど体が軽くない。


採血結果 白血球0.43 ヘモグロビン7.4 血小板2.5、 CRP8.3

臍帯血の親ベエはきょうは休みなのか、ステロイドに負けたのか、増えなかった。変わりに隣のNさんがついに白血球1000超を達成した。僕より2日先行している飯田の68歳、多少ぐったり気味だが僕よりは元気。千に拍手。

 

2008/1/10(木) 夫からメールが届きました。 

Day14 今朝も病棟の床重力は3倍だった。よろめきながらトイレに向かう僕を若い患者さんが飛ぶように追い抜いていく。あれはサイヤ人だ。


Y先生の説明   昨日のマルク結果、移植前の骨髄60%のブラストは完全に消えていた。まだ骨髄はほとんどカラだがわずかにいる細胞は良い血液をつくる細胞ばかりなので順調に進んでいると考えられる。今日の白血球400。
一方免疫反応も上がり、発熱、CRP(炎症反応)、腎臓値、肝臓値などが上がる。今回肝臓値も悪化始めたのでやむを得ず防御としてステロイドを一時的に使用する。


ステロイド人の仲間入り 僕は初めてステロイド人になった。眠らずに24時間でも戦える、疲れずに24時間でも戦える、痛みを感じず戦える、と言った話を聞いていたが、若葉ステロイド人の僕は体がほてり、氷枕を抱いてごろごろしていたい感じだった。


本日のデータ 白血球0.4、ヘモグロビン7.9、血小板2.2、 CRP12.5

 

2008/1/9(水) 夫からのメールです。

Day13 正月から一度も風呂に入っていない僕を見かねて看護師さんが足湯をしてくれた。気持ち良く、午後まで爆睡した。
目が覚めるとY先生が怖い顔でいて今日マルクをするという。怖い顔は機嫌が悪かったのかもしれない。
マルクはすかすかだった。Y先生はえっという表情で首を傾げていた。美人先生と交代で数カ所場所を変えて刺したがどこもすかすかで、それでも全部足すととりあえず検査に必要な量が取れたらしく、やっと終わってくれた。
ついでに、昨日右肩が少し痛いと訴えていた場所をエコーで調べてくれた。筋肉中に2cm大のあまり血流の無い部分がある。今はそれしかわからないとつっけんどんだった。
マルクの安静が終わってないのにレントゲンが来て肺撮影をされた。
腎機能がまた落ちているいるらしい。たしかにおしっこはちょろりしか出ず、水分は全部むくみにかわり、顔など長四画だったのが正方形になっている。利尿剤をもう一種類追加した。
マルクの安静が解けてトイレに行くとき、なんだか病棟の床重力が3倍くらいに感じて足がむしょうに重かった。


長女がマルクの始まるちょっと前にきてくれたが夕方までデイルームで待たされた。チャイを入れてくれた。温かい飲み口が旨かった。それだけで夕方になり帰っていった。

本日のデータ 白血球0.28、ヘモグロビン7.6、血小板0.4(その後輸血)、CRP11.8

 

2008/1/8(火) 今日は久々に何か飲んでみると言い、辻利の抹茶ミルク(コンビニで売っている)を飲みました。 その後、午後の検診がありました。血圧、検温等一通り終わり、最後に口の中を見せてくださいねと言われ、 ”あ〜ん”とあけて、看護師さんしばらくみてましたが、しばし沈黙。 ちょっと間をおいて ”みどり色なんですが・・・”と心配気に。 実はさっき抹茶ミルクを飲んだんですと言い大笑いに。  胆汁が出てきたのかと本気で心配されたようでした。 その後しっかりとお口の中を ”クチュクチュペッ”(看護師さんことば)してました。

夫からメールが届きました。

Day12 ずっと39度台の熱でぐったりしていた。6mほど先のトイレに看護師さんに支えてもらいながら行き、ベッドで1時間おきに嘔吐し、痔の痛みに耐えるだけだった。今日も同じで39.0度だったが解熱剤が効きだして昼間は37度台まで下がった。少しづつ復調している。


白血球0.26、ヘモグロビン6.8、血小板1.4、CRP18.4。


白血球が倍増、CRPも最高値。Y先生のコメントは白血球は順調に増えており、熱やCRPはその結果の免疫反応。免疫抑制剤の血中濃度を微調整して両方に良い結果が得られるように頑張ってみましょうとのことだった。クスリの使い方は先生におまかせして、僕ができることは今のつらさに負けてしまわないこと。あと10日あまり、頑張るとまでは言い切れないけれど、負けないぞ〜くらいは叫んでみる。

 

2008/1/7(月) 採血データ  白血球0.13、 ヘモグロビン6.5、 血小板2.0、 CRP17.5

白血球が良い調子で増えています。 ヘモグロビンと血小板は増えてくるのに時間がかかるそうです。 毎日の輸血でもっているようなものです。 今日も血小板輸血1パックしました。 白血病を発症したころ、”血液が不足しています。献血にご協力をお願いします。”と 街頭で呼びかけをしていました。 ニュースでも在庫が少ないと伝えていました。 先日先生にお聞きしたところ、大丈夫ですよと言われました。 毎日毎日たくさんの輸血をして頂いて本当に感謝です。 多くの善意の方々によって生かされているんだなぁと実感します。

夫はほんの少しづつですが、良くなっている様に見えます。 熱も朝39.3度でしたが、解熱剤で3時ごろには38.9度と久々の38度台です。 嘔吐と下痢は変わらないようで、とても辛そうですが。

 

2008/1/6(日) 今日は日曜日なのに夫は大忙しでした。 熱は39.9度まで上がり、解熱剤で39度までは下がりますが、嘔吐と下痢もあいかわらずです。が、鼻血が出てないだけましでしょうか。 ぐったりですが、お昼頃、CTに呼ばれ車椅子に乗って行きました。 昨日胸のレントゲンを撮って肺はきれいですと言われましたが、今日は詳しくみるためです。 右下のところに小さい影があるとのことで、かび予防のブィフェンドという点滴が増えました。 夕方血小板輸血1パックしました。

顔とお腹に赤いぶつぶつが出てきましたよ! 急性のGVHDでしょうか? それを調べるために おなかのところの皮膚を5ミリ角ほどとって検査です。 結果はいつ出るのか聞き忘れました。 一回目、二回目の移植ではGVHDが出なかったので、看護師さんたちも喜んでくれました。 GVHDはひどく出すぎても困るけど、もとからの悪い白血球を攻撃しているのです。 状態をみながら免疫抑制剤で調節していくそうです。 

採血データ  白血球0.07、 ヘモグロビン7.5、 血小板1.4、CRP16.9

 

2008/1/5(土) 今日は朝から39.6度の熱、解熱剤を注射しても39度までしか下がりません。 鼻血もずっと止まらず夕方血小板輸血をして、やっと止まりました。 血小板が今日は2000しかないので止まらないのも当たり前。 午前中から赤血球の輸血も2パックしました。 一時酸素濃度が93%まで落ちたので、酸素吸入もしましたが、しばらくすると良くなってほっとしました。 

血液の培養では菌が見つからなかったので、感染熱ではなく、免疫熱でしょうとY先生から説明がありました。 

採血データ  白血球0.03、 ヘモグロビン6.4、 血小板0.2、 CRP12  

 

2008/1/4(金) 今日から仕事始めの方もいるでしょうが、病院までの電車の中はのんびりとした雰囲気でした。 今日は無理かなと思っていましたが、メールが届きました。

Day8 熱が39.4度まで上がった。1日ぐったりしていた。Y先生は免疫熱か感染熱かまだ判断できないとして様子見。血液培養で菌が検出されたら感染と判断してCV抜き取りなどの処置を行うとのこと。

採血データ 白血球0.02、 ヘモグロビン7.6、 血小板0.5、 CRP5.0

 

2008/1/3(木) 夫からのメールです。

Day7 朝37.7度の熱が出て、夜は38.4度に上がった。長女が来てくれたがほとんどうとうとしていた。感染熱でなく、免疫熱(Day9頃生着準備のため臍帯血が活動始めるときの熱)と思いたいが、Y先生はわからない、様子を見るとのこと。菌検出用の採血をされた。

 

2008/1/2(水) 夫からのメールです。

Day6 だんだん正念場を迎えてきた。下痢がひどくなり、伴って痔がひどくなり、出血し、トイレから帰るのに痛くて途中休憩する。嘔吐、吐き気も鼻血も相変わらず。さらに口内炎が始まり口の中が痛い。これらが一斉に出るとやりきれない。妻が来てくれても眉をしかめていてあまり話せない。今回の抗がん剤は過去2回より強いということだから、まあこんなものと思って耐えるだけ。白血球が上がり始めるまであと5日くらいか。体よ持ちこたえてくれ。


採血データ 白血球0.01、ヘモグロビン8.7、血小板3.1、CRP2.4

 

2008/1/1(火) 夫からのメールです。

皆様新年おめでとうございます。本年もよろしくお付き合いお願い申し上げます。

Day5 朝嘔吐や鼻血が出たが、その後体調まずまず。病院食も黒塗のお重で、栗きんとんやくわいなどの加熱食おせちが出た。まだほとんど食べれないが目を楽しませてもらった。栄養部の皆様のお心遣いに感謝。
お正月と言っても治療は続く。採血結果、今日は血小板と赤血球の輸血をして頂いた。善意の献血者に感謝。
妻と長女が来てくれた。朝届いた年賀状を届けてくれた。近所の神社の初詣のお守りも持ってきてくれた。帰りに何かおいしいものを食べるらしい。僕も早く良くなって参加できるようにならなくては。


採血データ 白血球0.01、ヘモ7.4、血小板2.1、CRP2.8

 

2007/12/31(月) 夫からのメールです。

Day4 嘔吐、吐き気、下痢、嚥下障害はあるがまあまあの体調だった。平熱なので1週間ぶりにシャワーを浴び、1年の垢を落とした。看護師さんにぴかぴかになったと誉められたので鏡を見ると無精ひげだらけだった。
Y先生が巡回に来てくれたので雑談の余裕もあった。山形出身で6月にはサクランボの収穫にかりだされるらしい。そばがうまいらしい。その頃には僕も退院していて体も大分復調しているはずなので、サクランボ応援を志願した。
そのためには、白血球が増えだすまでのあと2週間ほど、うがい手洗いを励行すること、とY先生。

年末の思い とにかく年末を無事迎えられた。9月に緩和療法に入り、余命1〜6カ月と言われてから3カ月が過ぎた。この間症状にも治療方針にも展開があり、今3回目の移植治療を受けており、新年を迎えることができる。今年は3回目移植に挑戦した病友4名を失った悲しい年で、そのリベンジを僕が果たすことになってしまった。幸い前処置後の今のところはおおむね好調で、勝負は生着までのあと2週間ほど。皆様の応援をお願いします。

本日の採血結果 白血球0.02、 ヘモグロビン7.7、 血小板4.1、 CRP4.1

ハナマメママから

今年も無事終えることができました。 この一年間夫はたくさんの方々に支えて頂きました。 血液内科の先生方、看護師さんたち、薬剤師さん、病気で知り合った方たち、そして学生時代のお友達、社会に出てから知り合った方たち、そして家族と本当にみなさんに励まされてきました。 感謝の気持ちでいっぱいです。 そして明日からまた気持ちを新たに治療に専念して欲しいです。


2007/12/30(日) 今年もあと二日。 夫の所へは娘が行ってくれたので、ハナマメママは家の掃除をしました。(玄関だけちょこっと・・・)

夫からメールが届きました。

Day3 最悪の始まりだった。朝食が来たので起き上がると嘔吐した。それを契機に鼻血が出た。鼻血は結局夕方まで止まらなかった。血小板が9000しかなく、急遽輸血手配をして昼から輸血した。輸血後やっと徐々に鼻血は下火になった。
鼻血が出ている間は悲惨だったし、のどに血の塊ができて血の嘔吐も2回した。が、午後下火になってくると意外と体調が良いことに気づいた。熱も36.3度の平熱に戻り、見舞いに来た長女ともまあまあ話せたし、久しぶりにピノアイスも3粒食べたし、野菜ジュースまで飲んだ。
Y先生も熱が下がったことを喜んでくれた。抗生剤が効いたと思われる。後はできれば白血球が増えるまで熱を出さず、万が一熱が出た場合は今回のように早めに抗生剤を変更して抑えていきたいとのことだった。


採血データ 白血球0.02 ヘモ9.1 血小板9.0(千) CRP 7.4 

 

2007/12/29(土) 本日の採血結果 白血球0,03、 ヘモグロビン7.0、 血小板1.4、 CRP11.9

CRPの値の高いのが気になります。 ヘモグロビンの値も低いので少し頭が痛い様です。 

しばらく病院食を止めていましたが、今日から開始したそうです。 先生から言われたのではなく、自分から頼んだと聞いてとても嬉しく感じました。 朝は牛乳を2口ほど、お昼はりんごのコンポート(煮りんご)1切れが食べられました。 

 

2007/12/28(金) 今日も吐き気がおさまりません。 柿なら食べられるかもと言うので、持って行き病院でむいて、 3切れ食べました。 

病気仲間で、飲み仲間のKさんが、外来のついでにのぞいてくださって、 クリーン病棟のガラス越しに電話でおしゃべりしたようです。元気をもらったようです。

本日の採血結果 白血球0.01、 ヘモグロビン12.2、 血小板2.4  

  

2007/12/27(木) 無事移植を終えました。 昨夕から38.5度の熱が出て今朝も38.5度とのメールが入り、 心配で早めに病院に行きました。 解熱剤が効いて37度まで下がっていました。 ほっと一安心。 お昼前、担当のY先生が来て、”今からさい帯血を解凍して始めますよ。 発熱は予測していたことで 大丈夫、安心して。”と心強く言ってくださり安心しました。 心電図のモニターをつけたり、血圧測定をしている間に準備が整いました。 Y先生がゆっくりと身体の中に入れてくださいました。  今日本のどこかで元気に育っている男の子のさい帯血を頂いて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 夫は移植が終わるととても眠たいらしくすぐ寝てしまいました。 赤血球輸血あり。

本日の採血結果 白血球0.02、 ヘモグロビン7.8、 血小板1.4

 

2007/12/26(水) 昨日まで街中クリスマスムード一色だったのに、今日はもうお正月モードに入っています。 みんな忙しそうに歩いています。 でもクリーン病棟に一歩入ると別世界、ゆったりとした時間が流れています。

夫は今日も吐き気が治まらないようで、何も食べていませんが、 ”カルピスウォーター”が飲みたいと言うので、買ってきて少し飲みました。 今日は移植日の前日で抗がん剤点滴はありません。 高カロリー点滴が24時間入っています。

本日の採血結果 白血球0.02、 ヘモグロビン8.5、 血小板1.9

 

2007/12/25(火) 今日は同室の68歳の方が無事さい帯血移植をされました。 クリスマスの日の第2の誕生日です。

夫からのコメントです。

錠剤 アルケランは効きが遅いらしい。昨日夜から午前中にかけて吐き気はどん底になった。普通の錠剤を前処置が始まった頃8種14錠飲んでいたが吐き気が強くなってからは飲めなくなくなった。飲んでも吐く。飲み直してまた吐く。それで一部点滴に変えてもらい、一部目をつぶってもらい、最終的にデバケンRという脳の痙攣止め剤とウルソという肝臓保護剤が残ったが、2種は飲めず、ウルソを選んで貰った。


ケンタ 昼ごろ馴染みの看護師さんがケンタ君と言って箱を持ってきた。この病院ではクリスマスに町のチキンを出すんだ!だが吐き気で食えんなぁと一瞬思った。しかし聞き間違いだった。ケンタ君ではなくケットーチの検査だった。血糖値250でインシュリンを打たれた。高カロリー輸液をしているので血糖値が上がったらしい。


抗がん剤終了 抗がん剤が終わった。どん底は夜中に来て、それからは徐々に回復するばかり、と思って先生に聞いたらちょっと返事に間が空いた。すんなりいかない場合もあるようだ。

本日の採血結果 白血球0.04、ヘモグロビン9.3、血小板4.3

2007/12/24(月) 今日は夫からメールが届きました。

今日も不調で朝から吐いたが、昨日で抗がん剤4日X5回が終わり、残りは2日x2回。2回分のアルケランは心肺モニターをつけての投与といういわくつきの強いクスリだが、回数は減るので少し楽になるかなと期待していると、少し楽になった。
朝からじっとベッドに横になっているだけで、これでは体が腐ると思いたち、風呂に入って、さっぱりしたが、2回目を吐いた。


午後、長女が見舞いにきてくれた。風呂の後でぐったりしている時だったし、あまり話せなかった。近所の火事のその後や、ハナちゃんとマメちゃんの骨を巡る大喧嘩の話をして、洗濯物を持って帰ってもらった。

 

2007/12/23(日) 今日は吐き気が強いようです。 でもうれしい事がありました。 春に社会人となって家を出ている娘がクリスマスプレゼントを届けてくれました。 とたんに元気になりました。 毎日顔をみせている妻ではダメかぁ・・・・  

今日は白血球が120まで下がったそうです。 手洗い、うがいを今まで以上にしっかりするようにと指示があったそうです。

 

2007/12/22(土) 病室に入ったら夫が珍しくテレビを見ていました。 カンニングの中島さんが白血病で亡くなられて一年が経ち、闘病の記録と家族への想いなどまとめた特別番組でした。 ちなみにクリーン病棟のテレビは無料です。

昨日吐き気止めを多めに入れてもらったらしく、今日は吐き気が少し良いようです。 朝ジュースを飲んで、午後差し入れしたアイス《ロッテピノ》を食べ、コーンスープを一杯飲みました。 

 

2007/12/21(金) 昨日クリーン病棟に引越ししてきて、無事クリーン病棟デビューしたらしいのですが、今日はそんな元気も無く、辛そうな顔をしてベッドに横になっていました。 三時ごろリハビリ担当の元気な療法士さんが来て、”今日からリハビリをしましょう。 スリッパはダメですよ。 運動靴を履いてくださいね。”とにこやかに言われてましたが、”しばらく無理です。”と答えてました。 それならば、明日から三連休にはいるので、今日は説明だけにしますと言われ、クリーン病棟は狭いけれど、1000歩は歩いてくださいよ。 そして立ってする運動、椅子に座って出来る運動、ベッドに寝たままでも出来る運動と説明を受けていました。 では、ハナマメママは軽くて・履きやすくて・格好良いシューズを見つけてこようと決めました。

夫からのメールです。

B型男の子 今度僕の骨髄に来てくれる臍帯血はB型男の子らしい。子供ながら悪い白血病細胞をなぎ倒せる強い名前がほしいので、南総里見八犬伝の少年剣士、犬江親兵衛の名をもらうことにした。親兵衛ではかたくるしいから親ちゃんと呼ぶ。

副作用 前処置開始の初日から吐き気、嘔吐が始まった。食事も止めてもらった。トイレ以外はベッドでぐったりの一日。たった1日で轟沈された

 

2007/12/20(木) 今日も夫からメールが届きました。

治療開始 朝クリーンルームに引っ越して、すぐに抗がん剤の点滴が始まった。ブスルファンは6時間ごとの投与で、夕方にはむかむかが出てきた。2日目くらいに副作用と見込んでいたが早すぎる。それだけ体が弱っているのか、抗がん剤の毒性が強いのか。多分両方だろう。

美人先生 美人先生に聞いたら折尾出身ということだった。僕は折尾を直方の付近と勘違いした。炭鉱住宅の間からぼた山が見える。ドラマ東京タワーの”ぼく”の出身地の風景が目に浮かんだ。それで思わず汚い田舎町ですね、と言ってしまった。
しかしあの地方の僕の記憶は40年前で止まったままだ。念のため地図で調べると折尾は黒崎の隣の幹線沿いだった。40年前にたとえぼた山があったとしても、美人先生が生まれたその15年後にはもう姿を消していただろう。先生に勘違いと暴言を謝った。
美人先生は折尾に帰りたいらしい。東京の大病院で研修を受けて地方に帰る。今では少ない良い話だ。今年の正月は帰れないらしい。病棟で一緒に頑張りましょうと励ましてもらった。

クリスマス会
クリーン病棟のクリスマス会があった。ウサギの耳やトナカイの帽子等をかぶった看護師さんたちが十数人、ハンドベルや鉄琴、フルートなどで曲や歌を披露してくれ、最後にT部長先生がサンタの衣装でクリスマスカードとプレゼントを配ってくれた。患者は十数人、後ろで先生方も十人ほど見ていた。狭いデイルームは30人以上で一杯だった。看護師さんたちの歌は日ごろの仕事ぶりほどなめらかではなかったが、貴重な時間を割いて練習したそうで、ありがたかった。

 

2007/12/19(水) CVは今回首の所に入っていた。 ”美人先生がしたの?” と聞くとイエス。 ”ルンバールは美人先生?”と聞くと ”美人先生は2回失敗してリタイア、担当のY医師にバトンタッチしたそうです。 ちなみに美人先生とは12月から担当になった研修医です。それまでの担当の研修医から 次は若くて美人の先生ですよと言われてそのまま美人先生と二人の間では言っています。

夫からのメールです。 

三大恐怖 治療関連処置のうち、怖いのは@ルンバール(髄注:背骨に針を刺し、髄液を採取し、同量の抗がん剤を注入する)Aマルク(骨髄穿刺:胸や腰の骨の中心まで針を刺し、骨髄を注射器で採取する)BCV(IVH、中心静脈カテーテル:鎖骨下、鎖骨上、首などからカテーテルを中心静脈の心臓手前まで15cmほど刺す)の三処置。いずれも局部麻酔をするから本当は痛くないのだが恐怖感が強く、それが痛みのように感じる。この3大処置を昨日今日の2日間で全部された。CVは出血どめに血小板の輸血をしながらの処置だった。全部終わったあとは魂を抜かれたようにぐったりだった。とにかく全部無事に終了し、明日は治療開始。クリーンルームへのお引っ越し(入院が長く看護師言葉が移ってしまった)の予定。

 

2007/12/18(火) 夫からメールが入りました。 うまくいけば週末もう一度外泊できるかもと言って病院に帰ったのですが、あれよあれよの急展開です。

マルク 背中が痛くなったと言ったら急遽マルクになった。結果、ざっと骨髄の60%は白血病化しているらしい。CA療法が終わってまだ1週間も経ってないのに、先生も予想外の急速な悪化らしい。


移植日決定 マルクが悪かったので治療は一刻を争うということになり、明日CV挿入、髄注(ルンバール)、明後日20日前処置開始、移植日12月27日に決まった。非寛解なので前処置の抗がん剤はフル移植並みの強力な量になるらしい。フルダラビン1回x6日、ブスルファン4回x4日、アルケラン2日。今日からブラスト増加止めの経口抗がん剤、副作用止めの胆のう活性化剤、けいれん予防剤なども始まるらしい。本来は臍帯血が届いてからの前処置開始になるが届くのは20日なので一日早く見切り発車となる。


耳鼻科 やっと耳鼻科の検診に呼んでいただいた。嚥下障害と声のかすれが症状だが、内視鏡で見て、声帯左側の動きが悪いらしい。表面になにか異物ができているということはないらしいので、原因はやはり白血病のなんらかの悪さと思われる。

 

2007/12/17(月) 二泊の帰宅は無事終わりました。 病室からメールが届きました。

外泊終了 外泊が終わり昼ごろ病院に戻った。火事などの突発事態で、しようと思ったことの半分も出来なかった。まあ、何事も思惑通り運ぶことはないのだけれど。
帰るとすぐに採血された。白血球3.5、ヘモ10.3、血小板35(千)。血小板の輸血の態勢をとってあるがどうする?と聞かれ、お断りした。外泊前に輸血したが、まだそれほど減ってないので造血開始していると思われる。

背痛 昼ごろから背骨の中央あたり(胸椎?)が痛くなり、だんだんひどくなってきている。8月に首(頚椎)が痛くなったときと同じような感じ。今度は胸椎の髄外腫瘤が動き出したのか?12日に治療が終了してまだ5日目。う〜ん、治療の効果持続時間に問題が出てきたとは言え、ちょっと早すぎるが。

 

2007/12/16(日) ハナマメ散歩 足に自信がなく、ハナちゃんマメちゃんの散歩は無念だが遠慮した。妻とおばあちゃんが行ってくれた。

火災報知器 ネットで見ると3800円くらいで電池寿命10年、電池切れを音で1週間お知らせなどの機能のついたものがある。1階のキッチンとリビング、2階のキッチン、タバコを吸う長男の部屋の4箇所につけることにした。来週の外泊はもう無いかも知れないし、ジョイフル本田へ今日買いに行った。車の運転は問題なかったが、広いジョイフル本田の中を歩くのは疲れた。ベンチを見るたびに休んだ。火災報知器はジョイフル本田では種類が少なく、6000円くらいのものしか売っていなかった。ネットで買うことにして、ハナちゃんマメちゃんのおやつをたっぷり買い込んで帰ってきた。

甥っ子M君 甥のM君が学会で東京に来たついでに家に寄ってくれた。哺乳類における左右非対称の発生の研究という、あまり目立たない研究を大学院でしている。その研究が終了するころには白血病も必ず治るようになる、と言ってはくれるが、どうも1年や2年で完結しそうな研究ではないらしい。折角来てくれたので、前々から疑問に思っていた染色体とDNAの関係について教えてもらった。DNAが30億個くらい集まってひとつの遺伝情報になるが、それが46片に分割されていて、それぞれの一片が1本の染色体らしい。僕の白血病の原因のT8:21とは8番目の染色体の一部と21番目の染色体の一部が入れ替わった、染色体異常らしい。今まで遺伝子異常だと思っていたが正確には染色体異常である。なるほど.....。

 

2007/12/15(土) 外泊 20日ぶりに家へ帰って来た。ハナちゃんマメちゃんが大喜びしてくれた。マメちゃんは得意の咬み技の荒っぽい歓迎だった。
散髪に行き一番短い1mmの丸坊主にしてもらった。今は髪の色も髪型も多彩になり、坊主頭で町を歩いても違和感は無いので助かる。
歓迎夕食はお決まりの手巻き寿司で、長女が風邪気味で抜けたため5人だった。入院中にとんでも無いとビールは出なかった。生ものは久しぶりで美味しかったが、嚥下障害で少ししか食べれなかった。それでも最後まで少しづつしつこく食べた。移植したら寿司は数ヶ月〜1年は食べられない。
病院に比べて家は寒いけれど、やはり心が落ち着く。

火事 夜10時頃、3軒先で火事があった。明日入居予定の空き家だったため気付くのが遅く、もうごうごうと10mくらいの火柱を出していた。さいわい風が無く、うちの方角への隣家は間に路地があり延焼は免れたが、反対側の隣家は接近しているため延焼した。ハナちゃんマメちゃんが狂ったように吠えた。こんな近所での火事は初めてだ。間近で猛烈な炎が噴出しているのを見るのは怖かった。妻は足が震えたらしい。僕は足が重く体もあまり言うことを効かないが、それでも大変な時に家に居れて、多少の家族の安心感の足しになれてよかった。火災報知器を付けることが義務になったが、うちはまだ付けていない。早く付けようということになった。次の外泊ではホームセンターへ買いに行って付けようと思う。病気も早く治して、体もしゃきっとさせて、家族を守りたい。

 

2007/12/14(金) 担当のY先生が外泊を検討しましょうと言ってくださり、今日はうきうきでした。 以下は本人からのコメントです。

体調良好 CA療法が終了し、この1週間ほどが恐らく体調が一番良い時期のはず。血小板がまだ少ないので今晩輸血をしていただき、明日から2泊の外出許可が出た。年賀状の印刷などができる。ハナちゃんマメちゃんの散歩にも行きたいが、足が弱っているのでちょっと不安がある。移植するとまた髪が抜けるので散髪に行って丸坊主にもしよう。

 

2007/12/13(木) ハナマメママは夫の治療が移植に決まってあわててインフルエンザの予防注射をしてきました。

病院からメールが来ました。

CA療法終了 14日間のCA療法が昨夜終わった。本日の血液データ 白血球2.2、ヘモ10.4、血小板37千、CRP 0.2。まだ血中ブラストが1-2パーセント出ているらしい。
血球はほぼ底と思われるので後は回復を待ちながら、移植までにブラストが増えたり、髄外腫瘤が痛み出したりしないように祈るのみ。
Kさんが外来の前に寄ってくれた。僕と同時期にバンクからの移植を受けて2年3カ月。元気元気。今は外国人の小学生に補習授業をするボランティアをしているそうな。
Cさんも外来の前に寄ってくれた。再生不良性貧血で経過観察中にしては元気元気。血小板が9万前後らしいので一緒に入院してクリスマスを陽気に過ごそうと誘ったが断られた。

 

2007/12/12(水) 本人からのコメントです。

外出 気分転換に外出した。妻に来てもらい、神保町の丸香という讃岐うどんを行列に並んで食べ、新橋の山田電気で眠れない夜のためにラジオを買い、帰り道に年賀状を買い、ドトールでコーヒーとケーキを食べて帰った。嚥下障害が進んでいるのか、うどんはおいしかったが喉に詰まり半分残した。足も弱っていて地下鉄の階段を上るのが苦しかった。それでも師走の外の空気を吸えて気晴らしができてよかった。


おぉ血小板 外出から帰ると先生が飛んできて、ころばなかったかと聞かれた。血小板が6千に下がっていたらしい。一昨日は7万あったのに。夜血小板輸血をされた。危機一髪だった。外出前に血液データが出ていると外出禁止になるところだった。よかった。


助っ人ブスルファン 僕の治療経過を先生が見直してくれて、まだブスルファンを使用していないことを見つけてくれた。僕の白血病細胞がまだ耐性をもっていない抗がん剤を前処置に使うことができる。よかった。

 

2007/12/11(火) 今日も本人からメールが届きました。

平和な風景 体調まずまず。嚥下障害と声がかすれるだけ。
隣のベッドに新しく入ったおじさんが僕の持っているウィルコムのPDAを見てうらやましがった。PCを持ち込まなくてもネットが一応見られるのが気に入ったらしい。すぐに外出届を書いてタクシーで秋葉原へ飛んで行った。結局今の携帯から機種変更できるWindows携帯にしたらしいが、免許証を入院先まで持ってきておらず、契約できなかったと言って帰ってきた。今度は委任状を書いて家族に頼むらしい。
平和な白血病病棟の一風景でした。

 

2007/12/10(月) 今日は夕方担当医から今後の治療方針について説明がありました。 今日は本人からメールが届きました。

大転回 Y先生から今後の治療方針の説明があった。妻も同席した。
CA療法は効果あったが効果持続に限界が出てきた。今回退院しても落ち着く間もなくまた再燃すると思われるし、次回はもう使えない。グリベックとかWT1ワクチンの代替療法も検討してみたが病気の勢いを止めることはできそうもない。唯一可能性があるのは3回目の移植だけである。確かに2回目より3回目のほうがはるかに危険ではあるが、何もしないよりは良い。ということで臍帯血移植を薦められた。
僕は3カ月前からすっかり緩和療法モードになっていて、急に再移植と言われても ”えぇっ”という感じだった。しかし、緩和療法は数カ月で終わりが来るのは知っていたが、いざその時が来たら、うーんと考え込んだ。CA療法が効かなくなったのだから次は普通の強い抗がん剤を打つしかないし、それでももう寛解にはならないのもわかっている。効かない治療を繰り返して終わるなら、3回目移植に賭けても同じではないか。妻も治る可能性のある移植の方に積極的だった。
それで僕は移植をお願いしますと答えた。
ということで次の治療は3回目臍帯血移植に決まった。すぐに臍帯血を手配し、クリーンルームの空き状況や僕の病勢を見ながら、移植開始する。年内開始の可能性が高い。
もうすぐ退院して、正月ゆっくりして、という目算が消えた。順調でも退院は3月、酒が飲めるのは7月、8月かもっと先になる。新年会の約束をいくつかしてしまったが、1年延期してもらわなければならない。それまで生きていなければならない

本日の採血結果 白血球2.7、ヘモグロビン11.2、血小板7.8、CRP 0.4


2007/12/9(日) 体調はまずまず  朝、鼻をかんだら鼻血が出てしばらく止まらなかったそうです。 血小板が大分減っているようです。 日曜日なので病室も階全体もとても静かでした。 少しだけ屋上に行ってみました。 

 

2007/12/8(土) 昨日の外出で疲れが出たのではと心配しましたが、朝のメールで元気そうだったので、今日はお見舞いはお休みにしました。 年末なので気持ちだけあせっております。 が、のんびり過ごしてしまいました。 

 

2007/12/7(金) 待望の外出 昨日Yさんが、外来の後、病室に寄って下さり、美味しいお店を教えてくださったそうです。 小籠包が美味しくて、有名なお店だそうです。 夫はお腹は空くものの、喉の通りが悪いのであまり食べられませんでしたが、美味しく頂きました。 今日は暫くぶりに随分歩いたので、疲れた様ですが、気分転換は出来た様です。 今宵はぐっすり寝てもらいましょう。

 

2007/12/6(木) 気分上々  すごい回復力です!! ”明日外出許可もらったぁ! うまいもん食うでぇ〜。”と誘いのメールが入りました。 白血球が下がってきてるし、インフルエンザは流行ってるし心配ですが、それよりもストレス解消・リハビリ・気分転換の方が大事かなとも思い、喜んでお伴しますと返事をしました。

本日の採血結果 白血球2.3、 ヘモグロビン11.7、 血小板7、CRP1.0

 

2007/12/5(水) 気分はまずまず  少しづつ食事を取れるようになり、吐き気・痛みが治まってきて気分も少しづつ上向き。 なかなか良い調子。 一安心です。

本日の採血結果 白血球3.3、 ヘモグロビン11.7、 血小板8.9、CRP1.2

 

2007/12/4(火) 有言実行  シャワーをして髭もそってさっぱり爽やかになっていましたが、 一週間ですっかり体力が落ちてしまったと嘆いていました。 朝食はサラダを少し食べたそうですが、吐き気とだるさで昼食は食べられなかったそうです。 今日も柿を半分食べました。

デュロテップパッチ 痛みが減ってきたので止めてみましょうと先生に言われ剥がされました。 カロナールは毎食後飲んでいます。

 

2007/12/3(月) ドーナッツ池の銀杏  ハナマメの散歩は久し振りにおばあちゃんと一緒に行き, 銀杏を見てきました。みごとな黄金色だったと夫に伝えました。 去年はハナマメとも一緒にみごとな紅葉の銀杏の下で写真を撮りました。

アクラシノン本日で終了。 だるさと吐き気で何もする気力が出ません。 看護士さんから ”そろそろシャワーか身体を拭きましょうか?”と言われましたが、”明日”と答えてました。 痛みは少し治まってきているようなので、デュロテップパッチを1枚から0.5枚にするそうです。柿を差し入れして、半分食べました。

本日の採血結果 白血球6.2、 ヘモグロビン11.6、 血小板15.5、CRP2.6、ブラスト30.5%

 

2007/12/2(日) きょうも変わらずうとうとしてだるさと吐き気がおさまらないようです。 おなかは空いているけど吐き気で食べられないそうです。ヤクルトジョアを一本飲みました。 柿が食べたいと言うので、明日持ってくるからと病室をあとにしました。 入院前から嚥下障害が出て水さえ喉に詰まっていましたが、柿だけは喉をつるっと通るらしくて食事の時はいつも柿を用意していました。

お昼ごろ黄色い液体アクラシノンが詰まって腕の中にもれてしまい、処置やら点滴の差し替えでバタバタしたようです。

本日の採血結果 白血球9.1、 ヘモグロビン12.1、 血小板18.5、 CRP4.4

 

2007/12/1(土) 今日から12月。病院の13階のエレベーターを降りたらクリスマスツリーが目に入ってきました。 夫は何も食べてないようなので、アイスクリームを買って行きました。 ちょうど昼食が届いていて、今日はきつねうどんでした。 食べられないと言うので、ハナマメママが代わりにいただきました。 夫はアイスクリームを半分だけ食べました。

本日の採血結果 白血球12.3、 ヘモグロビン11.9、血小板187千、 CRP5.8

 

2007/12

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2007/11/30(金) 今回の入院は前回のようにあちらこちらに外出は出来そうもありません。ちょっと大変そうです。夕方夫からメールが届きました。

一日中眠気とだるさと吐き気でぐったりしているようです。 血管が細くなっているので採血は看護士さん泣かせです。今朝も二人が失敗、先生が足の付け根の動脈からとったそうです。 今日の検査は肺機能と頭部MRI撮影。

本日の採血結果 白血球 14.2 、ヘモグロビン12.2、血小板186千、CRP7.4 

入院日のマルクの骨髄ブラストは30〜40%だそうです。末梢血で32%なのでもっと悪い結果を想像していましたので、本人は ”まあまあかな”と言っております。

 

2007/11/29(木)

 

昨夜は38度の熱がでたり、午前二時ごろに点滴が落ちなくなって、針の差し替えをしたそうです。 

CA療法開始。 髄外腫瘤を調べるために造影剤を入れてCT撮影をしました。デュロテップパッチを増やしてもらって、今日は痛みが和らいだようです。

 

2007/11/28(水) 入院しました。 13階の四人部屋ですが、窓側なので東京タワーがよく見えます。 まず一番に水分栄養補給の点滴を始めて、すぐマルクをしました。 午後から心電図、レントゲンがありました。 今日の血液検査結果は 白血球 18.6 、ヘモグロビン13.9、血小板263千、CRP7.1、ブラスト32%。 痛み止めのデュロテップパッチを1.5枚に増やしたそうです。

今日からまたハナマメママにバトンタッチです。 家の中は寂しくなりましたが、入院出来てほっと一安心です。

 

2007/11/27(火) 入院決定 やっと入院案内の電話があった。よかった。明日9時半〜10時の間に入院手続きをするようにとのこと。予定からちょうど2週間遅れになった。

嘔吐 一日中昏々と眠った。昨日貼ったデュロテップパッチが効きだしたのだろう。副作用なのか、食欲がなく、ほとんど食べていない。昼、うどんに少し箸をつけたら嘔吐してしまった。それに起き上がると痛みがはしる。明日、電車に1時間乗って病院まで行けるのだろうか。かなり苦難が予想される。→タクシーを予約した。

 

2007/11/26(月) 悲痛な鳴き声 僕が行けなくなったので妻がハナちゃんとマメちゃんを一頭づつ散歩に連れて行く。先にハナちゃんが行き、残されたマメちゃんは、庭で悲痛な声で鳴いている。時々ガラス越しに僕に訴えて、入ってきて僕の腕を咬んで引っ張る。僕はごめんねマメちゃんとつぶやくしかない。早く元気になるからね。

電話が無い 今日こそと思っていた入院案内の電話がない。荷造りまでして待っているが無い。鎮痛剤カロナールを4回8錠と痛み止めレスキューのオプソを2回くらい飲んでいるがそれでも両足が痛い。横になっていても痛い。困った。

デュロテップパッチ 痛みはひどくなるばかり。ついに最終兵器のデュロテップパッチを貼った。8月の頚椎の痛みの時の残りだ。一般薬剤としては最強の麻薬系痛み止めと聞いている。ただし効いてくるまで24時間かかる。それまではオプソを限度を越えても飲むしかないか。

 

2007/11/25(日) 痛み止めレスキュー 昨夜1時ごろ足の痛みで目が覚めた。仕方ないのでオプソという痛み止めのレスキューを飲んだ。痛みは完全には消えなかったが眠れたので効いたのだろう。

散歩 明日から入院かもしれないので、ちょっと無理してハナちゃんマメちゃんの散歩に行った。快晴で、厚着で行ったら暑かった。1時間コースだったが足が痛いだけでなく、全身がなんとなくだるかった。それでも3日ぶりの散歩は楽しかった。

荷造り 即入院の電話があった時のために荷造りをした。僕は側でごちゃごちゃ言っているだけで、本当は妻が全部やってくれた。もう何回目の荷造りだろう。手馴れたものだった。

 

2007/11/24(土) 作業 世間では三連休だが、僕の家では長男と長女が仕事に行った。妻と次男がハナマメ散歩に出て、僕は一人で留守番。取り残されたようで少し寂しかったが、新しい工作を思い立った。母は80の高齢だし、僕はびっこをひいているし、玄関に小さなベンチがあれば、靴を履いたり脱いだりに重宝するだろう。下駄箱を少し高さ調整して座りやすい高さにベンチを作ってセットする。病人のデッキ屋にはほどほどの作業だ。今日の仕事が出来た。

ベンチ ベンチは夕方完成した。玄関が狭くなったとか、あまり好評ではなかったが、使い込んでいくと役に立つと思う。

足痛 作業している時は気が紛れて足の痛みはそれほどでもないが、じっとしていると痛い。鎮痛剤カロナールが1日4回では効かなくなってきている。夜、TVで点と線(前編)を観た。ずっと座っていると足が痛いので立ったり座ったりして観た。

 

2007/11/23(金) 散歩中断 僕がびっこをひいているので、休日で休みの長女と妻がハナちゃんマメちゃんの散歩に行った。僕は留守番だった。退院後毎日続けた散歩を中断してしまった。

メタボリック 冬のズボンをはこうとしたらボタンが締まらなかった。一昨年退院後に買ったものでウェスト82だった。今はわがまま病人でおやつ食べ放題なので85でもきつくなっている。あわてて妻とヨーカドーへ行って88のズボンを買った。妻が無理をするな、一人で行ってくるからと言ったが、まだ運転ぐらいは無理ではないし、外に出れるうちは出たい。そうしないと気持ちが腐ってしまう。ミニドライブは楽しかった。

1万アクセスお礼 アクセス数が1万を超えました。たくさんの方に見ていただきありがとうございます。これからの治療にも励みになります。何が起こるか予測のつかない白血病治療ですが、今後もできるだけ淡々と状況をご報告していくつもりです。メールも時々いただき、励ましや、ご質問を頂きました。僕のわかる範囲でお答えしますし、僕の経験が多少でも参考になれば嬉しいので、これからもどしどしメールもお願いします。

 

2007/11/22(木) 病気の侵攻 外来。ブラスト(白血病細胞)が一気に末梢血の16.5%になっていた。16ヶ月ぶりの移植前相当の悪い数値だ。恐れていた病気の勢いの爆発が始まったようで、共生ラインを越えて侵攻してきた。

すぐに入院治療をしないといけないが、病室がない。Y先生が週明け早々に入院できるよう手配してくれるそうで、それまでのつなぎに経口抗がん剤のスタラシドカプセルという薬を処方された。また、CA療法では抑えがきかないところまで来ているので、新たな治療法を入院までに考えていただける。ただし、もうほとんどの抗がん剤を試してしまっているのであまりオプションは無いようだ。

今の症状は足の痛み、嚥下障害、声帯障害。みんな白血病細胞の悪さではないかとのこと。

白血球10.2、ヘモグロビン12.3、血小板296。LDHが396→617まで跳ね上がった(標準値190以下)。 

 

2007/11/21(水) たぬき 足は痛いが鎮痛剤カロナールで抑えながら散歩をこなした。天気が良くて暖かい。途中農家の納屋の屋根を何人かが見上げていて、たぬきが屋根で日向ぼっこをしているらしい。のんきなたぬきだ。たぬきと聞くとハナちゃんの猟犬の血が騒ぎ、狂いだすので、あわてて引っ張ってその場を去った。

整理作業 午後、作業場に出て整理もした。退院した頃と比べると端材などは随分すっきりした。まだまだやりたいことはあるが、明日は外来なので作業はお休みになる。

 

2007/11/20(火) 痛み再発 左足の痛みが再発した。2日間の平和だった。まだそんなにひどくはなく、カロナールでなんとか抑えがきく。寒いし、痛いし、作業場に今日は出なかった。今日も入院案内の電話はない。

おやつ ハナちゃんマメちゃんのおやつが切れたので妻とホームセンターへ買いに行った。たっぷりと5−6種類買った。ついでに隣のスーパーで人間用のおやつも5−6種類買った。人間用よりハナマメ用のほうが高かった。痛み止めのカロナールをのんで行ったが運転中も少し足は痛かった。それでも外に出ることは気晴らしになるし、ハナちゃんマメちゃんの喜ぶ顔がうかんで楽しく行った。

Y先生から電話 夕食後、T病院のY先生から電話をいただいた。入院が遅れているが、まだしばらくベッドが空きそうもないので、明後日の木曜日、外来に来るようにとのことだった。足の痛みや声が出ないという症状が強くなってきている時なのでありがたかった。ただ、わざわざ電話していただいたということは、先週の血液検査で分画など詳細の結果が出て、それが悪かったのかなと不安にもなる。長く病気しているとそういう勘が鋭くなる。

 

2007/11/19(月) 木枯らし ニュースでは昨日木枯らし1号が吹いたと言っていたが僕の近所ではそれほど寒くなかった。ところが今日のハナマメ散歩はセーターを着ていったのに風が冷たく、寒かった。僕が寒そうにしているので散歩リーダーのハナちゃんは30分の短距離コースにしてくれた。足痛はかなり楽になり鎮痛剤はのまなかった。

現場 現場から書類を忘れたので届けてくれと電話があった。勇んで軽トラックに乗って10分ぐらいの現場へ届けた。軽トラックに乗るのも、現場を眺めるのも久しぶりだ。一時外泊の時に現場を覗きに行ったのが4月だったから7ヶ月ぶりになる。書類届けだけのパシリだったが、現場を眺めただけでも嬉しかった。

声が 今日も入院案内の電話はなかった。もう6日遅れになる。嚥下障害がまだ続いており、声も出なくなってきた。声帯あたりに異常があるのだろう。電話番も出来なくなってきた。

 

2007/11/18(日) ドーナツ池の銀杏 足痛は少し楽になった。鎮痛のカロナールをのんで少しびっこをひいて、ハナちゃんマメちゃんの散歩に行った。ドーナツ池の銀杏はまだ青々していた。

パン屋 昼前、妻と長女と3人で車でピーターパンへパンを買いに行った。日曜で混んでいた。僕はそんなにドライブは好きではないが、久しぶりに運転して気分転換になった。

アフリカのバッタ 午後も足痛はひどくなかった。髄外腫瘤はこれまで何回も出てきて、痛みは大体1週間くらいで止んだ。3月に足の骨を削って調べたら、骨の中で急激に増殖した白血病細胞は栄養不足になって壊死しているとの結果だった。大増殖して餌を食いつくし一斉に死んでしまうバッタがアフリカにいると子供の頃読んだことがあるが、僕の髄外腫瘤も同じようなものらしい。今日は痛み始めて4日目だからピークを越えたのかもしれない。痛いのはいやだから、そうあってほしい。

 

2007/11/17(土) 足痛 ますます足が痛くなってきた。今日は左足股関節あたりがジーンと痛くて集中できない。どうも髄外病変と思われる痛さだ。昨夜から鎮痛剤のカロナールを服用しているが今日は痛みが治まらない。入院が延びて喜んでいたがとんでもない事だった。先生はさすがで、悪くなる頃合いを見込んで次の入院日をきめておいてくれたようだ。こうなると一日でも早く入院して、抗がん剤を打ってもらって、暴れだした白血病細胞を退治してもらわないとたまらない。

座っていても寝ていてもジーンと痛く、動いているほうが気が紛れてまだましなので、今日もハナマメ散歩の後、鉢台を6基作った。

 

2007/11/16(金) 体調不良 昨日の検査結果が良くなかったせいか、今日の体調はあまりよくなかった。数日前からはじまっている両足のじーんとした痛みが強くなってきた。痛みで夜中に目が覚める。初発の時の症状と似ているので何らかの白血病細胞の作用だと思う。パンなどが喉に詰まり嚥下がし難くなってきた。唾液線障害が強くなったためかなと思う。それに寒い。だんだん冬が近づいているのだから当然だがそれにしても寒い。風邪を引きかけているのかもしれない。セーターを着込んで、石油ストーブをつけた。

それでも今日も工作をした。自室のベッドの足元に棚を作った。デッキ屋はやはりインパクトドライバーを持っていないとだめだ。

 

2007/11/15(木) 外来 2週間目の外来診察日。採点は50点くらいかな。血液は概ね良好で寛解維持中(白血球10.2、ヘモグロビン12.5、血小板368千)。

ただしLDHが229→396(標準値190以下)まで上がり次回検査への黄色信号点灯。さらにマルクのPCR結果が悪い。治療前の5500が治療後13000へ上がった。治療にもかかわらず上がったということはCA療法の抗がん剤が効かなくなってきたということだろう。先生は治癒が目標ではないので血液がよければ良しとすると言っているが、やっぱり腫瘍マーカーが上がってくると気になる。
しかしこれが緩和療法の限界だろう。耐性が出来るのでCA療法の抗がん剤も3回くらいしか効かないだろうと言われていたし(まだ2回しか使っていないけど)。気にし過ぎるとますます免疫を下げてしまう。明日からまた今出来ることに集中しよう。

入院係りに様子を聞いたら、まだベッドのやりくりがつかず入院予定日の目途がつかないらしい。しばらく入院は延びそうな感じだ。せっかくの延長になった自宅療法期間を精一杯楽しまなければ。

Oさんに会おうと思ってクリーンルームに寄ってみたが、Oさんはデイルームで見舞いの数人の方と談笑中なのが見えたので声をかけずに帰ってきた。元気そうなので安心したが、髪がまた抜けていた。マイロターグでは抜けないはずなのでマイロターグを中止して抗がん剤治療に切り替えたのではないかと思う。去年のSさんもマイロターグ一回だけで効かないと判断して抗がん剤に切り替えたのを思い出した。

 

2007/11/14(水) 電話なし2 今日も入院案内の電話はなかったので入院が一日延びた。が、明日は外来の日なので病院へは行く。マルクの結果発表があるはず。試験の答案返却を待つ心境だ。

今日は自宅療養のおまけの日だし、作業場の片付けだけで鉢台は作らないつもりだった。が、また端材が増えている。朝、長男がトラックから降ろしたらしい。おまけの一日に感謝しながら、張り切って今日も鉢台を9基作った。心地よく疲れた。

 

2007/11/13(火) 電話なし 病院から入院案内の電話はなかった。ベッドが空かないのだろう。だから明日の入院はない。良かった。電話があるまでの一日のばしのうれしい自宅生活になる。

今日は最後の自宅かと思って鉢台作りに没頭した。9基作った。端材の山が少し小さくなった気がする。明日ももうひと頑張り出来る。ハナちゃんマメちゃんともう一日一緒に歩ける。

 

2007/11/12(月) 余命を延す 石野美幸さんというジャズ歌手が胃がんでなくなったとニュースで見た。余命1ヶ月と宣告されてそれから1年間歌い続けて亡くなったそうだ。状況は詳しくは知らないが、自分のしたい事への強い情熱や使命感があれば医者の常識をもくつがえすということだと思う。

僕はそこまでの情熱も使命感も持ち合わせてないが、ささやかな趣味の鉢台作りがある。これを作り続けていれば余命を少し延せそうな気がする。今日は13基作った。

早ければ明日でも病院からベッドが空きましたという電話が入るかも知れない。

 

2007/11/11(日) 鉢台 自宅療養の残り日数が少なくなってきたので、昨日休んだ鉢台作りに没頭した。10基作るつもりだったが5基完成し、5基は日没で仕掛品となった。僕は昔から、早めに準備しておけば良いものを、何でも直前になってからばたばたとあせる。小学校の夏休みの宿題も、中学校の期末試験勉強も、サラリーマン時代の出張準備も、ずっとそうだった。今回の鉢台作りもその様相が強い。何も成長していないのだが、鉢台作りは趣味の作業だし、いまさら自分のぐうたらな性格を悔やんでも仕方ないし、それよりも入院直前までする事があること、出来る体力があることを感謝しよう。

ヴィレッジ 夜はヴィレッジというDVDを観た。恋人の傷を治す薬を町まで求めに、魔物が住む森を一人で越えて行く盲目の娘の話で、ジャンルはスリラーになるのだろうか。僕は今日で4回目の鑑賞になる。結末を知っているスリラー映画を4回もよく観るなあと自分でも感心するが、愛と勇気と、現代社会批判と、全体に流れる哀愁と、何回観ても見ごたえがある。

 

2007/11/10(土) 雨の土曜日 ほとんど一日雨だった。作業場は半屋根なので鉢台作りはお休み。ハナマメ散歩は雨の合間の午後になってしまいリズムが狂ったのか、町内一周の短距離コースだった。あとは洋画をDVDで2本立てで観て時間つぶしをした。長時間画面を見ていて少し頭がぼおーっとしてしまった。リビングで居座っていたのでおやつをついつい食べ過ぎた。感動のない一日で免疫が下がってしまった。病気になる前は雨でもカッパを着て仕事をしていたが、今はその気力がないし風邪や肺炎が心配になる。雨の日は特に病人であることを思い出してしまう。

 

2007/11/9(金) 励ます会 僕は来週入院する予定なので、病院仲間のKさんYさんが励ます会を開いてくれた。二人とも寛解維持2年を経過していて元気一杯。Cさんは風邪引きでこれなかった。最近血小板が下がっていると言っていたので心配したが、ただの風邪らしい。Cさんには申し訳ないが、楽しませてもらった。2次会でカラオケまで行って、延長までしてしまった。免疫アップ。

 

2007/11/8(木) 青春歌年鑑71 71年代のヒット曲を集めた2枚組のCDが届いた。「翼をください」とか「真夏の出来事」とか、懐かしい歌が入っているが、こんな郷愁に浸ってばかりいると治る病気も治らなくなるのではないかと不安になった。

午前中、インターネットもメールも通じなくなった。どうもADSLモデムが故障しかかっているらしい。モデムにログインしてリセットすると回復するのだがまた半日もすると通じなくなる。メールが通じなくなると仕事はお手上げになるが、僕が入院したら誰が直すのだろうか。心配ばかりしていて免疫が下がった。それやこれやで趣味の鉢台も3基しか出来なかった。

明日、病気仲間の飲み会の予定だ。僕が近々入院する事がダシになる。ダシでよいから明日は少しはしゃいで免疫をあげよう。

東京タワー DVDで東京タワー=僕とおかんと時々おとん=を観た。良かった。貧しくても辛くても笑顔を絶やさず、人へのもてなしを優先した生き方は僕の人生と正反対だった。うらやましい生き方だが、僕には見習うにももう手遅れだし、うらやむだけにする。周りの状況を全て認めて満足して死んでいった。せめてこの部分だけでも真似がしたいが、死に様は生き様の結果なので、やはり僕には真似は出来ないだろう。それでも少しでも近づいてみようと思う。

 

2007/11/7(水) 銚子丸 長女が休みの日なので昼食は妻と3人で回転寿司の銚子丸へ行った。控えめに食べれば一人前1000円ちょっとで美味しい。移植後プログラフが切れて生もの解禁になった時は毎週のように行って、ついに飽きてしまい、最近はあまり行ってなかった。久しぶりだとやはり美味しい。回転寿司が乱立して安くなったせいもあるが、病気になってからは、食べられるうちに食べておかないと、死ぬ前に後悔するかも、との強迫観念で、ずいぶん頻繁に回転寿司に行っている。帰りに生協に寄ってゆっくり買い物をして、帰ったら妻が借りた本田美奈子と鈴木重子のレンタルCDが届いていて聴いたりしていたら、今日は趣味の鉢台が作れなかった。それでも美味しいものを食べたから免疫アップ。

ゲド戦記 夜は長男が借りてきたゲド戦記のDVDを観た。趣旨が良くわからない。永遠の命などはなく、死に様は生き様そのものだ、と言いたかったようだが、それは長く闘病しているがん患者には自明の理ではある。とにかくあまり面白くなかった。

 

2007/11/6(火) GVHD? 首と大腿部が痒い。かさかさして赤黒くGVHDのような症状。もう移植後1年4ヶ月になり、今ごろ急にGVHDが出てくることは普通ないし、単なる乾燥肌でしょう、と先週の外来で先生に言われた。が、それからさらにひどくなってきている。

実は移植後6ヶ月目の今年1月に同じようなGVHDらしい症状が急に出て、その直後に再発した。急増し始めたがん細胞に危険を感じたさい帯血が、それを必死に抑えようと、まだ幼い免疫力を最大まで上げて戦い、その余波がGVHDとなったんだろうと思った。必死に戦って敗れたさい帯血に心の中で手を合わせた記憶がある。振り返れば、一回目の移植後再発の直前にも同じ症状があった。

今回も同じ症状が出ているということは、がん細胞が増えだし、さい帯血がそれを必死に抑えようとしている現象ではないだろうか。再発中だからこれ以上再発の心配はないが、白血病の爆発的増加が不安だ。心配だが、マルクの結果が来週出る。

 

2007/11/5(月) 仕事のまねごと 退院して作業場を覗くと整理が出来ていないし、端材が山のように積まれている。端材とは言え貴重な資源だし有効活用しなければ地球に申し訳ない。僕が病気になってからは長男が仕事を守ってくれているし、僕は養われている身なのであまり口出しは出来ないが、もう少し作業場のかたづけにも身を入れてほしい。木材にはアスペルギルス菌がたくさんくっついているので、なるべく近づくなと先生には言われているが、ついに我慢できずにマスクをして作業場に足を踏み入れた。少し整理して、端材の鉢台を4基作った。インパクトドライバーの振動が快感でたまらない。やはり人は好きな仕事をしてはじめて精神が活性化するのだろう。今日は免疫力大幅アップした。

 

2007/11/4(日) 秋晴れ 日向は暖かく日陰はひんやりして散歩に最適の季節だ。夏はバテバテのハナちゃんも最近は元気一杯。今日は一時間半コースになった。一時間半歩くと疲れる。一人ではこれだけは歩けないから一緒に行ってくれるハナちゃんマメちゃんと妻に感謝。ハナマメにはご褒美をたっぷりとやった。自宅療養期間も半分過ぎてあと10日になった。

 

2007/11/3(土) 食べ過ぎ 文化の日。毎日休みのニート状況だけど祝日は祝日、ゆっくり過ごした。ハナマメ散歩、午前のおやつ、昼食はケンタッキーのチキンを買いに車を出し、バイオハザードのDVDを観て午後のおやつ、その後昼寝。調子に乗り食べすぎたのか、胃が重く夕食はサラダしか食べられなかった。退院後初の胃の不調。免疫は下がった。

 

2007/11/2(金) ジョイフル本田 閉じこもっていては免疫が上がらないので妻とジョイフル本田へ灯油を買いに行った。今日から灯油値上げで、いつもは混んでるのに一人も客がいなかった。僕は仕事柄ホームセンターが大好きで一日中いても飽きない。混雑する場所は感染予防で避けているので最近はあまり行っていないが久しぶりで楽しかった。ハナちゃんマメちゃんの餌、おやつも買った。帰りに伝丸でゴマ坦々麺も食べた。免疫大幅アップ。

タイムスリップ 8年ぶりくらいの旧友Yさんに会ってビールを飲んだ。病気になる前の頃にタイムスリップして楽しかった。免疫と肝臓の数値大幅アップ。

 

2007/11/1(木)

外来 退院1週間後の外来、血液検査とマルク。血液検査は合格点の70点かな。血球は大体良かったがLやHがつく異常値のデータもたくさんあった。病気が治っていないのだから仕方ないが。LDHが168→229に上がっているのが気になる。再発前にはいつもこの数値が上がっていた。先生によると今回一回だけではなんとも言えないらしい。他の理由で増えることもあるらしいし。マルク結果は再来週の外来時までおあずけ。
本日のデータ:白血球5.5、ヘモ11.0、血小板357、CRP0.4。

マイロターグ治療中のOさんの病棟に寄ったら、Oさんはクリーンルームに移動していて会えなかった。マイロターグでクリーンルームは普通はないはずだから、どうしたんだろう。心配。

外来は午後の診察。ハナちゃんマメちゃんの散歩は午前中しっかり1時間コースで今日は北へ行った。

 

2007/11

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2007/10/31(水) 退屈 ハナちゃんマメちゃんの散歩、1時間。あとはおやつを食べて少し昼寝をしてぼんやり音楽を聴いて。家族は皆忙しく働いており、世間の皆様も働いており、僕の周りだけ時間の流れが滞っている。退屈、というよりは寂寞感。これでは免疫力も下がってしまう。すること、出来ることはたくさんあるはず。気持ちを切り替え、充実の生活をしないともったいない。

 

2007/10/30(火) 銀杏 散歩リーダーのハナちゃんは今日は西へ向かい、木の葉の森まで1時間半コース。途中ドーナツ池公園を通った。公園前には大銀杏がある。毎年見事な黄葉で、入院中、またあの見事な黄葉を見たいな、見れるかなと思ったことがある。今日はまだ青々としていたが、今の体調ならもうすぐあの立派な金色の葉を見れそうだ。
今日はしっかり歩いて免疫力2点アップ。

 

2007/10/29(月) 森山良子・井上陽水 僕はそれほど音楽に興味はないが、入院中夜眠れないとき、PDAに取り込んだ音楽を聴いていた。マイスリー(睡眠導入剤)と同じくらいの効果がある。しかし毎晩限られた曲を聴いているとすっかり飽きてしまった。今度退院したら新曲をと思っていたが、今はやりの歌はやかましいばかりで、昔の歌はあまり売っていない。手探りで調べていて、ネットのCDレンタルに行き着き、森山良子と井上陽水を見つけた。さとうきび畑、悲しき天使、心もよう、傘がない、など懐かしい曲が入っている。早速注文して今日届いた。CDに取り込んでPDAに移して、と楽しく作業した。免疫1点アップ

 

2007/10/28(日) マメちゃん狂う 昨日行けなかったので今朝はマメちゃんが興奮して、狂ったように先に立って吠えたり引っ張ったり。落ち着くまで最初は小走りの散歩になった。小走りはまだ少し足が辛い。

ご無沙汰会 袖ヶ浦時代の仲間4人と10年近くぶりに会った。4人とも30歳台で若く、思い出話をしたが、若い人独特の軽妙な話し方に腹をよじって笑った。ビールは控えめにしたが、それでも3杯くらい飲んでしまった。昨日失った免疫力を一挙に回復した。次は1月に新年会を約束した。

 

2007/10/27(土) 台風20号 昔は10月末に台風なんかきただろうか。朝から強い雨で散歩もいけず、免疫力−3点。今日の夜以前の袖ヶ浦の頃の職場の仲間数人とのご無沙汰会の予定。もう10年近くぶりになる。それで免疫力を回復できそうだけど。→台風がもろに接近し、これも延期になった。今日の免疫力は−6点。

 

2007/10/26(金) マメちゃん喜ぶ 一ヶ月ぶりの妻とのハナマメ散歩。入院中は妻が1頭づつ2回行っていたが、怖がりマメちゃんは一人じゃ遠くまで行けない。久しぶりの集団行進一時間コースで大喜びおおはしゃぎ。僕も嬉しい。免疫1点アップ。入院中の外出トレーニングの成果で歩行は問題なし。

再会 今回の入院でOさんに再会した。半年毎これで3回目の出会いになる。僕と一歳違いのOさんは、2回移植後再発して今回マイロターグ治療中。半年遅れで僕と同じ経過を辿っているようだ。なんだか切なくなってくる。随分痩せている。今年2月の移植後、味覚障害がまだ続き、普通の食事を食べられないそうだ。塩味を異常に強く感じるとのこと。奥様特性のアボガドの高カロリーミックスジュースや特殊な味つけのアンパン、エンシュアリキッド(カロリーメイトゼリーのようなものらしい)、羊羹などを食べていたそうだ。今回入院中はおかゆを目をつぶって流し込んだり奥様持込のアンパンや羊羹を食べているらしい。僕は駄目だったが、Oさんは無事マイロターグで寛解になり、それを維持できるよう、お祈りします。

 

2007/10/25(木) 退院 本日退院。第2回CA療法25日間は熱も出さず無事終了し、痛みもなく、血液の状態も良好で、元気一杯の退院。入院中のQOLも大変良好、楽な治療だった。
血液は、白血球5600、ヘモグロビン9.6、血小板163,000、CRP(炎症反応)0.3で上々。
明日からまたハナちゃん、マメちゃんの散歩に行けると思うと嬉しい限り。

退院前の主治医Y先生のムンテラで、僕のように移植2回+マイロターグ治療を行いその都度再発し、なおかつ比較的良好な状態の患者はまれであり、経験のない治療を手探りで行うことになる。移植後16ヶ月になるさい帯血の状態も良好であり、せっかく頑張っているさい帯血を危険な3回目の移植で破壊してしまうより、温存する今の療法を続けましょう。しっかり生活を楽しんで免疫力を上げましょう、という方針となった。

次回入院は11月14日予定。20日間の娑婆生活になる。この間の仕事は免疫力を上げること。念力では上がらないと思うので、家族や友人やお酒の力を借りて、しっかりと仕事をしたい。なかなか楽しい仕事になりそうだ。皆様ご協力お願いします。

 

2007/10/21(日) 19日(金)は腹部エコーをしました。これは白血病が肝臓などに浸潤する場合があるので念のための検査です。

20日(土)は本人のたっての希望のお鮨を持ち込んで屋上で食べました。秋晴れのさわやかな日だったので、とてもご満悦のようでした。 採血の結果は白血球は6700とあまり減っていませんが、 血小板が57000まで下がっているので、白血球も後を追って減るだろうとのことです。

今日は一人で外出してラーメンを食べてきたようです。一人ではつまらんとメールがきました。

明日からは血管検査とリハビリが予定に入っています。リハビリは以前から左足がむくんで動きが悪くなっているので、動きの検査と指導をしてもらえるようです。 

 

2007/10/17(水) 家族に風邪引きが出た。白血球が下がりだしている時期であり、念のため外泊を中止し、午後病院へ戻る。気になっていたHP構成の変更を昨夜行い、外泊目的はとりあえず果たしたが、やはり2泊したかった。

 

2007/10/16(火) 外泊。昨日で14日間の朝晩のキロサイド皮下注射が終了したので今日明日2泊の外泊許可をもらって帰って来た。ハナちゃん、マメちゃんは最近は僕の長期不在に慣れたのか、一応は喜ぶが以前のように狂ったようには喜ばない。

今回の入院(まだ途中だが)での先生の言葉から:@T部長先生が病室に顔を出してくれて、「おう、元気じゃないか。今まで再発を繰り返してその後治った患者を何人も見てきた。人間の体にはミラクルということも起こる。それだけ元気ならミラクルもありうる。医者の診断が全てではない」、と励ましてくれた。A最初にお世話になったS病院F先生に経過報告のメールを入れたら返事で闘病=病気との共生という言葉を使っておられた。今までこの病気と共生しようなどという発想がなく、そうか、そういうこともありか、と思った。B入院時のマルク結果が予想より良かったことで、Y先生は、「GVL効果(移植した骨髄が白血病細胞を殺す免疫作用。通常はGVHD(拒絶反応)とセット)が出ている可能性もある。それなら強い治療で現在のさい帯血を殺すより、温存する弱い治療がふさわしい」。
これらをつなぎあわすと、「GVLを生かしながら病気と共生し、そのうちにミラクルを起こす」になる。
緩和療法に入ってから、僕はただ時期が来るのを待つだけかと思っていたが、まだまだ前向きの目標が見つかったような気がする。

 

2007年10月13(土) 今日は本人からのコメントが届きました。


10月1日入院日のマルク結果がやっとでた。顕微鏡検査でブラスト約3%、PCR法遺伝子検査で5500。まずまずの成績。1カ月前の退院時PCR1400の3倍くらいだが10000くらいは覚悟していたので良い方だ。今の治療が終了したらPCRは当然下がるはずなのでうまく髄外腫瘤がなくなれば寛解の可能性もでてきた。ただしもし寛解になってもマイロターグの時のように長くは続かないだろうとのK先生の見方。まあ本格治療はしていないのだし、こんな軽い治療で治ってしまうはずがないのでそれは納得済。まずは来週末あたりの低血球期間を熱を出さずに乗り越えることが課題

 

2007年10月12(金) 今日は木場駅で待ち合わせ。マーボ豆腐が大好きな夫が見つけたのが、陳建一麻婆豆腐店でした。メニューはもちろん一つだけ。 辛さが三段階で夫は大辛、私は普通を注文しましたが、四川料理なので充分辛かったです。夫は”これ位辛くないとおいしくない。”と言い鼻をすすりながら美味しそうに食べておりました。最後にでてきた、杏仁豆腐がこってりさっぱりしていて美味でした。恒例のコーヒーとケーキで締めくくり。 別腹というのはあるようで、最近実感しています。

そろそろ白血球が減って外出禁止では?と聞くと、まだまだ9,000もあるし、好中球も55%あるそうです。まだしばらく美味しい昼食は続きそうですが、血小板は随分減ってきているので、白血球も減ってくるはずとの事。 

 

2007年10/9(火) しとしと雨の中、電車に乗って神田神保町の ”天丼いもや”に行きました。 何ヶ月か前からネットで見つけたところです。、”うまくて、早くて、安い”の評判どおりでした。 夫は並盛をぺろりと平らげました。病院食は段々食べられなくなっているようですが・・・ そのあと御茶ノ水の駅までのんびり歩きました。 二人とも昔、会社勤めは御茶ノ水だったのでとても懐かしいところです。 ずいぶん変ってしまいましたが・・・

病院の近くまで帰ってきて恒例のコーヒーとケーキのセットを注文してこれまたぺろり!! 元気、元気です。

 

2007年10/7日(日) 昨日はアクラシノン最後の5日目で点滴終了後、点滴の針を抜いてもらいました。 自由になり、早速お昼から外出しました。一番に食べたいのはなんとラーメン! 看護師さんに病院の近くでおいしいラーメン屋さんを聞いていたので直行でした。 その後近くをぶらぶら歩き、タリーズでおいしいコーヒーとチーズケーキで満足して病院へ戻りました。

今日は娘二人も同行して、月島のもんじゃを食べに行きました。 もんじゃストリートはみごとにもんじゃのお店ばかり。大勢の人でした。 以前の移植の後の外出はとても気をつかいましたが、今回はそんな事もなく食べたいものを食べることが出来て大満足です。 2日続けての外出なのでちょっと疲れたようです。

 

2007年10/4(木) 治療3日目。 食欲が少し落ちたようですが、今のところ吐き気も無く退屈していますが、今日は外来診察があったTさんとKさんが顔をみせてくださいました。 白血球が減るまでは 外出してよく歩いて、美味しいものを食べて、体力をつけてと言われ、ガハハッ!(もう少し上品でした)と豪快に笑われ帰られました。お二人ともパワフルな方で元気を頂きました。 早速美味しいお店をリサーチしているようです。

 

2007年10/2(火) 今日から前回の入院と同じCAG療法が始まりました。 5日間のアクラシノン点滴と朝晩のキロサイド皮下注射を14日間の予定です。 今までずっとお世話になった担当の先生がもうすぐ移動されるので、担当医が代わりました。 長い入院では、担当医との相性がとても大切なので、心配していましたが今日お話をさせて頂いてとても優しそうな方で一安心して帰宅しました。

 

2007年10/1(月) 入院しました。 前回と同じ部屋でした。今回は窓際ではないのでちょっと暗い感じです。さっそく 胸のレントゲン、心電図、採血、そしてマルクをしました。

今回はPCを持ち込んでいないので、今日からハナマメママ(妻)が書くことになりました。病室からクレームがこないと良いのですが・・・・

 

2007/10

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2007/9/30(日) 足の痛みは午後から少し楽になった。痛む場所が特定できない、この嫌な痛みは髄外腫瘤と思う。明日から入院、抗がん剤でまとめて退治してもらう予定。入院前の最後の晩餐はゴマ坦々鍋だった。

 

2007/9/29(土) 昨夜から左足が痛い。鎮痛剤(カロナール)を飲んでもあまり効かず、歩けない。髄外腫瘤が動き出したのか、昨夜元患者仲間と飲み過ぎたのが原因か・・・  痛い箇所がふくらはぎから股関節へ動いてきた。一日寝ていても痛い。Yさんと何年ぶりかで会う約束を中止してもらった。残念。退院後の11月までお預け。

 

2007/9/28(金) T病院入院係りから電話あり。10月1日(月)の入院が決まった。夜、元患者の集まり。先生、看護師さんも来てくれて10人が集まった。病を忘れて楽しんだ。

 

2007/9/27(木) 外来検診。血液検査結果、白血球10600、ヘモグロビン11.0、血小板38.1万とほぼ良好。LDH242で先週と同じく高めだが末梢血のブラストは今日は消えていたらしい。胸部CT撮影も肺の腫瘤は大きくはなっていない。前回治療終了後1ヶ月たち、先生の予想では1ヶ月良好な状態が維持できれば上出来とのことだったそうなので、上出来なのだろう。妻は旅行で楽しんだので免疫が上がったのではないかと言っている。そうかも知れない。来週入院予定だが、ベッドが空かないときのために外来予約10月4日(木)。

 

2007/9/25(火) 先生から行きたい所があれば今のうちに行っておいたほがよいと言われていたので、思い切って大阪ー小倉ー大阪と3泊4日の旅行に行ってきた。旧い友人たち大勢に会えた。卒業以来36年振りに会う友人もたくさんいた。鹿児島から小倉まで来てくれたKさん、中間期末の忙しいときに何もかもアレンジしてくれたHさん、他皆さんに会えて本当に嬉しかった。大阪でも同じだった。本当にありがとう。これからも病室で昔のことをたくさん思い出すとおもうが、懐かし思い出に楽しい思い出も加わった。

 

2007/9/20(木) 外来検診。血液検査結果、白血球8700ヘモグロビン10.2血小板40.2万とほぼ良好だが、末梢血にブラスト2%出現。LDHもに242に上がっている。白血病細胞が動き出したらしい。CAG療法後の退院から12日目。1ヶ月はもつだろうと期待していたがずいぶんと早い。念のため胸部CT撮影。週末は大阪、九州方面へ旅行予定だが、先生からまだ大丈夫でしょうと許可をいただく。次の外来は一週間後の27日。

 

2007/9/18(火) 朗報。Kさんから移植後2歳の誕生日を迎えたとメールをもらった。おめでとうございます。同時期に移植をして、入院仲間の連絡網の要の役をこなしていただき、入院中は病室にも寄っていただき、ずっとお世話になってきた。完治まであと3年あるが、2年は大きな節目、2年経つとほぼ大丈夫らしい。これから行動範囲をさらに広げ、ドナーさんからもらった人生を有意義に楽しく元気に歩んでください。

 

2007/9/17(月) ホームページ、少し手直し。海好きにリンクさせてもらった。書いた内容が独りよがりではないかと不安もあるが、せっかく書いたのだから少しでもたくさんの人が読んでくれるとうれしい。それでカウンターもつけてみた。

 

2007/9/11(火) ご主人の肺がん闘病記を淡々と記したDearというホームページがいつまでも頭に残っていた。僕も治療手段が尽きたことを機会に多少の記録を残せばそれなりに役立つのではと思い立った。Dearの作者にぶしつけながらメールしてみて、励まされた。その後、ハナちゃんの散歩のあと、食事以外は夜の2時ごろまでパソコンに向かいワードに記録をまとめた。一気に書いてしまわないと完成しないのはわかっていた。4日目にとりあえず骨組みをアップした。

 

2007/9

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