Holocaust ――The borders――
Chapter:5
冬実――Huyumi―― 第6話
冬実はいつもよりも一時間ほど遅れて、帰宅した。
あれから自分を責めるようなこともなく、ただ、あまりにも不甲斐ないと彼女は感じていた。
そのまま帰る事は彼女にはできなかった。
ただ時間だけが過ぎて――彼女は。
薄闇が忍び寄ってくるまで、自宅への道のりを歩むことができなかった。
「ただいま帰りました」
妙に静かで、夕方なのに電灯もついていない。
冬実は無言で靴を脱いで、廊下を歩く。
気配もない。
――誰もいない
まず食卓へと向かう。
テーブルには食事が並んでいて、ラップがかけられている。
それも全員分。
――?
そして、彼女の席に紙が一枚おいていた。
『みーちゃんえ。御夕飯は用意しておきました。全員でハル君を捜してますので、食べておいても構いません』
冬実は無言でそれを取り上げると、ゴミ箱に投げ捨てる。
――ハル
きっと玄関の方へ目を向ける。
其処に誰がいる訳でもないのに、彼女は何故かそちらに目を向けた。
ゆっくりと玄関に向かい、まるで何かに惹かれるようにして二階へ進む。
彼女は薄暗い階段を何の躊躇も照明もなく間違いなく歩を進める。
僅かに光を帯びたような彼女の視界に、もう一つの何かが映り込む。
空気に残された何か――空間に刻まれたものなのか。
ぶるっと肌が震える。
寒さでも悦びでもない。それは、まるで機械的な――そう、本能とも違う震え。
電気を帯びたプローブによって蛙の脚が痙攣したのと同じように。
指先から肩へと数回痙攣が走る。
肌の引きつりが彼女を正気へ――それだけ冷静にしていく。
空間が変わる――色が、突然原色の世界に。
ちかり、とフラッシュが焚かれるように一度世界が明滅する。
あ んん…
人の声。
ちりちりと頭の中が閃く。
フラッシュバックするように、一歩、階段を昇るたびに確かに何かが変わっていく。
――ここで、確かに
治樹が歩いた。
何故早く帰ってこなかったのか。
殆ど本能のような感覚で、僅かな過去を読みとる。
そして後悔する。
治樹がもしあのまま後退するので在れば、彼の行くべき場所はどこなのかもっと――早く気がつかなければいけなかった。
ふと彼女の脳裏に浮かぶ疑問。
何故治樹はこの階段を歩いていたのか。
何を望んで、いや――何故家族は気づいていないのか。
彼女の疑問に答えるように、耳へ、視覚へ、情報が流れ込んでくる。
それが彼――治樹の残した情報だという事は、まるで既に教えられているかのように感じる。
知覚する――その時間を。
その時刻からおよそ一時間前。
明美と菜都美は夕食を作り終えていた。
「いつ帰ってくるか判らないから、ラップして」
無言で頷く菜都美。
「母さんは?」
「うーん…警察に行くって行ってたから、もしかするとまだ話し込んでるかも知れない」
明美はふん、と吐息と同時に頷く。
こういう仕草は子供っぽく見えなくない。
「行く?」
迎えに、という事だ。
菜都美は首を振って答える。
「それより姉さん、治樹を捜そう」
「うん…そう?そうする?」
首を傾げるように聞き返して、そして小さく頷くと明美は笑う。
「じゃあ準備して。わたしはこの辺りを片付けてから準備するから」
まだ帰ってこない冬実のために置き手紙を書き、夜はまだ寒いので室内着の上から服を着込んで、コートを羽織る。
片付ける物を片付けて玄関へ向かうと、やはりしっかり着込んだ菜都美がいた。
「うわー、なっちゃん着込みすぎ♪」
「他人の事言えない、明美姉」
「でもわたしはミトンの手袋なんかしてませんよーだ」
そう言ってぱたぱたと両手を拍手するように打ち合わせる。
菜都美がむっと貌を紅くして、何か口を開こうとするがくるっと背を向ける。
「を?」
「早く行きましょ。…明美姉」
菜都美が焦っている様子を見せるので、明美は口の端を寄せるように笑う。
「可愛い」
「五月蠅い」
ふふ、と笑って彼女の肩を叩く明美。
こうして二人並ぶと、菜都美の方が若干背が高い。
腰まである長い髪を揺らす明美と比べれば、実は菜都美の方が小柄に見えるので勘違いされることが多い。
並んでいると、だから何故か不自然な光景のようにも見える。
「ねえ、明美姉」
先刻の話が気になって、菜都美は振り返って言う。
「何?」
「治樹と冬実が、真桜のケモノだとして、じゃあ」
先刻の話では、二人が化物だという話でしかなく、他の――たとえば父親や、自分なんかは違うという事になる。
菜都美が言葉を選ぶように沈黙しても、明美は笑みを湛えるだけで何も言わない。
「あたし達は、人間なの」
こんな、でも――言外に彼女が残した物が、彼女の貌から色濃く滲む。
明美はため息のように大きく一度息を吐くと、彼女の周囲に白い煙のように立ち上る。
そして。
それはかちりとスイッチが入るように。
「ええ。『ヒト』よ。ねぇ、菜都美?じゃあ、ヒトって何?人間じゃないって、どういうことかしらね」
まるで鏡写しの中にある、偽物のように。
道場で立ち合った時に見せた、本気の明美が今、菜都美の目の前にいた。
威圧感と存在感、そして背筋に走る悪寒。
間違いなく、今の明美は、菜都美の知る『化物』だった。
「人体実験を繰り返した、実験体を『丸太』と呼び捨てたあの細菌部隊は?ナチスドイツの大虐殺は?アレも人間だというの?」
そしてゆっくり、明美の表情は元に戻る。
威圧感も存在感も、全て――元通りに。
「彼らは人の皮を被った悪魔…おかしいわよね。ねえ、なっちゃん。悪魔や化け物ってのが、どんなものかも知らない癖に」
ヒトとケモノとの境界線。
「でもヒトってどんなものなのかも、知らない。…だってヒトは定義できないから。その境界線は膨れあがる一方だもの」
それは、『敵』か『否』か――
「おかしいでしょ、『彼ら』って。昔人間じゃなかったはずのものまで、自分たちの領分にしてしまう。それが怖いところなんだけど」
そして、彼女は優しい微笑みを浮かべた。
その笑みの意味が判らないまま、菜都美は続ける彼女の言葉に耳を傾ける。
「善悪の区別なんかと同じよ。ね?昨日の友は今日の敵」
「……明美姉、それ、逆じゃない?」
明美は明るく声をだして笑う。
睨むような菜都美の肩を、まるでかばうように抱いて、軽く叩く。
「なっちゃん、あなたが何を聞いてどう考えようと、それは知らないけどね」
喩えそれが、真桜の口伝に在ろうと無かろうと。
「あの子たちもわたし達の家族だし、何より、理解できるのもわたし達しかいないのよ」
「それは……判ってるけど」
「大丈夫。あの子達みたいに生まれた時からはぐれているか、生まれた後気づいてはぐれるかの違いよ」
肌寒い空気。
そのせいか、抱きしめられているのに暖かさを感じない。
何故か、彼女と明美の間に壁でもあるかのように。
ノックする音が聞こえないのに、扉が揺れているような。
奇妙な感慨を覚えて、菜都美は小さく首を振った。
苗床。
通常、種籾を直接植えるのではなく、苗という形に育て上げる為のもの。
それ自身は感覚的には種だが、現在稲作では主流である。
何故苗床を利用するか。
それは、苗床の利点――即ち、育った後の間引きの手間が省け、管理された温室で安定して育てられるからである。
「いわば真桜は化物の苗床なんだよ」
暗い部屋で、リーナはミノルに話しかけていた。
ミノルは既にいつでも出られるようにジャケットを羽織り、懐にはボウイナイフがかけられている。
刃渡り14.5cmの、大きすぎず小さすぎないナイフだ。
一度海兵隊で僅か1インチ(2.54cm)の差で使いやすさが揉めた程、ナイフはその重さとサイズ、そしてその形状まで個人差がある。
特に戦闘に使用される際、各人のカスタマイズが重要視される。
「……それで」
めんどくさそうな声で、顔を上げてリーナの居る位置を彼は見つめた。
小柄な、小学生ぐらいの背丈が、片膝を上げるような格好で小さな椅子に座っている。
闇と言う程暗くない部屋の中では、彼女の湛える笑みが嘲笑のようにも見えた。
「それは誰から聞いた」
とんとんと自分のこめかみを人差し指で叩き、小さく肩をすくめる。
「傑作だよ、ミノル。何故彼が、お前をさらったのかもよく知っている」
にたあ、と今度こそ間違いなく嘲笑を湛える。
「なあ、境界のこちら側に居る存在よ。尤もお前の場合は、『こいつ』が無理矢理こちらに持ってきたようだが」
こめかみをとんとんとんとん叩きながら、笑いが抑えきれないのか喉で音を漏らす。
それも、子供の声のようで。
「何故、ヒイラギツカサ博士が、ヒイラギなのかも、な。……ん」
一瞬眉を寄せて、彼女は目を閉じた。
「興味深い結果だ。……この素体の反応は、予期していた物とは全く違う」
ミノルはため息を付いて立ち上がる。通信している結果だろう、彼の中にも『声』らしきものが響いてくる。
――これは、リーナの声か?
「最高のサンプルパターンだ……ミノルとはまた違う」
リーナが呟く。
「でも、破棄だろう」
「コントロール不可能だからだ。ふん、一度暴走してしまえば使い物にならない」
彼女は人形の身体でありながら、不快感を露わにして目を開いた。
何故か彼女は思い通りにならないという事が殊の外気に入らないようだ。
彼が彼女の言うとおりにしなければ、意識を持って行かれる程の『痛み』を直接貰う。
彼女自身『お仕置き』だと言う。
それがどういう仕組みのどういうものなのか。
時折考える。
もしかすると、この身体すら彼女の思い通りになっているのかも知れないと。
「従わなければ。――俺も、切り捨てるのか」
「お前を?私が?」
その返事が奇妙だったのか、彼女は驚きの声を上げた。
唐突だったからだろうか、少なくともミノルは彼女の今のような表情を見た覚えはない。
目を大きく見開いて、まるで――取り残された子供が殺される直前に見せるような、そんな貌。
「そうか。……もしそうなら。……もしそうだったら、ミノル、どうするんだ」
不思議だった。
彼女のその表情は変わらず、まるで仮面を張り付けているように彼女は、抑揚無く、ただ低く呟く。
応える代わりに彼は目を閉じて立ち上がった。
空気が揺れたような気がした。
「『目標』の動きを教えてくれ。話じゃ『狩人』が罠にかけて誘い出している頃だ」
彼女は息を止め――そもそも、それは擬似の呼吸なのか、必要な彼女の命を支えるものなのか――、貌を戻した。
僅かに張りつめた彼女の気配が、いつもの支配者のそれに変わる。
落ち着き払ったものに。
「――但しミノル。どちらにも手を出すな。お前に与えている奴は、まだ未完成だ。だから実験を繰り返しているというのに」
言い訳がましく聞こえるそれを無視して、ミノルは歩き始めた。
彼女はそれ以上何も言わなかった。
多分――いや、言う必要がないからだろう。
どうせ逐一、心臓の鼓動一つから指の動きに至るまで、彼女は掌握しているのだから。
――さて、いくか
冷たい夜穹を見上げて一呼吸して、月の雫を吸い込む。
身体の芯から、ゆっくりと冷え切っていくように意識が通っていく。
周囲が、まるで昼間よりも明るく感じられる程。
そこは彼の世界だった。
僅かに芽生えた叛意
試してみたいことは幾つもある。
――何にしても、奴の力ぐらいは見ておかないといけない
どうせ『敵』になるのだから。
そしてもう一つ。
――あいつならどうするか
僅かに――本当に僅かに、彼は、自分の弟に期待したくなる気分になっていた。
それがあまりにもおかしかった。
おかしくて、彼は声に出して嗤った。
冬実の貌が強ばる。
彼女が踏み込んだ治樹の部屋は、まるで荒らされたように物が散乱していた。
そして、異臭。
『治樹は、私をっ』
一瞬ベッドの上に涙を流して叫ぶ菜都美が、両手で毛布を自分の胸元に引き寄せている幻像が見えた。
が、すぐにそれは消えて、現実の風景が視界に入る。
――これは
何が作用しているのか、彼女は一時間前の記憶を手繰っていた。
ここで何が起きたか。
「……ハル」
冷たい空気が吹き抜けるように彼女の頬を叩いて、カーテンが広がる。
窓ガラスは桟ごと砕かれていた。
それも、外向きに――多分ここから彼は逃げ出したんだろう。
ここは惨状だった。
――彼女が、襲われた
携帯を渡されて、菜都美は明美と別れた。
この間冬実を捜したのと同じだが、違う点が一つ。
冬実の時は手がかりがあったが、一日経った今ですら何の手がかりもない。
そんな状態で探さなければならないのだ。
一度学校に向かう事にした菜都美と、繁華街に向かう明美で丁度、河川敷に向かう道で反対方向に別れた。
別れて数分も経たず、彼女は足を止めた。
――?
悪意のようなものが彼女の側で形になっているようにして、漂っている。
ぞわりと背筋に悪寒が走る。
――誰
もう一度足を踏み出して、出来る限り今の気配に気づかなかった振りをする。
方向は判らない。いや、既に敵の懐の中に陥っているのかも知れない。
今まで聞こえていた細かい音がフェードアウトするように消え、甲高い耳鳴りが彼女を襲う。
――が、それも僅かな間だった。
すぐに全てが元に戻る。
彼女は思わず振り返った。
――?
その時、何かが道路を横切って路地へと駆け込む姿が見えた。
異形。
もし彼女が気にしなければ、今の感覚に気づかなければ、恐らく何もなかっただろう。
足音も届くような距離ではなかったが、影は、確かな人影ではなかった。
確かに人間大のサイズではあるが、明らかに二足歩行では有り得ない影だった。
彼女はまるで誘われるようにしてその影を追う。
影はやはり獣ではない。
後ろから捕らえたその姿は、人が四つ足で走っているかのような奇妙な影だ。
ざわざわとざわめく物を覚えて彼女は走った。
影が向かう方向が、自分の家のある方向のように感じたから。
何の確信もない。
でも、確認しなければ向かうことも出来ないような、嫌な予感。
何故なら、今の影はどう見たって不自然だから――
家に辿り着いた時には、完全に息が上がっていた。
肩で息をしながら気配を探るなんて出来ない。
ただ、人影が消えた方向はやはり自宅だった。
――まだ、冬実は帰ってないの
闇に包まれている自分の家に、安堵して良いのか――でも、冬実が居ない事は少なくとも良い事だと自分に言い聞かせる。
もし今のが治樹だったら。
冬実はもしかすれば、辛い目に遭わせる事になるのかも知れないから。
呼吸を落ち着けながら彼女は自宅の鍵を取り出し、玄関から家に入った。
とりあえず異常がないか確認しようとする。
靴を脱いで、電気をつける。
廊下は静まりかえって、誰かが侵入した形跡はない。
ゆっくり廊下を歩きながら、電話を見て思いついた。
自分が携帯電話を持っていなければ、今すぐにでも明美を呼ぶことが出来たのに。
気が付いたが仕方ない。
一応一階の部屋を覗きながら、自分の部屋へと向かう。
彼女達の部屋は個人個人に割り当てられているが、部屋の鍵はない。
つける必要がなかったし、初めから付いていなかったからだ。
自分の部屋にまず入って見回す。
特におかしなところはない。
そして、治樹の部屋を開けて、覗き込む。
――………まさかね
身を引こうとした瞬間、視界が暗くなる。
「ん…っ!」
振り向けなかった。
直後、背中から抱きつかれる感触に声を上げようとして、足がすくむ。
そのまま投げ出されるように前へと転がった。
「な、何っ、何なのよっ」
床を一回転して、起きあがろうとして――暗い部屋の中で自分を見る瞳が在ることに気づく。
階段から照らされる光にくりぬかれ、四角い入り口が歪に浮かび上がっている。
「……!」
じりっと両腕で一歩、思わず後退った。
立ち上がれない。
それ以上動くと、今入り口で蹲る影が飛びかかってきそうなそんな予感がする。
――しまった
蔭に沈んだ貌の中でも、窓から差し込む光なのか、青白く双眸が揺らめいて見える。
すぐに菜都美は、自分の体勢を整えようとして――考える。
紹桜流柔術には寝技が少ない。
無論、この体勢から反撃する為の技術も無論少ない。
極め技、投げ技、絞め技の殆どが甲冑を着た立合を想定しているため、倒れた後の攻防がないためだ。
倒れる即死に繋がる実戦では、当然と言えば当然かも知れない。
――起きなきゃ
だが起きあがるその瞬間、起きた直後というのは最も体勢が不安定であり、付け入る隙が大きい。
膠着状態の緊張の糸を張りつめさせる、言葉にならない呼吸音。
それが彼女の耳に届く。
先に動いたのは影の方だった。
のそり、とまるで四足獣の歩みのように、両肩が動くのが判る。
同時に彼女は地面を蹴って、飛び退くように身体を起こす。
ほぼ、同時だった。
彼女の身体が浮き上がるのを、まるで見定めていたかのように影が低く跳躍する。
狙いは――多くの肉食獣がそうであるように――喉元の高さだった。
菜都美は低く呻いて、そのまま後ろへと突き飛ばされる。
運が良かったのか、腰辺りを柔らかい感触が受け止めてくれる。
――ベッド
だが、勢いは殺せず、そのまま折り重なるように倒れ込む。
荒い息をつく、彼女の目の前にある獣。
だがそれは、やはり人間の姿を保っていて。
「…治樹……」
そして彼女の想像は、外れて欲しい方向に定まってしまっていた。
冬実は頬を引きつらせて、再び激しい表情を浮かべていた。
――何故
ここで起きた事実が、誰かが仕組んだ物であるのか。
――ハル、あなたは
偶然、『抑えきれなくなった』治樹が――彼の意思でないにせよ――選んだ結論なのか。
――姉さんを、選んだの
きしん
甲高い何かが軋む音。
それは、彼女の意識を次へとつなぐきっかけになった。
割れたガラスの破片を気にもとめず、そのままベランダへ足を踏み入れる。
治樹は菜都美を放置して窓ガラスを破り出ていった。
その時、何かに反応していた。
感情は――恐怖。
死から逃れようとする本能。
「っぅ……」
冬実はベランダから一歩後退り、右足を上げる。
土踏まずのすぐ側、小さな欠片が食い込んでいた。
躊躇せず指で引き抜き、それをベランダに投げ捨てると背を向けた。
部屋を出て間もなく、玄関の扉が音を立てた。
帰ってきたのは明美だった。
「お帰り、みーちゃん」
「…菜都美姉さんは」
まるで反対の挨拶を交わす姉に、冬実は切り返すように言う。
一瞬躊躇を見せた彼女に、有無を言わさず冬実は靴を突っかける。
先刻の足の傷がしくりと痛んだ。
「あ、みーちゃん」
「出てきます」
治樹を追うために。
治樹に問いただす為に。
「ちょ、待ってよ」
何故か我慢ならなかった。
どうしても今すぐ問いつめなければ気が済まなかった。
だから。
「あなたは、待っていてください」
吐き捨てるように言い、勢いよく扉を叩き開けると走り去っていった。
明美はそれを見送りながら、ため息を付いた。
「『あなた』、ね。……みーちゃん、ちゃんと帰ってきてよね」
明美は寂しそうに微笑みを湛えると、そのまま玄関を閉めた。
母親が帰ってきた時、菜都美の事を報告しなければならない。
明美も気が重く成らざるを得なかった。
◇次回予告
治樹を追う冬実。
しかし、気配の記憶は繁華街の中へと消えてしまう。
そして――狩人が動く。
「証拠が欲しくはないのか?――罠を用意した。立ち合うなら来い」
Holocaust Chapter 5: 冬実 第7話
ハル……どうして、こんな、事に……
血塗れの結末
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