Holocaust ――The borders――
Chapter:4
玲巳――Reimi―― 第2話
白い薄手の、ドレスのような形状の服に、タイトなキュロットとハイソックスという奇妙な出で立ち。
全身真っ白な、それでいて妙にアンバランスな――そう、子供だ。
幹久の前に立っているこの娘は、どう見積もっても高校生には見えない。
甲高い――それでいて角を感じさせない丸みのある声。
「君は」
「申し遅れましたわ。私はレイミ、ちょっと調べ物があるんですの」
レイミと名乗った少女は、それ以上自分の事を話そうとはしなかった。
「それよりも、まだ先程の回答がまだですわ、イガラシミキヒサさん?」
――何?
心臓が、突然自分の力で急激に締め付けられる。
息が止まった。
本当に死んだのかと思うぐらいのショックだった、が、勿論死ぬはずはない。
自分の唇の上を流れる鼻息で、やっと、自分が呼吸をしている事を思い出す程だった。
「何故、俺の名前を知っている?お前」
すると少女はにっこりと笑って肩をすくめる。
「気のせいですわ。私は、ちょっと確認しただけですもの」
そして、両手を自分の後ろで組むと、そのまま少し腰を折って上目遣いで彼を覗き込む。
「それよりも、キミは、間違いなく如月工業の生徒さんでよろしいんですの?」
彼はただ首を上下させて頷く事しかできなかった。
声が出ない。声にならない。
彼女に魅力を感じたわけでも恐ろしく感じた訳でもない、ただ――
ただ、何だろう。
彼女の言葉の信憑性が、恐ろしかったのかも知れない。
まるで精神を檻の中に閉じこめて、切り開いて解剖するような感じだろうか。
「だったら、お聞きしますわよ。…すぐそこの、喫茶店にでも入りましょう」
少女が示した店は、暗いブラウンを基調としたデザインの、落ち着いた照明の店。
客同士が見えるような位置でもなく、確かに話すにはもってこいの場所。
そもそもそのために造ったんじゃないかと思える程、仕切るために立てられた飾りガラスが並んでいる。
コーヒーとグレープフルーツジュースを頼むと、沈み込んだように黙っている幹久の前でにっと笑う。
「さて、一番聞きたい事から聞かせて貰いますわ。キミの学校の教師に黒崎藤司って名前の人、いないかしら」
それは意外な質問だった。
あんまり以外だったせいで、彼は拍子抜けしてしまい目を丸くする。
「え、ええ?なんだよそりゃ。そんな事を一番聞きたかったのか?」
またあの事件の事かと思った。
だから安堵の声を上げながら答えてしまう。確かにいる、と。
「だったら数学のテストは大変ではありません?」
「え?黒崎先生は物理の教師ですよ?」
ああ、と彼女は良いながら両手をぽんと打ち合わせる。
「そうそう、物理ですわ。几帳面で細かいところがあるから、つい」
私達
彼女の、いかにも黒崎を知っているという口調に不気味な予感を覚える。
――もしかして、彼女は『黒崎先生の側』の人間なんだろうか?
どう見ても彼女は中学生――よく見ても高校生にしか見えない。
だが口調にせよこの雰囲気にせよ、『子供』とは思えないような、奇妙な気配を持っている。
大人びた――とか、女性のような――という形容詞ではない。
勿論子供のようなのは外観だけで、仕草一つ一つを取ってみてもとても同い年以下にはとても見えない。
「ほら、数学の教師って、やけに細かいところまで気にしませんこと?」
だが無邪気にそう語りかけてくる彼女は、やはり子供のようで。
「あ、ああ」
どう対応して良い物か、迷う余裕すらない。
「普段はどんな感じですの?何か部活の顧問でも?」
「……普段、あんまり面識はないから」
彼の言葉に今度は眉を寄せるようにして反応した。
それは――非難。
それもやけに敏感に表情を動かして見せた。
無言でその貌のまま沈黙する――そう、ほんの僅かな時間。
だがその僅かで充分だった。
「担任とかだったらな、俺はあの教師とは授業以外であまり面識はないんだ」
「……そうですの」
納得していないという感じの声。
――まさか
自分の名前を知っていたのだ、別に――そう別に不思議ではない。
既にこちらの手の内がバレていたとしたって。
但し、あの先生との接点はほとんどない。
本当に、ただ授業を受けて質問した以外では、せいぜい――
せいぜい?
彼は思い出しながら自分の言葉と感覚にちぐはぐなものがあることに気がついた。
せいぜいなんだろう。
担任でもなく、無論オカルト部にも入っていない彼は、授業以外の接点を持ちようがないはずだ。
だが確かに、何度か質問して話を聞きながら夕食を一緒に食べた事がある。
妙に、接点が多い――どういうことか。
――どういうことなんだ
無論それは偶然で、無論それはたまたまで、黒崎藤司の性格がそう言った物だったんだと飲み込んでしまう。
本当に、それを信じて良いのかどうか迷いを残したまま。
「判りましたわ。キミの名前を見て『そうだ』と思いましたのに……」
その時、注文したモノが来た。
彼女は当然のようにコーヒーを受け取り、彼にジュースを差し出す。
「遠慮はいりませんわ、お話を聞かせて戴いたお礼に」
そう言ってにっこり笑った。
多分、本気で言っているのだろう。
彼は頬を引きつらせつつ、笑って応えた。
今日は、何人も客が来る。
どこかの小説か、映画で見たフレーズを思わず使いたくなるぐらい今日は他人と縁がある。
「どうも」
男――と言っても、一つか二つしか違わないぐらいの青年だ――は名刺を差し出しながらにこやかに笑った。
桐嶋剛。桐嶋興信所に勤める探偵だという。
「桐嶋さん、ですか。…一体僕に何の用なんですか」
彼は奇妙な貌をして、困ったように肩をすくめてみせる。
「参ったなあ。俺が質問したいんだけど…構わないかな?」
それは質問には答えないという意味らしい。
「それは依頼人に対する義務、という奴ですか」
その探偵は、いい加減質問させて欲しいという感じで後頭部をがりがりとかいて、『参ったな』を連発している。
どうにもらしくない、というよりもやっぱり見た目通り、一つか二つ――もしかすると同い年なのかも知れない。
「まあ、いいか。ああ、そうだよ。俺は手の内をさらけ出さなければやっていけない三流以下だな」
地がでた。
自分で言っている通り、この探偵は非常に判りやすい。
多分、こういう仕事には向いていないのではないだろうか。
どこかのライト小説とかミステリを読みすぎて探偵を目指した程度の、そんな感じの。
「どっちにしても、探偵って仕事は調査さ。今回は人捜し。…で、今手当たり次第に聞き込んでいる最中って訳だ」
そして彼はびしっと人差し指を彼に突きつける。
まるで銃でも構えているように、ぴっと一度跳ね上げると、そのままズボンのポケットに戻す。
「特徴は、背丈体格は俺ぐらい、名前はヒイラギミノルっていう高校三年生だ」
淡々と彼は述べて、そして胸のポケットを探る。
多分写真でも出す気なんだろう、と思っていたが、一向に彼はポケットから手を出さない。
それどころか、そのうちポケットを裏返して覗き込んだりし始めた。
「あれ…困ったな、写真を落としてる」
幹久は頭を抱えた。
どうしようもない探偵もいたものだ。これで本当に仕事が勤まるのだろうか。
「まあいいや。とりあえず名前に聞き覚えは?」
あるはずがない。幹久はゆっくり首を横に振った。
すると探偵はふむ、と言って自分の顎を撫でて考え込む仕草で視線を逸らせる。
「ふーん、そうか……だったら、この間の事件以来、何か変わった事は?」
――またか
ほんの数日前の事件だから、仕方のない事なのかも知れない。
「いえ」
幹久は短く答え、探偵の様子を見た。
特別変化のない貌色。
それに逆に不安に駆られる。
「じゃ、あの事件の時に殺された生徒以外には何も変化はないってことかな?確か、新聞の発表じゃ生徒が男女合わせて六人いたはずだけど」
「…そんなものだと思う。……僕は、あまり覚えてはいないけれど」
「じゃあ、あの儀式の時にいた人間を含めると合計で七人いなくなっているはずなんだけど」
幹久は絶句する。
「ちょっとまってください?俺を含めて七人しかいないはずですが」
桐嶋剛は幹久のその言葉ににやりと笑みを浮かべた。
「儀式に参加した生徒六人は死んだ。奇妙な、斬殺体でね。……そして、一人、五十嵐幹久、君が生き残った」
当然第一発見者であり被害者であり、何より――貴重な証言者である。
それは幹久でも判っていることだ。
だが幹久は、実はあの時の記憶は曖昧なのも事実だった。
人数なんか、オカルト部でもないのに覚えている訳がない。
部員でもないのに、何故か黒崎に呼ばれて参加していたのだ。
「…それじゃあやはり」
「調べたんだけどね、これは別口で。あの日にあの教室にいた人数は男子生徒五人、女子生徒二人、そして顧問の教師が一人」
彼は数え始めた。
その時点で既に二人人数が合わない。
「ちょっと、生徒は先刻六人だったって」
「『発表された』って、俺言わなかったかな?そしてその後『調べた』って、言ったんだけど」
幹久は黙り込んでしまう。
何をどう調べたのかは知らないが、この探偵は調査結果と発表されている事実の差がどうやら興味の対象らしい。
――もとい、彼の依頼主の目的がそこにあるのだろう。
「教師の名前は黒崎藤司、ここで物理の教師をしている。大学の時の専攻は理論物理学だそうだ」
探偵の講義は続く。
「一人の女生徒は『不参加』のつもりで強制的にその教師に参加させられている。『生贄』だそうだな」
桐嶋が覗き込むようにして彼を見つめる、が、幹久は何も表情に浮かべなかった。
彼は何も考えられなかった。
言われても、はっきり何の事は判らないからだ。
「…そうですね、確かに一人、儀式のテーブルの中央で寝かせられてました」
「彼女は帰宅直前に捕まったらしい。まぁ、直接教師から聞いた訳ではないから?」
「でも、彼女もオカルト部なんでしょ?」
「五十嵐くんと同じだ。…部外者だよ」
何が言いたいのだろう。
第一最初に質問をすると言っておきながら、質問ではなく事実の確認ですらなかった。
「何が言いたいんです」
だから、幹久がそう言いたくなるのも理解できるだろう。
意図がつかめない探偵に、僅かに苛々し始めていた。
「そう、ここまでは前提だ。ここで質問をさせて貰いたい」
そしてきりきりと音を立てそうなぐらい空気に緊張の糸が張りつめる。
「疑問は幾つもある。だが何よりも、何故この事実がねじ曲げられて隠蔽されているか、だ」
答えられる訳はなかった。
「知りませんよ。第一僕は、そのオカルト部の人間すら知らないってのに」
「じゃあ質問を替えるよ。仕方ないなあ」
探偵は呆れた声を上げて肩をすくめ、メモに何か記入している。
「君とその少女はオカルト部でもないのに顧問に呼ばれて参加したんだけどね。どうしてかな」
「その女の子は知りませんよ」
「でも、『参加した生徒の君を除いては』全員、死んだ。発表された儀式参加者には教師は含まれないから」
「僕を疑うって言うんですか?」
そうじゃない、と桐嶋は困った表情を浮かべて首をゆっくり真横に振った。
「最初に言っただろう、人捜しだと。発表された参加者は六人。一人、つまり――一人足りないだろう」
疑問。
あの儀式に参加した全ての人間が死んでしまったのか?
本当に唯一の生き残りなのか?
答えは――否。
「じゃあ」
「警察が保護しているなら問題はない。ただ引っかかるのは、『教師と女生徒一人』分人数の帳尻が合わない理由かな」
警察が保護。
そうかも知れない。
そうじゃないのかも知れない。
第一、何故そんな風に人数が無茶苦茶なのか。
「いや、参考になったようなならないような。ありがとう」
その探偵は片手を上げて去っていった。
結局あの事件は何だったのだろう。
今日の二度の訪問が、彼自身を充分に揺さぶる事になった。
判っている事は。
やはり、あの時には『他に何人か』いたということ。
何故か死体以外に三人もあぶれた人間がいるのだ。
黒崎の言っていた『私達』とは、その殺されなかった一人なのだろうか?
――いや
まだ可能性がある。
その可能性に何故今まで思考が追いつかなかったのか――そう、もう一人は『殺人犯』だ。
あれだけの人間の喉を掻き切り、殺した――誰が?
では黒崎の言う私達とは殺人犯達なのか?いや、この思考は間違っているような気がする。
黒崎が言っている言葉と、あぶれたもう一人は『違う』、これは勘でしかないが、間違っていない気がする。
アレは黒崎が仕組んだ。
だからといって、あんな結末を彼は望んでいたのか?
判らない。
第一、オカルト部と関係のない人間ばかりが残って、オカルト部が壊滅したなんて、顧問としては困るんではないだろうか。
今日話をしてみて判ったが、黒崎は完全に『あの結果』に満足している風だった。
決して何も後悔していないという感じの、むしろ幹久を哀れむようなあの嫌味な表情を思い出す。
「くっ…」
では彼は犯人か?
だが新聞――警察発表にないというのは、彼が保護されているかもしくは隠匿したか。
それしか考えられない。
思考を転々とさせて、たどり着けない迷路に迷い込んだ時、やっと自分の家が見えてきた。
挨拶を交わして、自分の部屋へと戻る。
なんだか、酷く疲れた。
鞄を机に投げ捨てるように置き、着替えるのももどかしくベッドに転がる。
不安と心の軋む音も肉体的な疲労になっているかのように身体を重くしてしまっていた。
何にも考えられない。
すぐに眠気が襲ってきて、泥沼に落ち込んでいくような感覚で彼は眠りについた。
かたん
目が覚めると、既に部屋の中は真っ暗だった。
こちこちという時計の音、嫌な汗をかいている自分の貌。
天井は見慣れているのに、空気は感じたことがないほど冷たく狭く、そして鋭い。
――な
じりじりと何かに焼かれていくような焦燥感。
まるで別の部屋に押し込められていくような恐怖感を伴い、部屋が敵意に満ちているような気がする。
見えもしないのに、隙間という隙間から視線を感じる。
窓からは月の明かりが差し込んでいて、ぼんやりと周囲の様子が分かる。
この部屋には誰もいない。
周囲に物音もしない。
自分だけだ――それは一つの慰めと、怯えを抑える為の自己暗示――。
かたん
――!
だがそれを否定するように、もう一度音が響いた。
外ではない、すぐ近く――室内ではないかもしれないが、決して遠くではない。
硬い何かが、金属以外の何かを叩く音。
何故その音に怯えるように、心臓が跳ね上がるのかは彼には判らなかった。
だが今ここにいてはいけない、そんな気がする。
音を殺して、ゆっくりと自分の上にかかった布団を除く。
風の流れが頬を伝い、その時着替えていない事を思い出して感謝する。
今から着替えなくてもいいからだ。
それでも、今感じるこの奇妙な空気は、どこから視線を感じているのか判らない程で。
彼はベッドサイドで一度片膝をついてまるで這うように壁に寄りかかる。
窓は二つ――一つはベランダのように外につながっていて、一つは出窓だ。
出窓から差し込む月の光の御陰で僅かながら、この闇も薄く蒼く照らされている。
ゆっくりと周囲を、その明かりを頼りに見回していく。
窓二つ、机、扉。
出入り口の扉に描けた鏡の反射か、床も蒼く輝いているが――他人の気配はここにはない。
――窓
だから彼はそれに気がついて、壁づたいに扉の方へと向かう
出来る限り窓を避けて。窓から身体が見えないように。
ゆっくりとドアに近づき、すぐ側で一度止まる。
心臓が激しく脈打つ理由は何だろう。
何故こんなにも怖いんだろう。
これは恐怖ではなく、本能的な畏れなのか。
ニゲロニゲロ ハヤク ニゲロ
まるでそう叫んでいるようで、震える手をノブへと伸ばす。
その時、儀式の準備中に聞いた言葉を思い出した。
鏡は、魔の儀式では必要不可欠な道具となりうる、と。
今鏡には何も映っていない。部屋の中の闇だけを映して――彼はすぐに視線を逸らせて、ノブを回す。
金属的な音が響いて、ドアを開いた。
ちか
物音はしない、外に気配もない。大丈夫、逃げられる――そんな風に思った。
だが、扉の動きに合わせて揺れた鏡に、何か光が映り込んだのが見えた。
反射が直接彼の目に突き刺さるようにして。
嫌な予感。
ゆっくりと、身体を右に回して振り向く。
彼は喉を鳴らして唾を呑んだ。
丁度、彼の真後ろ――ベランダのある窓の外側。
『何か』があった。
ヒトの姿――蹲っているが、間違いない――をした得体の知れない物がこちらに目を向けていた。
黄金色に光り輝く目を。
それは明らかに、自分を見つめている。
――思い出した あれは この間の儀式で現れた『化け物』だ――
爆散するガラスの破片と、甲高く壊れるその響きが伝わるのと、彼が扉を開くのはほぼ同時だった。
転がるようにして階段に駆け込み、殆どまっすぐ落ちるように階段を転げていく。
玄関で靴を突っかけてドアを開き、大急ぎで外へと走り出した。
――何故
判らない。
いや、こうなる事は多分予測済みだったのではないだろうか。
何故あの時、こうやって襲われる事もなく生きていたのだろうか。
何故あの時の記憶が曖昧だったんだろうか。
全力で走りながら、幹久は思った。
――どうして、今、あんな化け物がここにいて襲ってくるんだっっ
夜の街は彼以外誰もいない。
自分の荒い息だけがはっきりと聞こえる。
足音は、やけに小柄で小さな音が、自分のものに重なって聞こえてくる。
振り返るのは怖かった。
逃げるしかない――そう思った。
声を上げたくても息が上がって声にならない。
あえぎながら、目の前が白くなりながら、それでも死にたくないと、彼は思った。
◇次回予告
彼を追う影の正体とは。
「今度こそ――殺す!」
黒崎藤司は五十嵐幹久の元に再び現れる。
「間に――合いまして?イガラシミキヒサさん」
Holocaust Chapter 4: 玲巳 第3話
ああ、聞かせる必要はない。お前も、今度こそ手を抜くな
それは事件の、本当の終焉
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