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Holocaust ――The borders――
Chapter:3

隆弥――Takaya――   第2話


「『自覚すること』って、判る?」
 しばらく無言で歩いて、菜都美は唐突に聞いた。
 あんまり唐突だったので、それが質問であることに気がつかなかった。
「自覚?」
「そう、自覚。私は人間ですっていう、自覚。…それがあればさ、もう少しは何とかがんばれる」
 彼女はひょい、と身体を離して、実隆の目の前に回り込む。
 にっと無邪気な笑みを浮かべて彼の顔を覗き込んでいる。
 実隆は思わず立ち止まって、少し身体を引く。
「でも、自覚しちゃったら…なかなか、人間だって思えない。だから、人間から外れてしまうの」
 それは、例えば思いこみでどうにでもなる、と言う意味なのだろうか。
 確かに暗示や催眠術で信じられない力を発揮する実例はある。
 でも。
 それだったら――今の自分が置かれている立場だって、誰かの催眠術かも知れない。
 妄想や精神分裂症にも似たような症状が出るだろう――現実との区別が付かないという事例であげるならば。
 とは言え、どれも確たる証拠はない。目の前で起きた事象であるとしても。
「そんなに簡単な物かよ」
「そうよ。…だから怖いの。あんまりに簡単に、その境目を越えられるから怖いのよ。落とし穴の蓋って柔らかい物でしょ」
 菜都美は少し人を小馬鹿にしたように笑う。
 片方の唇を吊り上げて。
「ほんの少し、あたし達とを隔てるものは障子の紙のようなものなのよ」
 見たでしょう、先刻のあたしを。
 彼女の表情は硬く僅かに震えているのが判ったが、間違いなくそう語っていた。
――彼女は、その境目が見えるから怖いのか
 だから、実隆は頷いて見せた。

 菜都美を自宅に送ると、もう時計は夜中の十時を回っていた。
 自分の家までは十分もかからない。
 星が降りそうな空を見上げて、彼女の言葉をもう一度繰り返してみた。
――自覚があればまだがんばれる
 そうかも知れない。
 でも、確かにこの『人間ではない』感覚というのは怖ろしい力かも知れないが――抵抗はなかった。
 何故かしっくりと自分の中に馴染んでいる。
 それが本来の姿だから――そういう気がする。
 だからといって、あんな猟奇的な殺人をしたいとは思わないし、学校でのこともまだしこりのように残っている。
 菜都美の言いたいことは判る、でも、それは逃げなのかも知れない。
――逃げて良いのかも知れない
 こんなにも怖い思いをして、世界でひとりぼっちだって思いこむぐらいだったら『そんなものじゃなくて』人間であればいい。
 だから菜都美を誰も否定できないはずだ。あれが彼女の選択した、人間を護る道なんだろうから。
 実隆は、だから逃げる道を選択肢に入れる気はなかった。
――調べればいい
 自分が赤ん坊の頃に起きた、交通事故を調べれば良いんだ。
 何故今までそうしなかったのか――其の必要がなかったから。
 自分を自分であると否定する材料がなかったから。
 だから――だ。
 同じ顔をした、ミノルを名乗る男――あいつの正体も知らなければならない。
 この巫山戯た悪夢の元凶を。
 自分が動かなければ、菜都美達が動かなければならなくなる。


「ただいま」
 自宅の玄関をくぐり、彼はすっかりくたびれていた。
 靴を脱いで、ふと隆弥の靴が見あたらない事に気づく。
「お帰り。隆弥ちゃんは?一緒じゃないの?」
「あ、ちょっとね。…先に帰るって断ってきたから、もう少し遅れるんじゃないかな」
 答えて玄関に上がろうとすると、心配そうに里美が顔を覗き込んでくる。
「大丈夫?顔色悪いわよ」
 とっさに言い訳しようとして――どうやら、体調が優れなくて先に帰ってきたのだと勘違いしたらしい。
 それならその方が都合がいい、と思い直す。
「うん、ちょっと寝不足なんだよきっと。大丈夫だよ」
 笑って見せて、彼女に背を向ける。
――気のせいか
 彼女の表情が翳っていたように思えた。
 気分が落ち込んでいるからだろう、と彼は自分の部屋に戻った。

 だが隆弥はその日、帰ってくることはなかった。


 嘉島史乃という少女は、クラスでも有名なぐらいおとなしい娘だ。
 異性は愚か、同性でもあまり話した事のある人間は少ない。
 友人が少ないわけではない。が、そんな感じだからカラオケに行くことも珍しい。
「私、楠さんとお話しできて嬉しいです」
 もし彼女を知っている者が見たら間違いなく目を剥くような景色がそこにあった。
 隆弥と二人で歩きながら話をしているのだ。
――絶対に後で聞き出してやる
 一生懸命話をしてくる彼女を邪険にもできず、『先に帰る』と言った実隆を少し恨んでいた。
 『先に帰る』とか言いながら菜都美を引きずっていたから声をかけにくかったのだ。
 一体何を考えているんだろうか――そこまで、思考してから彼は彼女を家まで送ることにした。
 いつまでもここで話をしていてはどちらにせよ泥沼だ。
 で、あれば、さっさと彼女を家へ連れて帰った方が早い。
 史乃の家に帰るには人通りの少ない道を歩かなければならない。
 少々遠回りでも、人が多くいる繁華街の通りを歩いている方が安全なのだ。
――人の目があるが、彼の人徳もある。それが一番妥当だった。
「そう?…うん、それは嬉しいな」
 彼女に対して笑みを返しながら、彼は慣れない感覚に僅かに戸惑っている。
 じりじりと。
 まるで真綿で首を絞めていくかのように、時間がゆっくり過ぎていく。

  だから麻痺していた

「おっと」
 突然目の前に、曲がり角から人が飛び出してくる。
 さっと史乃の肩の高さに腕を伸ばして、彼女を僅かに後ろに下げる。
 と同時に――彼の視界を覆う何か。
 ひやりとする冷たい感触、布、乱暴な力に顔全体が絡め取られてしまう。
 逃れようと思っても、薬品のような匂いのする液体を嗅いでしまい脳髄が麻痺していく。

  冷たい殺意

 気のせいか、その冷たい布によってゆっくりと心まで冷たく冷めていく。
 一瞬、脳髄を刺激する――何故か水のイメージ。
 細かく砕けていくそれは、液体ではなく――いや、やはり液体だ。
 水よりも粘性が極端に少ない液体は、粉々に砕けるような細かい水滴を作り出す。
 そのイメージに何故か金属的な臭いと感触。
 耳元で囁くような声が聞こえた気がした。
 どこかに運ばれているのだろうか――もう、その感覚すら判らない。
 麻酔か、さもなければもっと危険な薬かも知れない。
 身体が転がっていく――地面の上を弾けるように滑る、その感触は確か。
 なのに、抵抗しようとできない。
 大きく体がバウンドする。
 背中に堅い地面がぶつかって、突然視界に網の目のような光が差し込む。

――一人――二人、三、四、五――

 がしゃん、と何かが倒れて派手な音を立てた。
 どさ、という音が聞こえて、数人の足音がそれを取り囲んでいく。

――素手で、この人数か

 冷え切った心は、怒りではなくただ現実を認識するだけで、くたびれたようにため息をついた。
 まるで脳髄の裏側は別の人格であるかのように、冷静に結論を下す。
――全くもって、足りない
 何が起こったのかを考える間もなく、彼は敵を把握していた。
 武器はない。
 そしてここは――公園か?
 周囲から視線を通るようなものもない。
 都合がいい。
「ふん、こいつ、女連れていやがった」
 伝わる空気の震えから、それがどこにいるのかを瞬時に割り出す。
 自分の位置から――攻撃手段まで。
――誰だ
――またか
 全く同時に二つの言葉が頭を過ぎる。
 一つは彼の、ごく普通の疑問。
 もう一つはまるで――それを心得ていたかのような諦めた言葉。
「おい、起きろよっ」
 空気の圧力で、どこに何が来るのかが判る。
 右手で払うようにして、タイミングを合わせてそれに腕をからみつける。

――くだらない

 相手が声を上げることも許さない――そのまま、振り抜いてくる勢いを使って、身体を捻る。
 そう、巻き込むようにしてその勢いを利用するんだ。
 身体を起こしながらその足を――放り投げる。
「わ」

  がし

 破滅的なまでに生々しい破壊音。
 男はまるで、自分の腰を中心にして回されたように――後頭部はしたたかにアスファルトにぶち当たった。
 動けないはずと思っていたところからの反撃。
 完全に油断していたからこそ、多分彼は幸せだったに違いない。
――もう、それを感じる余裕すらないだろうがな
 知らず口元がつり上がる。
「な」
 ざわめき。
 いつの間にか這い蹲った男と入れ替わるようにして隆弥は立ち上がっていた、という風にしか彼らには思えなかった。

 把握する。
 彼の視界の前には残り六人の見覚えのない男達。
 足下――すぐそこに、史乃の姿。
 倒れた男はまず目を覚ますまい――僅かに滲むあの液体には見覚えがある。
「何か用か?用件次第ではただではすまさん」
 この残り五人の人間は――害悪をなす物と判断、処断する。
「ああ、お前、『日本刀の隆弥』だろう?」
 一人、明らかに一瞬で戦闘不能にしたというのに、彼らは一切戦意を失っていない。
 こういう手合いは一番厄介だ。
――だから人間相手の戦いは嫌なんだ
 隆弥は溜息ともとれる呼吸を、大きく深く一度だけする。
「――だから?」
「この間、そこでうちの奴らと一戦やらかしたんだろう」
 くだらん。
 全くもって――ただそれだけのために、顔を出したというのか。
「全く下らない」
 呆れるを通り越して頭が痛くなってきた。
 そんな、雑魚共を何匹蹴散らそうがわざわざ記憶に留めるはずはないというのに――だから、これだから困る。
「俺という総体としての存在を、否定するような事ができるんだったらな」
 人間は何と不便なことか。
 こうやって種を保存するためには、自らの種を消すような方向性を持とうとも構わないと言うのか。
――だからこそ、俺のような存在がある
「な…に?」
「まだ俺も人間を理解しているわけではないからな――手加減はしない」

 左足で大きく踏み込む。
 まだ目標の男は凍り付いている。
 いや――彼の動きについていけないだけだ。
 一呼吸で左手を手刀にかまえ、喉へ素早く走らせる。
 まだ遅い。
 隆弥は今度は一気に身体を沈める。
 認識するより早く両腕を振り上げる。

  血飛沫の 背景画

 右手で男の頭を捕らえ、引きずるようにして自分の身体を右に傾ける。
 勢いをそのまま振り上げた左足で、反対側の男の首を刈る。
 身体を起こす力で右手の頭をそのまま押し下げ――右膝に顔をぶつける。
 同時に身体を捻り、右足を振り上げ、後頭部に押しつけて――

  ぐずり、と

 鈍い音が響いた。
 一呼吸、それを許さない程の僅かな時間で戦力は半減した。
「うわ」
 ある野生動物に囲まれた人間は、悲鳴を上げて背を向けるしかなかった。
 だが、野生動物には脅しをかけるという本能は持ち合わせておらず、届く距離にいた彼の、生きたままの内臓に食らいついた。
 悲鳴を上げなければ、それより早く逃げていれば、射程外に逃れられたのかも知れない。
――たとえるなら、今の隆弥はただ殺すためだけに襲いかかる爬虫類と何ら変わらなかった。
 悲鳴を上げた瞬間の隙、低く身体を沈めてタックルする。
 そのまま上下逆さまに背中に背負うと右足の裏で顔を蹴る。
 ゴミを捨てるようにして男を投げると最後の一人に向けて大きく脚を振り回した。

  ほんの数秒

 僅かに数えること数呼吸の間に、人間は一人としてそこに立っていることはなかった――一人を除いて。

「はっ、はっ、はっ、は…」
 身体が痛い。
 関節と筋肉と、何より振り回していた指先やつま先が痛い。
 心臓がばくばくと音を立てている。
 まるで全力失踪をした時のよう――酷く興奮しているよう。
 確かに今の出来事は異常な興奮を与えた、激しい物だった。
 まだ手が震えている。
――『日本刀の隆弥』って、何のことだよ
 今のこの惨状は何だよ。
 この、馬鹿馬鹿しい状況ってのはいったい何なんだよ、何で俺だって説明できないんだよ――!


 その日の朝に、テレビは警察の記者会見を生放送で行っていた。
 画面の隅の方に猟奇殺人事件について、というテロップが踊っている。
 猟奇連続殺人事件、そう名付けられて報道された事件は、あの路地裏の事件を一端とする大きな殺人事件だという。
 実隆も他人事ではないだけに、少し視線を鋭くしてそれを見つめた。
「へぇ」
 朝食の時間帯にやっているぐらいだから、相当焦っているのかも知れない。
――確かにあんな事件が連続していたら…え?
 今更何を蒸し返す気だ、とテレビに目を向けて、実隆は僅かに目を見開く。
 そう、報道するにしては遅すぎる。
 まだ解決の目処が立っていないと言うのであれば、それでも今更というのはどうか。
 テロップにはこう書かれていた。
『相次ぐ死者、警察の対応の甘さか?』
 遡ること二月程の間、場所は駅周辺に限られていた。
 週に一度ぐらいのペースで新たに、別な場所で同じ手口の殺人が繰り返されている。
 被害者の総計は十を越えている。
――なんだって?
 生放送のどたばたの中で、偉そうな年寄りのスーツ姿がマイクに囲まれてフラッシュを浴びている。
『被害者が例外なく切り刻まれている事から、同一犯による犯行と考えております』
 被害者のリストのうち、半分ほどは『推定死亡時刻』だけであり、身元は愚か性別まで不明な物まである。
「…!」
 思わず声に出そうになった。

 『真桜 治樹』

「全く物騒な話よね。早く犯人を見つけてくれないかしら」
 ふう、と里美が溜息混じりに感想を述べる。
 誰の表情も、変わらない。
 驚く事を忘れたような麻痺した空間――実隆の、心臓を除き、誰も気がつかない――。
――あれは夢じゃなかったのか
 菜都美からは何も聞いていない。
 あれから、彼女も変わった様子はない。
 葬式をしたという話だって聞かない。
 第一――彼女は、休んでいない。
「ごちそうさま」
 朝になっても帰ってこない隆弥より、今はその方が大事だった。
――確認しなければ
 一足飛びに階段を駆け上がり、荷物をまとめる。
 どうせ――授業なんて聞きはしないけども。
「行ってきます」
 あら、早いのねという母の声を振り切るようにして、玄関を出る。
「おはよ、ミノル」
「菜都美、おまえ」
 そして、玄関先で二人は全く同じタイミングで声を発していた。

 門柱の前で男女が睨み合うようにして立っている。
 実隆は身体を預けるようにして、菜都美はその彼を睨むようにして。
 菜都美の声もいつもより焦っていた。
 彼女も実隆の口調に気づいたのか、僅かに眉をひそめるようにして彼を見つめて黙り込んでいる。
「……なんだよ」
「ミノルが先でしょ、先に言いなさいよ」
 むっと眉を顰める実隆。
 が、菜都美は更に眉を吊り上げてぎりぎりと歯ぎしりをする。
――怒っている
 それもかなり怒らせてしまったようだ。
「あーあー、もう良いわよ、それより大事な話なんだよ。聞いて」
「お、おい」
 ぐいっと腕を捕まれて、彼女に引きずられるようにして歩き始める。
 登校中の生徒の数が少ないせいか、住宅地だというのに人気はあまりない。
 ちらと周囲を見渡してから、菜都美は話を始めた。
「…昨晩、あの娘から電話があったのよ」
「え?あの娘?」
「史乃ちゃんよ。隆弥さん、帰ってきてないんでしょ」
 彼女の真剣な様子に、実隆は怪訝そうな表情を見せた。
 では何故――隆弥から連絡がないのか。
「…それで」
 ちりちりと髪の毛が逆立つような感覚。
 全身の毛穴が開いたように、緊張している。
「凄い怯えた声で、あたしの家に電話してきたから、あわてて迎えに行ったのよ」
 その時の電話口の彼女は怯えきっていた。
 なにをいっても要領を得ず、泣きじゃくるように助けを求めていた。
「史乃ちゃん、電話ボックスで小さくなってたわ。しゃべれそうになかったけど、服が汚れてる以外に怪我もなかった」
 昨晩隆弥と一緒に話をしていたのだから、隆弥は一緒のはずだ。
「…隆弥は」
 ゆっくり首を振る。
「史乃ちゃんが言ってたのは、二人とも襲われた事だけだった。…多分、隆弥さんに用事があったのよ」
 実隆は一瞬頬を引きつらせて片方の眉を吊り上げた。
 言いたくもないし聞きたくもない――あんまり良い『用事』ではないだろう。
 一つだけ確かに言えるのは、女の子の志乃が無事であると言う事。
 もっと言うと――彼女に何かある前に、『隆弥が全てを終わらせていた』ということだ。
「警察に届けた方が良いわよ」
「……その、史乃ちゃんってのはなんて言ってたんだ」
「すぐ病院に連れて行こうとも思ったんだけど、怪我も何もないっていうから…警察には絶対行きたくないって」
 実隆は黙り込んだ。
 実のところ、彼もあまり警察に行きたくはない。
 警察に、というよりも木下警部に会いたくないのだ。
――行方不明…か
 感じから考えて、浚われたと考えるには不自然だろう。
 第一、女ではなくてどうして男を選んで浚っていくのだ。
 だとすると。
「ね、隆弥さんは…」
 菜都美の表情から、実隆はすぐに首を横に振った。
「違う。あいつは本当に血がつながっていないんだ…けどな…」
 夢の中で見た隆弥の姿を思い出す。
 いつもと変わらない表情なのに冷たく――そう、鋼のような声色をした謳うようなKingdom Englishを。
「?ミノル?」
「あ、ああ、悪い。考え事をしてた」
 ちょっとだけ不機嫌そうな顔をしている菜都美に愛想笑いを向けて、右手を振る。
 ふう、と溜息をつくと彼女は両手を腰に当ててふんぞり返ってみせる。
「まぁいいわ。…で、ミノルは何なのよ」
「…治樹のことだ」
 できる限り、感情を抑えるような口調で呟く。
「治樹?…どうかした?」
「とぼけるなよ!今朝のニュースで、殺されたことにっ…」
 誰に?
 治樹が縦に真っ二つに避けるのを彼は見た。
 あれが夢だったのか――それを、確かめるために聞いたのだった。
――治樹が、殺されたのだったら
 自分で言っておきながら、そこまで言葉を紡いでおきながら、彼は言葉に詰まった。
 つう、と菜都美は目を細めて身体を引いた。
 実隆の横に並ぶと、彼の背をぽんと叩く。
「いこっか」
 別にそれが否定とも肯定ともとれなかったが、彼女に習って実隆も歩き始める。
「……そうよ、ね。別に、隠してた訳じゃなかったんだ。そりゃ事情だってあるから」
 菜都美は言いにくそうな口調で、何度も何度も呟くように繰り返した。
 それを避けるように。
 忌避した物に触れるように。
――結局治樹は、報道通り死んでいた
 彼の葬式は行われていなかった。
 初めから、治樹という人物は真桜にはいなかったように。
 ただ死亡通知だけを通告されるようにして治樹はいなくなった。
 菜都美は泣いてもいなかったが、笑うことはできそうになかった。
「ただね。……気がついたらいなくなってたって、嫌よね」
 猟奇殺人事件に巻き込まれて死んだ。
――でももしかするとその犯人は隆弥かも知れない
 ずくん、と心臓が跳ね上がるように痛む。
「その、さ。テレビでやってた事件って、犯人は同一人物の仕業の可能性が高いって」
 鼻から抜けるような声で眠そうに頷く。
 実隆は口元を引きつらせながら、こもる声で言う。
「…もしかすると隆弥かも知れない」
 だが菜都美の反応は鈍かった。
 驚くでも、息を呑むでもなく頷くだけだった。
 だからといってそれを全く信用していないわけでもないようだ。
「そう言ってくれて嬉しいよ。ね、あたしさ、今日は学校さぼるつもりだったんだ」
 にっこり笑いながら、昨晩のように身体を寄せて腕を絡め取る。
「お」
「隆弥さん、探そうよ。…どうせ、学校行ったって仕方ないでしょ」
 顔が近すぎて表情は見えない。
 声は明るくても、だから彼はあえて顔を背けた。
「…初めからそのつもりか」
 そう言う実隆も教科書は一冊も入れてきている訳ではないのだから。
 断る理由もなかった。

「電話を掛けてきたのはここ」
 ある程度の支度をすると、まずは昨晩の史乃の行動から辿ることにした。
 史乃は、彼女に話した限りでは隆弥と帰る最中に誰かに襲われて、気がつくと一人きりだったという。
「まぁそんなはずはないわ」
 異常な怯え方をしていた事と、隆弥の事について妙に曖昧な話し方だったらしい。
「普通、思い出したくないこととか忘れたいことに触れられたら、パニックの時でも反応はみんな一緒よ」
 菜都美は言い切って、この現場に連れてきた。
 ここは、昨晩のカラオケボックスからおよそ一キロ付近になる住宅地。
 あまり人通りもなく、おかしな様子の彼女を見たところで警察にも連絡がいかないような場所。
 特に昨日のような時間であれば、かなり人通りはないだろう。
「…調べたんだけど、この方向に彼女が帰るとは思えないの。だって、全然逆の方向だから」
「調べた、って?」
「昨晩彼女を迎えに来る時よ。……彼女、こっちじゃなくて繁華街の向こう側に住んでるのよ」
 結構大変だった、と菜都美は言う。
 電話からの声はただの泣き声で、話し方も要領を得ない。
 一瞬警察に通報した方が良いんじゃないかと思ったが、止めた。
 止めた最大の理由は――言うまでもない。
「だから、ここに来るには何らかの理由がなければいけないのよ」
「あー、君達」
 野太い男の声が二人の間に割って入った。
 訝しげに振り返る二人の前に、二人組の制服姿があった。


◇次回予告

  「……嘘だ」
  隆弥は自分の居場所を見失い。
  「兄貴!」
  実隆は彷徨うように隆弥を追う。

 Holocaust Chapter 3: 隆弥 第3話

 …なんだ、お前ら。学校がある時間じゃねぇのか?
                                             突然の閃光の向こうに

      ―――――――――――――――――――――――


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