Holocaust ――The borders――
Chapter:2
臣司――Shinji―― 第5話
「Halo確認。――はい、かなり低密度です。さほど時間もかからずに拡散します」
ハンドヘルドコンピュータの画面に七色の模様が浮かび上がっている。
それはリアルタイムに姿を変えながら、奇妙な単位を示す数字が次々に変動していく。
コンピュータを片手に携帯電話で話をしているのは――青年。
背広姿だけなら、それはビジネスマンのようにも見えなくはない。
だが決定的なものが違っている。
「中心付近はまだ下手に近づけません。ですが、中心の移動は簡単に確認できます」
携帯電話の向こう側で命令する男の声は、低く有無を言わせぬ口調。
彼の手も震える。
「はい、問題有りません」
応えて画面に目を再び向ける。
虹のような模様を浮かべる画面は、斑に明るく明滅している。
それは大きく揺らいでいるようでもある。
コンピュータに差し込まれたケーブルの末端にLEDがあり、それが定期的に明滅している。
そのケーブルの先は、彼の背広の中へと消えている。
『伸也』
突然電話の向こう側の男が自分の名前を呼んだ。
彼は僅かに身体を緊張させる。
『生死は問わない』
ほんの僅かな躊躇、のような間をおいて返事を返した。
本当に軽い音を立ててパソコンは閉じられて、青年は無機質に顔を上げた。
その先には薄汚い路地裏が広がっていた。
「警部補!指名手配の谷村東二が、うちの管轄で発見されました!」
谷村東二、二十二歳。
連続婦女暴行殺人で指名手配中の彼は、その足跡を消す手際から既に一年逃げているのだ。
それが、管轄で発見されたというのだ。
「……いくか」
木下はその言葉には対した反応を見せようとしなかった。
まさかそれが引き金になっているとは
のそりと熊のように動く彼を見て、春夏は思った。
――この人は、やはり言葉じゃ駄目だ
と。
この間占った時もそうだった。
言葉や、それだけじゃ信用して貰えないんだと。
例えそれが真実にどれだけ近寄っていたとしても。
どれだけ……真実に近くても。
あの時は、まさかあんな暴挙に出るとは思わなかった
僅かな後悔と既に起こった事への諦め。
木下は小さく首を振る。
その時、記憶の中の春夏が急に鮮明になる。
嫌悪感ともとれる強い眼差し。
彼女の強い意志を持っているこの顔は、多分嫌でも忘れないだろう。
それが彼女の、事件に突っ込んでいく直前の表情だった。
俺は――無茶だけはするなと言ったんだ
だが結果は違った。
春夏は彼の制止を聞かず、ほんの数分の遅れが運命を分けた。
彼が駆けつけた時には彼女はもう瀕死の状態で、応急手当も間に合わなかった。
果たして彼女は、彼の腕の中で奇妙に安らかな表情を浮かべて言った。
「……さようなら」
と。
それは占い通り、だったんだ
そう。
先日に彼女の占ったとおりに、それは木下の責任として処断された。
ただし、彼女が先手を打った形になり、谷村東二は逮捕された。
既に終わった出来事、である。
キミの判断ミスで、彼女はこの世から息を引き取った。偶然か、前日の占い通りにね
嫌に明確な声が、まるで脳の中で響いているように聞こえた。
それは
――誰だ
ふん、誰でも良いだろう?どうせ、言ったって無駄な話さ
声は確かに聞こえる。だが、何故か視界は真っ暗なままである。
音もその声以外は一切聞こえてこない。
まるでヘッドホンをして、マイク越しに会話をしているような感じである。
それにどうせ、もうこれで終わるようだし
――待て
覚えておいて、キミは思っている以上に素質がある。――ま、信じようとどうしようと勝手だがね
相手は笑ったようだった。
にっこりと、その表情は柔らかく――そう、何故か嫌とは思えなかった。
途端に天地がひっくり返ったような混乱。
アスファルトの上らしい、冷たい感触が伝わってくる。
横たわっている事に気がつくと、今度は身体が大きく揺すぶられていた。
襟首が苦しい。
今度は耳が――耳に飛び込んでくる声が彼を現実へと引き戻していく。
「――じさん、刑事さん、しっかりっ」
そして、最初に見たのは心配そうな少女の顔だった。
先刻呼び止めた――そう、あの少女だ。
酔っぱらっているような感覚のまま身体を動かすと、彼女は安堵の表情を見せて身体を避ける。
木下はそのまま体を起こして、まるで二日酔いのような感覚の頭を大きく振った。
ぐるぐると視界が廻っている。
「くそ、一体…」
突然襲う、胸の下からわき上がってくるような衝動。
不快感は二日酔いどころの騒ぎではない。
そんなはずはないのに、彼は慌てて頭を抑えて大きく息を吐きこらえる。
「よかった、生きてる」
視界の外から少女の声がした。
――生きてる?
だが身体は言うことを利かない。
耳から聞こえてくる音は、まるで夢の中で聞いている言葉のように憂鬱で。
現実離れした世界が、耳元で囁くように。
水の中で聞こえる話し声のように遠く。
「待て、俺は…」
夢の中にいるような感覚を振り切りたくて、慌てて声を出す。
だが伸ばした手は届くことはなく。
「ごめんなさい、もう行かないと」
地面を叩く足音と、遠ざかっていく気配。
もう一度視界に入れようと無理に顔を起こしても、もう彼女の姿はなかった。
――っく……
頭を振り、何とか立ち上がる。
走るのは無理でも、歩いて帰るぐらいはできなくはないだろう。
ふらつく足下に気をつけながら、彼は署に戻ることにした。
――どうせこれだと仕事になりゃしねぇ
まるで酔っぱらいのようにふらふらと署に戻ると、もう既に残業の時間になっていた。
その日はそれ以上仕事になるはずなかった。
とは言えども、例の殺人事件があるため他の連中にとってはまだまだ忙しい時間のようだった。
彼がいつものように一課に向かう間にも数人の刑事とすれ違い、慌ただしく仕事をしているのが判った。
そんな中で、彼は妙に寂しい気がした。
「遅かったな」
一課の入り口にさしかかった時、聞き覚えのある声がした。
「署長」
岡崎は、丁度彼の真後ろから声をかけてきていた。
彼が一課に来るのを見かけて来たのだろう。
木下の顔を見て、彼は眉を寄せる。
「?どうした、変なモノでも見かけたか」
岡崎の物言いが矢環に重なってしまい、彼は苦笑して見せた。
それがどうやら伝わったのか、ぽんぽんと木下の肩を叩く。
「気にしたか。大抵お前がそんな顔をしている時は何か気に入らないことがあったときだからな」
言われて肩をすくめてみせる。
やはり彼とは長い付き合いだということだ。
「……似たようなものです。ちょっと、気分が悪くて」
木下は言ってから、急に二日酔いのような自分の体調を思い出したように眩暈を覚える。
岡崎の顔に、顰めっ面にも似た表情が浮かび上がる。
「疲れてるだろう?……少し休んだらどうだ」
違う。
木下はそれが何に対してなのか判らないがそう思った。
――違う、これは疲れてるんじゃない
反論するために声を出そうとして、地面がどちらを向いているのか判らなくなる。
頭の後ろなのか、額の向こう側なのか、自分の視線の下、なのか。
世界が回転する
「ほら、くそ……誰か手を貸してくれ!」
署長の怒鳴り声を聞きながら遠ざかっていく自分の意識をたぐり寄せようとして――彼は、闇の縁へと呑まれていった。
自分で支えられなくなった身体がそのまま崩れて倒れようとする。
慌てて岡崎が脇から抱えなければ、間違いなく床に激突してしまっただろう。
岡崎の指示で集まった数人の警官が、木下を肩車して運んでいく。
――初期症状、か?
その後ろ姿を見ながら、彼は顎をなでた。
表情や仕草なら確かに彼を心配しているようにも見える。
だから恐らく周囲で仕事をしている刑事の一部は、間違いなくそう考えたに違いないだろう。
――にしては、発症が遅すぎるようだが
彼は僅かに首を捻り、そして再び今現在の自分の仕事へと思考を移すことにした。
どうせ、明日には彼にも伝えねばならないことだ。
それをまとめておかなければならないのも、事実だった。
「――全く、余計な手間をかけさせる」
それは一体何に対して放った言葉だったのか――
金属音。
それはまるで食事の際に奏でられる食器の音のようにも聞こえた。
だがそんな物と比べればかなり乱雑で、しかも決してリズムを持たない。
どちらかと言えば物を投げ捨てた時のような音だ。
――?
その音に気づいて、彼は嗅ぎ慣れない臭いに顔をしかめた。
同時に――恐らく瞼の隙間から差し込んだのだろう――視界が真っ白に染まる。
「朝……か?」
彼は自分が横たわっていることを感じて、身体を起こした。
日の差し込む、四角い窓。
白さだけがやけに目立つ部屋。
嗅ぎ慣れない臭い。
それが病院に特有の揮発性の消毒薬の臭いだと気づくよりも早く、白い部屋の正体が思いついた。
自分を拘束するように伸びる透明なチューブは、左腕に止められたテープに引きずられて、肌が引きつっている
身体を起こしたからだろう、その末端にある黄色い液体の入った袋が揺れている。
――警察病院
自分が、何故そんなところで眠っているのか、それは聞かれるまでもなく判った。
署に帰ってから、家に帰れなかったのだ。
聞き込みに回っている最中に、何かに出会ったからだ。
だがよく判らない。
記憶が判然としない。
昨晩突然倒れた記憶は、何とか残っている。
だがその前についてはどうしても記憶があやふやではっきりと思い出せない。
丁度それは、酒を飲み過ぎた時のようにぼやけていて。
しくり
突然差し込むように、後頭部から視床下部へと鈍痛がする。
木下は顔をしかめて自分のこめかみを押さえた。
「おはようございます、木下さん。まだ具合は悪いみたいですね」
痛みがどれだけ続いていたのかは判らない。
ただ、声に気がついた時、やはり白い格好をした看護婦が視界に入っていた。
突然という風に感じたのは、多分痛みに気を取られていたからだろう。
呆気にとられている顔をしていないかだけが心配になった。
「ええ」
それだけ応えるのに精一杯で、彼は大きく深呼吸する。
とは言っても頭痛は気を失う程ひどくはない。
ただどうして頭が痛いのか、それは判らないが。
「…食事は摂られますか?」
看護婦は表情を変えずに聞いてきた。
思わず木下は首を真横に振る。
「いや結構」
点滴がぶら下がっているのは一体何のためなんだと、思わず彼は叫びたくなった。
少なくとも、本調子なら叫んだだろう。
「では、一時間程したらお薬を注射に来ます」
看護婦は言いながら検温を含めて彼の様子を簡単に調べていった。
――食事を摂ったなら、飲み薬だったんだろうか
ふとそんな事を思ったりした。
看護婦を見送った後、ため息をついてもう一度横になった。
やはり冷たく白いだけの天井が見える。
個室最大の欠点――閉塞的な孤独感がある。
そんな場所で何も考えずにただ眺めているだけなんて事はできないだろう。
――こんなことも久しぶりだ
ここ十年程もう病気らしい病気にかかっていない。
確かに休むにはいい機会かも知れない。
そんな風に思ってもいいだろうと彼は納得した。
『よかった、生きてる』
その時、ふとあの言葉が蘇った。
少女が自分に対して言った言葉。
――どういう、意味だろうか
彼女はその後、彼を助けるでもなく走り去っていった。
救急車も呼んでいた訳ではなかった。
もし何らかの事故に巻き込まれた――考えたくはないが、あの少女と少年が巻き込んだ――として。
救急車を呼んだことが全く無駄にならなくて『よかった』訳ではなさそうだ。
――……少年?
そう言えばあそこにはまだ少年がいたはずだ。
ただあの時は一人しかいなかった気がする。
そしてその少年は、少なくとも一度以上顔を見ている。
一度見た顔を忘れない、刑事として必要な資質の一つを感謝する。
――ヒイラギミノル、だ
がちゃん
「元気か」
突然思考に割り込んできた雑音に顔をしかめ、しかし扉の向こう側から現れた思わぬ客人に今度は目を丸くする。
驚きと、そしてもっともな疑問と共に。
「署長!」
白髪が混じり始めた、外見だけでは二歳違いとは思えない先輩に彼は叫んだ。
岡崎は苦笑して眉を寄せ、左手で自分の顎をなでる。
「おいおい、そんなに驚く事か?」
「驚くって……署長でしょうがあんたは。今何時だと……」
と言って時計を見ようとして――彼は、まだこの部屋にある時計の位置を知らない事に気がつく。
「もうすぐ八時だよ。職場と目と鼻の先のここに、まず顔を出して何が悪い」
木下が唖然としているのを良い事に、岡崎は彼の疑問に答えた後時計のある場所を指さす。
そして呆れたように肩をすくめる。
「普通目が覚めたらまず時間を確認するだろうに。まぁそれはそうと、お前に言っておかなければならない事がある」
昨日伝え損なったので、と付け足して岡崎はいつもの真面目な表情を浮かべた。
僅かに緊張した雰囲気が走る。
「一つは、矢環が入院した事だ」
木下は思わず頭に血が上り、表情が荒くなる。
それを見越していたのか署長は右手を大きく振った。
「まて、もう一つあるんだが、それと大きく関係するんだ。昨晩の段階で『ミンチ殺人』関連の事件は捜査を一時停止した」
木下の表情が凍る。
驚きのあまり何も言えなくなっている、そんな感じだ。
人間は一つの感情が過ぎると逆に無表情になる。
今の彼が良い例だろう。
岡崎も顔色をそのままに続ける。
「今回の件が、殺人事件ではなく何らかの病気か、あるいはその類だという可能性がでてきたんだ」
「どういう…ことですか」
岡崎は尤もらしく頷くと時計を見上げる。
「詳しく話す暇はないな。ただそうなればもう警察の仕事ではないだろう。だから調査中という形で凍結だ」
「……特に精神鑑定の必要はありませんよ」
この病院では珍しく精神科の病棟が隣合わせにある。
随分と昔に精神病患者の犯罪に関わり、また署内からノイローゼ患者が出た事が発端と噂されているが、定かではない。
目覚めてから、頭痛を除けば体調は悪くなかった。
午前中に医師に診断してもらったが、退院の許可はでなかった。
では、という訳ではないが、彼は精神科の診断を受けさせてもらうように頼み込んだ。
先日から、普通の精神では耐えられないような不自然な出来事に出逢いすぎた。
だからもしかしたら精神的に異常がでているのかも知れない。
木下としてはそれは常識的な判断だった。
しかし幾つかの心理テストをこなしてその結果を診断してもらった結果、結局『異常なし』だった。
声が聞こえた、という症状だけではなく、あの夢とは思えない現象が気になったのだ。
自分が狂っているかどうかを突き止めたくて、調べてもらわなければすっきりしなかった。
「仕事で行き詰まっているんじゃないでしょうか?」
結果をプリントした紙を眺めて、若い精神科医は眉を寄せる。
「と、言うと?」
僕はカウンセラーじゃないんですがね、と少し肩をすくめると膝の上に両手を載せる。
「症状だけで判別できないケースの方が多いんですよ。特に、精神病患者って言うのはね」
確かにある程度分析できるようになっているが、極端な例を除いて断定する事はかなわない。
そもそも『狂っている』という状況を判断するためには『正しい』状態がどうしても必要不可欠だろう。
だが、それがそもそも曖昧で定義する方法がない。
「だからですね、『社会生活が送れる』という状況であれば、それは精神病じゃないんですよ。極論ですが」
「……ふむ、成る程」
木下はゆっくりうなずいた。
「あなたの言う『誰かの声が聞こえる』という症状にしても、それが『内側』なのか『外側』なのかという違いもあります」
そう言って、彼は一枚のプリントを本の間から抜き出して見せる。
それは、奇妙な質問が羅列した――テスト形式の紙だった。
「……やってみますか?シュナイダーの一級症状を確認するテストです」
そう言いつつ彼は僅かに笑みを浮かべると、くるりと一度背を向けた。
「でもあなたは疑り深い人だ。それは簡単な性格判断で判りました」
木下はぐ、と苦虫をかみつぶしたような貌をする。
机の上でカルテを眺めてサインをすると、再び医師は椅子の上で一回転して向き直る。
木下の様子に少しすまなそうに苦笑いして肩をすくめた。
「気にしないでください。状況からして精神分裂でも多重人格でもありません。記憶の混乱から来るものでしょう」
そうかも知れない。
得体の知れない事件を立て続けに体験しすぎたせいかもしれない。
「刑事さん、お仕事しばらく休まれたらどうですか。……それが一番の薬になりますよ」
結局、結果は彼も全く同じだった。
簡単に礼を言い、彼は精神科の病棟を出る。
――そうかも知れない
判らない事を考えても無駄なだけだ。
――……矢環の具合はどうなんだろう
今朝の話では矢環の入院と事件の凍結が関与しているという。
気になった彼は調べてみる事にした。
適当に看護婦を捕まえて聞けば、手っ取り早く判るだろう――それは決して正しい判断ではなかった。
「――ヤタマキ、さんですよね」
現在入院している人のリストを調べてもらった。
だが、リストから顔を上げた看護婦の表情は妙に硬く、怪訝そうな表情だった。
「ああ、そうだが」
看護婦は再び黙り込んでリストを追う。
通常アパートの住人と違い頻繁に入れ替わる病室の管理には、コンピュータによる名簿を作成している。
これで有れば簡単に誰がどこにいるのかを検索できるからだ。
「失礼ですが……この病院には入院されていないようですが」
「え?いや」
思わず口を滑らせかけて、木下は慌てて首を振る。
「そうか、すまない。記憶違いだったようだ」
署長は『ミンチ殺人』に関連して、と言った。
病気、とも言った。
普通の病院ではなく、伝染病患者等を隔離できる施設があり、更に研究できるような――大学病院に移送されている可能性が高い。
そこまで考えて、思わず口元をつり上げた。
――こんな事じゃダメだな。入院してたって気が休まりやしねえ
とりあえず自分の病室に戻ることにした。
今は自分も入院している身だ。
人の事を考えている場合ではないはずだ。
彼の病室の前の廊下に出た時、病室の入り口でうろうろする看護婦の姿が見えた。
彼に気づいたらしく顔を上げた彼女は、すぐに中にとって返す。
「木下さんが…」
彼女の声が聞こえて、やがて医師が代わりに現れる。
午前中に診察した、どうやら今彼の主治医らしい男だ。
「木下警部」
彼は神妙な顔つきで、木下の前に立ちふさがった。
一呼吸の沈黙。
木下が足を止めて医師を睨むと、彼は続けた。
「……病院を移ってください」
木下が喉を鳴らす。
――それはどういう意味だ
聞きたい、が予想する答えにそれが声にならない。
額に、嫌な汗が噴き出る感触がする。
「理由、は」
声が喉から絞り出したみたいにかすれてしまっている。
だが医師は顔色を少しも変えない。
「うちで手に負えない、と判断しました」
そしてまるで死刑を宣告するように呟いた。
「木下警部の体内から、未知の薬物とそれによるホルモンバランスの崩れの兆候が見られたんです」
医師はとつとつと説明を始めた。
奇妙な、聞いたこともない専門用語。
次々に並べられるそれらを理解することなんかできない。
ただそれが、まるで詭弁のように聞こえるだけだ。
ただ判ったのは――どうやら、自分も、矢環と同じで。
「帝都大学病院へ移送されます」
結局ミンチ連続殺人事件に関わらざるを得ない、ということだった。
◇次回予告
夕陽の中で立ちつくす青年。
「……もう俺は戻れないんだろう」
『少女』に再会する木下。
そして――
Holocaust Chapter 2: 臣司 第6話
そのようすなら――私の声が聞こえているのだな
天使の暈が正義とは限らない
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