Holocaust ――The borders――
Chapter:2
臣司――Shinji―― 第2話
通報が入ったのは21:32。
通行人が惨状を発見して、思わず電話をしてきたというのだ。
『もううちの連中が出てるだろうが』
電話越しに聞こえる署長の声から、彼は思わず苦笑いする署長の表情を思い浮かべる。
「いえ、助かります」
彼は手短に例を言うと電源を切った。
「…?」
「矢環、出るぞ」
何にしても思っても見なかった、ひとつの幸運だ。
確かに表向きは休暇中だが、まだこれは『例の』事件と決まっているわけでもない。
どれだけ関与しようが、『刑事』で有る限り問題ないはずだ――彼は勝手にそう考えた。
背広を引っかけて部屋の扉を開いて、ばったりと妻と鉢合わせてしまう。
「あ」
彼女は目を丸くして、夫の顔を見たとたんに怪訝そうに眉を寄せた。
お盆にのせたお茶に目を落として、木下は言う。
「すまない、今連絡が入った」
彼の言葉に、寂しそうな笑みを浮かべると小さくうなずく。
「判ったわ、いってらっしゃい」
さっとそのそばを抜ける木下。
「すみません」
一言礼を言って頭を下げる矢環。
彼はすぐにポケットのリモコンに手を伸ばす。
「どこへ」
「駅から東、住宅地の側にある公園だ」
玄関を出ると同時にエンジンが機械的なうなりを上げる。
そのままかちん、とキーが外れる音が聞こえる。
「すぐに出ますよ」
木下が助手席に飛び込むのを見もせずに彼は素早くバックギアに入れる。
半クラッチももどかしく、一息に駐車場からシルビアを弾き出す。
「許可する、ぶっ飛ばせ!」
半ば耳だけを木下に向けた矢環は一気にアクセルを踏み込んだ。
「そのつもりですよ」
彼の口がわずかに引き攣れて、つり上がった。
午後十時を回った公園は完全に静まり返っている。
不気味な程にそこには人気がない。
否――生きている人間の気配がないのだ。
まるでこれから起きることを、閑かに予言するように。
ただ街灯だけが周囲を照らし、暗い木々を揺らす風は葉擦れの音を立てる。
そこは異界――ただ暗いだけで何も変わらないように見えて、人を飲み込もうと待ちかまえているのだ。
一歩足を踏み込んだ木下でさえ、背筋に走る物があった――悪寒。
「きのっ…」
名前を呼ぼうとして、木下の腕に制せられる。
再び沈黙。
――危険な臭いがする
この公園は周囲を高い雑木林に囲まれるような作りであり、周囲からは巧く中の様子が見にくいようになっている。
わざとではないだろうが、周囲に植えていた木を野放しにしていてこんな状況になったのだろう。
見た目以上に危険な場所になっている。
多分子供を遊ばせる事もないような、そんな場所だ。
念のために、と胸元を探って自分の銃が入っていることを確認する。
足の裏に感じる砂利の感触が痛い。
そして、街灯の明かりの下に――
「…こういうことか」
なんとかそう言葉を紡ぎ出せるようになるまでおおよそ五分。
とてもではないが直視できるような物ではなかった。
――冗談じゃない
そこには数人の死体が転がっていた。
寒い空気に触れて湯気が上がる程暖かく、脈打っている。
「くそ、おい矢環、救急車と応援を呼べ!」
素早く背を向ける彼を見送って、転がっている人間の身元を確認する。
少年が六人。格好からするにこの辺の高校生でも周囲から不良扱いされている連中だろう。
こういう見方は不謹慎だが――確実に、一撃でしとめられている。
間違いなくそう言う『殺し方』に長けた人間でなければこういう真似はできない。
ただし方法はこれだけで特定するにはかなり危険だ。
たとえば喉を一撃で切り裂かれたような男がいる。
こいつは間違いなくそれが致命傷だろうが、傷は乱雑でまるで無理矢理引き裂いたような皮膚のはがれ方をしている。
傷跡は穴のような形であり、刃物でない事だけが判る。
そして他には、警官が二人。
恐らく署長が言っていたのはこの二人の事だろう。見覚えは、ある。
――可愛そうに
この二人には外傷らしい物はない。
ただ、凄まじい形相で地面にうつぶせに突っ伏している。
まるで怖ろしい物を見たのか、窒息させられたように。
――まだ間に合うかも知れない
少年の方はまだ死んで間もなさそうだが、全て致命傷だ。
もう今からでは間に合うまい。
ふと違和感を感じた。
――……?
思考に割り込んでくるようなパトカーのサイレンに、ため息をついて顔を上げた。
恐らく今思いついたことはもう思い出せないだろう。
振り返る彼の視界の中に入る警官達に敬礼を返しながら、恨みをこもった視線を投げかける。
その中から矢環の姿を見つけて、ため息をつきながら煙草を一本くわえた。
できれば、これ以上面倒なことにならないようにと祈りながら。
帰路に就く車の中、両者とも無言だった。
死体は見慣れている。
よっぽど酷いものでない限り、ショックも受けることはない。
運転している矢環の表情をのぞき見しながら、大きくため息をついて木下は今後のことを考えていた。
――この調子だと、関係がないからって訳にはいかないだろうな
ただでさえ人間は少ない。今取っている休暇をいつ取り消されるか判らない。
しかし、と彼は自宅付近の風景が目に入って僅かに目を細める。
――……かなり根が深そうだ
「そういえば」
ゆるりと車を木下の自宅の前に止めながら、本当に気が向いたように言った。
「ミンチにするのも、身元不明の死体も、どちらにせよ『誰かに見せる』のが目的だったのかも知れませんね」
木下は眉をひそめる。
「アレも見せしめだっていうのか?」
「ええ、一番手っ取り早い方法じゃないですか」
木下は眉を僅かに歪めて鼻を鳴らす。
「馬鹿、あれだけ無作為な人間が殺されてるのに…!」
被害者の共通点。
共通点がない、という事はない。
特に最初の数名についてはすぐに判った。
何故なら、身元が判明したと同時に、それが行方不明者のリストにあがっていたからだ。
彼らは、最近発見された奇病の患者だった。
奇病――病院で検査をしても身体的な異常は病状以外になく、血液検査にも異常は一切見られないというまさに正体不明の病気だ。
ただ数日熱が出て、けろりと何事もなかったように回復する。
ただしそれ以降、何故か共通して失踪、数日後死体で発見されてきたのだ。
全員発見されている訳ではないが、これでは――まず間違いなく、死んでいるだろう。
「……矢環、病気に関して何か調べたか?」
目を丸くする彼を見て、木下はよし、と言いながら車を出る。
「明日までに資料を頼む。病気の話じゃなくて、患者の快復後の話だ」
「わかりました」
大きくエンジンを吹かせて走り去る矢環を見送って、彼は懐から煙草を取り出した。
――署長に連絡を入れてみるか…
とにかく今日はもう遅い。
どうせ明日までに呼ばれるだろうから、今のうちに少しでも眠っておこう。
彼は大きく伸びをして、くたびれた表情のまま自宅の玄関をくぐった。
次の日の朝、予定通りニュースでは記者会見が行われていた。
「ねぇ、この事件ってあなたが担当していたの?」
朝食は常にご飯とみそ汁と決めている。
妻が並べる食事に、いつものように手を伸ばそうとして怪訝そうに顔をしかめた。
「どうしてだ?」
「だってあなた、すごく怖い顔で今のニュース見てましたから」
妻がため息をついて心配そうに見つめてくるのを、苦々しく手を振って払いのける。
「馬鹿、こんなひどい殺人事件のニュースなんか、朝っぱらから見せるからだ」
言いながら、隠し事はできないな、と思いつつ朝食に取りかかった。
しかし――聞いていた事とはいえ急な話だ。
どうせなら完全に情報は秘匿すべきではなかったのではないか。
ざわざわとざわめくものを感じる。
刑事の勘――そんな、形にもならないものを信じているわけではない。
これは訳のわからないものに対する恐怖と、不安だ。
このミンチ連続殺人は今までのように犯人の意図がはっきりしない。
まだ昨日の朝に見た変死体の方が説明が付く。
快楽殺人なんか認めたくないが――と、思考を中断する電子音が背後で鳴った。
それは携帯の呼び出し――まず間違いなく、出頭命令だろう。
「ちっ、結局休暇は昨晩の数時間だけじゃねーかよ」
舌打ちしながら、彼は携帯電話にむかってのそりと体を動かした。
「殺人がこう立て続けだと人が足りなくてね」
想像通りの理由を聞きながら、木下は恨みを込めた視線を岡崎に向ける。
彼が署に到着した時には、すでに矢環は仕事を始めていた。
一度にこれだけの殺人事件となれば、ふつうに考えればあり得ない話だ。
すでに通常の処理能力を遙かにオーバーしている。
「でしょうね」
この間配属されてきた井上は昨晩の事件を担当しているらしい。
朝に来た時、偶然会って話をした。
はっきり言うと、あれ以来会っていなかったので誰か判らなかった。
――休暇出したところで、普通なら半日も休めないだろうな
昨晩の待遇を考えて思わず肩をすくめた。
『連続ミンチ事件』については完全に捜査権を委譲しての捜査となっている。
だから、その人員も割かなければならない。
その分普段よりも仕事が多いのに――加えて、全く無関係と思われる殺人事件が今手元にある。
休む暇もないとは、まさにこのことである。
「すまんな」
「ええ、この借りはきちんと払っていただきますよ、先輩」
言いながら彼は書類を受け取って、岡崎が苦い顔をするのを楽しそうに眺めた。
実際木下は正義感のない男だった。
これは警察官には珍しいかも知れない。
彼にはそんな不自然で目に見えない物を信じられる程繊細ではなかった。
いや――逆に、それだけ繊細なのかも知れない。
敏感な感覚を殺すために目を背けて、簡単な物に置き換えようと努力しているのかも知れない。
それは金だったり、ともかく目に見えてはっきりしていないと気が済まない…
だがそれでもはっきりいえることが確実に一つある。
「もちろん、一連の事件の犯人の方が先ですがね」
彼は事件を絶対的な敵として捉えていた。
絶対的に潰さなければならない――悪、として。
「…では、私はもう一度駅周辺を見て回りますよ。直接――自分で見ないと気が済まない質でね」
苦々しく笑うと、岡崎は手で追い払うように返事をする。
その様子に満足そうに口元を歪め、木下は部屋を出ていった。
「外回りッスか?車…」
「いい、現場、足で廻ってくる。矢環、お前は害者の身元を洗っておけ。特に交友関係をな」
一言で一蹴し、木下はつかつかと日の光へと吸い込まれるように消える。
何かを言いたそうな顔で見送ると、矢環はため息をついて引き返した。
別に珍しい事ではなく、木下は時々『奇行』にも思える捜査をする。
――それが当たってる事が多いから、まだ刑事やってるんだろうけどなぁ
振り回される周りにとってみれば良い迷惑である。
矢環などは彼と仕事をするようになってから警部補に昇任したので付き合いは長い方だろう。
文句を言う前に諦めてしまう辺り、よく判っているというべきだろう。
「お前さんも大変だね」
「ん、まぁな」
まだ昇進試験には受かっていないが、大卒同期の同僚の言葉に軽く受け答えして、引き出しを開く。
一番大きなファイル用の引き出しにはいくつもインデックスが並んでいて、整理している人間の性格がよく判る。
それも乱雑にではなく、彼の視界で右上がりに綺麗に直線を描いている
そのうち一つに右手を差し入れて、青いファイルを取り出す。
資料――担当している事件によく似た事件や、過去に自分が担当した事件のあらましを書いたもの――を一つ机の上に置いた。
周囲の視線に変化はない。
いつもの代わりのない仕事の風景。
矢環はファイルを開くと、視線でも感じたようにふと顔を上げた。
そして無言でファイルを閉じると、元通りにそれを片づけて立ち上がった。
「書類、探してくる。何かあったら伝言よろしく」
ちゃっと右手を軽く差し上げて、彼はそのまま――署内の奥へと消えていった。
身元不明の死体が上がったのは昨日の朝の話。
署長は何故昨晩の事件を井上にやらせて自分がこちらなのか、少し疑問だった。
しかし朝、彼女に会って少しだけ認識を改めた。
――凄ぇ女だよアレは
『ええ、慣れてますからね』
笑みさえ浮かべずに淡々と答え、凛とした態度で部下に接しているのを見て――あきれた。
木下とは正反対の性格だ。
的確な指示と判断、さらにそれを支える先見的な視野。
エリートタイプの思考回路を持っている。
奇妙な変死体と、大量殺人。
岡崎が『暴走特急タイプ』の刑事をあてがうならどちらを選ぶか、など自明の理だ。
教科書通りに動く人間は、あからさまに奇妙な死体をさわらせる必要などない。
すぐに勝手に持ち場を離れて職務質問したり、部下に指示もせず現場を眺めたり。
彼自身が事件を解決する――そんな雰囲気を感じさせるが、実際のところそのせいで何度も処分を受けている。
ただ、彼の嫌う『勘』だけは確かに鋭い。
もっとも彼なら、洞察と状況による的確な判断、と言うだろうが。
数分も歩くと、ちょっとした通りに出た。
ここからしばらく行けば駅前の通りに出る。
そして、駅から脇へ入れば、目指す地域にはいることになる。
日常の空気を吸いながら歩く。
平日の昼間だというのに笑いながら歩いている、二十代の青年達。
まだ何が正しくて何が間違っているのかを考えられる世代――だから、彼らはあれ程までにアナーキーなのだ。
――あんな真似などできない、と思う時点で既に年寄りなんだろうな
それは、年を経るごとにどうしても帯びていくしがらみ。
人間社会で生きるということは、そのしがらみを『覚えること』と同義だ。
犯罪者というのは、それらのしがらみの外側で生きる事を決めたこと。
だから、若いうちの犯罪への憧れというのは大きな自由への憧れにも似ている
ふん、と鼻を鳴らして彼はポケットの煙草を取り出そうとして、ただくしゃりとパックを握りしめる音だけを感じた。
不機嫌そうに後頭部をがりがりとかいて舌打ちした。
――死体があがったあたりに、確か自販機があったな
ゴミ臭いけどな、と思いながら彼は代わりに一枚写真をとりだした。
そこに写っているのは、高校の制服を着た一人の少年だった。
先刻通りを歩いていたような連中とは違う。
この辺では結構有名な進学校の制服だ。にも関わらず――駅裏で、あんな姿で発見された。
周到に見えた昨日の殺人だったが、奇妙な点がいくつか発見された。
一つは、あの場所にあったパーツが四肢のみだったこと。
ずたずたの切断面は――検死によれば、引きちぎった物だろうと言うことだ――余程の怪力でなければならないだろう。
だがその割に皮膚が伸びていない。
まるで石膏像から腕がもぎ取れたようなそんな感じだ。
一つは、被害者の服だった。
殺害の状況から見て殺してから死体を放置したように見えるのに、ずたずたの衣類や、それに入っていた生徒手帳が残されていた。
随分と無頓着な話だ。
だがこの御陰で、『見せしめ』のための殺害放置ではない事ははっきりした。
ただ単純に『殺したくなったから』――そんな野性的な理由すら思いつく殺し方だ。
ふと彼はあごに手を当てて眉を寄せた。
――…まさかな
説明できない、という一点を除いて、ミンチ殺人事件との関連はない。
彼は思わず思いついた理由をかき消して、現場へと急いだ。
駅の脇を廻り、踏切を越えれば――駅裏と呼んでいる、乱雑な場所に出る。
丁度今繁華街になっている表通りがここまで発達するまで、繁華街の様子を呈していたのだが、急速に寂れていった。
だから、昼間のこの時間ですら人通りはなく、時折胡散臭そうにこちらを眺める店の主人を見かける程度だ。
夜中、ここがどういう状態なのか想像がつくだろうか。
昨日は車に乗って一瞬で駆け抜けただけだ。だが今日は違う。
「おい」
ほらきた。
木下は思わずほくそ笑んだ。
声は真後ろ――今通りすぎた店の方向から聞こえる。
彼は丁寧に足を止めて、革靴の踵を軸にして身体を回す。
――が、必要はなかった。
「ぁあ、なんだケンさんか。悪い」
店の玄関にいるのは背の低いひねくれた形相の男。
この店をねぐらにしているちんぴら…いや、ただの浮浪者だ。
Closeの看板の下でアスファルトに直接寝っ転がっている。
「おおよ。カジ、人の顔は覚えておきなって何回教えた」
歳はもう五十に手が届くだろうが、十年前ほどの大不況のあおりを食って失業していらい、この有様だ。
梶原、記憶している名前はそれだけだ。
名前を呼び合うことも、相手の仕事も詮索しない――それがルールだ。
ただ、刑事と一介の浮浪者、そう言う関係だ。
「嫌ですぜぇ。ここ来る誰にでもかみつけるような犬でなければ、飼っちゃくれませんから」
ふふん、と鼻で笑い木下は肩をすくめた。
「結構この辺は物騒だぞ。そうやって誰にでも噛みついてたらいつバラされるか判らねぇぞ」
木下の言葉にもカジはへへっと笑うだけで、一切危機感はない。
もっとも、明日知れぬ身では今日の今すぐの事を考えていなければならないからなのかも知れないが。
「ケンさん、もしかして最近の殺人を調べてるんですかい」
いかにも大儀そうに身体を起こし、あぐらに足を組んで木下を見上げる。
「おう。…これはパトロールみたいなもんだよ。あんたらに死なれちゃ困るからな」
喉を鳴らしたような嘲笑をあげて、ぎょろっと目を動かして笑みを浮かべる。
「嘘は言っちゃいけねぇぜ、ケンさん。うちらが死んだところで誰も困りゃしない」
「馬鹿野郎、俺の仕事が増えるだろうが」
一瞬呆気にとられたように顔を見合わせて、大笑いする。
カジはぱんぱんと自分の膝を叩いて肩を揺すっている。
「全くだ。ケンさんに迷惑はかけらんねぇよ」
そして少しだけ真剣な顔つきをする。
「……で」
「これだ」
ぴっと懐から写真を出して見せる。
カジは写真にはふれず、ただじっと見つめると――首をゆっくり振った。
「この辺に来る奴じゃない。第一、その…坊ちゃんが通うような…」
「櫨倉統合文化学院高等部」
「そう、その何とかだ、制服じゃ来ねぇだろうし、もし来たなら判るさ」
それもそうだ。
判ってはいたがそれでももしもと言うこともある。
この辺で売買される薬の種類、バイヤー、その辺りの事情は地元民でも彼ぐらいしか知らないはずだ。
ただの浮浪者ではない。
記憶力と生き抜くすべだけなら、多分日本では随一ではないだろうか。
「じゃぁ、奇妙なでかい荷物を持った野郎はいなかったか」
首を傾げ、ただ横に振るだけ。
「…判ったよ。済まねぇな」
写真を懐に戻して、彼は右手を挙げた。
「それと悪いな、今丁度煙草を切らしてるんだ」
「自販機だったらそこですぜ…あ、催促じゃねぇですから気にしないでください」
それに、ケンさんの吸う奴があるかどうかは知らないと付け加えた。
木下は彼と別れると昨日の現場へと向かう。
現場周辺に向かう道はそれほどない。
もし今の道を使ったなら間違いなくカジが見ているだろう。
ただし――それも絶対ではないが、殺されるために向かったのでない限り見ているはずだ。
――犯人は、ここで殺したのではない
それは死体の状況から明らかだ。
もし先程の道を使わない場合、反対側――すなわち住宅地から来るしかない。
路地そのものは入り組んでいるし、車を使わないなら限定はできないが死体を運ぶのだ。
そんな大きな荷物を持っていれば目立つはずだ――しかも、帰りにはそれが存在しないのだから。
――住宅地、ねえ
側の自販機で煙草を買い、包装をさっとはぎ取る。
なれた手つきで一本くわえて、ため息のように大きく煙を吐いた。
少年は何故来たのだろうか。
少年は何故殺されたのだろうか。
緩やかに登りになった坂道を見上げ、少年が来ただろう方向を見る。
決して遠い距離ではない。
――大体想像通りだが…矢環の奴、きちんと調べてるだろうか
どうも自分で処理しなければ気が済まないのだが、それでも矢環なら信頼できる。
今のところ、彼程使える人材はない――ようは馬が合うのが彼しかいないのだろう。
現場は綺麗に片づけられてるし、引継を受けた方としてはやりやすかった。
――もうしばらく、この辺の人間に話を聞いてみるか
一度だけ現場を見ると、彼は肩をすくめて歩き始めた。
だが数分もしないうちに、彼は足を止めた。
表情を凍らせて。
まだ一つも証言を得ていない。
まだ何も捜査は進展していない。
足を進めなければ、見つかる証拠も見つからない。
――………いや
ごくり、と喉が鳴った。
少女が、いた。
それだけならなんて事はない、気にはしなかっただろう。
呆然と、ただこちらを見つめている。
ビルの窓の前で、身体を力無く伸ばした格好で、何の支えもなく――宙に、浮いていた。
◇次回予告
「鳩に豆鉄砲でも喰らわせるつもりですか?」
署に帰り着いた木下の元へ届く報告書。
「ヒイラギ…ミノル?ミノルって、あのミノルか」
そして思わぬ綻びが見える――果たしてそれは。
Holocaust Chapter 2: 臣司 第3話
また『ミンチ連続殺人』だよ
虚ろに響く悲鳴が聞こえる
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