肥滿を氣にする勿(なか)れ


憂ふべき喫煙の風習

 近來女學校を出た嫁入前の娘さんの間に、喫煙の風習が流行し始めたと云ふ。是(こ)れ實に驚くべき新現象である。勿論公然ではなく、親の目を忍び、人目に觸れぬようにして、友達同志で内緒で喫(の)んだり、或は自分の室で隠れて喫んだりするから、表面には分からぬが案外隠密の間に、此(この)惡習が行はれつヽあると云ふことだ。婦人の喫煙は決して珍しいことではなく、藝者とか女給とか云ふ人々は、年が若くても煙草を吸ひ、家庭の婦人でも年齢の長じた人には其(その)習慣が殘つてゐる。けれども最近起つた喫煙の風習は良家の子女の間に行はれて來たのだから驚く。敢へてモダン・ガールの眞似するのではあるまい。或(ある)官吏の家庭の母親は、ふと娘の室で本箱の曳き出しを抜いて見たら、巻煙草の吸ひがらを澤山發見して大に驚いたと云ふ。

 何の爲に喫煙するのかと調べて見ると、瘠(や)せたい爲に喫むのだと云ふ。則(すなは)ち全く瘠せ藥として用ひるのであると聞いて實に驚かざるを得ぬ。最近女子の體育が發達した爲に、女學生時代に身長と體格とが優良になつてゐるのが、卒業して嫁入までに運動を中止してゐる爲に、肥滿して來るものもある。斯(かか)る肥滿する婦人が瘠せたい爲に、好まぬ煙草を無理に喫むのである。其心事には一點同情すべき點あるけれども、煙草を喫んで胃を惡くし、そして體重を減ぜしめようと云ふに至つては、且(かつ)呆れ且憐(あはれ)まざるを得ぬ。

肉體美は異性に歡迎せらる

 婦人は妙に肥滿せるを嫌ふて瘠せたがるが、それは行住坐臥(ぎやうぢゆうざぐわ)に輕快ならんことを欲すると共に、容姿を美ならしめんと望むためである。男子は近頃一般に婦人の肉體美を貴び、身體の強壮ならんことを希望してゐる。瘠せて病身らしく見ゆるか、左(さ)なくとも虚弱に見ゆるよりも肉附きの宜い婦人を歡迎する。瘠せた婦人に肉體美は見られない。現代に於ける肉體美、曲線美はふつくりとした肉附きのよいのを云ふ。昔の柳腰と云ふ類は異性に快美を感ぜしめない。婦人が單に自己滿足の爲に瘠せたいと云ふならば、それは誤つてゐても致し方ないが、若し異性の賞讃を博せんと欲するならば、決して態々(わざわざ)瘠せる必要はない。十人の男子が集れば七八人迄は肉附きの能(よ)い婦人を賞揚するので、浮世繪式の美人よりも衛生的美人の方へ團扇(うちわ)が上るのである。苟(いやしく)も男子の心理状態を知る婦人ならば、喫煙してまで瘠せる必要なきを自覺さるヽであらう。

 脂肪過多のデブデブ肥りでは喫煙しても瘠せないから、是は又別問題であるが、普通肥つて困ると云ふ婦人は當然肥るべき時代の肉附きであつて、寧ろ健康體を證明してゐるのである。結婚年齢に達すれば肥るのは當然で、肉附きの好いのは備荒貯蓄(びくわうちよちく)とも謂(い)ふべきである。其(その)譯は婦人が結婚すればお産をするのが普通だ。妊娠中食慾が減退したり、又産後一時食事の進まぬ人もあるが、斯る場合に自分の身體の肉が食物の代りとなつて働くので、それが乳にもなるから、自然に瘠せるのである。換言すれば肉が餘分に附いてゐるのは萬一の場合の備荒貯蓄と云ふのだ。故(ゆゑ)に肥滿せる婦人はお産や病氣の時に瘠せたる婦人よりも持久力が澤山ある譯だ。肥つてゐるとは決して氣にすべきでなく、寧ろ喜ぶべきである。

いくら昭和初期の考へとは云へ、さう云はれても…。
(ふつくりたる肉體の若合)


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