戀愛に惱める若き婦人へ


戀愛の動機は輕舉ではなかつたか

 青年男女互に清潔な交際をしてゐる間に、戀愛に陥るのもあるが、多くの戀愛は熟考したり選擇したりする爲に、長時間を要するものでなく、却つて初對面の際か、若(もし)くは一二回逢つた時に、何となく好きだと云ふ念が起つて戀に陥るのが多い様である。思慮周密な戀愛などは餘り聞いたことはない。して見ると其(その)動機は簡單でそこに輕舉があつたと云ふ缺點は免れない。即ち深く考へたり研究したのではなく、初對面の時に見染めたと云ふ輕卒なのが世上最も多い様だ。尤も戀は盲目であると云ひ或は戀は曲者だと云はれてゐるから、是非善惡利害得失將來の事など考へてゐる閑(ひま)はないかも知れぬ。盲目だから先方の缺點が見えなかつたり、曲者だから飛んでもない目に逢ふゆゑ深く注意して愼しまねばならぬ。

 情人を他に奪はれて失戀する婦人は、先方の不徳薄情が腹立たしく、口惜しいやら殘念やら、其(その)悲痛嫉妬憤怒等頗(すこぶ)る深刻であらう。併(しか)し自分が若し輕舉であつたとすれば、其責任の一半を負はねばならぬ。又後悔もそこに出て來なければならぬ。失戀は悲痛が深刻で、他のあらゆる悲痛を超越するから諦めることも出來なければ、自覺反省も出來ないと云つて既に氣が狂つた様なものである。失戀に伴ふ嫉妬は狂暴であると云ふが、併し飜(ひるがへ)つて戀愛成立の動機を考へ、自分にも多少の輕舉過失があつたとすれば、無念ではあらうが大(おほい)に反省したが宜(よ)い。對手(あいて)が惡いことは勿論言ふ迄もないけれど……。

失戀の善用

 人間は如何なる場合にも禍(わざわひ)を轉じて福(さいはひ)となすの覺悟が必要である。失戀の場合にも戀愛に因つて男の心理状態を研究したとか、人間味が分かちたとか種々な發見體得があらう。

   戀せずば人はこころもなからまし

    ものの哀れも是(こ)れよりぞ知る

と云ふ古歌があるが、戀愛によつて始めて眞の心と云ふものが分かり、ものの哀れも知つたとすれば、人情學を研究したと思ふが宜い。(中略)又失戀と共に反動心を起して大に發奮の動機とすれば更に宜い。悲しむことを止めて或學問藝術を研究するとか、或は社會事業に從事するとか、或は慈善事業に從事するとか、公共の爲に盡力することが出來るとすれば、一新紀元を開くことになる。尤も是は家庭の事情にも因ることであるから、容易ではなからうが兎に角少しでも新生面を開くことに依つて失戀を慰むるが宜い。而(しか)してそれが一種の失戀善用である。


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