平和条約の重みに中国の再考促せ
“A級戦犯”は罪人とは見做さず
政務官発言の正しい認識
来訪していた中国の副首相が、小泉首相との会談を突如一方的に取り消し
帰国してしまった事件を機運として、又しても「外交問題としての靖国神社参拝
問題」が浮上した。
破約事件自体は中国政府の外交的失点の一つとして遠からず沈静化
するであろう。だがこの問題をめぐっての我が国の政治家たちの言動には
相も変わらず、不可解なほどの認識不足が露呈しているので、そのこを
指摘しておきたい。
森岡正宏厚生労働政務官が、5月26日の自民党の代議士会で、約言すれば
<A級戦犯と呼ばれている人々は罪人ではない>と発言した由である。
法律的にもまったく正しい、健全な常識に立っての、その事実の再確認要請の
如き意見なのであるから、その席上の議員諸氏一同、深く頷いて同意された
のであろうと思いきや、この発言に対して官房長官は<政府の見解と大いに
異なる(ので論評する必要はない)>との意見を表明された由である。
森岡氏の見解が政府のそれと異なる、というのならば、単純な論理の帰結として、
政府はA級戦犯と呼ばれた人々を今以て罪人と見做している、との立場を
表明したことになるのだが、政府の一員としてその様な異見の表明は
甚だしく穏当を欠く。
何故ならば、昭和28年8月3日の衆議院本会議で「戦争犯罪による受刑者の
赦免に関する決議」が採択され、その決議文では<中国は昨年(昭和27年)
8月日華条約発効と同時に全員赦免を断行し>と明記し、更にフランス、
フィリピン、豪州政府も全受刑者を赦免してくれたのであるから、日本国政府も
国内で拘禁されている受刑者たちの全面的赦免を実現する時期に至ったのだ、
と高く謳っている。この「赦免」について、一般的には、罪人ではあるが恩典
として釈放する、という場合と、罪人とは認めないが故に当然の処置として
釈放するという場合が有り得るわけだが、我が国の政府の採った立場が
まさにその後者であることは、この決議に続く戦没者遺族等援護法及び
恩給法の以後逐年の改正により、旧敵国の戦争犯罪裁判による刑死者等は、
国内法での罪人とは見做さない、との立法的措置を執った事から明らかである。
森岡政務官の発言は、この様な我が国の立法府の僅々50年ほど過去の事蹟を
踏まえてなされたものに他ならず、氏の<個人的見解>などではない、
これが我が国の公論であり、定説であることへの注意喚起にすぎない。
それにも拘らず、何でも政争の具にしたがる野党のみならず、与党の中にさへ、
この公論に異を立てる政治家が居る様では、中国の内政干渉に対して、
−貴国の言われる所の「A級戦犯」なる人々を我が国では罪人扱いしていない、
呼称も昭和殉難者といふものである、との統一見解を以って対応することも
難しいであろう。政府部内の意見の不一致は外交相手国から見れば
実に好都合の反撃目標であり急所である。
小泉首相の姿勢を強く支持
そこでどうするか。5月16日の衆議院予算委員会の席上で小泉首相が
述べたという、靖国参拝については<他国が干渉すべきではない>の
一言は実に久しぶりに眼にすることを得た、国政の現場での適切な
答弁であった。日本民族の祖霊=守護神信仰の象徴としての靖国神社の
祭祀を守り抜きたいという心情の故に、筆者にもいわゆる靖国問題に
対しての外邦からの内政干渉に対し、民族擁護のための弁明の辞を
外に向けて発信したい思いがないでもない。しかし、相手も亦我々とは
まったく異なる宗教・習俗を持つ人々である以上、相手の諒解を求めて
如何に懇切な説明を案出しようとも所詮は無駄であろう。そこで筆者は
年来主張してきたのも、唯一途に、日中共同声明(昭和47年)、
日中平和友好条約(昭和53年)、日中共同宣言(平成10年)に反復
強調されている<内政に関する相互不干渉>の原則に相手方の
注意を促すこと、というにあった。その意味で小泉首相の姿勢を強く
支持したい。
中国に大人の認識求めよ
此に付加えるとするならば、凡そ国際条約、外交慣例という約束の遵守を
3年後の五輪開催を控えてもいる彼国はいったいどの様に認識しているかを
問うこと。それともう一つ、対連合国平和条約締結以後、我が国は、米軍による
東京大空襲をはじめとする全国60余りの無防備都市に向けての
殴殺爆撃、2度に亙る原子爆弾投下等の歴然たる戦争犯罪に対し、
政府次元での公約非難声明は決してしていない。平和条約とはそうしたもの
なのだ、という大人のにんしきをもとめることである。
東京大学名誉教授 小堀桂一郎(こぼり けいいちろう)
2005.6.1 産経新聞より