万葉集


言霊と言挙げ

    柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)が歌集の歌に曰(い)はく
芦原(あしはら)の 瑞穂(みずほ)の国は 神(かむ)ながら 言挙(ことあ)げせぬ国 しかれども 言挙げぞ我(わ)がする
言幸(ことさき)く ま幸くいませと 障(つつ)みなく 幸くいまさば 荒磯波(ありそなみ) ありても見むと 百重波(ももへなみ) 千重波(ちへなみ)にしき
言挙げす我(わ)れは 言挙げす我(わ)れは
(神の国芦原の国、この国は天つ神の神意のままに、人は言挙げなど必要としない国です。しかし、私はあえて言挙げをするのです。…)
    反歌
磯城島(しきしま)の大和(やまと)の国は言霊(ことだま)の助くる国ぞま幸くありこそ
(我が磯城島の大和の国は、言霊(ことだま)が幸いをもたらしてくれる国なのです。どうかご無事で行って来て下さい。)
(巻13 3253/3254 伊藤博訳注『万葉集』から)


参考文献

伊藤博訳注『新版 万葉集』(1-4) 角川文庫
簡単な注とセンスの良い現代語訳つき。原文も読みやすい。普通はこれで十分だと思うが、もっと詳しい解説が読みたい場合には、同じ著者の
伊藤博訳注『萬葉集 釈註』(1-10) 集英社文庫ヘリテージシリーズ
がある。もっと簡単なものでいいという場合には、
角川書店編『ビギナーズ・クラシック 日本の古典 万葉集』角川文庫
は、全45000首のうち140首を解説した入門書。ただし旧版を使っているので、上の伊藤訳とは違っている。

中西進『万葉集 全訳注原文付』(1-4) 講談社文庫
は、万葉仮名の原文に、読み下し文と現代語訳と訳注を収めた、最もコンパクトな文庫本。もちろん字は小さい。
中西進『万葉の秀歌』(ちくま学芸文庫)は、その中から250首を選んで巻毎に解説をつけたもの。

佐竹昭広他校注『万葉集』(1-5) 岩波文庫
2013/4/5年の新版(佐々木信綱校注の旧版『万葉集』(上/下)は、注は無いも同然なので、素人は読めません)。
見開きで、右ページに古文、左ページに現代語訳と注釈。本文は大きな字でゆったりと組まれており、読みやすい。
現代語訳も簡潔で標準的。伊藤訳と並んで、これも、お勧め。
(両方とも、作者別索引と、初句索引の両方がついているのも便利でよい。
主な違いは、岩波版は序詞も現代語訳されており(伊藤訳では省略)、伊藤訳は枕詞も字義通り丁寧に訳されている、という点だ。)

折口信夫『口譯萬葉集』(上/中/下) 岩波現代文庫
当時(大正5/6年)としては、思い切り攻めた口語訳。訳だけでも読める。

大岡信『私の万葉集』(1-5) 講談社現代新書→講談社文芸文庫
選集だが、解説も面白いし、さすがに、訳のセンスもよい。

参考までに、適当に選んだ一首
「常人の恋ふといふよりは余りにて われは死ぬべくなりにたらずや」(巻18 4080)
の現代語訳は、
「世の常の人が「恋しい」などという以上で、私は必ず恋に死ぬにちがいないと思えるほどです。」(大西進)
「世の常の人が「恋する」と口にするよりは、そう、そんなありきたりの気持なんか通り越して、この私はもう息絶え絶えになってしまったではありませんか。」(伊藤博)
「世間の人が「恋い慕っている」という程度ではありません。私はもう、恋しくて死ぬばかりになったではありませんか。」(大岡信)
「普通の人が恋ひ焦れる、と言うて居るよりも以上になって来て、私はどうやら、死ぬやうになって居るのではなかろうか。」(折口信夫)
ついでにもう一つ、余りに有名な、酒の歌
「あな醜(みにく)(さか)しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似る」(巻3 344)
「何とみにくいことよ。りこうぶって酒を飲まぬ人をよく見ると猿に似ているかなあ。」(大西進)
「ああみっともない。分別くさいことばかりして酒を飲まない人の顔をつくづく見たら、小賢しい猿に似ているのではなかろうか。」(伊藤博)
「ああ、見られたものじゃないよ、わけ知り顔をして酒を飲まない人間は、よく見れば猿に似ているようではないか。」(大岡信)
「へん、ざまを見ろ。其ざまはなんだ。ほんとに賢ぶった真似をせうとして、酒を飲まない人間を、よくよく見たら、猿に似てゐるだろうよ。」(折口信夫)
(私は、やはりシンプルで美しい大岡訳に一票。
次点が伊藤訳。よくある標準的な「解釈」を超えて一歩も二歩も踏み込んでいるし、日本語も端正でよい。折口訳は別枠。)

『万葉集』は全20巻
最初の1/2巻とその続編3/4巻が、最も古い形で、いわば『古万葉集』、
さらに、旅人と憶良の歌集である第5巻、それに続く6/7巻までが、大西説に従えば、『万葉集』の第一部、
第8巻から第16巻までが、これも大西説によると、第二部。虫麻呂の歌を収めた第9巻、
第11/12巻は「相聞歌(恋歌)」、第13巻は長歌、第14巻は東歌、といった特徴がある。
第17-20巻が、やや後に付け加えられた第三部で、ここは大伴家持の歌日記になる。
(普通は、1・2 & 3・4、 5-15(16)、17-20 と三つに分けるので、
1-5/6-10/11-16/17-20 という4分冊の伊藤訳の角川新版
1-4/5-9/10-12/13-16/17-20 という5分冊の「新潮日本古典集成」版、の二つは本としてのまとまりが良いと思う。)

数十年前に『万葉集』でも読んでみようかと思い、最初から読み始めたときは、「たいして面白くもない」という感想しかなかった(それはそうだろうと今でも思う)が、
最近になって、「桜などの花の歌」「酒の歌」「老いの歌」などテーマを絞って読んでみたら、意外に面白いものが多くて、やっとその価値に気づいたというところだ。
恋歌に興味があれば、第11/12巻などがお勧めだが、第13巻の長歌(3270)も凄い。
「汚らしい部屋で(焼き払ってやりたい!)、破れた布団を敷いて(投げ捨ててやりたい!)、醜い手と手を重ね合わせて(骨を折ってやりたい!)、寝ているだろう、あの人!
その人のせいで、明るい日がさしてきても一日中、暗い夜になっても一晩中、この床がギシギシ鳴るまで、私は身悶えして嘆いている」
(これは諸本の注にある通り、男が作った歌だと思う。)

犬養孝『万葉の人びと』(新潮文庫)
万葉の歌を味わう上で必要な、その背景になる事情を丁寧に説明している、ラジオ講演を基にした入門書。お勧め。
(電子版Kidleでも買えるが、写真や解説が割愛されているので、手に入るなら文庫版で。)


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