ライプニッツ
Gottfried Wilhelm Leibniz (1646-1716)
―宇宙は生命に満ちている


ライプニッツの思想を簡単に説明するのは非常に困難です。ラッセルは、ライプニッツの論理思想を知らずにライプニッツを理解することは出来ない、と言いました。同じように、アリストテレスやスコラ哲学を知らずにライプニッツを読むことは出来ない、と言うこともできるでしょう。でもそんなことを言っていると切がありません。ここではライプニッツの「モナド(monade)」という概念を中心に説明します。

ライプニッツは「実体(*)」の意味を、アリストテレスが「本質=形相」と考えたのと同じように、精神的な存在と理解し、これに「モナド(単子)」という名を与えました。これは原子のようなものではありません。ギリシャ語の monas (一つ)という語から作られた、「私」の「意識(=表象)」がその原型であるような、精神的「統一体」の意味です。
「私」の意識は、多様な知覚をその中に含む統一体です。またその中にある個々の知覚も、例えば「机」や「本」といった本質を持った統一体です。(机という統一体も、例えば、材木という本質を持つ統一体から出来ていると考えることもできます。これはアリストテレスの「形相」の考え方です。しかし真の「実体」は、まず、デカルトのいうように、「私」という意識がそれである「精神」です。簡単に言えば、モナドとは、デカルトの立場から見られたアリストテレスの「形相(イデア)」です。)
私というモナドも、また私が表象するモナドも、「一の中で多を表出する」という構造を持っています。
モナドとは、そういう仕方で、互いに表出し意欲しあう、精神の統一体をいいます。
更に、ライプニッツは、これを(意識や精神の本性は活動ですから)、能動的な力として捉えました。
これに対して、デカルトが言うように、私が直に知りうるのは、私という意識とその中にある知覚だけですから、物質は背後でそれを支えている「何か」(=質料)であるに過ぎません。
1714年7月のユゴニー氏宛の書簡(岩波文庫『単子論』に翻訳があります)の一部を読んでみて下さい。

「私の信ずるところでは、この宇宙は全て単純な実体すなわちモナド(Monades)、もしくはその集合体から成り立っている。
この単純な実体は、人間や聖霊においては「精神(l'esprit)」と呼ばれ、動物においては「魂(l'ame)」と呼ばれているものである。どちらも表象 (la perception)(これは統一体の中における多の表出に他ならない)と欲求 (l'appetit) (これは一つの表象から他の表象へ向かう傾向に他ならない )とを持っている。
欲求は動物にあっては「情動(passion)」と呼ばれ、表象が知性である者においては「意志(volonte)」と呼ばれる。
単純な実体の中に、それ故また自然全体の中に、これ以外のものがあるとは考えることもできない。

(モナドの)集合体は「物体」と呼ばれるものである。物体において「受動的で、至る所で均質なもの」と考えられる部分が、「質料」 もしくは「受動的な力」或いは「根源的抵抗力」と呼ばれる。…しかし、いかなる物体も、またその属性とされるものも、決して実体ではない。「しっかりした根拠を持つ現象」であるに過ぎない。あるいは、見る人によって異なるが互いに関係を持ち同一の根拠に由来する現象(例えば違う角度から眺めた同一の都市が違う外観を呈するように)、の基礎であるに過ぎない。
空間は、実体どころか、存在でもない。空間は、時間と同じように、秩序である。時間が一緒に存在していない物の間の秩序であるのと同じように、空間は同時に存在する物の間の秩序である。」

ライプニッツは微分法の創始者でもあります。上の最後の個所は、時間と空間を「関係」ではなく「存在」と見なすことから、例えば無限に関するパラドックスが生ずる、ということを述べています。

(*) 実体については、スピノザの項を参照。

次に、ライプニッツの論理思想ですが、「普遍的記号学」の構想を簡単に説明すると、次のようになります。

我々の思考は、外的には、言葉によって表現されますが、その言葉は、文字によって表わされます。英語なら文字はアルファベットの26文字しかありません。この26文字で、我々の全ての思考が表現され得ます。これと同じように―
我々の思考は、内的には、観念(idea)の組み合わせで出来ています。その観念(複合観念)を、その構成要素である「より単純な観念」に分解できるなら、最終的には「思考のアルファベット」という名で呼べるような、究極の「単純観念」が発見できるでしょう。
例えば、「人間」という観念は、「理性的動物」というその定義に従って、「理性的」という観念と、「動物」という観念に分解できます。
いま、素数を使って、それ以上分解できない単純観念に素数を対応させると、その素数の積によって全ての複合観念を表現できるはずです。
例えば、「理性的」=3、「動物」=2 とすると、2x3=6 ですから、6という数によって「人間」という複合観念を表現できるでしょう。
こうしたことが可能なら、いまある主語が与えられたとき、この主語に対応する数を素因数分解することによって、その主語に付与されえる可能な全ての述語を見出すことが出来る、ということになります。
従って、いま主語Aに対応する数をS、述語Bに対応する数をPとすると、S/P=a (a は正の整数)のとき、S=aPという式によって、「全てのAはBである」という全称命題が表現されることになります。

以下省略しますが、主語とそれを構成する単純観念(=素数)が、上に述べた「モナド」に対応することは、容易に想像できるでしょう。例えば、最初の人類の一人であったアダムという個体(=主語)の中には、その可能な述語の全て(「知恵の木の実を食べた」「エバの夫である」「カインの父である」「930歳で死んだ」といった述語など)が含まれている、と考えられます。

あと、「予定調和」とか、ライプニッツの宗教思想にも触れないわけにはいきませんが、書くのが疲れたので省略します。
岩波文庫の『形而上学叙説』(付録の書簡も含めて必読)とか『単子論』とか、工作舎から出ている『ライプニッツ著作集』(高価です)とか、図書館にはあるでしょうから、関心があれば図書館に行って自分で読みましょう。関心がない人は、他の本を読むとか、帰って寝るとか、他の人の邪魔にならないように静かにしていましょう。
Encyclopaedia Britannica99 を見ると、簡潔な解説が出ていましたので、下に引用しておきます。


付録
ライプニッツの記号学

The symbolic calculus that Leibniz devised seems to have been more of a calculus of reason than a "characteristic" language. It was motivated by his view that most concepts were "composite": they were collections or conjunctions of other more basic concepts. Symbols (letters, lines, or circles) were then used to stand for concepts and their relationships. This resulted in what is called an "intensional" rather than an "extensional" logic--one whose terms stand for properties or concepts rather than for the things having these properties. Leibniz' basic notion of the truth of a judgment was that the concepts making up the predicate were "included in" the concept of the subject. What Leibniz symbolized as "A {infinity} {beta}," or what we might write as "A = B" was that all the concepts making up concept A also are contained in concept B, and vice versa.

Leibniz used two further notions to expand the basic logical calculus. In his notation, "A {circled plus}B {infinity} C" indicates that the concepts in A and those in B wholly constitute those in C. We might write this as "A + B = C" or "A {union} B = C"--if we keep in mind that A, B, and C stand for concepts or properties, not for individual things. Leibniz also used the juxtaposition of terms in the following way: "AB {infinity} C," which we might write as "A ×B = C" or "A {intersect}B = C," signifies in his system that all the concepts in both A and B wholly constitute the concept C.

A universal affirmative judgment, such as "All A's are B's," becomes in Leibniz' notation "A {infinity}AB." This equation states that the concepts included in the concepts of both A and B are the same as those in A. A syllogism, "All A's are B's; all B's are C's; therefore all A's are C's," becomes the sequence of equations "A = AB; B =BC; therefore A =AC." This conclusion can be derived from the premises by two simple algebraic substitutions and the associativity of logical multiplication. Leibniz' interpretation of particular and negative statements was more problematic. Although he later seemed to prefer an algebraic, equational symbolic logic, he experimented with many alternative techniques, including graphs.

As with many early symbolic logics, including many developed in the 19th century, Leibniz' system had difficulties with particular and negative statements, and it included little discussion of propositional logic and no formal treatment of quantified relational statements. (Leibniz later became keenly aware of the importance of relations and relational inferences.) Although Leibniz might seem to deserve to be credited with great originality in his symbolic logic--especially in his equational, algebraic logic--it turns out that such insights were relatively common to mathematicians of the 17th and 18th centuries who had a knowledge of traditional syllogistic logic. In 1685 Jakob Bernoulli published a pamphlet on the parallels of logic and algebra and gave some algebraic renderings of categorical statements. Later the symbolic work of Lambert, Ploucquet, Euler, and even Boole--all apparently uninfluenced by Leibniz' or even Bernoulli's work--seems to show the extent to which these ideas were apparent to the best mathematical minds of the day.

Copyright 1994-1999 Encyclopaedia Britannica

参考文献
今でもその全貌が明らかではない、ありとあらゆる事に手を染めた「万能の天才」、ライプニッツという人がどんな人だったか、興味があれば、
マシュー・スチュアート『宮廷人と異端者 ライプニッツとスピノザ、そして近代における神』(桜井直文・朝倉友海訳)書肆心水
ライプニッツとスピノザの出会いを中心に、両者を対比的に生き生きと描いた(そしてライプニッツの哲学がスピノザ哲学との対話から生じたことを論証した)好著。


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