『葉隠聞書』(山本常朝1659-1719


「聞書第一」
武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。
図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当るやうにすることは、及ばざることなり。我人、生くる方が好きなり。多分好きの方に理が付くべし。
若し図に外れて生きたらば、腰抜けなり。この境危うきなり。図に外れて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。
毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり。
武士道とは、死ぬことである。生か死かいずれか一つを選ぶとき、まず死をとることである。それ以上の意味はない。覚悟してただ突き進むのみである。「当てが外れて死ぬのは犬死だ」などと言うのは、上方風の軽薄な武士道である。生か死か二つに一つの場所では、計画どおりに行くかどうかは分からない。人間誰しも生を望む。生きる方に理屈をつける。このとき、もし当てが外れて生き長らえるならばその侍は腰抜けだ。その境目が難しい。また、当てが外れて死ねば犬死であり気違い沙汰である。しかしこれは恥にはならない。これが武士道においてもっとも大切なことだ。毎朝毎夕、心を正しては、死を思い死を決し、いつも死に身になっているときは、武士道とわが身は一つになり、一生失敗を犯すことなく職務を遂行することができるのだ。
(『日本の名著17葉隠』奈良本辰也・駒敏郎訳より)

 五、六十年以前までの武士は、毎朝、行水して身体を清め、髪を整え、髪には香の匂いをつけ、手足の爪を切って軽石ですり、こがね草で美しく磨き、少しも怠ることなく身なりをととのえたが、もちろん武具の類にいたっては少しも錆(さび)をつけず、埃(ほこり)も払って、磨き立てておいたものである。身なりについて格別な心づかいをするということは、いかにも外見を飾るようであるが、これは何も数寄者(すきもの)を気取っているのでない。今日は討死か今日は討死かと、いつ死んでもよい覚悟を決め、もしぶざまな身なりで討死するようなことがあれば、平素からの覚悟のほどが疑われ、敵からも軽蔑され、卑しめられるので、老人も若者も身だしなみをよくしたものだ。いかにも面倒で、時間もかかるようであるが、武士の仕事というものはこのようなことなのだ。ほかには忙しいことも時間のかかることもない。
 いつでも討死する覚悟に徹し、まったく死身になりきって、奉公も勤め、武道をも励んだならば、恥辱をうけるようなことはあるまい。このようなことに少しも気がつかず、欲得やわがままばかりで日を送り、何かにつけて恥をかき、しかもそれを恥とも思わないで自分さえ気持ちがよかったら他人はどうでもよいなどと言って、勝手気ままな行いをするようになってきたのは、いかにも残念なことである。平素から、いつ死んでも心残りはないという覚悟を決めていない者は、きっと死場所もよくないだろう。そして、平素から必死の覚悟でいるならば、どうして賤しい振舞ができよう。このことをよくよく胸にたたんでおくことだ。
(奈良本辰也訳 角川文庫『葉隠』)  

三島由紀夫『葉隠入門』より
われわれにとって、もっとも正しい死、われわれにとってみずから選びうる、正しい目的にそうた死というものは、はたしてあるのであろうか。いま若い人たちに聞くと、ベトナム戦争のような誤った目的の戦争のためには死にたくないが、もし正しい国家目的と人類を救う正しい理念のもとに強いられた死ならば、喜んで死のうという人たちがたくさんいる。これは戦後の教育のせいもあるが、戦争中誤った国家目的のために死んだあやまちを繰り返すまいという考え方が生まれて、今度こそはみずから正しいと認めた目的のため以外には死ぬまいという教育が普及したせいだと思われる。
しかし、人間が国家の中で生を営む以上、そのような正しい目的だけに向かって自分を限定することができるであろうか。またよし国家を前提にしなくても、まったく国家を超越した個人として生きるときに、自分一人の力で人類の完全に正しい目的のための死というものが、選び取れる機会があるだろうか。そこでは死という絶対の観念と、正義という地上の現実との齟齬が、いつも生ぜざるをえない。そして死を規定するその目的の正しさは、また歴史によって十年後、数十年後、あるいは百年後、二百年後には、逆転し訂正されるかもしれないのである。
『葉隠』は、このような煩瑣な、そしてさかしらな人間の判断を、死とは別々に置いていくということを考えている。なぜなら、われわれは死を最終的に選ぶことはできないからである。だからこそ『葉隠』は、生きるか死ぬかというときに、死ぬことをすすめているのである。それはけっして死を選ぶことだとは言っていない。なぜならば、われわれにはその死を選ぶ基準がないからである。われわれが生きているということは、すでに何ものかに選ばれていたことかもしれないし、生がみずから選んだものでない以上、死もみずから最終的に選ぶことができないのかもしれない。
では、生きているものが死と直面するとは何であろうか。『葉隠』はこの場合に、ただ行動の純粋性を提示して、情熱の高さとその力を肯定して、それによって生じた死はすべて肯定している。(中略)
図に当たるとは、現代のことばでいえば、正しい目的のために正しく死ぬということである。その正しい目的ということは、死ぬ場合にはけっしてわからないということを『葉隠』は言っている。
「我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし」、生きている人間にいつも理屈がつくのである。そして生きている人間は、自分が生きているということのために、何らかの理論を発明しなければならないのである。したがって『葉隠』は、図にはずれて生きて腰ぬけになるよりも、図にはずれて死んだ方がまだいいという、相対的な考え方をしか示していない。『葉隠』は、けっして死ぬことがかならず図にはずれてないとは言っていないのである。ここに『葉隠』のニヒリズムがあり、また、そのニヒリズムから生まれたぎりぎりの理想主義がある。
われわれは、一つの思想や理想のために死ねるという錯覚に、いつも陥りたがる。しかし『葉隠』が示しているのは、もっと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さえも、人間の死としての尊厳を持っているということを主張しているのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじないわけにいくであろうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。


付録
「忠臣蔵」に関する見解
「浅野殿浪人夜討ちも泉岳寺にて腹切らぬが落度也。又、主を討たせて敵を討つこと延延なり。若し其中に吉良殿病死の時は残念千万也。」
ところで、赤穂浪士の仇討も、泉岳寺で腹を切らなかったのが落度と言うべきだ。それに主君が死んで、敵を討つまでのあいだが長すぎる。もしもそのあいだに、吉良殿が病死でもなされたときにはどうにもならないではないか。上方の人間は小利口だから、世間から褒められるようにするのは上手であるけれども、長崎喧嘩のような無分別なことはできない。(奈良本辰也訳 角川文庫『葉隠』)

→福沢諭吉の批判(『学問のすすめ』)


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