倫理学の勧め―対話篇―

1998年10月1日 都内某所で収録*
  *この対談の一部はその後テレビの『通販生活』のCMに使われました。(**)

エコ婦人「COの問題って大事よね」

やくみつる「大事ですよね」

エゴ婦人「でも私が冷蔵庫の電気切っても物が腐るだけよ」

やくみつる「腐ったらくっさいですよね」

エコ婦人「ゴミの処理の仕方が悪いから、ダイオキシンがでるのよ」

やくみつる「ダイオキシンは恐いですよね」

エゴ婦人「でもカップ麺のカップがないと、お湯かけたら火傷しちゃうわ」

やくみつる「火傷はヒリヒリして痛ったいですよね」

うえむら「そういう問題じゃないんですけど」

エコ婦人「一人一人が環境問題に取り組まなければいけないのよ」

やくみつる「環境問題と爆笑問題は面白いですよね」

エゴ婦人「でも私の家には、クーラーが無いと困るわ」

やくみつる「クーラーが無いと夏は頭がクーラクラですよね」

うえむら「済みませんが、やくさんはしばらく黙っていてください」

エコ婦人「これからは自分のことより、将来の子供たちのことを先ず考えて行動しないと駄目」

うえむら「あ、それ〈世代間倫理〉ですね」

エゴ婦人「でも私が未来のこと考えている間に、特売のお肉が売り切れちゃったら、今夜のおかずが困るわ」

エコ婦人「こんなに自分勝手な親だと、子どもが可哀想だわ」

エゴ婦人「お宅のお子さんも、好きでもない玄米食べさせられて可哀想」

やくみつる「ベイスターズが38年間優勝しなかった私も可哀想ですよ」

うえむら「やくさん!」

エゴ婦人「でもベイスターズってサッカーのチームでしょう」

エコ婦人「サッカーじゃなくってパ・リーグじゃなかったかしらね」

うえむら「皆さん。話の方向がずれているようですから、元に戻します。今日は、皆さんの身近なお話をお伺いしながら、倫理学という学問の紹介をすることになっているのですから、環境倫理の話は良いとして、ベイスターズの話題は慎んでください。それに今日は十月一日ですが、この文が出る頃には、もう中日の優勝が…」

やくみつる「えっ!中日の優勝!」

うえむら「いいえ、中日の優勝が無くなって、阪神の優勝が決まっています。ベイスターズの優勝などという幻想に溺れ、夢と現実と区別がつかないようでは、やくさんは完全な野球中毒です。これは一種の依存です。「嗜癖」、英語では「アディクション」といいますが、こういう人は自分の生活の空虚さを埋めるものを野球に求めているのです。サルトルは自由からの逃走の代表的な形態の一つとしてマゾヒズムという…」

エゴ婦人「でも夫が野球も見ないで家でぶらぶらしていたら鬱陶しいわ」

エコ婦人「亭主は元気で留守がいい、だわ」

うえむら「珍しくお二人のご意見が一致しましたね。これが高度経済成長期の日本の家庭の現実でしょうか。家では野球を見ているだけの、仕事中毒の父。夫に不満な妻。彼女は子育てに情熱を注ぎ、『お父さんみたいな人にだけはなっちゃ駄目』と言われ続けた子どもは、あるべき自分の理想自我を見い出すことが出来ない。家庭に於ける父性の欠如は、社会の価値意識に抗する独自の価値観の形成を…」

やくみつる「阪神の優勝…」

うえむら「やくさん!現実をありのまま受け入れて下さい。ベイスターズはパ・リーグのロッテとトレードになったんです」

エゴ婦人「でもプロ野球って殆ど宗教ね」

エコ婦人「貴乃花と同じね。マインド・コントロールよりウエイト・コントロールしたらどうかしら。資源の節約よ」

うえむら「そうです。宗教は現代の大きな問題です。お二人には関係なさそうですが、若い女性の痩身願望も一種の宗教かもしれません。現代は価値観の相対化の時代です。多くの人は、絶対的な価値観を求めているのですが、お金という世俗的な価値は神には成り得ません。だから人々はマインド・コントロールされたがっている。マルクスは宗教は民衆の阿片だと言いましたが、倫理学の立場から言うと…」

エゴ婦人「先生、倫理学のお話、楽しい?」

うえむら「ええ。まあ、今年は応用倫理ということで、身近な…」

エコ婦人「倫理って、道徳のことだったかしら。先生を尊敬しなさいとか、人の話はちゃんと聞きなさいとか」

うえむら「皆さんには、その点が少し欠けているようですが」

やくみつる「ベイスターズ優勝…」

うえむら「やくさん!目を覚まして下さい」

エゴ婦人「でも今日は暑いわ。わざわざ来たのに、アイス・コーヒーの一杯も出ないのかしら」

エコ婦人「サービス精神が足りないわね」

うえむら「済みません。」

エゴ婦人「でもこのシラバスに書いてある<パイオシックス>って、何かちょっとエッチな感じね」

エコ婦人「<フェミニズム>って、むかしウーマン・リブって言ってたのと同じかしら。ボーヴォワールって懐かしいわ。あら、<セックスとジェンダー>ですって。ラブ・ミー・テンダーって歌が昔あったけど。あら、<父親殺しと近親相姦>…」

エゴ婦人「<人工妊娠中絶> <体外射精>」

エコ&エゴ婦人「先生って変態ね!」

うえむら「よ、よく読んで下さい。<バイオエシックス>でしょう、<体外受精>でしょう。これは生命倫理という、倫理学の割と新しい分野で、皆さんが大学で勉強されていた頃には、まだ無かったかも知れませんが、先端技術と倫理の問題を…」

エゴ婦人「おばさんで悪かったわね」

エコ婦人「こんな先生に教わる生徒さん達が可哀想」

うえむら「何か誤解が…」

エゴ婦人「私、夕食の仕度があるので、そろそろ失礼させて貰います」

エコ婦人「私も」

うえむら「み、皆さん、ちょっと待って下さい」

エゴ婦人「セクハラ教師よ」

エコ婦人「偉そうなこと言ってる人に限って裏じゃ何やってるんだか」

やくみつる「ベイスターズ優勝…」

えうむら「やくさん、しっかりしてください」

*もちろん嘘。
この文章は、東京文化短期大学の講義の案内として書いたものです。
   


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