寺島靖国論

以下の下書きがきちんとした文章になるまで待っていると、何年もかかり、そのうち忘れてしまいそうです。
まだメモ程度ですが、要点は書いているので、出しておくことにしました。暇な時、書きます。
結論は、
「寺島は、ジャズ界における<ポスト・モダン>の役割を(期せずして)果たした」
「寺島は、『実感信仰』に立脚する、ジャズをめぐる私小説作家であるから、その音楽観は頑固なまでに狭い」
ということです。

1)歴史的評価
寺島靖国の歴史的な評価は、「趣味としてのジャズ」の復権を促した、という点に求められる。
それまでの日本のジャズ・ジャーナリズムは、雑誌『スイング・ジャーナル』と、そのオピニオン・リーダーであった油井正一を中心に動いていた。
油井正一(→粟村政昭)とは、「アカデミックな批評、教養としてのジャズ」という路線である。
油井は、ヨアヒム・ベーレント『ジャズ』の翻訳者であり、
音楽史の発展史観的な観点に立ち、(ベーレントの20年周期説を修正した)10年周期によるスタイルの発展という視点から、ジャズを論じた。
それは、フリージャズの季節が終わり、ポスト=フリーの方向性を告げるかのような「Bitches Brew」で始まる70年代までは、それなりの有効性を持ちえたが、
ジャズの新たなスタイルの発展が見られず、直線的なスタイルの発展という図式から、多様なスタイルの並存という図式へと移っていった、80年代に行き詰まった。
それが行き詰まったとき、偶像破壊者が必要だった。

2)「実感信仰」
『辛口JAZZノート』で論壇にデビュー(この本はよく売れて、その後似たようなタイトルの本が数冊出た。)
ジャズ喫茶「メグ」のオーナー
パウエル、モンク、コルトレーンといった「心に訴えてこない」ジャズ・ジャイアンツを否定
私小説―四畳半的世界(寺島氏が敬愛するのは、川崎長太郎や車谷長吉である)
理念を信じない(自然主義者)
ジャズの歴史が積み重なり、既成のジャズ観が存在するとき、
権威を否定する動向が必要となる。(若者は何時の時代にも、それを求めている。)

90年代初頭、ジャズはもうダメだと言われていた時期に、
今こそジャズの黄金時代だと寺島は言い切った。その蛮勇は素晴らしい。
『吉祥寺JAZZ物語』(1993日本テレビ出版)で行われた対談で、現在のジャズはどうなっているのか、という問いに答えて、
(中山康樹)「現在進行形のムーブメントとしてジャズは停滞している」
(大西米寛)「最近、20代のジャズ・ファンがジャズ喫茶にこなくなったけど、そういう意味ではたしかにジャズは低迷しているよね」
(寺島)「あのね、いまジャズは第2期黄金時代なんだよ」
(全員)「ウソだよ、黄金時代じゃないよ」

80年代に、ウイントン・マーサリスとキース・ジャレット(のスタンダーズ・トリオ)によって、ジャズの激しい季節は終わった。
ジャズは様式化した。保守化し安定した。
学校で教えられ、知識として先生から学ぶべきものに変わった。
それは一方で、高い技術レベルを持つが、それに伴なう豊な音楽的情感を持たない「バークリー症候群」を生み出し、
他方で、伝統の制約から解放された、多くの若いジャズマンを生み出した。

ジャズは、単なる趣味に留まらない何かだった。コルトレーンやアイラーは、「趣味」では聞けない。
80年代の豊かさは、趣味としてジャズを楽しむ生活を可能にした。

デコンストラクションの時代の批評家
氏が論壇に登場した80年代は、「発展」という図式が疑われ、相対主義や脱中心化の運動が定着した時代である。
思想的に言えば、デリダの「デコンストラクション」、浅田彰『構造と力』における「逃走論」、音楽史の面で見れば、クラシックの分野におけるオリジナル楽器の流行、政治的には、社会主義の退潮、―伝統的な大きな枠組みが信じられなくなった時代である。
寺島はそうした思想とは無縁であるが、同じ時代の気分を共有している。
デコンストラクションの特徴は、中心(絶対的基準)の否定である。
作品(演奏)中心から聴き手中心へという方向。
構造主義とポスト・モダンは、主体の専制から離れて、主体と客体を併せて含む場全体の構造を問題にする。
しかし、寺島の取った立場は、主体の専制の裏返し(=聴き手の横暴)に過ぎない。
そこに寺島の「批評」が「批評」たりえない最大の理由がある。
(「ジャズは曲で聴け」とか言っても、
1)その曲は自分の好きな曲でしかない
2)その自分の好きな曲がどう演じられているかという聴き方は、演奏の背後にある演奏家の魂を聴こうとしない
から、批評としてはダメなのである。)

3)ジャズ評論
批評家の条件
「ジャズを演奏しない人間には、ジャズ評論は出来ない」という俗見がある。その見方自体は明らかな誤りだが、全く無意味ではない。
一般的に言って、批評には技術面の理解が必要である。
例えば、プロ野球の解説者を考えてみるがいい。
なぜバッターが打てないないのか、なぜエラーをするのか、説明が必要だ。その半ば以上は技術の問題だろう。
ゲームには戦術があり、プレイには意図というものが交差する。それも広い意味での技術である。
今何が起こっているかを説明する技術的な知識なくして解説は出来ない。
音楽に限らず、専門家であるための一つの条件は、高度な技術の習得である。
音楽家が腐心している技術的な面の理解なくしては、批評は時に的外れになる。
技術的な批評が出来ることは、少なくともプロの評論家には必須である。

文章力
しかし一方で、野球選手であれば誰もが解説者になれる訳ではない。表現力が必要。
超一流の野球選手が必ずしも一流のコーチや解説者になれるとは限らない。
分かっていれば表現できるというものではない。表現にも技術が必要であり、表現の技術こそが思考であり文体なのである。
『辛口JAZZノート』など、内容的にはたいしたものではない。呆れはしても、感心するような見解はどこにもない。
寺島氏は、パーカー、コルトレーン、パウエル、モンクといった「心に訴えてくる」ことのないジャズの巨人たちの音楽を否定する。
(ジャズの持つ)新しいものに向かう創造性は、ここでは、逆に過去のジャズ・ジャイアンツへの否定という形を取っている。
スタイル。文章のスタイル、音楽を聴く生活のスタイル
それは、豊かな社会において、音楽の内容よりはむしろ、聴き方のスタイルを語った。
それは、先ず、寺島氏の書く文章の力であり、『辛口JAZZノート』においては、私小説的な、ジャズを聴く生活の魅力である。
ジャズを素材にしたエッセイスト=私小説作家。

率直に言って、ジャズ評論家で、文学的な素養があり、優れた文章を書く人は少ない。
現役の評論家では、杉田宏樹氏など、ジャズに関する幅広い知識と情熱は尊敬できるが、文章には、それに匹敵する魅力は感じられない。
ザッハリッヒに事柄を語る文章であり、その意味では普通以上には優れた文章だが、それ以上の魅力はない。
体言止めを多用する文体が特徴的に示すように、雑誌などに特有のジャーナリスティックな文章である。
敢えて言えば、失礼だが、杉田氏が鴎外や荷風を愛読しているとは思えないのである。
文章で読ませるという点では、ジャズに対する立場は氏の対蹠だが、寺島氏は、粟村氏に並ぶものである。
また、頑固に自分の立場に拘るという点でも、粟村氏に並ぶものである。
(頑固で独特のスタイリストと言えば、植草甚一氏の名を落とす訳にもいかないだろう。)

寺島氏は、ある意味、「変節漢」である。
氏の言動は、何度も変わっている。(その例は、枚挙に暇がない。)
しかし、氏の「変節」は、例えば、かつて岩浪洋三氏が、一時期、前衛ジャズを支持したり、その後、前衛ジャズはダメで、これからは「牧歌ジャズ」だ、と言ったりしたような、時代の趨勢に乗った、風見鶏的な変節ではない。
「普通の人の何倍もジャズを聞いているから、ジャズに関する見方も変わるのだ」と開き直って言ったように、
自身の内部における「成長」なのだろう。
氏はジャズの重要な本質の一つである「インプロヴィゼーション」とか「創造性」とかを理解できない。氏の胸を打つのは、「メロディ」であり「哀愁」なのである。これは変わっていない。
自分の理解できないものを拒否する頑固な姿勢は変わっていないとも言える。
俗人は矛盾を恐れて、自分の感性に正直でありえない。
しかし究極の俗人は、矛盾を恐れない。
自分という存在の「俗」に徹することが、氏の信条であり、また人気の秘密なのだろう。


→粟村政昭

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