レヴィ=ストロース
Claude Lévi-Strauss ( 1908-2009 )


世間の常識
構造主義と言えば、レヴィ=ストロ―スである。
哲学におけるフーコー、精神分析におけるラカン、マルクス主義におけるアルチュセール、そして人類学におけるレヴィ=ストロースの四人が、一時は「構造主義者」の名をもって呼ばれたが、「私を構造主義者と呼ぶな」(フーコー)という者もいて、結局、構造主義者といえば(というより構造主義そのものが)、レヴィ=ストロースだった、と言っていいくらいだ。しかし、レヴィ=ストロースの構造分析の方法は天才的で、他人には真似ができないような性格のものでもある。
平凡社の『世界大百科』では、「構造主義」を次のように説明している。
1960年代以降フランスで生まれた現代思想の一潮流。フランスの人類学者レビ・ストロースは,ソシュールに始まり,イェルムスレウらのコペンハーゲン学派やヤコブソンらのプラハ言語学派において展開された構造言語学や,数学,情報理論などに学びつつ,未開社会の親族組織や神話の研究に〈構造論〉的方法を導入して,構造人類学を唱えた。やがて1962年に公刊した《野生の思考》は,これまで非合理的なものとされていた未開人の〈神話的思考〉が,決して近代西欧の〈科学的思考〉に劣るものではなく,象徴性の強い〈感性的表現による世界の組織化と活用〉にもとづく〈具体の科学〉であり,〈効率を高めるために栽培種化された思考とは異なる野生の思考〉であることを明らかにして,近代西欧の理性中心主義のものの見方に根底的な批判を加えた。それは大きな知的反響をよびおこし,《エスプリ》誌の〈野生の思考と構造主義〉の特集(1963)をはじめ,多くの雑誌がレビ・ストロースと構造主義を論じて,〈構造主義〉の時代の幕明けとなった。このような論議の高まるなかで,フーコーが《言葉と物》(1966)を,アルチュセールが《資本論を読む》《甦るマルクス》(ともに1965)を,ラカンが《エクリ》(1966)を,R. バルトが《モードの体系》(1967)を世に問い,その他文学批評の分野でも構造分析が行われ,いずれも何らかの形で〈構造〉ないし〈システム〉を鍵概念として近代西欧の観念体系を批判吟味する新しい構造論的探求を展開した。そして〈構造主義〉は,それまでの20世紀思想の主潮流であった〈実存主義〉や〈マルクス主義〉をのりこえようとする多様な試みの共通の符牒となった。(荒川幾男)

1)言語学的方法

「親族体系は、一つの言語である。」(『構造人類学』

レヴィ=ストロースは、ソシュール以降の言語学において成し遂げられた新たな方法を、人類学の分析に適用した。
それは、「差異に基づく関係」として文化の構造を見る視点である。
言語は、「文」の構成要素である「語」という単位においても、その「語」の構成要素である「音素」という単位においても、「他との相違」によって意味を持つ恣意的なシステムである。(→ソシュールの頁を参照)

構造主義の方法
「音韻論の誕生がこの状況を一変させた。それは言語学の状況を一変したばかりではない。音韻論は種々の社会科学に対して、たとえば核物理学が精密科学の全体に対して演じたのと同じ革命的な役割を演ぜずにはいないのである。
トルーベツコイはこの学問の方法をほぼ四つの基本的なやり方に帰着させている。
まず第一に、音韻論は意識的言語現象の研究からその無意識的な下部構造の研究へと移行する。
それはまたを独立した実体として扱うのを拒絶し、項と項との関係を分析の基礎とする。
第三に、それは体系の概念を導入する。『現代の音韻論は音素がつねにある体系の要素であることを明言するにとどまらず、具体的な音素体系を明示してその構造を明らかにする』のである。
最後に音韻論は一般的法則の発見を目的とする。これらの法則は時には帰納によって発見されるが、「時には論理的に演繹され、そのことがそれらに絶対的性格を与える。』」
「言語学と人類学における構造分析」;『構造人類学』荒川幾男他訳より)

数学(群)的変換
関係性が多様な変形の過程を通じて不変であることを、レヴィ=ストロースは数学の変換構造を利用して解明する。
「私の考えるところでは、構造の名に値するためには、モデルはもっぱら四つの条件をみたしていなければならない。
第一に、構造というものは、体系としての性格を示す。構造は、構成要素のどれか一つが変化すると、それにつれて他の全てのものが変化するような要素から成り立っている。
第二に、あらゆるモデルは、一つの変換群―その変換の各々が族を同じくするモデルの一つに対応する―に属しており、その結果、これらの変換の集合がモデルの一群を構成する。
第三に、右に述べるような特性は、モデルの要素の一つに変化が起こった場合、モデルがどのように反応するかを予見することを可能にする。
最後に、モデルは、それがはたらくとき、観察されたすべての事象が考慮に入れられるようなやり方でつくられなければならない。」
「民族学における構造の観念」;同上)

トーテミズムの分析
「トーテム信仰(氏族)」と呼ばれる未開社会の現象がある。「トーテム・ポール」の「トーテム」である。
例えば、九州地方に「熊本」という部族がある(笑)とすると、そのトーテムは熊であり、熊を崇拝し、自分たちの先祖は熊であると信じている。日常においては熊は食べてはならないが、祭りのときに熊の肉を食べたりもする。また熊族の間では結婚も許されず、互いに戦うことも許されない。
トーテムには、カラス族や、バラ族や、カミナリ族などがあったりする(笑)。
これは何を意味するのか、人類学者の難問であった。
レヴィ=ストロースの結論だけを言えば、トーテミズムとは人類学者が作り上げた幻想である。
それは差異を表わすシンボルとして選ばれたものにすぎない。
「トーテム制度が援用するのは、社会集団と自然種[動植物の種]の間の相同性ではなくて、一方で社会集団のレベルに現われる差異と、他方で自然種のレベルに現われる差異との間にある相同性なのである。それゆえこれらの制度は、一方は自然の中に、他方は文化の中に位置する二つの差異体系の間の相同性という公準の上にのっている。
自然 ; 種1 ≠ 種2  ≠ 種3 ≠ ……… 種n
         |    |    |
文化 ; 集団1≠集団2≠集団3≠………集団n」
(「トーテムとカースト」;『野生の思考』大橋保夫訳)


2)交換としての社会

未開社会において、交換は、贈り物という形態でなされる。それは、提供、受容、返礼という三つの義務からなる。
婚姻は、女の交換のシステムと考えられる。(そこに近親相姦の禁止が生まれる。)
さらに、社会そのものが、<言葉、物、女>という三重の交換のシステムと考えられる。

マルセル・モース『贈与論』(1925)の要約
1)未開社会では、交換は取引の形というよりむしろ互酬的な贈与の形のもとに現われる。
2)これらの互酬的な贈与は、我々の社会においてよりも未開社会において、はるかに重要な位置をしめている。
3)この交換の原初形態は、ただ単に経済的性格にとどまるものでも本質的に経済的な性格のものでもなく、適切にもモースが「全体的社会的事実」と呼ぶところのもの、つまり、同時に社会的にして宗教的、呪術的にして経済的、功利的にして情緒的、法的にして道徳的な意味をあわせもつ事実、を我々の前に示すものである。
レヴィ=ストロース『親族の基本構造』から)

クラ交換
マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』川田順造訳)
「クラとは、部族間に広範に行われる交換の一形式である。それは、閉じた環をなす島々の大きな圏内に住む、多くの共同体の間で行われる。…
このうちのひとつの品物は、つねに時計の針の方向に回っている。すなわち、ソウラヴァと呼ばれる赤色の貝の、長い首飾りである。逆の方向には、もう一つの品物が動く。これは、ムワリという白い貝の腕輪である。
これらの品物はそれぞれ、閉じた環の中を動いてゆくあいだに、種類の違ういろいろな品物と出会い、つねにそれらと交換されていく。クラの品物の移動、取引の細部は、すべて伝統的な規則と慣習によってきめられ、規制されており、また、クラの行事のいくつかは、念のいった呪術儀式と公的な儀式をともなう。
どの島でも、どの村でも、程度の差こそあれ、限られた数の男たちがクラに参加する―すなわち、財貨を受けとり、これを短期間所有して、それから次に送る。だからクラに関係するすべての男は、規則的にではないが、ときどき一ないし数個のムワリかソウラヴァを受けとり、それを取引相手の一人に渡さねばならない。その相手からは、交換の反対の品物を受けとる。このようにして、品物のどちらをも長期にわたって所有しつづけることはない。
この二つの品物を儀式的に交換するのが、クラの主要な、基本的な面である。しかし、そのかげに隠れて、これと関連した二次的な活動や特徴がたくさんあることを私は発見した。つまり、腕輪と首飾りの儀礼的な交換と並んで、原住民は通常の交易を行う。すなわち、その地区でも不可欠の日用品のうち、輸入しなければ手に入らないものがいろいろあるので、これらを島から島へと運んで物々交換するのである。…」

それ自体に意味(価値)があるから交換されるのではなく、交換されるから意味(価値)がある―というのが真実なのである。
我々の社会で通用している貨幣がそうである。貨幣が持つ価値とは、ただ「交換価値」という関係性のみである。
同じように、ソウラヴァやムワリも、交換されるという関係性において価値を持つ。

女の交換―婚姻体系
人類のすべての文化で、近親相姦の禁止(=インセスト・タブー)が見られない社会はない。
その「近親」というのが誰なのか、社会によって異なる。
特に多くの未開社会で、「母方の叔父」が重要な位置を占めるという場合があり(実例は略)、
また、同じイトコでも、
「平行イトコ」(父方の男の兄弟の子=父方平行イトコ、及び母方の女の姉妹の子=母方平行イトコ)と
「交差イトコ」(父方の女の姉妹の子=父方交差イトコ、及び母方の男の兄弟の子=母方交差イトコ)とが区別され、
一方(特に前者)との結婚が禁止されている(そしてもう一方(特に母方並行イトコ)との結婚が奨励される)場合も多い。
これはラドクリフ=ブラウン流の機能主義(説明は略)では解明できなかった謎である。
こうした人類学の難問に、明快な回答を与えたのが、レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』である。
そこで、レヴィ=ストロースは、婚姻体系を<女の交換のシステム>として説明する。
(続く)

親族構造の分類 

基本構造 限定交換 双方交差イトコ婚
一般交換 短いサイクル 父方交差イトコ婚
長いサイクル 母方交差イトコ婚
複合的構造 基本構造の複合または変形

 3)神話の構造分析 

    (続く)


参考文献
構造主義の一般的な入門書としては、
橋爪大三郎『はじめての構造主義』(講談社現代新書)
内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)

レヴィ=ストロースの一般的な入門書としては、
吉田禎吾・板橋作美・橋本満『レヴィ=ストロース』(清水書院 センチュリー・ブックス)
小田亮『レヴィ=ストロース入門』(ちくま新書)


→ソシュール
→フーコー
→ラカン

→村の広場に帰る