うちゅうぢんのラジコン飛行機遍歴
いままでの歴史を振り返ってみます。一部はしょったもありますが。(あ!言わなきゃいいのか...)
文章ばっかで、しかも長文。申し訳ありません...
でも、もしかしたら、文の中にためになることがあるかも。(ないか...)
1 ユニオン280チャンピオン(1機目) 高校生の頃
初めて入手した機体。飛ばしてみたら、飛ばなかった。(即、大破。寿命はウン十秒だった。)
2 ユニオン280チャレンジャー 1の直後
模型屋のおっちゃんに素直に相談したところ、「最初ははずかしがらずに入門機。これをやらなきゃ始まらない。」とのこと。
今度は近所の河原でたまたま飛ばしていた人にお願いして、上空に上げてもらい上空飛行から練習。
いとも簡単に飛んでいる。チャンピオンはいったいなんだったのだろう、と言う気持ち。
3フライト目には、自分で手投げ離陸〜上空〜軟着陸(笑)まで、かろうじてできるようになった。
教訓:飛行機は飛ばなければ飛行機ではない。最初はかっこよりも、まず飛ぶこと。
3 ユニオン280チャンピオン(2機目) 2のしばし後
チャレンジャーで2ケタ台のフライトを経験した後、懲りずにチャンピオン。2機目。
これがまたいとも簡単に飛ばせる。 いや、1機目はなんだったんだ。
基本の大切さを痛感した。物事には順序というものがあるんだなぁ。
4 テトラ ルーキー10 3から2年後
5 テトラ バレリーナ4C−20
ここらで、ジャンプアップ。チャンピオンもボロになってきたので、次の機体と思い、エンジン機に手を伸ばす。
どちらも非常に作りやすく、また飛びも素直な機体だった。バレリーナは水上機にもチャレンジ。
何度か落として壊しもしたが、バルサ機は比較的簡単な修理できれいになる。よくがんばってくれた機体たちだった。
この後、就職し実家を出て4年ばかりはRCも休んでいて、ふとしたきっかけでRC復活して、家に帰ったら
親父がひとこと 「あぁ、おまえの飛行機、邪魔だったから、先月知り合いに売ったから。」
がーーん!!
すべての機体もプロポも無くなっていた。しかも売った金は結局、親父のポケットへ。
まさか、こういう別れが待っているとは....
6 ユニオン280チャンピオン(3機目) 20代も後半になりました。
転勤もあり、RCもしばらくやっていなかったある日、転勤先の上司が
「電動のRC飛行機をやったことあるけど、あれは飛ばないね。」
「なにぃ?!飛ぶぞ!!電動は飛ぶんだ!」
「ウソだぁ。見た事無いよ。電動が飛んでいるところ。本当ならやってみたいけど。」
「ようし!見せてあげましょう。そのかわり、飛んだら電動始めて、いっしょにやりましょう。」
といういきさつで、急遽チャンピオン購入。(上でいっている、ふとしたきっかけである。)
みごとな飛行でこずかいの少ない上司にRCをはじめさせた。もちろんチャレンジャーから。
その後その上司(係長)のほかにさらに上司(課長)も仲間になり、みんな上手に飛ばせるようになった。
ちなみに、チャンピオン3機目は、上空で鳥をいぢめていて反撃に会い大破。壮絶な最後だった。
みなさん、自然を大切にね。(この後、また転勤によりブランクが空く)
そして、現在の飛行機たちへと続く..... ちなみに現在私は三十路に入っています。