★ここでは一人称が「私」「僕」「俺」「自分」などとその時々によってブレます。ご了承下さい★
2009年
1月31日
★生暖かく風が吹いてその風に水滴が混ざっている。嫌な天気。週末なのになぁ。★今日の未明に写真月間の参加申し込みをした。少し写真に対してテンションが下がっているのだけれど、構想だけは山程ある。だから何か作品が作れるかと思い参加する事にした。★それをやれば新しい展開があるかも知れないのに、それをやらない理由を探すのはなにか正しくないように思えてならない。確かに人それぞれだから勝手にすればいいのだろうけれど、自分は嫌だな。★今日で一月も終わり。二月もどうせあっという間だ。やれやれ、毎年同じように時の流れの速さを嘆いている。★久しぶりにNHKの「探検ロマン・世界遺産」を見た。バスクのビスカヤ橋だったが、いやぁ世の中全然知らない事はいくらでもあるものだと思った。なかなか目からウロコ。まだまだ知らない事が多くあって面白そう。
2009年
1月30日
★久しぶりに大阪市内らしい小振りの握りを頂いた。寿司はものごころついた頃から35歳くらいの頃まで、天満の伊勢家という寿司屋で食べていた。美味しかった。ところが、倅が充分店を継げる程になるまえに大将が亡くなり後を追うように奥さんも亡くなり、お婆さんと倅が残ってしまった。店は閉じられてしまった。同じすし飯、同じタネなのに、大将が握る寿司と倅が握る寿司では味が全然違う。このときに初めて「職人技」というものがあることを認めざるを得なくなった。それまでは寿司など飯とタネが同じなら味は同じだなどと嘯いていたが、それは全くの誤りで自分の不明を恥じたものだ。この店が無くなってから殆ど店で寿司を食べた事がない。話が逸れたが、頂いたお寿司は小振りで飯とタネのバランスも良くて大変美味しかった。日頃は阪神地下のロボット寿司ばかり食べているので、とても満足できる食事になった。

2009年
1月29日
★暖かい一日仕事はそこそこ、眠くて仕方がない。★ぼうっとする頭でこの閉塞された状況の社会を思っていた。ふと"oh Le Joli Mois de Mai a Paris"と歌うフレーズが頭をよぎった。確か加藤登紀子が歌っていたなぁ、そうだ「美しき五月のパリ」だ。1968年のパリ五月革命と言われるゼネスト。ドゴールを退陣直前まで追いつめた。それでもさして世の中は変わらなかったが、何かできるかも知れないという実感くらいは残っただろう。現代の日本人にそういった争乱は出来ないだろうが、せめて選挙権を駆使して何かを変えようとするくらいの事はしてみたらどうか?派遣労働者が「切られた!」とかまびすしいが、彼らのどれくらいがきちんと自分の選挙権を行使していただろうか?次回の選挙にはきちんと票を投じて欲しい。★経済学者の中谷巌が自らの主張は間違いであったと懺悔した本を書いてまた儲けている。彼は「コミュニティ」の崩壊を嘆いているが、コミュニティは崩壊していない。旧来の地縁血縁から派生するヒエラルキーのあるコミュニティが、自立した個人のネットワークに変化しただけだ。旧来のコミュニティは崩壊して良い。コミュニティは生まれ変わろうとしているのだ。
2009年
1月28日
★まことちゃんハウス勝訴。当然だろう。そんなに酷いものではない。むしろ電柱や電線、マンホールや側溝、溝蓋、それから住宅の石積…最近はキャバクラでもやってんのか?と言うようなえげつない趣味の建て売りも当たり前に立っている。もっともっと先に排除すべき汚いものがあるだろう?と思う。「なんじらのうち、罪なきものまず石をなげうて」★田園調布の思い上がったような住民団体の代表が偉そうにたわごとをならべていたが、哀れだった。田園調布といえども汚い架空線が張り巡らされ、道路も汚いただのアスファルト舗装。その程度の環境で偉そうにする了見が悲しい。いつだったかお高いスポーツカーに乗っている学生時代の友人に自分のシトロエンをボロカスに言われたが、スポーツカー同士ならいざ知らず、用途の全く違う車を比較してどうしようというのか?なんとまぁ貧困なメンタリティと呆れたが、後で調べてみると案の定彼は人生につまずいているようで幸福ではなかったらしい。これも田園調布と同様に哀れな話だ。
2009年
1月27日
★しかし麻生総理大臣がここまでアホだとは思わなんだ。ほんとにまぁ、なんていうか、安倍よりも福田よりももっと悪いじゃないかって感じになってきている。経済対策はもちろんの事だけれど、外交だ。我が国外交の毅然としない態度は、やはり外国からなめられていると一般の人が思っても仕方がないだろう、そういう苛々のマグマがどろどろにとけて圧力が高まっている。田母神元幕僚長が結構な人気だ。彼の言っている事は誤認によるすかたんが多い。しかし外国に対して「腰抜け」の日本外交に苛々を募らせている連中の琴線に田母神の言葉は触れるのだ。これはとても危険なことだと思う。ナチスドイツが良い例だろう。ヒトラーはなにもクーデターで政権を握ったわけではない。正当な選挙で選ばれたのだ。田母神は次の選挙で出てくるかも知れない。こういう単純な奴の言動は甘美で大衆は乗せられやすい。厄介なことにならなければいいが。その前に我が国は外国に対して毅然たる態度をとって対峙すべきであろう。特に周辺諸国。特に領土問題。南樺太と全千島は我が国のものであるし、竹島など領土の侵犯であるから自衛権を発動すべきだ。尖閣諸島においても当然の事である。まずは自分の家をしっかりと守ることが必要なのではないか?
2009年
1月26日
★ガキの頃から植木等が好きだった。「スーダラ節」を歌って親に叱られた。実際のところ頭は大して良くはなかったものの、悪知恵は働き、そこそこ要領よく、それこそ無責任で調子の良いガキだったので、大人には散々嫌われたものだった。だから今も大人は嫌いで、大人ぶっている奴を見るとからかいたくなるし、真面目であることもあまり好きではない。ところが自身は50目前のオッサンであることには変わりないのだから、もはやガキでも青年でもない。どこにも落ち着き場所がないのだ。ただの馬鹿とも言えるか?しかし要領が良いと言うことは天性のものではなくてそれなりに知恵を絞った結果のものだったのだ。ところが世の中は、要領の良い者は不当な評価しかせず、要領の悪い不器用な者の肩を持つ。それっておかしくないだろうか?アガサ・クリスティの小説にはよく馬鹿を装った女が登場し、クリスティはそれを辛辣に描いているが、彼女も要領の悪い不器用な者の肩を持つ世の中を強く批判し、嘲け笑っているに違いない。プリミティブであることは罪だ。無邪気であることも正直であることも素直であることもそれはイコール馬鹿という事であって何ら自慢できるものじゃないはず、なのに世の中なぜそう云うことに価値を置くのかさっぱりわからない。つまり世の中というのは馬鹿の集団と言うことなのだろうか?まぁ、どうでもいいけれど、自分は遠慮させて頂きたい。★俺はこの世で一番/無責任といわれた男/ガキのころから調子よく/楽してもうけるスタイル!/たまに会社にいても/デスクじゃいつでも居眠り/遅刻に早引けするやつに/それでも社長になった!/人生で大事なことは/タイミングにC調に無責任/とかくこの世は無責任/こつこつやるやつぁご苦労さん!とまぁ歌にあるのだけれど、結局この歌の意味は調子の良いやつを礼讃するのではなくて、そう云う奴が跳梁跋扈し奴等を重宝する世の中を皮肉っている訳だろう。でも、もう一度ひっくり返せば、コツコツグズグズなんてしてないで、快刀乱麻の如く切れよく立ち回れるように努力しなさいと言っている訳です。私には後者のように聞こえる。ぐずぐずと時間をかけて一品ずつ朝食を作っていないで、三つの鍋を同時に鮮やかに使いこなせるようになるべきだし、そう云う人を尊重するべきだと思うね。
2009年
1月25日
★朝から雪が降って寒い。空は鉛色、路面はウェット。走りに出かけたいが路面が乾くまで待つことにする。★走り始める。寒い。今日は気楽にあちこち立ちよって動画を撮影したり昨日仕入れたGA645iで撮影したりしてとぎれとぎれに走るからちっとも暖まらない。こう云うときはあんまり薄着ではいけないなぁ。★廃校となり廃墟となりつつある出身高校で少し撮影。なかなか良い感じに朽ち始めている。取り壊しが始る前にグラウンド使用者にまぎれて本格的に撮影をしておこう。朽ちて行く姿を見るのは辛いという声が多いが、私はこうやって自分と共にゆっくりと朽ちていって欲しいと思う。自分の死んだ日に屋根が崩れて抜けたなんてステキな話しだと思うが。★相変わらず昨日から老いること死んで行くことを考えるという行為を引きずっている。どうしても頭から離れない。だってそうでしょう?日に日に不自由になり醜くなり壊れて行くのだから。誰が何と言おうとそれが自然だと云おうと老いは醜くないよと云おうとそんなもの信じないね。

2009年
1月24日
★トレーニングで走りながら「お爺さん(立場ではなく年齢的肉体的に)にどういう風になろうか?」とぼんやり考えていた。50歳になると言うのは想像していたよりもずっと強い恐怖感を感じる。どんなに元気であっても残っている時間はさしてないのだ。否、もはやもう時間は使い果たしたと言う感さえある。もう全く若くはない、現在完了形で「歳を取ってしまった」訳だ。口では色々言うものの気持ちの中では何もかも終わった感じがする。今さら何を?と云う感じだ。この先に夢も希望もなくただ死ぬまでの時間を食いつぶして行くだけだと思う。今までの経験や記憶を整理し、保存と破棄をくりかえし、未だ修正の効くものには修正をかけ、やり残しは完了させる。辻褄を合わせ始末を付ける。つまりそう云うことだろう。若い頃に比べてすっかり衰えた容姿と記憶力と想像力と柔軟性、気力も体力も胆力も知力も、すべてもう現在完了形で「老いた」。何もかもどんな風景もシチュエーションも老人の自分には似合わないような気がする。今年いっぱいくらいで「終わり」だろうなと思えて仕方がない。このまま実体のない黒い影になってしまいたい。★実にネガティブなことを考えながらいつものコースを逸れてカメラのキタムラへ赴く。縦位置デフォルトのフォーマットであること、薄く軽量でフルオートマティックであることを求めて、今さらながらフジのGA645を買った。スーパーセミイコンタやペルケオのコンパクトさはないものの、軽装備の時の小さなワンショルダーにもフィルムと共になんとか入る。今年はあまり6×6にも拘らなくなりそうだし、ますます左右の視野も狭くなってきたように思うし案外16枚撮りの6×4.5が良いかも知れないし、いろんなカメラを使ってみたいという欲も手伝っての事だ。自転車用の薄いザックにも問題なく入って快適。こりゃぁ楽しくなりそう。新しいカメラを手に入れたときはいつもそうなんだけれど。
2009年
1月23日
★昨日の風邪薬が残っているのか倦怠著明。★古いMTBを輪行しやすいように少しパーツを取替えたものがあるのだが、たまたまその使っているパーツがほんの少し部品を取り払って軽量化できるとネットで読んで、その作業に取りかかった。小さなパーツ一つだしあっという間の作業だが、随分とステム周りがすっきりした。輪行のしやすい春に備えて、ずっと懸案になっている折りたたみ自転車のハンドル周りの改善も考えたい。★一昨日米大統領就任式に集まる人間を下等動物などとボロカスに書いたけれど案の定こう云うことになっているという喜ばしいニュース。http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090123_trash_after_inauguration/わかっていてこれ見よがしに云うが、まぁそんなものだろう。これがジョン・レノンの集会か何かだったらもう少し違うのだろうか?★リスペクトというのはお互い様だろう。一方的なリスペクトもあるだろうけれど、立場が同じなら相互にリスペクトするべきだ。
2009年
1月22日
★先週来すこし気になることがあって余り眠れなかった事に加え、今週も夜更かしなご家族の皆さんの影響で寝不足。あきらかにそれが原因で昨日はトレーニングもしんどいばかり。不味いなと思っていたら案の定今朝になって喉が少し腫れてきている。すぐに風邪薬を飲んだがさて効くかどうか…★だいだい昨日はトレーニングが嫌で仕方がなかったし、やたら生姜湯が飲みたくなるし、これはヤバスと思っていたので。22時過ぎには早々に眠ってしまい今朝の7時半まで寝ていたのだが、それでもダメだ。生姜湯と一緒に昨日のうちに風邪薬を飲んでいたら何て事はなかったのかも知れない。★ところで先日、エビのチリソース煮を作るのに片栗粉がなかったものだからそこら辺にあった浮き粉で代用したら、やたらぱりぱりな衣になってしまってぱりぱり好きの自分としてもなお食感が悪い。そこからヒントを得て、昨日はかき揚げを作るのにてんぷら粉に浮き粉を足してやったら、これがまた上手い具合にぱりんぱりんに揚がって冷めてもぱりぱり。味は多少劣るようにも思えるもののこりゃぁええわいと大発見をした気分だった。ネットで検索するとどうもスポンジを焼くのに浮き粉を小麦粉にまぜるようだ。てんぷらには片栗粉を混ぜろと書いてある。そう云えば浮き粉は明石焼きを作るために買ったもので、明石焼きはあのふわふわにするためには浮き粉が必須だとのことで買ってあったのだった。★ところで昨日はてんぷらを揚げるのにIHの自動温度設定は使わずに菜箸を漬けてみるという実にクラシックなやりかたで温度の目安を付けたのだが、どうもこちらの方が良かったみたいで、珍しくもきれいに揚がった。フルオートも便利だけれど、臨機応変の対応はやはりマニュアルだ。どちらがよいと云うものでもない、どちらも必要なものだ。
2009年
1月21日
★オバマ米新大統領の顔を見ているとどういう訳かModern Jazz Quartetを思い出した。別に彼がミルト・ジャクソンに似ていると云うわけでもないのに。★就任演説はまったく大したことはなく、むしろこれから先の米国民の失望と後悔を暗示させるものであった。彼が選挙運動中に口にしていた"CHANGE"はさっそくここで反古にされた。過去の大統領と何ら変わりのない姿勢、変わったのは有色人種が大統領になったと云うだけのこと、アメリカは変わる事はできないのだ。馬鹿らしい、こんな茶番につきあって大騒ぎする世界のなんと愚かしく見えることか。★そしてこの就任式に集まってきた人々の顔を見るが良い。彼等の目の何処に知性が宿っているだろうか?このての政治ショーを楽しむ人達の目は、世界中で驚くほど酷似している。小泉の演説に群がっていた連中と同じ顔、同じ眼の光だ。下等動物には個の多様性がないが、全くその通りに思える。★大騒ぎしている海の向こうの方々にまさにこの歌詞をお贈りしたい。"Your daddy's rich/And your mamma's good lookin'/So hush little baby/Don't you cry"合掌。★ジャズというものを少しでも聞くようになったのはこのMJQがきっかけだった。それまではさしたる旋律のないとらえどころのないようなこの音楽がよくわからなかった。MJQは1981年だったかに武道館で再結成コンサートをやったのだが、1982年の年末に僕は卒論の現実逃避からバックロードホーンを造っていた。20cmフルレンジ二発のものでかなりのボリュームがあったが。エイジングをしてからFMでこのリユニオン・コンサートの放送があったかテープで聞いたかだったのだが、ベースの弦の震える音まで聞こえる。演奏は緊張のためか前のめりで走る"Softly, As In A Morning Sunrise"に電撃が走り"Cylinder"で震え"Summertime"で泣きそうになった。「俺はこんな音楽を今まで知らずに来たのかっ!」とその時は思った。だがしかし、その後さしてジャズにのめり込むことなく、他の多くの音楽と同じように楽しんでいるに留まっている。きっとあのときは神経がたっていたんだろうし、聞いたこともないような高い分解能のスピーカに感動していたのだろう。同じ時に草月ホールでのジュリエット・グレコのライブもこのスピーカで聞いて感動したのを覚えている。つまりはこのスピーカーがよい音楽に引き合わせてくれたのだろう。また造ろうかな、バックロードホーン。
2009年
1月20日
★ああやっぱりカメラが好きだ。自分は写真好きではなくてただのカメラ好きだと云われても当然だ。写真はカメラを触った際に生成される副産物・排泄物に過ぎない!などとアホなことは云わないが、やはりカメラというものは楽しい。無論、フィルムも沢山使っているし、印画紙も沢山使っている。それらのストックも専用の冷蔵庫を一つ買ってたっぷりとしてある。薬剤もなにもかも常に揃えて切らす事は無い。写真展にも出品しているし…とりあえずアマチュア写真作家としては恥ずかしく無い程度の活動をしていると云うことで、カメラ好きを容認して!と誰にともなく言いたい。★不味いなぁ、実に不味い。今年は写真についてはテキトーにあるがままに自然に任せてと思うと、途端にカメラだの自転車だのに目が向いてしまう。どちらもとても高価だし、このまま放蕩を続けているといずれ破滅は火を見るよりも明らかだ。しかし日々のストレスに耐えるためにはカメラと自転車とガスター10と××が必要だ。生きて行くためなんだから仕方がない。でもそのために破滅したら生きて行くためにやったことがかえって生きて行けなくしてしまっていると云うことになる。とかくこの世は生きにくい。★と云うことで前置きが長くなったがGA645i欲しい。半年くらい前から縦位置デフォルトで持ち出しやすいセミ判カメラを詮索していたのだが、最終的にはパールかスーパーセミイコンタだなと云う結論に達した。しかしどちらも古いカメラで程度の良いものは高い。特にセミイコンタは高い。しかもクラシックカメラだから使うのも些か面倒かも?と思って結局現代的なカメラにすることにした。そこで候補に上がったのがGA645iだった。一度実物をみてから考えようと思う。
2009年
1月19日
★大阪写真月間。参加するかどうか迷っていたが、参加することにした。せめて年二回くらいの大きなイベントに作品を出せないでいては「写真やってます」などと大きな顔をして言えなくなってしまいそうだし。★ここ数日ずっと一つのことを気に病んでいるのだが、なんとかこれを頭の中から追い出したい。価値観や目的意識や社会性が根本から違うんだからそれを認め受容しないといけないと思う一方、どう考えても間違っていてこのままではダメになるので止めさせたいという気持ちとが拮抗し交錯してしんどい。★長崎へ行きたいなぁと思う。一つにはカステラが好物で、彼の地には多くの食べ物の意外なところにもカステラが登場するという話しだからである。路地も好きだし坂も好きだし路面電車もあるし。好物カステラはもとよりちゃんぽんなどもあるし、まぁ好きなものがメジロ押しになっている街なので行ってみたい。★そう云えば今日は万博公園の太陽の塔が、二十世紀少年の映画の宣伝だったか撮影のためだったかで「ともだちの塔」に改装されているのだった。天気も悪くなかったし会社をサボって見に行けば良かったな。面白そうなことを逃すとホントに自分の間の悪さを感じる。
2009年
1月18日
★天気が悪かったのだが朝から走りに出る、が寒い。ここのところの寝不足からかなかなか調子が出ない。非常にスロウなスタートになった。過去の日記を当たってみると、だいたいこの1月というのは体調を崩している事が多いようだ。今年はいまのところ息災。なんとか春まで息災に過ごせたらと願わずには居られない。★いろいろ考えるのだがよく考えてみれば考えて答えを出したところで、それが自分でどうにかなるのは自分の事だけだ。自分の事以外はどうにもならない。ここのところとある事…ネット上に公開されている事なのだが…について考えているのだが、それは自分がどうにか出来る事ではない。どうにか出来るのはそれと自分との関わりを再考する事だけだ。そしてその答えを出す時がそろそろ来ていると云う事も事実だ。★NHKの番組が論議を呼んでいるらしい。NHKは多様な「性」の在り方に寛容な態度をとっているはずなのに、この番組で男女にしか分けないのはおかしい、というものらしい。なるほど。しかし文化的には様々な性があるだろうが、科学的、法的には今のところの男女しかないんじゃないだろうか?切り口が違うのに批判するのも変じゃないかと思える。★まぁいろいろ考えるのだが、考えても仕方がない事も多い。あまり自分の外の事を考えず、自分自身の在り方というものをよく考えるべきだと言う事だろう。淡々とした毎日を送るしかないと言う事だ。もしくは、そうではない世間のなかで生きて行くかということ。
2009年
1月17日コビ14歳
★今日はコビの14歳の誕生日だ。"The Prelude Of Black Legend"というホンダの車が二台入っている名前の小犬がやってきたのは震災後の春。伊丹空港へ引き取りに行った時はケージの奥で怯えて動かなかった。ゲロまみれの小犬をケージから引きずり出して空港の駐車場でペットボトルの水を使って少し洗い、BXブレイクのリアシートをたたんでそこに置いたドッグベッドに乗せた。FM802はISRAEL KAMAKAWIWO'OLEの"天国から雷"を流していた。穏やかな4月の日だった。それから14年、痩せて耳は少し遠く足腰は随分と弱ってしまったものの、食欲は旺盛で元気に過ごしている。これから日一日を数える事になるだろう。日向でうつらうつらする犬のように穏やかで平和な時を過ごして行きたい。平穏を脅かすものには狂犬のように噛みついて遠ざけて行きたい。★私が生まれたのは前の戦争が終わってから14年たった年で地震から14年後の今年と同じような時間が経っていた感覚だ。地震への備えは個人的にはしているし常に意識もしているが、しかし自分としてはもう地震の事は歴史書に記載して整理する時期が来たと思っている。

2009年
1月16日
★ここのところたてづつけにM6でフィルム装填をミスっている。今朝もまたミスってしまったことに気付き愕然とする…が、まぁ、あんまり使っていないからだろうと云うことで、5分くらいで立ち直る。執着が解けたのかそれとも痴呆が進んだのかあんまりくよくよともしない。これは悪くない気分だ。M6の装填ミスというのは、パーフォレーションがきちんとスプロケットにかかっておらず、中途半端にひっかかっているだけで、巻き戻しクランクを回したらひっかかっていて動かないのだか、しかし巻き上げてもいないという現象だ。これは底蓋をあけたままフィルム送りをちゃんと確認していないから起こるミスで、フィルムをケチらずにせめて一コマでも巻き上げて確認すれば起こらないミスだ。ウルトロンのテスト撮影まるまる一本パーだ。★人にはそれぞれのやり方というか生き方があるのだなと改めて思った。それが明らかに誤りでも他人が口を挟んだところで改めはしない。それは相談業務をしていたときに思い知っているはずでは無かったのか?それをいま思い出した。助言を求められても相手を見てするべきであって、殆どの人は最初から答えを用意しており、それを誰かに追認して欲しいだけなのだ。忘れてはいけないことを忘れていたようだ。思い出した事を幸いに、ここでもうけじめを付けよう。人は体験からしか学べない生き物なのだろう。体験して学べばいい。
2009年
1月15日
★新しいカメラやレンズを手に入れれば一時的かどうかは解らないにしても随分とそれで撮影する気は起こるものだ。アルティッサやピオニールのようにマイブームが随分と持続するものもある。件のウルトロンのおかげで今日も仕事にライカを携行し、移動中に二本撮影した。もっとも今日はウルトロンではなく「使いこなさんことには元が取れん!」とケチな根性のために無理して使っているズミクロン8枚玉だ。ほんとにこの8枚玉というのは難儀なレンズで、神話が広く流布されているので使い手よりもレンズの方が偉くて、おおっぴらに批判などするとたぶん「お前が使いこなせないだけ」と手厳しい言葉が返ってくる。だからこそ意地になって使ってしまうのだが…。そのうち「やはり8枚玉は違うね」とけれん味たっぷりに言ってみたい、いつ言えるのかまったく解らないが。★本日1シーンだけ手応えのあるものが取れたかも。でもそういうときって大概裏切られるものだ。
2009年
1月14日
★先日ライムライトで耳さん、遠藤さんに「ライカスクリューでこれ一本って35mmレンズ無いでしょうかね?」と尋ねてみたら異口同音に「ウルトロン35mmF1.7でしょう」とのこと。そうだったのか…と言う事で、ひとの勧めには乗ってみようととりあえず買ってみた。大分前に無理して買ったASPHでスクリューマウントのズミクロンも当初はいいと思ったのにすぐに飽きてしまい、あまり出番はなかった。そのうちに「ズミクロン・シリーズの35mmはもしかして相性が悪いかも?」などと"あのぶどうは酸っぱい"と言い始める始末。久々のテコ入れとなった。このレンズ、ピントはローレットだけなのでとても使いやすい。今年はおとなしくしているつもりだったがそうも行きそうにない雲行き。★少し疲れ気味だったが夜に出かけたら元気が出た。そんなものなのだなぁ。
2009年
1月13日
★昔のことを考えていたのだが、今は臭いや味や刺激の強烈なものを随分と食べるようになったなぁとふと思った。「不許葷酒入山門」とお寺の山門に警告がなされているが、当時は世間もまだまだそんな感じだった。にんにくはもちろんの事ニラも殆ど食べなかった。当然焼き肉は食べないしキムチも当時は朝鮮漬けと云ってまだまだ変わった食べ物だった。随分変わったなと思う。別に朝鮮半島の食べ物や食文化を否定するつもりはないが、あの臭いと味の強烈な食べ物をのべつまくなしに食べたがる人が多いのには閉口する。その最たるものがお花見に焼肉をやっている連中で、花見の宴に朝鮮料理はそぐわない。日本酒でさえ臭くて邪魔なのに、もうもうと上がる煙ににんにくの臭い…そぐわしい場所でならたまらなくなる良い匂いも、桜のもとでは鼻の曲がる臭いだ。同様にアジア中東各国のエスニック料理はそのどれもが強い香味を持っているので、他国の料理や和風の雰囲気と馴染むものではない。臭いや味の強い各国料理を食べるようになったのは悪くないことだ、しかしそれがその場の空気を悪くすることもあるのだから、その場の食事はとりどりではなくて食文化的に統一されている方が好ましい。歳を取ってきてますますそう思える。
2009年
1月12日
★午後からネットの友人と新年会。時間を忘れて夜までノンストップで喋り続ける。話題が次から次へと変わって途切れることがない。★最近「因果」ということをよく考える。こう云う状態に至ったのはこうだったからだ…と云うような。よく人を評して「こうだったらもっとこうだったのに…」なんて事を言うが、結論はいつも同じで「それが出来ていればこう云う状態にはならなかった」って事だ。かならずそこには因果がある。だから人は自ら気付いて変わるしか悪い因果を抜け出すことは出来無い。最近話題の派遣切りでくびになったひとびと。ネットでは「仕事を選ばなければいくらでもあるはず」と手厳しいが、そもそもそんなことを考える力があれば、派遣労働者なんかになっていない。だから本人が自分を変えない限り抜け出せない。でも自分を変える力があればそもそもこんな状態に追い込まれていない。だから彼等に関しては「無条件に救う」か「のたれ死にを看過する」しか無い。自分も大概ええ加減な人間だけれど、世の中には本当にダメ人間ってのが居るわけで、自分ではどうしようもできない人々がいるのだ。自分でどうにかしようと云う気を起こす力さえない人間が居ると言うこと。だからこそ「社会福祉」というものがある。元社会福祉労働者である自分から見ると、社会福祉のひとってほぼ二種類しか居ない。脳が煮えているか凍っているかのどちらかだ。平熱で脳を動かしている人は少ない。ネット世論もそれとそっくりに思える。
2009年
1月11日
★冷たく晴れ上がった。寒くて結構躊躇したが意を決して走り始める。昨日見送った瓢箪山稲荷神社まで自転車の走行安全祈願の初詣に出かける。往路は強烈な向かい風で往生する。鼻水は出るわよだれは出るわで到着した頃にはもう顔がめちゃめちゃ。それでもゆっくりとお参りをすませ、おみくじを。聖天さんの時と同じ「吉」今年もそこそこ息災に走れるという事だろう。無茶や無理を避けてしかし努めて走ればそれなりの結果が出るという事か。「めでたさも中くらいなりおらが春」一茶。瓢箪山では商店街に多くあるたこ焼きでも食べようかと思っていたが、なんだか開店前の店が多くモチベーションが続かずパスしてしまう。それと往路の向かい風=復路の追い風のあるうちにと気も焦燥る。復路は快適な追い風で無音の中を楽々走る。往路より時速にして5kmあまりも速く走れ、あっという間に帰り着いてしまった。★午後はライムライトへご祝儀をもって赴く。team94の皆さんが来られており、賑やか。その後耳さん遠藤さんも来られしばし歓談。ライカで1本、DP-1で三十コマほど撮影して帰る。阿倍野の再開発で広大な更地を歩道橋から見て驚く。大阪市内でこんな広い更地を見るなんて、埋め立て地を除けば現在大阪城公園になっている砲兵工廠跡地くらいのものだ。

2009年
1月10日
★瓢箪山稲荷神社まで自転車で初詣をしようと画策していたが、なんとも嫌な空の色、どうしようかと迷ううちに時間も経ってくるしって事で、友人と昼飯&ワインにする。あっさりしたもやしと豚の鍋には赤ワインは合わないなとか間抜けな事を言いながらそれでも赤ワインを飲む。2008年のメルローはもう半年以上寝かせた方が良いように思える。飲み頃は夏以降ってところかなぁと、偉そうなことを言ってみたりして?夏まではもっぱら白を飲むか、どこかに残っている2007を探して求めるかってところだろうか。自転車には乗れなかったがなんとなくいい一日だった。

2009年
1月9日「ライムライト」オープン
★今日は兒嶌秀憲さんのギャラリ「ライムライト」のオープン。駆けつけたいところだが、時間も余りなく今日は難しい。アニバーサリーを大事にするよりも実を取って、週末の休日にご祝儀でも持って行った方が良いだろう。★自宅の階段下納戸暗室の掃除を敢行する。敢行するが…あまりの荷物の放り込まれようにめげてしまい、とりあえず奥までの通路を確保しただけで終わる。歳を取ってきたせいかこの暗室を使うのもだんだん辛くなってきている。10年前にこの暗室で、初めての個展の作品を全部作ったなんて云うことがまるで夢のよう。もっともあのときはそれで一度体を壊しているから、あんまり自慢できたものでもないか。とにかくここをもう少し快適に簡単に使えるようになんとかしたいものだ。

2009年
1月8日
★仕事始めの一週間が長い。今週はなかなか終わらない気がするなぁ。★最近Amazonからのお勧め商品が実に的確になってきていることに気付く。それだけAmazonの利用が多いと云うことだろうが、なかなか傾向を掴んで上手い具合に解析しているなと感心する。同時に、自分も他の多くの人と同じような傾向の行動をしているのだと云うこともわかり、少し悔しいやら安心するやら。今回など、そろそろ無くなるなぁと云う消臭剤、はやいとこ買って使わんとなぁという液晶保護フィルム、もうひとつ購入しておかないとなぁという視度補正レンズなど、なんだかど真ん中ストライクを突かれた感じ。
2009年
1月7日
★生きて行くというのはとにかく何かしなくちゃいけないものらしい。当面のto doは納戸暗室の掃除。年末の大そうじでいろんなものが放り込まれて入れなくなってしまった。これではタンクにフィルムを装填することも出来無い。そして今日しなくちゃならないことは普段の洗濯とドッグベッドカバーの洗濯とサイズの違ったL.L.Beanの交換の発送と、最低1時間のトレーニングマシーンと…なんだかんだとあるなぁ、でもとってもささやか。ほんとに小市民の生活だ。
2009年
1月6日
★唐突だが、サッカー日本代表監督の岡田が大嫌いだ。あのインケツな貧乏神面を見るたびに虫酸が走る。あの男が監督をやっている限りサッカーは見ない絶対に見ないし実際みていない。日本代表は無論のこと、Jリーグも見ない。とにかくあんな嫌な奴の居るサッカーというスポーツはもう見ないのだ。悪夢のような日本サッカー界に合掌。でもまぁどうだっていいか。★年末に録り溜めたウルトラマン・マックスを見る。今さらながら意外に面白いじゃないか。実相寺監督も作っているし。時にウルトラマンシリーズの同窓会の様相を呈しているけれど、まぁこれもまた一興か。結構な俳優が出ているのにも驚き。
2009年
1月5日
★仕事始め、たった一週間の休暇では気分転換にもなりはしない。ああまた仕事かぁと思ってしまう。今の世の中仕事があると云うだけで幸いだと思えと言われるが、あればあるでこれまた不平を言うというのが人の性だ。やれやれ。★正直なところもうウンザリしている。何度目の不況なんだ?で、過去の教訓を生かしているのか?ドテッ腹にたっぷり金を貯め込んだ大企業が不況だと泣き真似をしている、その手下のマスコミは不況だと煽る、そのまた子分の評論家も不況だと煽る。かくして思考停止した大衆は「不況だ」と踊る。毎回これの繰り返しだ。金融を虚業だとは言わないが今の金融は虚業と云わざるを得ないだろう。無論実業とされているものにも同じ事が言える。どちらもカネをひっぱってくるものに価値があるという考えだ。それは間違いではないのだが、順番が問題で、まずは良質な商品を(金融商品も同様)を生み出すことを考え、それで儲ける。つまり、正しいやり方で儲けるということだ。サントリーやフジフィルムなどの大企業が効果の怪しいサプリメントや化粧品を作っていることは正しくない。渇すれど盗泉の水を飲まずではないけれど、フジが怪体な化粧品で女性を騙して得た金で作った印画紙なんぞ使いたいとは思わない。
2009年
1月4日
★正月休みの終わり=正月の終わりだ。商売人は常に先を急かせて世の中を塗り変えようとする。人々は簡単に乗せられて先を急ぐ。かくして余韻にひたるヒマもなく正月は過ぎて行く。なんという商売人=経済人の浅ましさ、そして簡単に騙される大衆の愚かさ。だが、一部の連中が大衆をコントロールできる時代は間もなく終わる。ネットによって大衆は情報を共有化し、政治家にも経済人にも騙されることがだんだん少なくなって行くだろう。★「年越し派遣村」は久しぶりに市民運動…というよりもファシリテーターの居る「一揆」かな…を見たような思いだ。これを火口に一揆の炎(ほむら)があちこちに上がってくれたらこんな愉快なことはない。
2009年
1月3日
★京都の両親宅を新年のご機嫌うかがいに訪ねる。甥や姪にお年玉をばらまいてまぁそれでお終いと云うことだ。★年末から始っているパレスチナ・ガザの紛争に心が痛む、同時に憎しみあうしか能のない連中に蔑みの気持ちも生まれる。宗教もこうなったら無力どころか害悪でしかない。とにもかくにも実力行使の紛争は罵り合い程度であっても止めるべきだ。絶対非暴力で話し合いを。そしてそのために両国民にマトモな教育が必要だ。そして宗教的に比較的ニュートラルである日本が仲介をなすべきであろう。我々には連中が憎しみ会いいがみ合う気持ちなどこれっぽっちもわからないのだから。だからこそ出来ることがあるのではないだろうか?
2009年
1月2日夜は寝ろ
★午後から友人達がありがたい名前のワインを携えてやって来て新年会となる。腹は足りてると言いながら肉料理を沢山片付けてくれる。料理はこうやって食ってもらえると本当に作り甲斐があると言うものだ。体に悪いだの何だのと言うが肉食動物はやはりアグレッシブだし、そう生きたいのなら肉を食うべきであろう。まぁ食べ過ぎたらいけないんだけれど。しかしこの4日くらいは肉ばかり食っていてさすがに飽きてきた。皆んなそうだったのか、蕎麦を出すとこれまたばくばくと喰ってしまった。ああ、悲しいくらいに日本人。明日はきっと白いご飯が食べたくなる事だろう。ご飯を炊いたりにゅうめんでも作って食べるかな。★友人達と忌憚のない話しをいろいろやっていて、珍しく意見の一致したところでは「夜は寝ろ」だった。無論、現代社会のシステムを支えるところでは眠るわけにはいかないのだろうが、夜中にも商売してやろうとかそれにつられて無駄な夜更かしをしている連中だとか、そういう連中に向けて言いたいわけだ。夜は寝ろ、昼は働け。TVなんてメディアはもうさしたる必要はないのだから夜中と日中は電波を止めろ。そうやってスリム化しないとTVなんて生き残れないんじゃないかと思う。もっとも生き残ってくれなくて良いけど。

2009年
1月1日謹賀新年
★あけましておめでとうございます。本年もひとつよろしくお願い致します。★新年早々やったことはトレーニングだ。体調不良でガタガタだった去年はライディングもめちゃめちゃだった。自転車に関しては何一つ良い事など無かったから、今年は少しでも良い方向へ進めようとする決意を込めてペダルを回した。風は冷たく晴れと曇りが交錯し暗い将来を暗示するような天気だったが、その空気の中を突っ走って行くのも悪くはない感じだった。何も考えずに自分の力だけで疾走するのは祈りに似てるようでもありまた座禅をしているようでもある。★昼から氷雨降る中、商売繁盛の祈願のために生駒聖天の宝山寺へ。ものごころ付いた頃から父に連れられて生駒山からの初日の出を見た後に宝山寺に参詣して帰るのがなわらしだった。初日の出は年々人が増えて、昔のようなおごそかな雰囲気も何も無くなってきたので、家庭を持った頃から行かなくなって久しかった。同時に宝山寺への参詣も途絶えた。が、数年前からまた、宝山寺だけでも参詣するようになった。参ってみたらご利益があったからだ。宝山寺は現世利益の信仰のメッカ。欲望のうず巻くある意味非常に俗っぽい場所でもある。お参りする方も欲得ずくで問題はない、そういう神さん(お寺なのに?)だからだ。★ここも世相を反映してか、ものすごい人出になった。お参りには並んだもののおみくじを引くにも長蛇の列。阿呆らしいので適当な数字を告げておみくじをもらった。なんとも凡庸に「吉」と出た。★今日はトレーニングにも初詣でにもGPSロガーを持って出掛けたが、やはりなかなかの性能を示していた。結構面白い。