2006年
9月30日
★朝のトレーニングで些細なトラブルに遭遇。切れなくて本当に良かった、犯罪者にならずに済んだ。★そのあと天神さんの古書市へ行った。繁盛亭が出来て五月蝿くなってしまうのではと危惧していたが全くそんなことはなく、相変わらず静かな賑わいだった。収穫はさして無く、小松左京の「空中都市008」と古い「定本・半七捕物帖」全5巻のうちの端本「日本万国博覧会EXPO'70公式ガイド」。半七は装丁がきれいだったので買ってしまった。万博はリアルタイムだったのにグッズは全て失われてしまったから。百円均一コーナーで寺沢武一の「コブラ」があったのでちょっと欲しかったが、漫画は必ず全部欲しくなるので帰ってからネットで注文することにする。フレクサレットでのどかな風景を少しスナップ。繁盛亭のために南森町はしばらく賑わいが続くことだろう、商店街にとっても良いことだと思う。何よりも落語専門の寄席と言う事が良かった。吉本の小屋などが出来てしまったら途端に辺りは子供の街と化してしまう。★早めに家に帰りなかなか読めない京極夏彦を読みにかかるがすぐに眠くなってしまいアウト。
2006年
9月29日
★今日のお別れ。生協個別配達の兄ちゃん、退職するとのこと。確か生協職員じゃなくて下請け会社の写真だったはず。プーになるけど次の仕事あるかなぁ・・・と。愛想が良くて気のいい男だし、きっと何かあるよ。しばらくはプーでいいじゃん。と言ってお別れ。もうひとつはWOWOW。出来たときからの契約だったけどst.GIGAもなくなりWOWOWもなんだか面白い番組も無くなくなってしまったし、CSやCATVで特徴のある局が出ているのだから、なにか強い売りがないと苦戦は続くだろう。あり得ないけれどst.GIGAが復活したらきっと契約するなぁ。★「だだっちゃ豆」という東北の美味しい枝豆がある。香りが非常に良くて例えればバターポップコーンの香りだ。もっともあの高慢ちきなフランス人風の言い方をすれば「犬の足の裏の匂い」である。ついでに犬の頭は「昆布茶の匂い」だ。もひとつおまけに醤油あられは「猫の糞の匂い」である。そうか、こういう汚い例えをすればあの高慢ちきなフランス人風になるのだな。
2006年
9月28日
★ブログが百花繚乱の賑わい具合だが、精神的に病んでいるのではないか?と感じるブログも少なくない。無論、明らかに電波系のものは除外してだ。ブログはごく普通にきちんと書かれている。一読した限りよくまとまったエントリーだ。ところが継続して読んで行くとその方の経験や生活が実にドラマティックで、ほぼあり得ないような経験であったり、ある時は別のブログやウェブサイトから得た情報をもとに自分で物語を作り上げているのではないか?と思えるようなものだ。何度も云うがひとつひとつを読んでいるだけではまず判らないがずっと読み続けていると「あれ?」っと思うものなのだ。妄想で作り上げた自画像にエピソードがまた一つ加わるという感じでどんどん増殖し肥大化して行く。今後どうなってしまうのだろうかと思う。もっともこの「後悔日誌」にしたところで「こいつ頭がおかしいんじゃないか?」と思われてるかも知れないが。★「つま恋」の中継(録画?)を少し見ていたのだが、吉田拓郎が「明日からまた嫌な日常生活に戻らなくちゃならない」と云っていた。世代を感じた一言だった。彼等の世代にはまだ晴れ(ハレ)の日と褻(ケ)の日という区分が厳然と存在しているのであろう。だから彼等は一斉に動く。何かも横並び。それは単に右見て左見て合わせるというだけのことではなく、動くタイミングが同じだと云うこともあるのだろう。旧世界の行動様式だ。だからかつてはお盆やお正月に道路が渋滞し交通機関も人で溢れていた。我々の世代にはその区別があまり無い。日常も非日常も一つの人生の中で連続していて区分はない。それどころか過去と現在の区別もないから「大人買い」するような人間も現れてきている。「大人げない」という言葉は我々の世代には死語だ。だから彼等の世代から見ればなんとだらだらとしたメリハリのない奴等なんだと思えることだろう。我々の世代にすれば盆も正月も一つの通過点に過ぎずそれほど特別なものでもない。だからもう盆正月の渋滞もラッシュもかつてほどではない。かつては正月に食料の蓄えが無くて餓死しそうになった友人が居たが、今はそんなこともない。大人になったからと云って子供の頃に好きだったものに別れを告げることもない。それぞれの人間がそれぞれの都合で動いている。今後また世代は移るが、今度はどんな世界が来るのだろうか。日常と非日常の区別が無くなった後には現実と非現実の区別が付かない世界がやってくるだろう。見届けてから死にたい。
2006年
9月27日
★秋になったせいかここ数日ものすごくお腹が減る。そりゃもう異常なほど減るのだ。もしかして体がリバウンドを企んでいるのではないだろうか?ものすごーくまずい事だ。何とか誘惑に打ち勝とうとするが、こちとらお釈迦さんやキリストさんではあるまいし、誘惑に打ち勝つことなどどだい無理な話なのだ。ゆえに体重は全然減らない、あと三日で9月も終わりだがどうも今月中に70kg台に落とすというのも怪しくなってきた。ほんとにヒジョーにマズーイ事になってきた。この目標もクリアできなければおそらくトレーニングへの情熱も大幅に冷めてしまうことになりかねない。ゆっくり行こうなどと書いてみたもののやはりこれはゆっくりしていられることでも無さそうだ、ちょっと良い子チャンぶってしまった。やっぱりこれだけはゆっくりなんかしたくない。
2006年
9月26日
★驚いたことに我が家の庭に狸がいた。我が家の庭に居るのは定住している鼬くらいのものだった。コビがいつになく鳴くのでなんだなんだと庭を照らしてみると「?」とこちらを見ているのはタヌ公であったのだ。いやぁびっくりしたなぁ。40数年ここに住んでいるけれど、狸が出たなんてのは初めてだ。とても愉快だった。★きっとこの国でも穏やかで美しく静かな暮らしは出来るはずだと思う。それはとても難しいことなのだろうけれど。身の回りを整理し、守るべきものを少なく、関わりを最小に、そして世間との感覚を広く取る。これだけでも随分と生活は変わるはずだ。アーミッシュのように現代文明を否定することはないが、人力でそう苦労なく出来ることは人力でする。それだけでも随分と静かな生活になるのではないかと思える。★夕方にトレーニングで走っていると、抜け道を行く軽トラックを運転する頭にタオルを巻いた人達の殆どが携帯電話を手にしている。彼等の大脳は運転と会話というタスクを同時に処理できるのだろうか?とても出来るとは信じられない。
2006年
9月25日
★「そうささやくのよ、私のゴーストが」。また押井守の映画からの引用で申し訳ないが、40歳が近くなった頃から自分にもそう言うことが起こるようになった。ややこしい言い方だが乱暴に言い切ってしまえば「直感が働く」という事だ。それまであまり直感というものを意識していなかった。直感的とは理性的ではないと言うことだと思っていたからだ。直感というものは無意識下からの言語化されない形での理性への助言であると気付いた時から、それは理性と対立するものではないと言うことを確信した。今まで数え切れない回数繰り返してきた判断とトライアンドエラーの繰り返しの中から得られた経験が無意識下に蓄積され、そこから言葉にならない形で助言してくれる。これが「ゴーストがささやく」と言うことなのではないかと思う。無論、そのささやきが大外れのときもあるが、大概はそれに救われているようにも思う。人間関係でこのゴーストのささやきがよく警告を発してくれこの人とはもう関係を断ち切った方が良いと云う判断が瞬時にできる。今年に入ってからもそんな場面が幾つかあり実行した。無論その判断が正しかったかどうかの検証はきちんとは出来ていない。その相手が自分を脅かす存在だったのかそれとも利益をもたらしてくれる存在だったのか、断ち切ってしまってからでは判らない。少し考えればその場所で立ち止まりシャッタを切るか切らないかの判断というものもの、このゴーストのささやきに拠るものだと言うことが判る。心の闇というのはネガティブな表現でしか使われないが、そこからの声に耳を傾けるのは理性の仕事だ。理性が正常であれば心の闇から的確な助言が得られるはずである。
2006年
9月24日
★なんとか体重を70kg台に落とそうと今朝も走ってみるが、残念ながら結局はあと400gというところになってしまった。とりあえず5kgの減量には成功したので、欲張らないでおこう。ここ数日、焦ってがむしゃらになってしまったので、明日からはまたのんびりとやって行きたい。毎日がお祭り騒ぎだった数日はおしまい。★気付いてみれば脚の筋肉痛が結構あるしなんとなく寝不足だし少し休養を入れるべきなのだろうと思う。まだ毎日のトレーニングが出来るほど体は回復していないのだ。たかだか体重の5.8%程度の減量でいい気になっていてはいけないという警告に違いない。最初に思ったようにゆっくりとやろう。欲をかかず結果を急がず。★天満の天神さんの裏手に「繁盛亭」という寄席が出来た。TV局などはえらいはしゃぎようだが、最初はまぁいいだろうけれど、これがずっと継続していけるのかどうか?大阪人(に限らないと思うが)最初はワッと飛びついて騒ぐのだがすぐに飽きてしまう。この寄席がいつまでそれこそ繁盛するのか心許無いが、長く継続して、下品で詰らない上方落語がもっと洗練され、名人と呼ばれる人が輩出されるようになって欲しい。無論、それは我々大衆の責任ではあるのだけれど。自分の事は棚に上げてるが、自分は品の良い美しい大阪弁が聞きたい。昨日の南森町は繁盛亭オープンの余波もあって賑やかだった。商店街に人が溢れるのは良いものだと思った。わらび餅が半額で売っていたので一つ求めて帰った。なかなかの味だった。来週は天神さんの古本祭り。人が増えてかつての"静かな賑わい"は求めるべくもなくなってしまうだろうが、行ってみたいと思う。晴れたらいいのだが。
2006年
9月23日
★お彼岸の中日。本当にどうやって季節を知るのか田んぼの畦に彼岸花が咲いている。赤い固まりが視界の隅をかすめてゆく。彼岸花は恐怖が咲かせた花のように思える。気味が悪いのではなく「怖い」。美しいがやはり怖い。今朝は思い立っていつものコースを少し外れ石切神社に寄ってみた。ここはギャラリーの「徘徊する神々」で撮影した場所の一部だ。子供の頃は酷く怪しい雰囲気の門前町だったのだが、時の流れに洗われてそれらの「因縁」臭いものは滅び(それらのものは皆「神の啓示」を受けた個人の設えたものだったので、個人が亡くなってしまえば文字通り「滅んで」しまうのであった)ごくありふれたものに置き換わりつつある。心霊主義者のような言い方をすれば、霊感の強い人が去りその後神の啓示など感じない人が増えているとすれば、この地域にある霊の力が落ちてきているのかも知れない。神はもはやそこには居ないのかも知れない。★天王寺Mioへ。写真奨励賞の展示を見に行く。ギャラリー・トークがちょうど始る時刻だったので島尾伸三氏のコメントなど聞きたいと思ってしばらく耳を傾けてきたが、大嫌いな笠原美智子氏が相変わらずの論調で喋るのが聞くに堪えず辞去した。★某所のうどん店で食事をした。この地域には二軒の"食べられる"うどん屋があるのだが、先を急いでいることもあって駅から近い方にした。昼時だったためか喫煙者が多く閉口した。完全禁煙のもう一軒まで歩くべきだった。
2006年
9月22日
★ここのところ、日中暑く朝晩肌寒いという自分にとっては最高の天候でちょっとした幸福を感じる。暑さにはへばるけれど寒いのよりはずっと良い。日中は泳げる程あつくて朝夕は眠りやすいほど涼しいというのが一番かなぁ。そんなところに住みたいなぁと思う。★そろそろ12月の京都での写真展に向けて作品の構想を練らなければならないだろう。それにしても今年はさっぱり写真に気が向かない。とりあえず通りすがりに撮るだけ撮って合切袋へでも放り込み、そこから取り出して構成し一つのイメージを組み立てるようにしてみるしか方法はない。でもそれもいいかも。無目的に撮影された中からきっと共通のイメージが発見できるはずだ。それを当て込んで、しばらくはこんな状態を続けて行こう。もしかしてすごい会心作が出来てしまうかも?ってそんな訳ないか。
2006年
9月21日
★早朝にトレーニング。メッシュのTシャツでは寒くなかなか体が温まらない。自転車はダイエットが第一目的ではないと言いつつも体重はとても気になる。「『キリ』は気にはしない、なにもかもは連続していること」などと嘯きながらも実はちょっと気になったりする。明明後日でトレーニングを始めて60日目、おおよそ二ヶ月の「キリ」なのである。で、今、体重がトレーニングのスタート直後より5kg減になっていて、あと0.8kg減らすと70kg台に落とすことが出来る(ここでいかに自分がデブであるかがばれる)ので欲が出てきたのだ。「トレーニング開始60日目のキリで70kg台に落としたい・・・」何という低俗強欲煩悩・・・自分らしいよなぁ。★この5kgというのはここ二年程度で増えた体重で、それと同時にローライフレックスの出番が増えハッセルブラッドの出番が減った。これは体重の増加およびそれに伴う相対的な体力の低下と無関係ではあるまい。5kg減らしたところで問題はまるで解決してない。思うような機材を思うように振り回せるようになりたいものだ。道のりは遠いけれど自分の問題なのだしぼちぼち行くしかないだろう。★自転車に乗っていると思い出すのは自転車好きの忌野清志郎の事だ。喉頭癌ということは治療してもその後歌手に復帰できるかどうかわからないだろう。彼は団塊世代だが学校を卒業すると素早く世間人へと変身した多くの同世代人とは違い、ずっと尖り通し突っ張り通しているってところがすばらしい。
2006年
9月20日
★タイでクーデター。へーまたかぁと言う程度の感慨。オウムにクーデターというか日本征服をやられかけた我が国国民はどう思うのかねえ。でもやっぱりクーデターってのは軍隊が起こすものなのだなぁ、市民が起こすとこれは革命になるのだろうか?★「最近、日記の内容が旧うろぼろす堂みたいになってきてないか?」と言われる事があった。読み返すまでもなくその通りだと思う。身内からは品性に欠けると言われるし散々だ。怒りを真正面に出しているし差別的表現も多いし言葉が汚いのも言い回しが喧嘩腰なのも重々承知している、しかし穏やかに言う事がどうしても出来ない。性分というものなのだろう。それに以前言葉狩りの吹き荒れる業界に身を置いていたこともあるだろうだからことさらに差し障りのあるような表現を好んで使っていたりもする。つまりはまぁつっぱてると云うかええ歳こいて未だに尖がっているというか、まぁ、要するにガキのままなのだ。それを恥じてはいるものの三割くらいはそれでもいいと本気で思っている。★NHK教育の「知るを楽しむ〜人生の歩き方」で、中古カメラの世界でも有名な赤瀬川原平氏が出ている。たまた今日は中古カメラのことだったのでさして目新しいことはなかったが、他の回などではなかなか興味深いこともあって毎回楽しみにしている。赤瀬川原平氏の路上観察や超芸術トマソンなんてのは結構好きだし、見過ごされているものに目を付けて楽しむという姿勢には大いに共感するものだけれど、昔はそれが酷く旦那趣味に思えて嫌だった。今でも旦那趣味だとは思うのだけれど、自分が歳をとったことと赤瀬川氏自身も以前よりは随分と角が取れたように思え、今はあまり気にならなくなった。ただ、徒党を組みたがると言うところは性に合わないけれど。次回は老人力。これはかなり楽しみにしている。彼の考えの中でも一番共感できそうに思える。
2006年
9月19日
★昨日大阪駅のイカリスーパーに用があったのでついでに久しぶりのその隣の書店に寄って、恩田陸の「夜のピクニック」通称「夜ピク」の文庫版になったのを買ってきて読んだ。かなり期待していたが驚くほどのつまらなさで、とにかく「幼稚」の一言だ。本屋大賞を取ったと言うが本屋大賞などもう金輪際信用しないことにした。六番目のサヨコにも共通する妙な傲慢さ、あたしは県立水戸第一高等学校出で早稲田出でエリートなのよって匂いが鼻につくし、ストーリーと言うほどのストーリーもない散漫な文章。とにかく幼稚なキャラクター設定。最後はアガサ・クリスティばりのプロットの卑怯さ。たとえさりげないエピソードであってもデリケートな気持ちの描写であっても、もうちょっと上手く書けないのか?と思ってしまった。まるでこれは「作文」である。恩田陸は「六番目のサヨコ」がなんとか読めるレベルにあるのみ(それもNHKドラマの力を借りて)で、他は全て駄作だった。これもサヨコ同然の結末への持って行き方だしつまらない。もう彼女の作品は読まない。まだ読んでない人はお金の無駄づかいだから買うなと声を大にして言いたい。あまりの腹立たしさにAmazonのレビューを読んでみたが、やはり行間に警告を潜ませているレビュアーを見かけた。最初のレビュアーのようにはっきり詰まらないと言ってやっても良いのではないかと思える。またこの面白さはおっさんにはわからないと書いていたレビュアーもあったが上等だ、ガキの取るに足らない欠伸みたいなセンチメンタリズムなどに付き合わされるのは願い下げだ。★同時に京極夏彦のバカに分厚い文庫も買ってきた。京極夏彦はただの怪奇小説かと思っていたが、それ程でもないし、非常に冗長であるという悪癖はあるしそりゃぁないだろ?と云うような無茶もあるものの、思っていたよりは読ませるなぁと思ったので、今回も買ったわけだ。これで口直しと行けるかどうか。
2006年
9月18日
★「完璧な人間など面白味がない」などというのは完璧でないものの僻みだろう。完璧な人間でも面白い・・・というか、むしろ完璧である方が面白いのではないかと思える。無論、完璧とは何か?と考え始めると答えは出ないし果てがない。だから漠然と人々が思っている完璧・・・つまり不完全な完璧で充分なのだ。完璧などと言ってもどこまで行っても不十分な完璧なのだ。完璧などと言うものは一定条件の範囲内での話しであるとすれば、完璧な人間は幾らでもいるはずだし実際に居ると思う。またそれらの連中は非常に面白いのではないかと思う。自分は完璧でありたいと思うし完璧を目指したいと思う、無論不完全な完璧を。★ある人からある事件のことを知らされて実にやりきれない思いで居る。愚かしい行為は突然に行われるものではなく、実行に至るまでに実に長きにわたってその兆候を現し続ける。押井守は"イノセンス"の中でバトーに「幸運が三度姿を現すように、不運もまた三度兆候を示す」と言わせている。そして「見たくないから見ない、気がついても言わない、言ってもきかない。そして破局を迎える 」と結んでいる。その通りだ。だが兆候をその兆候として正しく認識出るのか?一番難しいのはそれだろう。誰も手をこまねいて居た訳ではないだろうが、干渉できないと言うこともまた事実だ。遠くから破局を見守るしか手はないだろう。★「人生色々あるから面白い」なんて言う人が居るがそんな訳ないだろうと思う。「いろいろ」というのは大概ネガティブなことで人生にとって事件でありマイナスであることが殆どだ。幸運が次々やってくる人が「人生色々あるから面白い」なんて台詞を吐くのはあまり聞いたことがない。あれは不幸が自分に覆い被さって来続けた人の言い訳に過ぎないのだなと思う。もしくは、外から何かを与えられなければならない=自分で何も生み出せない人間・・・のアリバイではないのだろうかと。平穏で自分なりに満たされた人生というものがいちばんにちがいない。★今日は妙に他者に厳しくなる。普段から傲慢で尊大な自分だが、前述のことを考えると救われない人の愚かさ滑稽さを感じざるを得ない。
2006年
9月17日
★台風が近づいているのだが、天気図と観天望気から午前中は大丈夫だろうと判断して、かねてから走ろうと思っていた近鉄東花園駅以南の恩地川沿いの道を行くことにした。途中幾つか近鉄の駅もあってへばればいつでも輪行でエスケープ出来るようにプランを立て、体力があればついでに南河内サイクルラインも走ろうと、これまた途中でへばっても良いように駅をチェックしておいて・・・で、その資料を忘れて出掛けた。何のために長い時間かけて準備したのか、もはや鳥頭どころではない。ところが、長い時間かけて穴の空くほど地図をながめながらチェックしてたものだから、だいたいルートも駅も覚えていて「あ〜やっぱり俺って偉いわぁ〜」と慢心しながら走り始めた。恩地川沿いは楽しい道で、いわゆる「サイクリスト」は居ないが自転車で走る人も多く、釣り糸をたれる人も居るし、魚を狙う五位鷺だの白鷺だのが「くぇ〜!けけけけけっ」などと鵺の声で鳴き、なんだかもう訳の分からない活気に満ちあふれていた。こちらのお年寄りは皆笑顔でなんだか楽しそうだった。寝屋川沿いとは偉い違いだった。楽しみながら走っていると、思ったよりも早く大和川に出た。体力もまだまだ大丈夫そうだし、このまま南大阪サイクルライに突撃をかけることにした。突撃したのは良かったが、こちらは自転車道。脚に覚えのロードレーサーやスリックタイヤのMTBに抜かれまくりだ。小径車で走ってる人は一人だけだった。いかにも「わしゃのんびり走ってるんじゃ」という顔をしていたつもりだが、きっと苦悶の表情であったのだろう。途中妙に見覚えのある橋の下の来たので上に上がってよくよく眺めてみると目眩がしそうなくらいの既視感に襲われた。橋の名前を見ると「玉手橋」通過してきた手前は「道明寺」。ははぁ、ここはかなり小さい頃に玉手山遊園地へ連れて行った貰った時に渡った橋だったのだ。なんだ既視感ではなくて本当に見たことがあったのだ。ちかし、子供の頃に見た橋はもっと小さかったように記憶していたのだが、今見ると大きな立派な橋だ。普通、子供の頃には何もかもが大きく見えたはずなのに逆だった。自転車道に戻りひいひい言いながらも楽しく走りやがて河内長野駅に着いた。河内長野駅の山側はなかなか独特の雰囲気で、ここを写しに来ても良いなぁと思った。長い距離を余り休憩せずに走ったので少しくたびれたが実に良い気分だった。飯盛山・生駒山・信貴山・高安山・二上山・葛城山・金剛山と山を追いながら河内は平野でつながっていると実感した。★画竜点睛を欠く嫌な出来事が一つ。近鉄阿部野橋駅の改札を出ようとした13:20頃駅員に止められた。
駅員A:「手回り品の切符は?」。
 自転車は折り畳むか分解して輪行袋に入れれば無料で持ち込めるようになって久しい。近鉄も同様だ。この駅員は無知だったのだ。
 うろ:「河内長野駅では請求されませんでしたが?」
 駅員A:「いえ、手回り品の料金が必要です」
 うろ:「はいはい。で、領収証もらえますか?日付と時刻、係員のあなたのお名前も入れてください」
 駅員A:「え、領収証ですか?」
 うろ:「はい」
 駅員A:「え〜・・・××さぁん、領収証おねがいしますぅ〜」(と奥の駅員を呼ぶ)
 別の駅員が領収証を持ってきて言う、
 駅員B:「はいはい、なんの料金?」
 駅員A:「手回り品の」
 駅員B:「それ、折りたたみ自転車でんな?ほな、よろしいわ」(折りたたみ自転車の場合最初から要らないのだから「ほな」じゃないやろうが?!)
 駅員A:「え?レース用○×▲・・・」
 うろ:「この領収証をテコに近鉄へねじ込んだろ思てたんやけどな。時刻と名前書かそとしたんはお前の(相手を挑発するためにわざと「お前」と呼ぶ)責任を追及するためやったんやけどな、まぁええわ」
 殆どの鉄道では輪行できる自転車を袋に入れた場合、手回り品料金は不要になった(かつては必要だった)。競輪用の自転車はどういう訳か必要である場合もある。この駅員は何か勘違いをしていたと思われるが不愉快には変わり無い。第一俺みたいなデブが競輪などのレース用自転車に乗ってる訳もないだろうがと思うのだが。★新・日曜美術館で去年死んだ石田徹也を取り上げていた。かれはシュール・レアリズムの画家というかイラストレータと言うかって存在なのだが、独特の内宇宙を表現している。ただ、番組でのNHKの作品に対するコメントは、かなりねじ曲げられているというか底意のある手前勝手な解釈というか、とにかく「正しくない」という感じがした。また彼自身のことにしてもそうでたとえば、警備員のアルバイトで現場の人間が事故死したのはおまえのせいだと言われたそうだ・・・と友人がコメントしている。実際、彼はそのことを作品にしているのだが、果たして本当にそんなこと・・・つまり「お前のせいだ」と言われたというような事があったのだろうか?と自分は思う。別にパトグラフィを試みようとか言うつもりはないが、彼の作品から考えて、本当はそれ程までの事は無かったのではないかと考える。確かに警備員などという連中は人生の落伍者の吹きだまり(だと某掲示板には書かれている)なので、事実である可能性は高いのかも知れないが、単に現場の状況を「見ていなかったか?どうだったか知らないのか?」と訊かれただけなのではなかったのか?とも考えられるのだが、どうだろうか?彼の内面的な問題ではなかったのかという疑問を全く呈さないで彼への外在的脅威だけを考慮するというのはあまりに無邪気な考えではないのだろうか?と。
2006年
9月16日
★朝早くに目が覚めたので今日は早朝に走ってみた。夜が明けてすぐだったが自転車道は犬を散歩させたりジョギングする「老人」で一杯だった。ところが実に雰囲気が暗いのだった。どのお年寄りも肩を落とし背中を曲げとぼとぼと歩いている。それなりのウェアに身を包んだジョガーもやはり肩がすぼまった感じでまるで元気がない。どういう事なんだろうかと非常に訝しく思った。気持ちの良い朝の散歩やジョギングが楽しくないのだろうか?いやそりゃ、どんな表情で散歩しようがジョギングしようが勝手なんだけれど。彼らは不幸なのだろうか?★かなり久しぶりにピアスを通してみた。もう塞がっているのではないかと思っていたがなんとか大丈夫だった。シャフトの太いピアスも付けてみたが、不思議にすっと通った。よかった。来るべきダイエット満願の折りにはええ格好したいしね。うわはははは。いつになることやら。
2006年
9月15日
★もともと鶏頭ですぐに物忘れをする。今日は朝から忘れっぱなし、まずは金属鋸。道具箱に入っていない。現在も行き方不明。自転車のバルブキャップ。机の上にちゃんと置いてあった。作業をしている玄関の床を這いつくばって探したのに。車のラゲッジに積んであるとばかり思っていたタイダウンベルトは下駄箱の中にあった。あー!今思い出した!生協から来たサンマ、廊下へ出しっぱなしだった。うわぁ、三時間も室温の中だった。なんてぇこった、物忘れの日だなんてのんびり書いていたらサンマまで忘れてるし。あ〜、鬱。★中央道の玉突き事故だが、マスコミの論調は危険な道路にあるとした方向へ流れつつある。それはそれで正鵠を射ていようが最初に事故を起こしたトラックの運転手は居眠りをしていたり携帯電話で喋っていたりメールを打っていたり酒を飲んでいたりしては居なかったのだろうか?★あ、また忘れていた。何日か前に「未現像フィルムがあと10本になった」と書き「数日中には現像してしまおう」などと書いたのに未現像フィルムがあるのをすっかり忘れていた。で、すぐに現像し始め一気に10本やっつけてしまった。やれやれ。手がしわしわになった。★YouTubeでエミネムとエルトン・ジョンの競演する"Stan"を見た。音だけのファイルは持っているが、映像と共に見るのは初めてだ。エミネムってゲイは嫌いなんじゃなかったのかなぁ?でもステージは素晴らしいものだった、たった一つ、エルトン・ジョンの衣装を除いては。なあれってんとかならなかったのか?
2006年
9月14日
★今日で自転車トレーニングは50日目となった。夕方は日暮れが早くなって走りにくくなってきたので、今日は昼休みに走ってみたが、いやはや、時間制限を気にしながら走るというのは結構キツイものがある。それでもなんとか時間内に16km程走った。やはり朝に走るのがよいのだろうか?しかし朝はもう一つ時間に追われる気がするし・・・。この50日で少し体力は戻り、体重は3.5kg減った。★YouTubeでThe ZombiesのTime Of The Seasonを見た。日産のCMになっている曲なのだが、かなり昔の曲だ。ところがどうも聞き覚えがあるのである。中学生の時にFMラヂオで聴いたように思う。その他のTell Her Noも良い曲だった。ところがこれらの曲はiTune Music Shopには無い。どーなってんだIMS。
2006年
9月13日
★飛鳥IIの世界一周を途中で蹴飛ばして下船してきた母(正確には「両親」なのだが、どうせ母の強行である)だが、今度は避暑地の避寒地をという訳の分からないものを作ると怪気炎を上げている。つまり、冬季滞在用の別荘を造るのだ。温暖な地にもう一軒建てると言うことではない、今の別荘からもう少し下ったところにもう一区画用地があって、そこに冬季滞在に最適化された建物を建てるというのだ。別荘は標高約1500mmの場所にあるので冬場は寒冷で何もかも凍り付き滞在には結構苦労するそんな低温に対して十分に対策がなされた部屋を作ろうというのだ。なかなか元気でよろしいが、我々の代になって維持して行けるのかちょっと心配。自分にとってこの別荘によってもたらされた無形の利益は計り知れない。我々息子三人の子供・・・両親にとっての孫どもも、この別荘で休日を過ごして育っている。それはきっと彼ら彼女らに大いなる影響を与えているだろうと思う。だから何とかして維持してゆきたいものだ。一族が増えていった時にお爺さんもお婆さんもそのまたお爺さんもお婆さんも、みんなこの山で夏も冬も過ごしたのだと、そんな感慨を持てるように。今でも、自分の若い頃の名残がそのまま凍り付いたように残っているのだから、よく手を入れていけばずっと大丈夫だろう。母の元気さを思いながらそんなことを一日考えていた。ちなみに父は別荘の庭の手入れをやりすぎて腰痛を起こしへばっている。一度熱中すると限度を知らないから困る。
2006年
9月12日
★富士がモノクロ薬品類を大幅に縮小とのこと。イルフォにも暗い噂が流れているとのこと。ここ数年で常用するフィルムや印画紙の変更をを何度も余儀なくされたモノクロ愛好家も多いだろう。自分もアグフアに乗換た途端に倒産してしまった。印画紙はまだストックがあるのでもうちょっと大丈夫だが、この先、安定供給されるであろうと思われる印画紙を決めて、そいつで作品を作って行くことを考えざるを得ないだろう。それにしてもこれほど翻弄されるとは思わなかった。実に嫌な気分だ。結局残るのは、ヨドバシにおいてある製品で言えばフォルテかFOMAかというところと言うところだろう。実はフォルテの印画紙は非常に多くのラインナップがあるのだが、輸入代理店は入れてくれない。これから先値段も上がるだろう、それがまた心配の種だ。★雨が降ったり休日は朝に走っていることもあって暫くぶりに夕方を走ったが夕暮れが早くなっている。曇っていたせいもあっただろうが、折り返し点を待たずして前照灯と尾灯に火を入れることになった。そろそろ夕方を走るのは限界かも。明後日は朝に走ってみようか。
2006年
9月11日
★またまた筋肉痛だ、たまらんなぁ、足ががくがくする。日曜日の朝に加減な食事をした程度で走り出したのが尾を引いているのだろうか。それにその前後、沢山食べているし。次の日曜は走り出しの時刻を気にせずにちゃんと食事を取ってその後に走り出そう。★この食欲は何だろうかと思うくらいにお腹が空く、腹の虫は秋を感じているのだろう。さっき食べたばかりなのにすぐにまた食べたくなってしまう、一体どうなってんだ?!
2006年
9月10日
★二日間トレーニングをしていないので今日は走るぞと張り切っていたものの、天気が怪しい。自分流の天気予報では朝のうちは振りそうになかったので急いでバナナとかブドウ糖とか手っ取り早くエネルギーになりそうなものを喰って走り出した。ところが体が目覚めていないのか昨日疲れでもあるのかさっぱり力が入らない。力が入らないままへろへろして折り返し点に到着。少し休憩したらやっと元気が出てきて調子が出た。ところが調子に乗って走ったのが悪かったのか家のちょっと手前で再びへろへろ。這々の体で帰り着いた。午になってもの凄い空腹が襲ってきたので、たらふく昼ご飯を食べてしまったら、今度は激烈な睡魔が襲ってきた。いつも睡魔には抵抗しないことにしているので誘いに乗って眠ってしまった。目が覚めるともう夕方で、晩ご飯の準備の買い物へ。★夜になって虫の声が心地よい。窓を開けている方が涼しい。ガキの頃の家とほぼ同じ位置に今の家の東向きの窓がある。あの頃は秋の夜には窓を開け放って、三脚にマウントした双眼鏡で飽きもせずにプレアデスやヒアデスの星団をながめていた。牡牛座は自分にとってまさに秋を象徴する星座だった。今はもうオフィスに阻まれ街の灯りに阻まれて星は見えにくい。別荘へ行った時に楽しむ程度になってしまった。喧しくなってしまった自宅の回りでは星をながめる気にはなれない。星をながめるためには静かで美しい環境と、時間をゆったりと感じられる精神的余裕がなければならない。今の自分にはどちらも欠けているように思える。
2006年
9月9日
★滋賀県高島市の針江生水あたりを撮影してみようと自転車を電車に積んで出掛けた。真夏同然のカンカン照りになってしまい。暑くて撮影どころではなく、急遽また来る時のためのロケハン同様に切り替えて、GR1でちょろちょろとだけ撮影して、湖岸のサイクリングに切り替えた。日陰へはいると風が涼しく気持ちよい。湖岸のサイクリングロードを走ったが、小さなトレンクルではスピードも出ず厳しい感じだった。それでも久しぶりの輪行は楽しく写真撮影どころではなくなってしまった。それにこの日は昼食を摂った店が大変美味しくてそれだけでももう気分が最高だった。湖西には、大嫌いな司馬遼太郎によれば街道はあったとのことなのだがメジャーなものではなかったようだし、歴史的に古いものは多くはあるものの、比べることに無理があるとは思うが湖東と比べればかなり雰囲気は違う。逆にそれがまた湖西の魅力ではあると思うのだが、鄙びたこの雰囲気は湖東とはまた全く違う魅力を湛えているように思う。走ってみてすぐに思ったのは、気候の厳しい冬場に訪れたいと思う。自転車で走るのには厳しいだろうが、ポイントを定めてまた来てみたい。
2006年
9月8日
★家族だからと言って八つ当たりするような甘えは許されることではない。家族は最小の社会である。家人が不愉快な思いをするような言動は慎むべきで、それが出来ないのなら家族を脱退して頂きたい。つまりどこへでも出て行けと言うことだ。イエローカードはそう多くはためられない。レッドカードが出ないうちに態度を改めるべきだろう。
2006年
9月7日
★未現像フィルムはあと10本と言うところまで追い込んだ。やれやれ。数日中には現像してしまおう、それでまた週末には撮影に出られる。未現像を溜め込んではダメだとは分かっているのだが、暑いだの疲れただのでついつい面倒臭くてやらなくなってしまう。そうしているうちに未現像の山が築かれてしまうのだ。しかし写真が趣味なのに現像の作業が面倒だというのは、若干矛盾しているようにも思える。こう云った現像の作業も楽しみの内の筈なのだが。現像薬剤にでも凝った方が良いのかも知れない。★ここだけの話。ヨドバシポイントを使い込んでローライ35RFのトリガーワインダを買ってしまった。★それが目的という訳じゃないんだが、トレーニングを始めてからの体重の上下が最低値を記録した。ちょっと嬉しかったりするが、それでも標準体重には依然としてあと20kg以上の減量が必要だ。そんなのいつの話になるやら・・・。
2006年
9月6日
★やりすぎというのはいつか揺り返しが来る。いくらそこに理があろうとも、やりすぎはいけない。必ず揺り返しがやってくる。今、それらの揺り返しが大きな波となってやってきている。もう止められないだろうと思う。今まで云えなかったことが云えるようになってきたのだ。なかなか面白い時代になってきたと思う。マスコミは今までのタブーへのフラストレーションから徐々に攻勢に転じるだろうし、行政はでに攻勢に転じている。今まで我が世の春を謳歌してきた雑魚たちは(大物はいつの日も窮地に立たされることはない)年貢の納め時だろう。★日本代表の試合は酷いものだった。もっと代表の内容を一気に変えることが出来ないものか?自分は必要悪として川淵をそれでも支持してきたが、最近は若干の疑問を感じる事もしばしばだ。代表監督にしても何時までもベンゲルを想っているようではダメだ、もっと辣腕のもっと選手使いの上手い奴が居るに違いないと思う。大胆な変化が必要。
2006年
9月5日
★認めたくないのだけれど認めざるを得ないだろう、どうもほぼ全身かる〜い筋肉痛になっているようなのだ。そりゃもう自転車のせいだろうとは思うのだが、この広汎な筋肉痛から自転車というのは結構な全身運動なんだなと再認識した。んで、内臓を固定したり動かしている筋肉も筋肉痛になるのだろうか?いや、ときどき鳩尾の右辺りがくにくにっっと引きつったように痛むことがあるのだ、5年前に胆嚢と周囲の摘出手術を受けているんだけれど、まさかそれの跡に何か差し障りがあるようなことになっているのではあるまいかとびくびくしている。
2006年
9月4日
★クラシックカメラの楽しみとして自分では三つくらいあるかなぁと考えている。一つは現代のカメラやレンズに比べて性能的に劣る(最近では必ずしもそうとは云えなくなってきているが)なかで高画質を追求して行くというもの。二つめはその造型やメカズムや質感を楽しみながら撮影すると言うもの。三つめは仲間内で見せ合って楽しむというもの。一つめはなかなかストイックな試みであり批判されることは少ないであろう。そんなに高画質を望むなら現代のものを使えと嗤う人もいるだろうけれど、遊びなんだからこれで良いのだと思う。二つめはまぁありがなぁと思われるしメカ好きには良いだろう。三つめについては見栄だの自己満足・自己愛だのと批判されることも多いが、趣味としてはとても大切な要素であると考える。趣味は心を満たすものであるからだ。★ありふれたワルツのフィルタに6000円近くもの値段を付けている業者がいた。噴飯ものである。よくこんなにものを知らないで商売をしようと言う気になるなと思った。梅田のカメラ店のジャンクケースに500円くらいでころがっているのと同じようなものなのに・・・。
2006年
9月3日
★ハイロウズ解散後はどうなるのだろうと思っていたが、ザ・クロマニヨンズってのが結成されていた。今まで通り甲本ヒロトと真島昌利のバンドであるようだ。つまりは今までとそう変わらない安心さがあるというか・・・。★ウルフルズのトータス松本がかなり昔に「好きなバンドはブルーハーツ〜ハイロウズ」と言っていた「あれだけ単純な歌詞とメロディーであれだけのことを表現できるのは素晴らしい」と。ウルフルズも大概そうだと思うけどね。自分の写真もそんな風に、単純なものにしてゆきたい。★ネオコンという訳ではないが、最近の周囲の若い人の積極的差別という現象はなかなか興味深い。レイシズム・・・と言っても、石原慎太郎の好きな人種に対してのものだが、昨今の歴史認識や領土問題などでウザイという感覚だけではなく、小中学校で強制的に教え込まれた事への反発があるようだ。ある若い人はこう言っていた。「見かけも性格も悪く嘘つきで不潔な奴と、同じ学級なんだから仲良くしろと言われても無理」。そりゃそうだ。職業差別も強くなってきている。しかし彼らが言うには、血にまみれるから、獣を扱うから、死体を扱うからと言うことではなく、その理由は、それらの職能人たちの類型的な生活様式や行動や利権を享受しながらも自らは被差別者だと嘯くその欺瞞が嫌だという。確かに彼らは見事に類型的だ。教育関係者や福祉関係者ひいては某政党はこれらの若い人たちに納得出来る説明が出来るのだろうか?★休日なので朝から走りに出た。風もひんやりとしなんと言っても車が少ないので快適だった。調子に乗って30kmほど走った。さすがに1000kcal消費していたが、そのあと激烈に腹が減ってかなり喰ったのできっと痩せてないだろう。
2006年
9月2日
★ここのところ写真の事を書いていないが、写真を撮っていない訳ではなくむしろ一ッ時の余り撮らなかった時期から比べると良く撮っている方だ。自転車にうつつを抜かしているものの別に写真に興味を失っている訳でも無い。★「写真は風景専門ですか?」とよく訊かれる。まぁ、ああいう人畜無害な写真ばかり見せているのでそれには間違いはないが、実際に撮りたいと常々思っているのは人畜有害な写真だ。エログロで暴力的で下品でベアナックルで殴りかかってくるような写真、いきなり噛みついてくる狂犬のような写真が本当は撮りたいのだ。今のこの生ぬるい世の中が凍り付くようなえげつない写真を撮りたい。つくづくそう思う。★形あるものはいつか壊れるというが、形のないものは壊れてもわからないだけであって、どちらにせよ壊れるものは壊れる。それを訳を知ったような諺にする昔の人間というのはつくづくアホだ。一応対外的には昔の人の智慧というものを尊敬していますと言ってはいるものの、昔は昔、今は今、昔の事が通じないし適用するのは土台無理という事も起こっているのだから、昔の人の智慧を過大評価し、あがめ奉るのはやめた方が良い。どう考えても今の人の方が偉いと思えてならないのだが・・・と昔の人と今の人を比べて悦に入ってみる。自分は比べること自体がナンセンスだと思う。物事の比較というのは条件が一致したところでやらないと殆ど意味がないのではないかと思う。従って殆どの物事の比較は意味をなさないように思ったりして。
2006年
9月1日
★写真家の兒嶌秀憲さんからMio写真奨励賞の案内と「うまい棒・水戸納豆味」を頂いた。兒嶌さんのMio歴は9年間のうち入選5回入賞2回であったとのこと。常連だ。大阪の地で大阪を撮り続ける兒嶌さんのことだから、ここ大阪を本拠に催される最大の(と言っても良いだろう)コンテストに応募し続けることは意味あることであったのだと思う。そして今年が年齢制限のために最後となる。長くこのコンテストと関わり多くの入賞・入選を果した事は、結果として意義有るものになったと思う。おめでとう、それからご苦労様でした。今後はこのコンテストでの結果は無意識の奥へ仕舞い込まれ、新たな活動の見えざる力となって働くのだろう。彼の痩躯はまた遠い道を歩み始めることになる。★昨夜から今朝にかけて気温が下がり過ごしやすかった。少しずつ空気も秋に変わって行く。★驚いたことに自分は運動したがっているのだ。正確には自転車に乗りたがっているのである。少しでも時間があると乗りたい走りたいと思っているのだ。あれほど運動嫌いだったのにと思うが、もっとも自転車だけは例外だったのだろうと思う。アウトドアスポーツだけはずっと例外的に好んでいたから、その気分にまた火がついたのかも知れない。それに乗ることに拠る結果が出たのだ。好きなように飲み食いしても体重はこの34日間で3.3kg(ただし起き抜けの"乾燥重量"で)減った。食事の制限をせずに体重を落とせたというのはとてもありがたい。食べることは本当に好きだし生きている楽しみの一つだからだ。★それにしても、誰にも何にも強制されずに自由に運動できるというのはこれほど気持ちの良いことだったのかと思う。何事もひとりでするのが一番と言うことなのだろう。一人だからこそ自由なのだ。