妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百六十話:カードチェンジ
 
 
 
 
 
「だから言ったじゃないですか、余計な事考えちゃいけませんって」
「ごめんなさい…」
 中国道をしばらく走ってから、レニは目を開けた。薬は打ってないし、ショックでダウンしただけだから、大体予定通りだ。
「まあ、シンジの気に中毒ったのでしょう。手を打っておいて正解でした」
 黒瓜堂の言葉を聞いた時、レニは自分の姿を思い出した――確か自分は、服を脱ぎ捨てていた筈で、着た覚えはない。
「あ、あのっ」
 すうっと血の気が引いたレニの顔を見て、黒瓜堂の主人はその思考を知った。
「何です?」
「そ、その、僕…」
「次のSAに寄りますよ。トイレも風呂もあるようです」
「そ、そんな事じゃなくてっ…そ、そのさっき僕は…」
「僕は?」
 あくまでも、自分で言わせるつもりらしい。
 大丈夫とか、最悪でもはっきり言ってくれればいいのに、故意か天然なのか表情すら変わらない黒瓜堂の主人に、レニはきゅっと唇を噛んだ。
「その…ぼ、僕は裸だったから…」
「下着を穿かせて、運んできたのは私だと言ったらどうします」
 それを聞いた途端、レニの目が大きく見開かれた。
 その直後、その顔が悲しげに歪み、
「か、勝手に脱いだのは僕だけど…だ、だけど…」
 俯いたまま手を握りしめているレニを見て、黒瓜堂の主人の首が僅少な角度で曲がった。どうやら、予想外の反応だったらしい。
「実は私、結構偉いんです」
「え?」
 突然奇妙な事を言い出した男に、レニは何を言うのかと奇異な視線を向けた。
「私の能力を持ってすれば、君がシンジに中毒っておかしな行動に出るのは、簡単に予想出来ます。そして、それに合わせて手を打つ事もね」
「……」
「ドクトルシビウの創造物を眺めるイイ機会ではあったんですがねえ」
 残念そうな口調で言うと、
「私の友人を呼んでおきました。君にパンツを穿かせて連れ出したのは彼女ですよ」
「え!?」
「シンジはあれで、眠り込んでいても周りを巻き込むタイプでね。まして、シンジを想っている君なら尚更だ。いくら私でも、見込んで連れてきた娘の全裸を撮って売りさばいたりはしませんよ」
「う、売りさばくって…」
 少しは良い奴かと思ったら、とんでもない台詞が出てきた。
「あ、あの黒瓜堂さん…」
「何ですか?」
「もしその…僕が黒瓜堂さんと関係ない所でああなっていたら…」
「写真を撮ってネットに流して、一日ミリオンヒットのサイトを作ったかって?」
 頷いたレニに、黒瓜堂の主人は首を振った。
「え?」
「私のストライクゾーンは、一定ラインより上とある部分より下なんですよ」
(う、上と下…じゃ、僕は真ん中ってこと?)
「ぼ、僕は守備範囲外?」
「外」
 前を向いたまま頷いた危険人物に、じゃあアイリスはと訊きかけたのだが止めた。
 理由は?
 決まっている、ウケケケと笑って頷かれたら一ヶ月位、食事も喉を通らず夜も眠れなくなってしまうに違いないからだ。
 
 
 
 
 
「もう、葉ちゃんひどいじゃないさ」
「ご、ごめんなさい」
 荷物を置いて着替えてきたシンジだが、それを見つめる葉子はどうしても違和感が隠せなかった。
 偽者でないのは分かっている。
 雰囲気も体型も間違いなく本人だし…何よりも、自分の初めての相手を忘れる訳がない。
 ただ、その気に以前のような物が感じられないのだ。
 どうしてかな、と考えていたのだがやっと分かった。
 ばっさりと切られた髪だ。
 もしかしたら、金に目がくらんだデリラに釣られ、髪を切ったサムソンのような物かもしれない。
「ねえシンジ様」
「はい?」
「その…どうして髪切っちゃったんですか?」
「男が髪切るって言ったら、理由は一つしかないじゃない。葉ちゃんてば、デリカシーないんだから」
「あの…シンジ様?」
 自分でも少し間が抜けた表情だろうと思いながら、葉子は聞き返した。聞き間違いだと思ったのだ。
「失恋だっての。何で二回も言わなきゃならな…葉ちゃん?」
 カラン、と音を立てて葉子の手からグラスが落ちた。グラスの氷が淋しく落ちても、葉子は気付いた様子がない。
「……」
 拾い上げたシンジが氷を手にとって、葉子の頬に当てるとやっと戻ってきた。
「ご、ごめんなさいぼうっとしていて」
「看病疲れでしょ。別に構わないよ」
 そうじゃないんです、と葉子は内心で呟いた。
 事態が飲み込めないのだ。
 片思いしていた相手に引導を渡され、髪を切るようなシンジではない。例え天地が逆さまになって固定されても、それはあり得ない。
 そうなると、付き合ってから振られた事になるのだが、これまたかなり可能性としては低い。大体、どういう女ならシンジの彼女として釣り合うというのか。
 財閥がどうだとか、魔道省がこうだとか言う前に、ドクトルシビウとフェンリルという、とてつもなくハイレベルな美女二人と比較される事になり、普通の神経をしている女ならまず諦める。
「私の知っている方ですか?」
「俺が振られちゃった人?」
「え、ええ…」
 葉子は曖昧に頷いたが、それが気になってしようがないと顔に行書体で書いてある。
「葉ちゃんは知らない人ですよ。実家のメイドさん達も誰も知らないよ」
 うっすらと笑って、
「俺だって、最初はそんな関係になるなんて思ってもいなかったしね。ウチの娘達がきいたら赫怒するかもしれない」
「む、娘?」
「名前書き忘れて落ちたら、管理人になっちゃったの。もっとも、祖母は最初から企んでたみたいだけ…ひたた」
「今、なんて言ったんですか?」
「だから祖母が最初から企んで…」
「その前です!」
「名前書き忘れて落ち…うにーっ」
 葉子が、その頬を思い切り引っ張ったのだ。
「失恋して髪切った次は、名前忘れて落第なんて、一体何考えてるんですかっ」
「しょーがないでしょ、書き忘れたんだから。大体目付役はどうした、目付役は」
「そ、それは私が…」
「ほら見ろ、葉ちゃんのせいじゃないか」
 どうして葉子のせいになるのかは不明だが、
「ま、それはそれとして、別に連れ戻しに来た訳じゃないんだ」
「え?」
「最初はね、荒縄で亀甲縛りにして本邸に送ろうと思ってたんだけど、途中で萎えちゃた。少しこっちでお休み。いい?」
「も、勿論です。ゆっくりしていって下さい。私てっきり、連れ戻しだとばっかり…」
「そんな気力はありませんよ」
(若様…)
 気付いた時にはもう、身体が反応していた。シンジを引き寄せて、頭を膝の上に乗せていたのだ。
 シンジだが別人――少なくとも、葉子の知るシンジではない。
 以前のシンジだったら、今頃葉子は荒縄できつく縛られ、首に鎖を付けたまま夜の散歩に連れ出されているだろう。それが良いか悪いかは別として、がらっと覇気が抜けてしまっているのだ。
 勿論、こんなシンジは見たくないと言い出す葉子ではないし、言える立場でもないのだが、ただ哀しくなったのだ。
 一体どこの女のせいでこんなになってしまったのか、と。
「シンジ様」
「なに?」
「その…その方の事、話していただけませんか?」
「聞いてどうすんのさ」
「その…シンジ様がそこまで想うのはどんな女性(ひと)なのかなって」
「……」
「ご、ごめんなさい変な事訊いちゃって。あの、忘れて下さい」
「いいよ」
 数秒間、囲炉裏の火を眺めてからシンジは頷いた。
「い、いいんですか?」
「いいんだ。秘密をばらしたって、冥界から怒りに来るかもしれないけどね」
 笑ったシンジだが、その笑みから哀しみの色は完全に消えてはいなかった。
 
 
 
 
 
「ここに来るのも久しぶりだな」
 ジャガーを降りた黒木は、軒先の看板を見上げた。
 日本で唯一与えられた殺しのライセンスだが、あれを返上した時からもうここへ来る事はないと思っていた。
 普通の料亭だが、今は総理である倉脇早善の専属のようになっており、一般客は皆無になっている。
 文字通り、命を賭した任務が終わる度に、黒木はこの店へ、狭霧を伴って報告に訪れたものだ。
 だが、今黒木が銃を手にする事はない。
 いや、持ってはいるのだが、任務として持つ事は二度とない。黒木豹介はもう、日本の切り札ではないのだから。
 扉を開けると、いつもの女将が出迎えた。
「お待ちになっておられます」
 頷いて歩き出した背中を、女将は一礼して見送った。勿論、黒木が最近来なくなった事は知っている。そしてそれが、多分総理に関係しているのだろうという事も。
(あの方は少し変わられた)
 女将は内心で呟いた。
 以前の黒木は、文字通り触れる者を皆断ち切りそうな気配を漂わせており、近寄り難い存在だったのだが、現在の黒木からそこまでの物は感じられない。緩んでいる、と表現してもいいだろう。
 しかし、以前にも増して隙が無くなったのはどういう訳なのか。
 黒木豹介が解脱して、菩薩になったわけではない。
 ただし、悟ったと言うのは事実である。それがどんな敵であろうと、乗り物に乗っていない限り、いつも銃と己の肉体で対峙してきた黒木であり、また常に勝利を収めてきた。
 とはいえ、見えざる力の存在は信じておらず、またそんな敵に遭遇した事もなかった為、どうしても力は狭く深くと言う事になる。戦士というのは、より大きな敵の存在を知った時、また一つレベルが上がるのだ。腕力は無論、銃すらまったく通じない異種の敵がいるというのは、黒木にとっては大いなる衝撃であり、それを受け入れられた時攻守のレベルは大きく上がったのである。
「黒木です」
 声を掛けると、うむと重厚な声が返ってきた。
 室内に入ると、既に膳は運ばれていたが、まったく手は付けられていなかった。室内の雰囲気からして、黒木を待っていたのではないと判断した。
「急に呼び出して済まなかった。掛けたまえ」
 腰を下ろした黒木に、
「君をここへ呼ぶのは久しぶりだな。狭霧君は順調かね?」
「ええ、まだあまり目立ちませんが、幾分肥えてきました」
「それは良かった」
「ただ…今でもまだ、迷っているのです」
「迷っている?」
 倉脇は穏やかな目を向けた。
「君の子供が出来る、と言うことか」
「はい」
 頷いた黒木が、
「私は、任務の為とは言えあまりにも多くの人間を殺して来ました。両手どころか、全身を血に染めた私のような者が――」
 言い終わらぬ内に、倉脇は遮るように手を挙げた。
「それもまた、一つの命運だよ。今日は急用が入ってね。君に頼みたい事にも関わる話だよ」
 倉脇は、自分に一体何を頼もうと言うのか。黒木は表情を変えぬまま、内心でかすかに首を傾げたのだが、ふと警備の者の気配が全くないのに気付いた。
 鈴を鳴らして女将を呼び、膳を持ってくるよう命じた倉脇に、
「総理、この店の周囲にはまったく警護の者の気配がありませんでしたが――」
「その通りだ。誰も付けていないからな。皆無では、さすがの君も気配は分かるまい」
 そう言って黒木の顔を見ていた倉脇が、薄く笑った。
「さすがに君でも分からないと見える。無論、自暴自棄になどなっておらんよ。解けたかね?」
 黒木は首を振った。さっぱり分からない。
「肩が凝るから湿布を貼る、そう言えばまず怪しまれない」
「は?」
「ここだよ」
 倉脇は自分の両肩を指差した。
「黒木豹介は百名のSPに勝る――碇財閥総帥が、そう言って札を二枚送って来られたのだ。前鬼と後鬼と言うらしい。もう既に、五回ほど助けられた。直接襲ってくる暴漢は無論、数百メートル離れた地点からの狙撃すら察知して防ぐんだ。勿論、電波など出していないから、普段はまったく分からない。今の私には十分すぎる代物だよ」
「そうでしたか」
 うむ、と頷いた倉脇が、
「君や狭霧君が、つまり日本政府が全力を挙げて叩こうとした悪の組織、『赤いクリスマス』だが、任務半ばにして君が引き抜かれた事で、一層暗躍するかと思われた。だが組織は壊滅した」
「私も、それを知った時は思わず耳を疑いました。ましてそれが、一人の老婆だなどとは」
「日本政府の面子など丸潰れだが、あれを始末したのは碇財閥の金庫番だよ」
「金庫番?」
「碇財閥は元々、各国の企業を支配下に置く多国籍企業だが、傘下にあるすべての企業から上がってくる金銭の流れを把握しているらしい。すべてを合わせれば、小国の国家予算を遙かに超える金が動いている。それを全て把握するというのは、文字通り人間業ではないな」
「何者なのですか」
「トンブ・ヌーレンブルクと言って、チェコが誇る稀代の魔道士らしい。能力と、金に対する執着が常人の数十倍と言う事で、総帥が全て任せたと聞いている。総帥に大言壮語の癖がないのは無論知っていたが、追いかけていたのは代わりに始末してやるよ、とそう言われた時は、正直私も信じられなかったよ」
 でぶの魔道士とその雇用主が、何をしたのかは知らない。と言うよりも、知りたい内容ではない。
 ただ一つ言えるのは、大言壮語とも言える言葉を口にしてから、わずか一ヶ月あまりで悪の組織『赤いクリスマス』は滅びたという事だ。
 文字通り、地上からその姿を消してしまったのである。
 無論、日本政府の面子など丸潰れになっている。
 倉脇がそこまで言った時、膳が二つ運ばれてきた。
 今度はちゃんと湯気も立っている。
 黒木の杯に手ずから注ぎながら、
「今日君に来てもらったのは、帝国歌劇団花組の事についてだ。あのメンバーは総帥とお孫さんが選んだと聞いている。政府にはまったく関わりがないことだし、だから今までは黙っていたのだが――」
「横やりが入りましたか」
 倉脇は頷いた。
「防衛庁は以前から、自衛隊の精鋭を集めて特殊部隊を作っていたんだ。無論、普通の敵を想定したものではなく、人間とは異質の敵を想定したものだ。かつて降魔戦争の折に、自衛隊は人外の敵に対して物理的な攻撃を仕掛け、壊滅的なダメージを被った。長官はとっくに入れ替わっているが、あの時の事は今でも屈辱らしい」
「総理、碇財閥を敵に回す事になります」
 既に黒木は、シンジの発想が理解出来るようになっていた。
 ただし、理解と同意は別問題だが。取りあえず、自分が絶対に前へ出たくないと言うシンジの考えは知っているし、
「もしお前の事がばれた場合、特命武装検事って知れ渡るのに大したもんだ」
 と、冷やかしや嫌味ではなく、本心から感心したように言われた時、何故か理由もなく後ろめたくなったのだ。
 シンジは花組の選抜には無関係である。
 だが、フユノとミサトが選んだ面々は、碇シンジに預けられたのだ。
 何よりも、
「敗戦ではなかったと思いますが」
 どう見ても敗戦ではあったが、だからどうだという被害は出ていないのだ。先の戦闘では、シビウとフェンリルが二人で始末したし、今回の戦闘では鬼女の出番となった。
 とまれ、花組の敗北によって、誰かが後始末を強いられた訳ではない。
 全てを聞かずとも、黒木には倉脇の言わんとする所が読めていた。かつて、ずたずたに引き裂かれたプライドを埋めるべく、自衛隊のみに留まらず優秀な人材をかき集めたのだろう。
 そして、帝都の霊的防衛は花組ではなく、自分達に任せろと言う気に違いない。
「分かっている。だが、それ自体はさしたる問題ではないのだ。問題は、花組という防衛線が機能しなかった事にあるのだ。無論、私とてそれの意味する所は分かっている。あの花組を誰が構想し、そして今誰が指揮しているかを考えればな。しかし、実質的には連敗だ。私がこれ以上止めれば、裏で繋がっているのかと言い出すだろう」
「……」
 『赤いクリスマス』の連中が、人外の存在を怒らせたと知った時でさえ、今ほど背筋が寒くはならなかった。
 宙の一点を見つめている黒木の脳裏に浮かんでいるのは、辺り一面が地獄絵図と化して、誰一人として生きた者はいない防衛庁内部であった。
 碇中隊――黒木が付けた精鋭達の名前だが、彼らが動く必要はない。シンジと、そしてその従魔だけで十二分に事足りよう。
 倉脇の言う事は分かる。
 だが、黒木から見れば逆なのだ。花組だけで勝利出来るレベルにないのは分かっている。だからこそ、機体にこれ以上ないほどの手を加え、操縦者達にもまた能力開発を強いているのだ。
 それに加えて、あの娘達だけで勝てなかった時の事は、万全に備えがしてあったではないか。
 前回はドクトルシビウとフェンリルであり、今回は――。
「総理、黒瓜堂と言う店をご存じですか」
「知っている。非合法な物をかなり扱っているのだが、客層が客層だけに手が出せなくてね。海外の政府筋とも付き合いがあるらしい。もっとも、店員に比べればまだ可愛らしい物かもしれんな」
「と、言われますと?」
「あの店のオーナーと秘書の娘、それにレビア・マーベリックを除いた全員は、いずれもICPOが全力で追っている事件に、何らかの形で絡んでいる。正確に言えば犯人だが」
 それを聞いた黒木の表情が動いたが、倉脇は軽く首を振った。
「止めた方がいい。確たる証拠があるわけではないし、何よりも碇総帥が許すまいよ」
 自分では正義の為と信じてきたが、自分の両手が血に染まっているのは事実であり、その自分がシンジを正しい道へ導くなどとは思っていない。
 ただ、黒瓜堂だけはシンジに悪影響を与えすぎると、黒木は懸念していたのである。
 がしかし、そのシンジの親から悪の道へ運んでくれと、直接頼まれていた事は無論知らない。
 それにしても、どうしてフユノの名前が出てくるのか。
「この間、彼が福島空港でハイジャックの人質になった時、助け出したのは黒瓜堂の店員だったようだ。君が動けば、そのまま彼をも怒らせる事になるだろう。碇家の本邸に仕えている者達は、シンジ君を抑える為だと知っていたかね」
「いえ、それは…」
 倉脇の言うように、シンジを助け出したのが黒瓜堂の一味だとあれば、黒木が黒瓜堂を潰しに掛かった時、フユノが黙ってはいるまい。何よりも、黒木の方が先にシンジの逆鱗に触れかねず、それだけはどうしても避けたい。
 命の恩人とか言う事とは別に、一対一ではシンジに敵うまいと黒木は察していたのである。
 銃ならば、勿論黒木が上だろう。
 しかし、その銃弾は従魔が事も無げに跳ね返してしまうに違いない。
「さっきも言った通り、何カ国かの政府筋から、品物を購入に来ているのは分かっている。そう簡単に排除出来る問題ではないよ。それよりも、やはり君に頼まねばならん。君も分かっているだろうが、年端も行かぬ娘に一国の防衛を任せるというのは、対外的にも聞こえが良くない。当人達がその道を選んでいようと、婦人団体などは盲目的に叫ぶものだ。だが、この問題に関しては一切口をつぐんでいるのは、ひとえにバックのおかげだよ」
 自由と身勝手をはき違え、屡々愚にも付かぬ事を喚き立てる婦人団体や市民団体は多いのだが、この問題に関しては彼らの方に分がある。
 それでも、非難の声が一切上がらないと言うのは、フユノが鼻薬を効かせているからではない――ただ、怖いのだ。
 商業上のバッシングなど、フユノは歯牙にも掛けまい。それははっきりしている。
 問題は、その対象が花組に向いた時であり、その効果を自ら試そうという勇者は、現在の所現れていない。
 とはいえ、黒木に言わせれば防衛庁の特殊部隊だって、それと大して変わらない。一体、何を考えてそんな物を全面に出してきたのか。
「とはいえ、私も嫌々ながら従った訳ではない。なに、簡単な話だよ――どうせ死ぬのなら、若い娘より中年の方がいい。そうは思わないかね」
 倉脇の双眸に一瞬危険な光が宿ったような気がしたが、それも一瞬のことですぐ元に戻った。
「特殊部隊とは言っても、直接防衛庁が指揮を執る訳ではない。一応、厚生省に所属してる事になっている。無論、カモフラージュだがね。隊長は京極慶吾と言う。覚えておきたまえ」
 
 
「シンジ様…」
 話を聞き終えた葉子の目から、ぽろぽろと涙が落ちた。
「何故泣く?」
 意味は分かっているが、シンジとしては泣いてほしい所ではない。単に自分がみっともなかっただけで、むしろ哀しいとしたらそっちの方だ。
「私が…私がお側にいなかったせいでそんな事になって…」
「別に葉ちゃんのせいじゃないよ。サリュを喪ったのは、単に俺が無力だっただけなんだから」
「そのことではなくて」
「え?」
「飛行機をハイジャック犯に乗っ取られ、その上縛妖の道具で縛られるなんて…いつからそんな非力に…」
 そうか…と、頷き掛けたシンジの眉が上がった。
「ちょっと待てぇ」
「はい?」
「じゃ、何か?俺が振られたのは、別に気にしてないってわけかい」
 葉子は、当然のように頷き、
「慰めて欲しいんですか?」
「くっ!」
「私だって、シンジ様の性格位分かってます。突っ込んでほしいとは思っていても、慰めて欲しいなんて、全然思ってない筈です」
「ごもっともで」
「それに私だってシンジ様が…」
「え?」
 最後の方は聞き取れなかったのだが、葉子は何でもないですと首を振った。
「そ、それより若様、お風呂沸いてますから」
「うん。じゃ、借りてきます」
 シンジに続いて葉子も立ち上がった。
 てくてく付いてくる葉子に、
「お風呂変えたの?」
「いえ…あの、久しぶりだから私がお背中流します」
「ありがと、でも大丈夫。一人で入ってくるよ」
 もう子供じゃないんだから、ではあるまい。
「ごめんなさい…本当は…嫉妬してたんです…」
 シンジの姿が見えなくなってから、葉子は小さく呟いた。
「すっかり大人になっていて、恋人も出来て…当たり前だって分かっていたけど…」
 恋人、と言うよりは、ずっと一緒だった弟に彼女が出来た姉の気分に近いのかも知れない。
 がしかし。
「私が…少しだけでも忘れさせてあげます…この身体で…んうっ」
 きゅっと両胸を揉みしだくと、うっすらと開いた唇から熱い吐息が漏れた。
 短いながらも濃厚な痴情の日々を聞かされ、女だけが持つと言われる、どこかのスイッチが入ってしまったらしい。
 葉子の携帯が鳴ったのは、翌日早朝の事であった。
 
 
 
 
 
(つづく)

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