妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
 
 
M−1:先生のお時間
 
 
 
 
 
「マスター、違うそうじゃない。さ、もう一度」
「あー、はいはい」
 妖艶な美女がシンジの腕に手を添えて、そのまま地面に触れさせた。
 フェンリルである。
 ウェールズの地に碇シンジの従魔となったフェンリルだが、主の能力がまだまだ未発達である事を一目で見抜いていた。
 要するに荒削りなのだ。
 巨躯の前足が軽く描いた結界は、シンジがどれだけ力を放ってもまったく外に出すことは無く、現在家庭教師の真っ最中だ。
「力というのは宝石の原石みたいな物だ。無論、そのまま持っていても構わないが、もっと修練をしてもらわなくてはな」
「どうして?」
「私を従魔にした以上は」
「…うん」
 シンジがすんなりと納得したのは、やはりその本来の姿が持つ能力を知ったからだろう。シンジが現在放てる力すべてを放っても、落書きみたいに描かれた結界のそれは微動だにしなかったのである。
 ところで、シンジ達が今いるのは無論ウェールズの地ではない。そこからはだいぶ日本寄りの、だが日本からはこれまた遠い中華の地にいる。
 無論日本の二十六倍にして世界第三位の国土を有する国は、いかな旅行好きでもそうそう制覇できるものではなく、シンジもまだ未踏の箇所は幾つもある。
 そんな中でシンジが選んだのは敦煌であった。
 言わずと知れたシルクロードの起点だが、ここを選んだのには訳がある。
「人たる中では確かに屈指の潜在能力だが、今のままでは眠らせたまま終わってしまうな、マスター」
「どうするの?」
「ひとえに修練あるのみ。開花と言った方が正解かも知れないが」
 神話にその名を厳然と残す妖狼フェンリル――とは言え神の一端に違いはなく、そんなのを従魔にはしたもののどうなるかと思ったが、案外上手く行っており、ここまでぶつかった事は一度もない。
 或いは、人化した時のフェンリルが妖艶な美女の姿だった事も、その一因にあるのかも知れない。
 シンジだって、戸山町の知り合いには遠く及ばぬものの、その辺のよりはレベル高いし、見た目には結構いい組み合わせなのだから。
「さて、今日はこの辺で良かろう。マスター、お疲れさま」
 フェンリルが指を軽く鳴らすと結界は消え、周囲の景色が一瞬にじんで見えた。
 それを見て、俺には到底無理だとシンジは内心で呟いた。
 結界云々の事ではない。
 指を鳴らした姿がまたこの容姿にはよく似合うのだが、シンジは本来気障にも似た仕草を好まない。
 と言うより向いてないのだ。
「じゃ、やるか」
 シンジが屈んで大地に片手を押し当てた数秒後、三十メートルほど離れた場所に、直径五メートル、深さ一メートルほどの穴が出来、何をどうやったものか、中から水が噴き出した。
 その側へてくてく歩いていき、縁に手を翳した瞬間、手から吹き出した炎が穴の周囲をぐるっと取り囲み、ちょうど満たされた水を炙るような格好になった。二十秒程経った頃、水に軽く手で触れ、
「うん熱い」
 頷くと同時に火は止まり、
「フェンリル、入れるよ」
 後ろを向いて声を掛けた。
「分かった、今行く。しかしマスター、なぜわざわざ不効率な事を選ぶのだ?」
 指の一本を動かしもしないのに、服は一瞬にして消え、フェンリルは見事な裸身を晒しだした。
 どうやらこの服は、イメージで作り上げている代物らしい。
「いや、別に不効率なわけじゃないんだけどね」
「余計な時間が掛かる。手の届かぬところが洗える。それを無視するのは不効率以外の何物でもあるまい」
「まあ…それはそうなんだけど」
 シンジは本来髪が長い事もあり、入浴はかなり好む。だから地を打ち抜いて水を呼び出し、それを炎で加熱すると言った手段を取っていたのだが、
「大地を穴だらけにする気か、マスター?」
 自分で水を出せば済む話だと、フェンリルに教えられたのだ。
 しかし、入浴という物が温水に浸かる事だと聞いて、フェンリルは奇妙な表情になった。どうやら、神話のその世界に於いては、そんな風習は無かったらしいのだ。
「身体は?」
 まさかばっちいまま、と眉をしかめたシンジに、
「私の身体から悪臭が漂っているか?そのような事を口にするものではない」
 と叱られた。
 いわゆる温泉の類は、火山の噴火等で出来たものか、あるいは何らかの偶然で元からある物に傷を癒す為に入ったりするのみで、それ以外はすべて泉か湖、あるいは川で水浴していたというのだ。
 それはそれでいいのだが、
「ではマスターも一緒に入るがいい」
 と、ごく当たり前のように言われて一緒に入ってしまったのだが、
「ふう〜」
 と、肩まで浸かってから一息ついた時、混浴だと言う事に気が付いた。しかも、ちらりと視線を向けるとほんのりと色づいた乳房が、沈んでなど居られないとばかりにぷかぷか浮いているのだ。
 さすがに顔を紅くして飛び出すほどシンジも物好きではなかったが、それ以来は一度も一緒には入っていない。
 が、上記のような理由で、フェンリルにはそれが理解しがたいらしいのだ。確かにフェンリルの言うとおりだし、野宿ともなれば添い寝状態ではあるが、微妙なお年頃としては何となく避けたい。
 添い寝、とは言っても肌と肌を合わせ――丸まったフェンリルの毛皮の中に、シンジがすやすやと寝息を立て――ている状態なのだ。ある意味、これ以上に快適でこれ以上に安全な寝袋は、世界中何処を探しても見あたらないと断言できよう。
「マスター、物を言う時は明確な根拠に基づいて言うものだ。根拠の足りぬ感情論や曖昧な記憶の断片などは、しばしば事態を不明瞭にする。もう一度訊くが、私と入るのは不満なのか?」
「いや、そう言う事じゃないよ。ただ、人間界では男は女を担いで風呂に入ったりはしないの」
「誰でも?」
「家族とか恋人とかは別」
「家族や恋人と言ったな。夫婦や恋人など所詮は他人の寄り集まりだし、子供にしても自分の血など最大で半分しか流れてはいまい。その程度の者でも共に入るのに、命すら共にする私では不満、とそう言う事か?」
「分かったよもう」
 お手上げ、とシンジはひらひらと白旗を振った。
「一緒に入った方が絆もどうこうとか言うんだろ、どうせ」
「その通りだ」
 頷いた途端、シンジの身体は湯の中に移転していた――服を着たままで。
「こら服着たまま」
「脱げばよかろう」
 白い手が伸び、殆ど衝撃など感じさせずに服を脱がしていく。
 す、と手が上がり湯の中から抜き出された服は、なぜか濡れている質感など微塵もみられず、ふわりと宙を飛んで着地した時には、きちんと畳まれていた。
 何か言おうとしたが、
「一度洗って見たかったのだ。今日は私が洗ってやろう」
 まさか身体を!?とシンジが処女みたいに身構えようとしたら、しっとりと髪が手に取られ、
「何をしている?」
「う、ううん、何でもないの」
 俺って汚れたかもしれない、と少しばかり自省した途端、細く白い指が髪を梳き上げられ、
「人間など羨ましいとは思わぬ。私のこの姿もマスターに合わせているのみだ。だがこの髪だけは――私の到底及ばぬところだ。まして、魔術など一切使わずにこの艶、この輝き――羨ましいぞ」
 指先の動きに、何故かシンジは背筋に一瞬冷たい物が流れるのを感じた。
 それから数日後、
「これでは、私も本気を出さざるを得ないな」
「え?」
「この吸収の早さは能力云々より、天賦の才だな。今の程度の結界では、マスターの力の吸収には不足だ。それにしても、よくここまで私の結界に追いついてきたものだ」
「別に俺が変わったわけじゃないよ。ただ何故かな――この結界内では遠慮が要らないから、少しずつ威力が上がってくるんだ」
「それを上達と言う。しかし、ここまで教本も指導も要らぬ生徒では、私の出番など不要だな。今のマスターなら、西千仏洞くらい一撃で吹っ飛ばせよう」
 シンジの頬に指を滑らせ、フェンリルはうっすらと微笑った。
 西千仏洞とはこの近くにある石窟群で、古の時代、六つの王朝にかけて作られた物であり、西遊記で有名なかの三蔵法師や孫悟空を描いた『唐僧取経図』などが収められている楡林窟の仲間だが、壊したら即座に仏罰か天罰が下る事は間違いあるまい。
「そうでもない」
 シンジは周囲に視線を向け、
「どんな壁でも、銃を撃ちまくればそのまま反射して返ってくる。どれだけ撃っても吸い込まれ、なおかつ銃の威力を上げる結界など、他を探しても決してな――フェンリルどしたの?」
「いや、気のせいかも知れない。妙なものを感じた気がしたのだが」
「構わないよ」
「構わない?」
「フェンリルの毛皮にくるまっているなら、核シェルターに潜り込むより安心だ。伝説の大洪水が来ても俺は無傷だな」
 春夏秋冬、いつでもどこでも海外をチョロチョロしてるシンジだから、気温の高低など慣れているが、この辺はやはりシルクロードの一端を担うだけあって、冬は結構、それも夜ともなればかなり冷える。その代わり夏はまた凄まじく暑いため、日本人が帽子も持たずに行くとたちまち熱射病で倒れる。
 石窟で仏を見物して倒れる――本当の御陀仏さんとはこういう事を指すのである。
 閑話休題。
「マスターも毛を生やしてみてはどうだ?夜も一人で寝られるぞ」
「毛むくじゃらが永久脱毛して人間になったんだ。謹んで遠慮する。ま、フェンリルは俺のお守りに飽きたのならその時はしょうがな――うぷ」
「何を言うかと思えば。私が飽きる?あり得んよ、せっかく手に入れ――いや、なんでもない」
「ちょっと待てー!今なんて言った」
「ずっと側にいる、とそう言ったのだ」
「いーや、嘘だね。その内俺を食ってやるとか言ったんだ、放せー!」
「断る」
 砂漠でどたばたと騒いでいた二人だが、その翌朝、
「マスター、やはり移動しよう」
 自分の腹から顔を出したシンジに告げた。
 無論、毛皮にくるまっていたのである。
「移動?」
「私の気のせいだと思ったのだが、どうやら気のせいではなかったらしい」
「ウチらに喧嘩売ってくるのがいるの?」
 にゅう、と起きあがったシンジに、
「違う。ただ妖気を感じるのだ。それも質は凄まじくないが、量は結構な数だ。この分だと、自然に発生した生き物ではなさそうだな」
「…しかし人為って言ったって、フェンリルのアンテナが察知する量って、生半可じゃあるまい。秘密結社でもあるのかな」
「マスター、この間ピラミッドを破壊したのを覚えているか?」
「忘れるわけないだろーが。ったくあんな所で元の姿に戻りよってからに」
「誘引したのはマスターの魔力だが」
「まあいい。クフ王のピラミッドじゃないから、エジプト政府から追っ手も出されないだろ。で、それがどうしたって?」
「あの中に布に包まれた人体があったな」
「ミイラだってば…たまに甦るらしいがな」
 マミー・リターン。
「死者の身体を操る術は、神々の世界に於いては数名の者が心得ていた。もっとも、己の私利私欲に使う者などはいなかったが。どうした、マスター?」
「あんまり行きたくないな」
「なぜ?」
 不思議そうな顔で訊いたフェンリルに、
「フェンリルが知ってるか知らないか知らないけど、人間の身体って腐るんだよ。防腐剤を入れてあったってミイラなんか、まして生き返らされたそれなんか、ゾンビみたいにデロデロにになってるに決まってるんだ」
「吹っ飛ばせば良かろう。今のマスターなら、そのくらいは至極容易いはずだ」
「で、デロデロが飛び散るのを眺めるのか?俺が拒食症になったらどうする気だ」
「その時は――」
 美女の姿で、フェンリルは妖艶に笑った。
「私を食べれば良かろう」
「やなこった」
 
 
 
 
 
 それから三日後。
「なんだこのヤンキーモンキーは」
 シンジ達は蛾眉山市に居た。この辺は茶色の毛をした猿が多く、写真写真と現地の娘が迫ってくる。
 日本ではヤンキーのこんな髪は珍しくないが、猿のこれは初めてである。フェンリルを恋人と見たのか、二人で一緒に撮ってやるとしきりに誘ってくる。
「と言う事だがどうする?」
「私はどちらでも構わないが」
「…何でそう言いながら腕取ってんのさ」
「細かい事は気にするものではない、マスター」
 二人の様子を了解と取ったのか、勧誘の娘はにっこり笑ってカメラを構えた。
「あーあ、まったくもう」
 ぶつぶつ言ってるのはシンジである。なお、フェンリルは妖狼の姿に戻っており、道行く人も一瞬見るが、すぐ視線を戻していく。
「肩に猿なんか乗せたから、毛繕いされたじゃないなか。お前のせいだぞ」
 どうやら、ボス猿扱いか仲間として認知されたらしい。
「引っかかれるよりましだ。だいたい、最初に足を止めたのは私ではないぞ」
「…まあいい、それで妖気がどうとか言ったのは、ここからどれ位離れてる?」
「数百キロだ。今夜一晩は、人間の宿でゆっくり休むといい。明朝にここを経てば数時間で着く」
 フェンリルが言うとおり、最初は直行しようとしたのだが、
「疲れたよ〜、眠いよ〜」
 と、まるで小学生みたいな駄々をこねるシンジに、途中で休む事にしたのだ。
 もっとも、本心からそんな事はさして思っていないと、既に付き合いの中でフェンリルにも分かってきている。
 フェンリルの巨躯の背に乗って移動したのだが、この主がその気になれば数日位は、不眠でも持つ事はもう知っているのだ。
 しかし、その気の有無は別として、一応駄々だから無視も出来ないしと、この街を一晩の宿に選んだのである。
「ところでフェンリル、さっきから何見て…こら」
「なかなかいい感じに映っている、そう思わないか?」
「どっちでもいいよ、別に。それにその写真、どこにしまっとくつもりさ」
「私の体内だが何か?」
「胎内〜?」
「その胎ではない。マスターにもいずれ異空間を覚えてもらう。何時までも大荷物など持つものではない」
「あ?」
「空間転移、と言っているのだ」
「超能力の瞬間移動?」
「違う、それとはまったく別物だ」
 一言の下に否定され、はあと曖昧に頷いたシンジを抱き寄せ、
「今のマスターは、まだまだ荒削りの原石だ。それが全て開花した時、どこまで伸びるのは私にすら想像は付かない。だが――それがまた楽しみでもあるのだ」
「うん、それは分かった。でも頬ずりは止めようね、毛皮の時とギャップが多すぎるから」
「断る」
 あっさり拒否すると、抱きしめる腕へ更に力を入れた。
 
 
 
 
 
「う〜、寒いよう…って、何で今日は雪なんだ」
「少しぐらい寒い方が良かろう。あまり暖かいと却って身体がなまる。それよりマスター、私の毛皮にすっぽりくるまっているのに何故寒い?」
「ごめん、言ってみただけ」
 長距離移動用の完全体には程遠いが、それでも上に乗ったシンジが毛皮の間からにょっきり顔だけ出すには十分であり、その言葉通りこれで寒いなどと言ったら天から雷が降り注ぐだろう。
「でも我が儘言っても怒らないからフェンリルは好き」
「何を馬鹿な事を」
 妖狼の姿で便利なのはこれである。
 そう、人間の時の赤面は隠しようもないが、この姿なら分からないから。
 巨躯が疾走し、彼らは現在黄竜に来ている。
 成都からはだいぶ北上した位置にあるのだが、怠惰な五精使いは従魔の背にくるまっていたもので、ここがどこかもどの辺りなのかも分かってはいない。
 だから、
「ここ何処?」
「成都から奥に入ったところだ」
 適当極まる答えにも、
「ふーん、成都の奥地って随分寒くなるんだ」
 と、こんな認識しかしておらず、しかも恐ろしい事に、間違った認識はこの後も正されないままなのであった。
 だいたい、この辺は羌族の自治区であり、全人口の九割を占める漢民族とは既に異なる異文化の地なのである。
 しかしこの雪でそんな事になど興味は行かないのか、
「フェンリル、あの川凍ってるよう」
「あれは川ではない、池だ。急激な温度の変化で一時的に凍ったと見えるな」
「上を歩いたら溺れるな」
 この辺りは実に千以上の池があり、一大景観を成している。これが暖かい夏辺りだったら、絶好の景色が見えたに違いないのに。
「それで、この辺り?」
「そうだな――私の勘に間違いがなければ、だが」
「あー、んなモンないない」
 シンジはひらひらと手を振り、ひょいっと飛び降りた。
「お前の勘が狂うなら、占い師は全員即日廃業だ。ところで俺のコート出る?」
「今出そう」
 美女の形を取ったフェンリルからミンクの高そうな、そしてそれ以上に暖かそうなコートを受け取ると、
「南半球の方が良かったかも知れない。それも赤道直下の」
 日焼けなどしたがらないくせに、そのくせにいかにも寒さ慣れしていないような風情で腕を通す。
「どうするの?」
「少し歩いてみるか。正確な場所を探知してもいいが、マスターを一人置いていく事になる」
「俺は要らない子なの?」
「要る子だから置いてはいけないのだ」
 フェンリルとて、無論シンジが本気でないのは分かっている。シンジは例え、世界中が敵に回ったとしても、飄然と自分の道を行くであろう。
 だからそれは…むしろ自分に言い聞かせるようなものだったかも知れない。
 ざくざくと雪を踏み分けながら、二人は三十分ほど辺りを歩いた。
 歩きながらフェンリルは、シンジの表情が微妙に変化しているのに気づいた。
「マスター何か?」
「ふっふっふ」
 何を思ったか、シンジはにやあと笑ったのだ。その顔には、さっきまで寒さにぶつぶつ言っていた姿は微塵もない。
「近いな」
「え?」
「妖気が漂ってくる。それもこれは、怨念絡みだな。ただ純粋に狂科学者が世界征服を企んだとか言うのとは違う。むしろ、捨てられた女の恨みとかそっちだ」
「さすが女の心理には敏だな、マスター」
「…褒めてる?」
「一応は」
「なーんか怪しい」
 そう言いながらも別に深追いしようとはせず、シンジが歩き出そうとしたその瞬間、二人の顔が揃ってある方向を向いた――すなわち上を。
 今二人が歩いているのはちょっとした崖の下であり、その上の方で何かを聞きつけたのだ。
「きゃーって…フェンリルも可愛い悲鳴上げるよね」
「一度内耳道まで分解の必要があるか?」
「お前にやらせたら、元に戻してくれなさそうだからやだ…あ、違ったみたい」
 崖で足を滑らせたか何かで落ちてきた物体――おそらくは人間だろうと、既にシンジは気づいていた。
 しかし、面倒だから放って置いただけである。
 落ちてきたそれを、数歩進んで受け止めたのは、その肢体にある物を見たからかもしれない。
 すなわち乳房を。
 シンジの腕の中に受け止められた肢体はあちこち服が破れており、
「レイプ魔と愉快な仲間達に追いかけられた、わけじゃなさそうだね。この体から妖気の破片が伝わってくる」
 ちらりと上を見上げてから、再度腕の中の娘に目を転じ、
「で…これ誰だ?」
 気を失っている金髪の娘を見ながら首を傾げた時、
「どうやら上では殺す気だったらしいな。マスター、来るぞ」
 フェンリルの言葉が終わらぬうちに、巨大な物体が無機質な殺気をはらんで落下してきた。
 数にして、数十は下らなかったであろう。
 
 
 
 
 
(つづく)


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